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Skies Heart  作者: みやびなや
グレイ編
23/27

リリース

投降予定から随分と遅れてしまい、申し訳ありません

◇◇


ガルハールが操る馬車が、自警団の詰所に到着する。

俺達の無事……というか、仲間の無事の帰還を安堵するかのように、自警団の面々は明るい表情を浮かべていた。

 だが、馬車の中から現れた見知らぬ人間(ビスティス)を見た瞬間に、彼らの表情は恐れに染まっていく。


「ど、どういうことだバシアス、ガルハール! この人間は? 神々との決別(エヌマエリシュ)はどうなった!?」


 馬車から降りるなり、一人の魔族が声を荒げて尋ねてくる。


「事情は後で説明する。そのために、部屋を一つ貸してくれ。グレイラディ様はどこに?」

「ぐ、グレイラディ様ならば会議室だが」

「わかった。丁度いい。ならばそこを使わせてもらうとしよう」

「そ、それは構わないが……」


 困惑している団員を後に死、バシアスの先導に従って歩いていく。

 


「……どうにかなんねぇのか? どいつもこいつも変な者も見る目で見やがって」

「敵視しているんだよ、人間を。それだけ人間が魔族にやったことは重いんだ」

「魔族狩り、か。俺には一切関係ない事だってのによ」

「……見られるのが嫌なら黙って歩け。変な態度を見せればそれだけでは済まないぞ」


 あくまで飄々とした態度を崩さないビスティスだが、それでも言葉の端からイライラしているのは容易に読み取れた。


 両者の主張も、分からないではない。

 魔族としては見知らぬ人間が街に入っている事態が気が気ではないし、ビスティスからすれば魔族がいつ襲ってくるか分かったモノではない。

 互いにピリピリするのも無理なからぬ話だと思う。


「着いたぞ……」

 

 やがて、会議室の前に辿りついた。

 バシアスがノックし、中に呼びかける


「失礼します」

「む、その声はバシアスか。よい、入れ」


 声に従い入室する。

 部屋の中には、銀髪の少女がいつもの笑顔で座っていた。

 少なくとも、昨夜のような不安げな表情はどこにもない。


「うむ、皆よくぞ戻ったな。して、その男は?」

「例の獣使いです。ですが、神々との決別とは何の関係も無いようでした」

「まことか? 騙りでエフレアに侵入する算段だったという線は?」

「それは自分も考えましたが、それにしては彼が嘘を言っているようには見えませんでした。ホフマンやルイとも確認しましたが」

「同意見だった、と」

「えぇ。彼はルイ達と同じく、別の世界から来た人間のようです。半年ほど前にグアルを訪れた際に住人に襲われ、襲撃を逃れるためにロフの森に住みついたとの事でした」

「ふむ……そう聞くと我らの方に咎があるように聞こえるな」


 じろり、とグレイラディの猫の瞳がビスティスを睨む。


「ロフの森に住みつき、我が民を傷つけた事に対して、何か言う事はないか?」

「ないね。グアルって街の奴らと言い、今回の件と言い、先に手を出してきたのはそっちだ。先にモノを言うとしたらそっちが先だろう」

「それは見解の相違じゃの。我ら魔族からしてみれば、貴様ら人間が信用ならぬから追い返したまでだ。先に魔族を襲いだしたのは人間の方。警戒するのは当然じゃろう?」

「そりゃぁ同族が飛んだ失礼を。だが、それは魔界にいた人間の所為であって、俺自身に過失はねぇだろう?」


 会話は平行線のまま、どんどん険悪になっていく。

 何がまずいって、どっちの主張も間違ってないのが非常にまずい。


 魔族を殺して回る人間がいるから人間を排斥している魔族。

 自分を殺そうとして来る存在から身を守るために、近づく魔族を迎撃したビスティス。


 その根底にあるのは、どちらも自己防衛だ。

 そこには敵への害意も身勝手な利己心も無い。

 あるのは、純粋に大切な物を守りたいという一心だけだ。


「大体、お前らは話も聞かずに俺を襲ってくるじゃねぇか! 俺は別に好き好んで傷つけたわけじゃねぇよ」

「フン、であれば投降すればよかったではないか」

「馬鹿言うな! 話も聞かずにバカみてぇな魔術で襲い掛かってくる連中に無条件で降伏しろだと? そういうことするのは自殺願望でも抱えてるヤツくらいだろうよ!」


 殺されるかもしれない。

 ビスティスも魔族も、相手はそういうことをしてくる連中だと認識していた。

 だからこそ話し合うことも出来ず、こうして不要な血を流し、不要な口論が続き、不要な憎しみの連鎖が続くのだ。


 ビスティスも魔族も、被害者でありながら加害者だ。

 故に互いを認められない。

 先に手を出されたから、自らを守るために攻撃したのは仕方がない。


「少なくとも、貴様が投稿していればバッツが傷つくことはなかっただろうな」

「代わりに俺が死んでたかもしれねぇな! どうせここも魔族の街なんだろう! だったら、俺を庇う奴はいなかったろうさ! ざけんじゃねぇ! 不当にも程があるだろうが!」

「な、何事か!?」


 怒りを込めたビスティスの怒号が響き、それによって自警団の団員たちが入ってくる。

 今にもグレイラディに掴みかからんばかりの獣使いを、団員たちは数人掛かりで羽交い絞めにした。


「放せ! 放しやがれ! チクショウ、馬鹿にしやがって!!」

「くっ!? このっ! 大人しくしろっ!!」


 床に押し倒され、組み伏せられるビスティス。

 そんな状況でも、彼の瞳は敵であるグレイラディを睨みつけていた。


「そ奴を拘束しておけ。近日中に処刑を行う」


 そして、グレイラディはその視線に応えるように、そんなことを言い出した。


「なっ……!?」

「それは、どういう事かな?」

「どういうことなど、分かりきっておるではないか。こ奴は魔族への敵意がある。そんな者を放置して、民を危険にさらすわけにはいかぬ」

「はぁ!? ふざけんじゃぇね!」


 自らの命の危機と、何より理不尽な決定に抗うようにビスティスがもがいている。

 しかし、上から三人に組み伏せられている彼には立ち上がる事は出来ず、床を叩く音だけがだんだんと虚しく響いている。



「くそっ! 結局こうなるのかよ! このロクデナシ共が! 邪魔だって言うんなら放っておいてくれりゃぁよかったんだ。テメェらが近づかなけりゃこんなことにならなかった! だってのに、お前らが勝手に近づいておいて、危険だから殺すだぁ!? 冗談もほどほどにしやがれ!!」


 ビスティスは怒りに任せてグレイラディを罵る。


「人間が魔族を殺したから? 知った事か! 俺がやったわけじゃねぇよ!! 俺は自分の身を守っただけだ! だってのに、それだけで殺されなくちゃいけねぇのか!? テメェだって自分の身に危険が迫れば自衛くらいするだろうが! 魔族ってのは血も涙もねぇクソ共の集まりか!? あぁん!?」


 罵声は止まらない。

 その訴えを一切無視する様に、


「連れていけ。聞くに堪えん」


 あまりにも無慈悲なグレイラディの決定が下される。

 困惑しながらも、団員たちが暴れるビスティスを縛り上げ、立たせようとする。

 そんな光景に思わず、グレイラディに逆らうように立ちふさがった。


「………………どういうつもりだ?」

「どういうつもりも何も、これはおかしいだろう。だから、止めろ!」


 グレイラディは目に見えて不快気な表情をしている。

 普段の余裕はどこへやら、その顔には為政者としての凄みすら感じる。

 だが、だからといってここで譲るわけにはいかない。


「貴様らは我らの協力者になったのではなかったか?」

「そうだ。俺達はあくまでも協力者だ。お前の部下ってワケじゃない。だからお前の命令に従う義務はない。それに―――—」

「協力者だからこそ、止めるんだよ。キミのそれは間違っている」


 突然、横からホープが入り込んでくる。


「何だと……?」

「キミは間違っていると言ったんだ」

「何故だ! 放っておけばそ奴は魔族に牙を剥くかもしれん! そ奴は魔族に対して敵意を抱いておるではないか!」

「それは彼も言った通り、魔族に襲われたからだ」

「なっ……!? それは、人間が魔族を殺し始めたからで……!」

「うん、そうかもしれないね。けど、今回に関して言えば、彼は間違いなく被害者だ」

「こ奴が、被害者だと……!?」


 怒りと驚愕に歪むグレイラディの顔。

 だが、あくまで淡々とホープは語る。


「ボク達が魔界の事情を説明するまで、彼は魔族の事についてはロクに知らなかった。要するにさ、彼から見れば、魔族はよく分からないけど人間を憎む、恐ろしい存在だったってことになる。そんな状態で、自分の住処の近くにそういう恐ろしい奴がやってきた。相手の目的も分からない。対話を試みようにも、以前失敗した経験がある。そんな状態で出来る事なんて、それこそ追い払うことくらいしかできなかったんじゃないかな」


 そう、だからこそこんな事態が起こった。

 対話は出来ず、強大な力に晒され、理不尽に命を奪われる。

 その恐怖は、実際に同じような目に遭った俺達にはよくわかる。


「彼からしてみれば、本当に訳が分からなかった筈だよ。人間と魔族の関係も、神々との決別(エヌマエリシュ)なんて連中のことも知らないんだ。なんで魔族が人間を……自分を襲うのかもわからない。問答無用で殺されるかもしれない以上、交渉も投降も出来る筈がない」

「……だから何が言いたいのだ!? よもや、コイツを見逃せと言うのではないだろうな!?」


 だからこそ、こんな不幸は終わらせなきゃいけない。


「あぁ、そうだよ。ビスティスを許すんだ」

「な――――に――――?」


 虚を突かれたように、少女は目を見開いている。


「グレイラディ。お前は何がしたいんだ? 怪しい人間丸ごと消してやりたいのか? それとも、神々との決別の脅威から、エフレアの民を守りたいのか?」

「それ――――は――――」


 グレイラディが口をつぐむ。

 彼女がやりたい事。

 彼女がやろうとしていた事。 

 その両者は、随分と乖離(かいり)していた。

 そのことに、彼女自身が今まで気が付かなかったのだ。

 恐らくは、この幼い身でエフレアを守らなければならない重責が、それを見失わせていた。


「確かに、初めは人間が魔族を襲ったのかもしれない。けど、だからといってその罪がビスティスにあるわけじゃない」

「そうだね。神々との決別と無関係であるなら、彼に魔族殺しの非はないよ。あるとすれば、それはバッツさんや自警団の皆さんを傷つけた事くらいじゃないかな。まぁ、それも情状酌量の余地は大分あると思うけどね」


 人間は敵だと、魔族は言う。

 けど、その原因は神々との決別によるものだ。

 その組織の規模も性質も何もかもが分からず、ただ人間の組織と言う事しか知りえなかったからこそ、彼らは人間全体を畏怖の対象にしなければならなかった。


「だが、だったらどうすればいいと言うのだ! 間抜けにも人間への警戒を解けとでも言うつもりか!? 民を傷つけられる可能性を指をくわえて見逃して、敵が誰かも分からぬ人間を受け入れろと!? そんなこと出来るわけがないじゃろう!」


 その通りだ。

 彼女にそんなことが出来る筈がない。

 エフレアの民を守る義務を負う彼女には、そのような怠慢が許される筈がない。

 けれど、


「流石に、そこまでする必要はないよ。ただ、敵じゃないと分かった人間くらいは、受け入れてやればいいじゃねぇか」


 それくらいは、してもいいはずだ。

 敵対する必要のない人間に、敵意を抱き続けるのではなく。

 ただ、これまで分かり合えなかった不運を、これから分かり合える希望で埋めていくのだ。


「我らの方から、歩み寄れと? この者によって傷つけられたエフレアの民の痛みに背を向けてか?」

「でも、それはお互いさまだったわけでしょ。だったら、どっちが先に許すかの違いだと思うよ?」


突然飛び出してきたフェテレーシアに、言葉を奪われる。


「そうだな。これまで魔族が傷つけられた事と、ビスティスは全く関係ない」


 そう、ビスティスは悪くない。

 ビスティスが悪かったのなら、彼一人が恨まれればいい話だ。

 けれど、悪いのは正体不明の存在。

 人間の集団という事だけが分かっている、神々との決別と呼ばれる者達。

 なればこそ、人間全体を恨み、怪しみ、敵視するしかなくて。

 これまで、ずっと溝は広がり続けてきた。


 だったら、やり直すのは今しかない。

 幸運にも、許せるものに――――許していい者に出会ったのだ。

 ならば……それはきっと受け入れるべき出会いだった。


「でも……それでも、実際にバッツが傷つけられて……」

「そこに関しては、ビスティスの謝罪待ちだ。けど、敵対したままでいるよりはずっといいと思うぜ」


 グレイラディが黙り込む。

 …………。

 …………で、しばしの沈黙の後、ほんと、心底いやそうな顔で口を開こうとし


「っと、失礼しますよー。なに、例の獣使いさんとやらが来てると聞いて、ちょっとツラくらいは拝んでおこうと思いましてねぇ」

「しつれいしますよー!!」


 ドアから、二人の人影が入ってくる。

 バッツと、彼の娘ジェリアー。

 奇しくも話題の渦中にあるその人である。


「バッツか。怪我はもうよいのか?」

「えぇ、ホフマンの(あん)さんのおかげで、すっかり良くなっちまいやした。人間の魔術ってのも便利なもんですねぇ」


 グレイラディの言葉に、笑顔で答えるバッツ。

 で、そんな軽口の後、彼はビスティスの方に向き直った。


「で、アンタがその魔術師サンだな?」

「…………」


 バッツの問いかけに、ビスティスは無言で見上げるだけで返した。

 

「ふーむ、俺みてぇにいい男じゃねぇの。けど、ちょっぴり大人の余裕が足りてねぇな。アンタの怒鳴り声、廊下(そと)にもバッチリ聞こえたぜ?」

「……何の用だ?」

「あぁ、分かってるだろ? まぁ、俺以上にこの子の方が用がありそうなんだがな」


 娘の頭に手をのせて不敵に笑うバッツに対し、目を伏せるビスティス。

 目には目を、歯には歯を。

 やむを得なかったとはいえ、自分の行った事は自分に返る。

 特に魔術士であれば、それは痛いほどわかっている。

 余人に罪の所在や道理を問われるならばともかく、被害者による報復は、一流の魔術士ならば何度だって見てきたはずだ。


「…………あなたが、パパをいじめた人なの?」

 

 前に進み出て、ジェリアーは直球に彼の罪を尋ねる。


「…………あぁ、そうだ」


 厳かに、偽らざる返答が響く。

 彼の内心を表すような、重く沈むようなトーン。

 思わずその場の皆が黙り込んでしまうような雰囲気を


「ん―――――!」


 全く気にする様子もなく、ジェリアーちゃんは胸を大きく逸らし


「や――――――――!!!!」

「ご―――――お――――――!?」


 とんでもない勢いで、ツインテールに纏めた金髪をビスティスの急所めがけて叩き込んだ。


 股間を抑えて悶絶するビスティス。

 酷い……多分腹を狙ったのだろうが、身長差のせいで断罪のヘッドバットは命中してはいけないところに直撃したらしい。

 ……見れば、周囲の男たちもその痛々しさに顔を歪めているのだった。


「ぐぅ……!? な、なにを……?」

「これがパパをいじめたお返しだよ! パパ、血がたくさん出て死んじゃうところだったんだからね!!」


 ぷりぷりと怒りながらジェリアーは言う。

 そりゃぁ彼女からしてみれば、実の父を失う瀬戸際だったのだ。


「でも、これで許してあげる。パパがね、仕返し流行りすぎると皆悲しくなっちゃうから、ちゃんと許してあげなさいって教えてくれたの」


 一転、少女の顔は怒りから笑みに替わった。

 うずくまっていたビスティスが、あっけにとられたようにバッツを見る。


「なァに、俺にもそういう経験があるってだけですよ。何事もやりすぎは良くない。ビビり過ぎも、怒り過ぎも、大概がロクな結果にならねェってもんです」


 愉快気に笑いながら、バッツは頭を掻いている。

 その瞳が、一瞬遠い所を見たような気がした。


「別に、人間を信用する訳じゃァない。でも、アンタの事情を聞いた後で、俺は必要以上に怒る気にもならなかった。アンタにゃぁ運悪く殺されかけたが、運よくホフマンの兄さんにゃァ助けられた。なら、それで帳消しだ。まぁ、個人的な恨みは晴らさせてもらったが……」

「うわ、今のバッツさんの発案……?」

「何というか、えげつないな」

「うーわ、女の私から見ても凄くいたそうだったし……」


 俺達の三半眼(ジト目)を涼やかに受け流しながら、バッツは笑っている。


「それに、人間と魔族はもともと長い付き合いだ。それがどっかのバカ共のせいで、ちとピリピリしているだけの話でしょう? 人間が好きな娘の親としちゃァ、それがちょいと心苦しくてねェ」

「うん! 私、ホープ兄ちゃん好きだよ! お父さん助けてくれたし、カッコいいし!」


 言いながら、あっけにとられるホープの周りを楽しそうに走り出すジェリアーちゃん。

 クルクルと回る少女に、慌てているホープを、フェテレーシアが楽しそうに眺めている。


「だから、俺からの復讐はこれで終わりだ。ちったぁタマに響いたか?」

「ど、どう見える……?」

「大層痛そうだな。オーケー、俺も大分痛かったし、これでお相子ってことだな」

「……大分痛みの意味合いが違いそうだがな」


 愉快気に笑うバッツに、ビスティスはうずくまりながら苦笑いを浮かべている。

 ……奇妙な形ではあるが、二人の間ではこれで終わりという事でいいのだろう。


「これで良いのか? バッツよ」

「えぇ、俺なりのケジメはついたんで。後はグレイラディ様にお任せしますよ」


 グレイラディは黙り込む。

 彼女はまだ、心からビスティスを許す決断を下せないでいた。


 彼女は領主だ。

 万が一、ビスティスが魔族を害する者であったら、というもしも。

 自分のこの場の決断でエフレアに不幸を招いてしまう可能性を、彼女をこれ以上なく恐れている。


 かつては協力し合っていた人間と魔族。

 それが、神々との決別と言う者達(にんげんたち)によって壊された。

 

 およそ5年。

 それだけの時間をかけて苦しめられて、その全ては謎のまま。

 そんな状況で人間など信じていてはたやすく内側から食い破られる。


 故に、魔族は人間すべてを憎むことを余儀なくされた。

 何時敵に変じるかもわからない。

 そんな相手からの被害を、最小限に抑えるために、人は全て敵なのだと警戒することでしか、彼らは自衛の手段を考え付かなかっただけ。


 “――――我はちゃんと民を守れるのか!?“


 月夜の告白、ずっと抱え続けてきた少女の恐れを聞いた。

 これまで守ってきたもの、これからも守っていくもの。

 それが本当に壊れてしまう可能性を、恐怖を、彼女は今回の件で突きつけられた。


 彼女を支えてきた存在は多くいただろう。

 だが、その不安、決断に伴う恐怖は常に彼女だけの者だった。

 領主として民に不安を抱かせる態度はとれない。

 故に誰かに相談することも出来ない。


「グレイラディ、何も、今からすべてを信じろって言ってるわけじゃない」


 その弱音を、あの夜の舌で、自分だけが聞いたのではなかったか。

 壊れそうな領主の仮面、その隙間から漏れた、彼女の素顔を見たのだ。


「な、なにを――――」

「魔族を殺した人間がいて、それでいろんなことがおかしくなった。敵の詳細は良く分からなくて、信じていいものとそうでないものが曖昧で、そんな中で沢山のものを守っていかなくちゃいけなかった」


 グレイラディの目が見開かれる。


「そのために、怪しい奴を全て消せれば楽だろう。お前が守るべきものは守られて、すべてが上手くいったように見えるかもしれない。けどな、そんなめでたしめでたしの一方で、失っていくものだって確かにあるんだよ。かつて協力し合っていた人間と魔族が決定的に分かり合えなくなるかもしれない。それを、お前は見て見ぬふりで切り捨てるのか? 」

「黙れ――――!!!!」


 瞬間、グレイラディが絶叫した。


「ルイよ、黙れ! 仕方がないであろう! それで一番大切な物が確実に守られるのであれば、それは仕方がない犠牲だ!」


 全ては魔族、エフレアの民のため。

 そうするしか、彼女には民を守れない。

 もしもに震えた少女が一人で下せる決断など、そんなものでしかなかったのだ。


「小娘の理想など、民は必要としない! 必要とされたのは優れた指導者だ。ただただ現実に沿い、ひたすらに安全を確保し、穏やかに日々の営みを守る。それの何が間違っている! 少なくとも、そうであればよい、なんて楽観よりはよほど優れた答えではないか!!」


 常に不安が付きまとった。

 常にその方には責任がのしかかっていた。

 その重圧を誰にも相談できずに、それでも優れた領主であろうとした少女が、今目の前で泣いている。


 鞘腫の少女たちを、団員たちは困惑したように見つめていた。

 常に余裕の表情を浮かべていた少女が、初めて見せた涙と荒げた声を。

 今目の前で叫ぶ少女に、自分たちはずっと頼り切っていたのかと悔いるように。

 

「そのために、多くの理想を切り捨てた。よりよい未来に繋がると思いながら、それでももしもそれで失敗したならと、選べなかった選択がある! なぁ、これで間違っているというのならば、我はどうすればよかったのだ……。我は……我は……っ!」


 彼女の身に宿る、高く貴き魔権の力。

 それが無ければ……いや、せめて彼女と言う為政者の器が完成するまで彼女の父が生きていれば、これほどの苦悩は無かったかもしれない。


 選べなかった理想に背を向け、ただひたすら民の為に進む少女。

 相談も失敗も、民を不安にさせてはならないと出来なかった少女。

 ……どうすることも出来なかったのだろう。

 彼女の側にいたものは、その全てが彼女にとって大切な民であったのだから。

 誰とも苦悩を分かち合えなくとも、彼女は一人で選び続けなければならなかった。


「間違ってない。いや、間違ってなかったと、思う」

「ならば――――!!」


 けれど、今は違う。


「言ったろ? 助けてやるって――――」


 少女が言葉を失う。

 そう、助けると言った。

 彼女と対等な協力者として。

 力を合わせて神々の決別の脅威からエフレアを守るという目的の元、俺達は互いに手を取った。


「一人で出来ない事でも、誰かと一緒なら出来るだろ? だったら、俺が助けてやる。だから、お前はもっと気楽に構えてもいいんだよ」


 彼女の目を見て言う。

 もうその苦悩は、お前ひとりで抱える必要はないのだと。


「けど、それは――――」

「もしかして、信用してなかったのか? 酷いな。俺、割と真剣に言ってたんだけど」

「いや、それはあくまで神々との決別エヌマエリシュに対する備えの話であって!」


 困ったようにグレイラディはあたふたしている。

 確かに、俺達の協力は神々との決別エヌマエリシュの被害を抑える代わりに安全を保障してもらう、と言うものだった。

 けれど、仕方がないじゃないか。

 あの星の空の下で、今にも決壊しそうなダムみたいに涙をこらえる少女を、助けてあげたいなんて思ってしまったんだから。


「いいんだよ、それぐらい。それに、人間が受け入れられないままっていうのは、俺としても居心地悪いし。協力はするけど、信用はしないなんて言われるの、嫌だろ? お前だって」

「う…………」

「だからこれは……そうだな、売り込みくらいに思っておけばいい。俺はちゃんと、お前を助けてやれるんだってさ」


 その言葉に、何を思ったのか。

 グレイラディはぺたり、とその場にへたり込んだ。


「うんうん。弟子がそんな風に言いきっちゃうんじゃ、師匠としても協力しない訳にはいかないね」

「その保護者としても、助けなくっちゃ嘘だよね」


 ホープとフェテレーシアが、グレイラディの前に出る。


「え? 保護者?」

「ちょっと! 魔界に来てから君達を助けてあげたの忘れたの!? っと、そう言うのはともかくとしてさ。私たちは協力し合ってるんだから、ちょっとくらい頼っても大丈夫なんだよ」


 緑色の少女が、穏やかな口調でグレイラディに語り掛ける。

 それは、まるで姉が妹をいたわるような優しさに満ちていた。


「グレイラディ様」


 そんな2人の頭上から、声が落ちる。

 直後、バシアスが主の前に跪ひざまずいた。


「これまで、貴女に多くの配慮を頂いてきました。貴女に従い、貴女のおかげでエフレアの街を守ってくる事が出来た。そのために、あなた1人が苦しむ姿も、俺はずっと見て来ました。けど、それは俺が貴女の必要とする助けを持ちえないからと、そう思っていました」


 彼の表情は、後悔の痛みに染まっている。

 側にいながら、少女の苦悩を和らげることが出来なかった自分の不甲斐なさを呪うような、そんな胸の痛みに、顔を歪めて。


「なればこそ、俺に出来るのは貴女の命に従う事のみであると思っていた……。自分に出来ることは、可能な限りやってきたつもりでした。けれど、それすら貴女に労いたわわられていたというのなら――――」


 悔しい。

 悔しい。

 悔しい。

 自分の未熟のせいで、主は理想をいくつも切り捨てていた。

 それを、心底悔しがるように。


「グレイラディ様。これより、俺は一層励みます。だから……だから、俺をもっと信じてください! 多少の無茶など、俺は軽く超えるのだと。貴女の、信に足る従者なのだと!」


 次の瞬間、立ち上がりながらそう言いきった彼の表情から負の色が消える。

 その顔には決意だけが深く刻まれていた。


「バシ――――アス――――」

「俺達もです、グレイラディ様。これまで、随分と貴女に背負わせてきた。なら、これから、ちっとばかり無理しねぇと、この恩は返しきれないですよ」

「ガル、ハール……」


 二人の男の言葉に続き、次々と団員たちから歓声が上がる。

 決意を新たにする者。

 己の身を顧みる者

 少女の献身に涙する者。

 各々おのおのの胸を占める感情はそれぞれ違うようだが、例外なく一同が、今度は領主の少女のために強くあるのだと決意している。


「良かったじゃんか。お前の助けになりたいのは、何も俺達だけじゃないみたいだぜ」


 言いながら、へたりこんだままの少女に言う。

 少女の頬を伝う涙に、釣られて泣きそうになる。

 その胸の熱さを隠すように、こちらを見上げるグレイラディに笑いかけ


「……ズルい。ズルいズルいズルいのじゃ……! お主の笑みは、やっぱりちょっとズルいのじゃ……!」


 涙まみれの微笑みが笑顔に変わる。

 それがたまらなく嬉しくて、「悪かったな」と。 

 温かな心で、そんな罵声を受け入れた。


次回投稿予定は11/9です

※12/19改稿しました。

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