月下の約束 繋がる星
◇◇
作戦会議が終わるころには、既に日は落ち、すっかり夜になっていた。
ホープはバシアスやガルハールと共に、獣使い対策を整え、明日の戦いに備えている。
被害に遭った自警団からの聞き取りを元に、敵戦力の分析をするのだそうだ。
先にホープが語ったのはあくまでも獣使いの基本戦術の話。
それが今回の敵に完全にあてはまるわけじゃない。
だから、自警団の情報をもとに敵の特徴を探っておかないと、いざという時に対策不足で泣きを見るのだとか。
で、俺はと言うと
――ルイは明日に備えて休んでおくと良い。ルイはどんな状況に陥っても基本的にやる事は変わらないからね。
と、使われていない詰め所の一室に追い出されていたりする。
確かに、強化と破却以外に対した魔術を使えない俺に出来る事はそう多くない。
「役立たず、という訳じゃないけど……ちょっとなぁ」
俺が明日担う役割は、あくまでも保険だ。
いると便利だし、いざという時には頑張らなくてはいけないが、基本的にはいてもいなくてもいいという程度のもの。
ホープの恩返しという意味でも、グレイラディ達の協力という意味でも、十分な働きになるとは言い難い。
「もっと、俺にも力があれば……」
自分の未熟が恨めしい。
力があれば、今もホープの隣で役に立つことが出来ていただろうか。
魔術の知識、魔術師への知識。
そう言ったものを駆使して、ホープの役に、立つことが……
「っと、マズいな……弱気になってる証拠だ」
1人ごちて、顔を叩いて気合いを入れなおす。
ホープが俺を連れていくのは、必要だからだ。
ならば、それを信じて、ちゃんと体調を整えておかないと。
眩暈がする。
けど、今は眠れる気がしなかった。
気分を変えるために散歩でもしようと、宛がわれた部屋を後にする。
ふらふらとアテもなく歩き回る。
窓の外、星たちを包む夜の闇があった。
「夜風にでも当たるか」
緊張しているのか、体が熱い。
少し熱を冷ましていこうと外に出て、庭に差し掛かる
「おや、ルイではないか」
そこで、領主の少女に出くわした。
星の光を、銀の髪が弾いている。
普段は余裕に満ちたネコのような瞳が、今は珍しく陰を差している様に見える。
「よ、グレイラディ。どうしたんだよ、こんなところで」
「別に何もない。ただの小休止じゃよ。そういう貴様こそどうしたのじゃ? 明日に備えて休めと、ホフマンに言われておったと記憶しておるが」
夜の挨拶をしながら隣に腰を下ろす。
少女の声は、鈴を鳴らすように高く清かった。
明日、グレイラディはエフレアに残る事になっている。
獣使いが、仮に神々との決別の陽動だった場合、その対応を自警団と連携して行わなければならないからだ。
「そうしようと思ったんだけど、寝付けそうになくてさ。ちょっと夜風にあたろうと思って」
「そうか……まぁ、仕方あるまい」
そう言って、グレイラディは視線を夜空に向ける。
そして、そのまま
「怖いか?」
何を思ったのか、彼女はそんなことを尋ねてきた。
「ん……」
思わずリアクションに困ってしまう。
怖いかと聞かれれば、そりゃぁ怖いに決まってる。
命を懸けた戦いなんて言うのは平和な日本じゃそうそう出会わないし、加えて相手は15人もの魔族を返り討ちにした魔術士なのだ。
怖くないわけがない。
もし、―――が死ぬようなことがあれば……。
「……約束だからな」
けれど、それをこの少女の前で言う訳にはいかない。
俺達は神々との決別の脅威からエフレアの民を守る手助けをすることを条件に、魔界での安全を保障してもらっているのだから。
魔界において、人間は疎まれる存在だ。
だからこそ、俺達は彼女の庇護を手放すわけにはいかないし、少しでも不安を魅せる訳にはいかない。
「そうか……」
俺の言葉に、グレイラディは少し寂しそうに俯いた。
……どうしたというのだろう。
普段の余裕が今の彼女からは感じられないし、何故か妙に弱っているように見える。
「あんたは?」
ふと、つい聞かなくてもいい事を訊いていた。
……少し強めの風が吹く。
それは、微妙なズレを整えるように、草葉を揺らしながら駆けていく。
「……領主だからな」
風から顔を守るように少女はうつむいたまま、俺と似たような言葉を返した。
その態度に、自分の間抜けさを痛感する。
こうして、同じような言葉にされて、ようやく。
彼女も、内心恐ろしかったのだと気が付くなんて。
グレイラディの侍女、ラティエが言っていたのはこういうことだ。
あの夜、代わりに夜食を持って行った時の事。
身に余る重責を背負いながら、それでも領主としての責務を果たしていた彼女は、それでも年端もいかぬ少女に過ぎないのだと理解したのではなかったか。
「そっか。じゃぁ、同じだな」
思わず、そんな言葉が漏れていた。
「え?」
「だから、俺も同じってこと。お互い、本当の気持ちを言えないのは辛いよな」
「それを、我の前で言っては意味がないのではないか」
まったくだ。
何のために言葉を濁したのかという話である。
でも、仕方ないと思う。
あんな顔をされてしまっては、頑なに本心を胸にしまっている方が馬鹿らしい。
「怖いのに、逃げぬのか?」
「だから、約束だって言っただろ? 約束を破ったら大切な物を失うのが道理ってもんだ。俺とホープが済むところが無くなったら、困るのは俺達だからな」
「ふふ、その通りであるな」
くっくと笑うグレイラディ。
それがやけに嬉しくて、俺までついつられて笑ってしまった。
「ふぅ……少し、よいか?」
で、二人でひとしきり笑った後、グレイラディはこちらの顔色を窺うようにそう切り出してくる。
遠くからは、自警団の団員たちの声が聞こえてくる。
今も明日の備えを進めているのだろう。
「あぁ、どうした?」
「うむ、弱音という奴じゃ。こんな事、我が民の前では口に出来ぬしな」
グレイラディはエフレアの領主だ。
トップに立つ者として、民を不安にすることは許されない。
それを聞いて、胸が痛くなった。
そういう辛さを、こんな小さな少女が強いられてきたのだ。
恐らく、彼女が両親を喪い、領主となった日から、ずっと。
「わかったよ。誰にも言わないから、存分にブチまけちまえ」
話すだけで楽になる事もある。
聞くだけなら、なにも問題にはなるまい。
俺はエフレアの民ではなく、彼女の協力者だ。
だったら、彼女の不安を受け止める事も役目の内だろう。
「……我が民がこうして理不尽に傷つけられたのを、我は初めて見たのじゃ」
そうして、彼女はおずおずと話し始めた。
「エフレアの民同士で傷つけあう事もある。それは、街の営みとして当然のことだ。我はそうした問題を幾度も処理してきたし、そういう事があるのは仕方がない事だと理解している。だが、今回は違う」
普段の毅然とした態度とは違い、弱々しい子猫を想起させる危うさで少女は語る。
「バッツが何か人間に恨まれる事をしたわけではあるまい。魔族が人間に何をしたというのじゃ。人間が魔族に何を思って攻撃してくるのか、我らには何も分からぬのじゃ……!」
言葉には、少しずつ熱が混じっていく。
「それでも、我は領主じゃ……! 民を守らねばならぬということは変わらない……! じゃが、じゃがッ! 我はちゃんと民を守れるのか!? 奴らの目的も、規模も、戦力も分からないのに!」
言葉に、熱だけでなく嗚咽までもが混じり始める。
駄々をこねる子供のように、彼女は語勢を強め、涙を流す。
叫ばないのは、こんな弱音を周囲にまき散らさないためのせめてもの理性が働いているからだろう。
「いつまで頑張ればいいのじゃ! いつになったら脅かされずに済むのじゃ! なんで人は魔族を襲うのじゃ! 分からない……分からないのじゃ! 何もわからないまま、いつかエフレアの民が殺された時、我はどうすればいいのじゃ!」
少女の白く、柔らかな雪のような頬に赤みがさしている。
己が至らなさを嘆く一人の少女。
その姿に、
「なるほどな……」
ホープの力になれない、どうしようもなく未熟な自分を重ねていた。
人生に確実なんてものはない。
万全を期したはずの事が、一瞬の油断で台無しになる事もある。
大切な物を守る事が出来ず、亡くしてしまう事だって。
けれど、俺達はその大切な物を失う事態を、どうしようもなく恐れている。
それほどまでに彼女は、領主という自分の役割に依存している。
――――月下には赤い海。そこに沈む、2つのダルマ……
少女の熱が、伝染ったようだ。
薄れたはずの記憶が、過去から押し寄せてくる。
「ルイ……ルイ? どうしたのじゃ?」
……悪い夢を見た。
……一夜にして全てを失ったあの日の事を。
恐慌、絶望。
自分がかつて行った、狂ったような■■の疾走。
「すまん、少し眩暈が……」
「!? 分かったのじゃ。今宵はもう休むといい。疲れているというのに、長い事引き留めて悪かったのじゃ。吐き出すだけでも随分と気持ちが落ち着いたのじゃ! 感謝するぞ!」
わたわたと、グレイラディはひどく焦っている。
……新鮮だ。
きっと、本当の彼女はこれが素なのだろう。
それを、領主とはかくあれかしと自らを律し、相応しい態度を作ってきた。
民を守り続けなくてはと不安に怯えながら、弱音を吐くことすら許されずに、これまでずっと過ごしてきたのだとしたら、それは――――。
だから、ここで彼女を一人にしちゃいけないと思って
「大丈夫だよ、グレイラディ。俺達が、きっとお前を助けるからさ」
気が付けば、自然とそんな言葉が漏れていた。
「な――――」
「……何さ」
「い、いや……突然の事でついな……貴様、そう言う事を言うのか」
キョトンとした顔で、グレイラディは驚いている。
……そんなの、俺だってこんな未熟者がそんなことを言うのは似合わないって分かってる。
けど、しょうがないじゃないか。
俺と同じく、大切な物を失いたくない少女。
俺より幼いくせに、俺じゃ想像もつかない重責をここまで一人で背負ってきた女の子がいて。
そんな娘の涙を見て、どうしようもなく助けてあげたいと思ってしまったんだから。
「言うさ、言うとも! 言ったじゃんか。存分にブチまけちまえってさ」
立ち上がり、グレイラディを見下ろす。
「それに、もともとアンタたちを助けるって約束なんだ。それを守れずに住むところを失いたくないしな」
「……相変わらず、貴様の笑みは何やらズルそうじゃな」
けれど、何故か安心する、と少女は言った。
その言葉が照れくさくて、俺もにひひと笑顔で返す。
カッコつかないのは分かっている。
どうしようもない未熟者、うだつの上がらない若輩者。
それでも、少女の苦悩が少しでも軽くなるのならば、守れるか分からない約束を、必死で頑張ってみるのも悪くないと思った。
「……助けて、欲しい」
そうして、少女の口から、誰にも言えなかった願いが零れ落ちた。
「私を……エフレアの民を、助けて欲しい……頼んでも良いか、ルイ?」
最後に、ほうき星のような涙が一筋、彼女の頬を流れていく。
「勿論だ。任せとけよ」
「うむ、うむ! 任せるのじゃ! ……ふふ」
そうして声も無く、一輪の笑顔の花が咲く。
魔界に来て彼女に会って初めて見る、こぼれるような笑顔。
……よかった。
この笑顔に見送られるなら、明日もきっと大丈夫だろう。
「んじゃ、俺はそろそろ部屋に戻るよ」
「うむ、お休みじゃ。しっかりと体を休めるのじゃぞ」
普段の余裕を取り戻した協力者に手を振って、夜の庭を後にする。
未熟者と言う事実は変えられないが、それでも、不安や緊張なんてものは吹き飛んだ。
魔界の空にも星は輝く。
窓の外には満天の星空。
人工の光が少ない分、日本の夜空より多くの星が見える。
その中で、ひときわ輝く二つの銀星が見えた。
「――――」
繋がれる。
繋がっている。
住んでいた世界が違っていたとしても、一度殺し合うくらい立場が隔たっていたとしても。
希望を分かち合い、不安を打ち消し合いながら、俺達は一緒に頑張っていけると信じたい。
「おや、ルイ。まだ起きてたのかい? 早く休むように言ったじゃないか! ルイにも明日は頑張ってもらわないといけないんだから」
廊下の途中で、ホープと出くわす。
……ホープに怒られるのは珍しい。
珍しいけれど、それは俺を頼りにしているからだと言ってると理解して、どうしてか溜まらなく嬉しくなった。
「悪い、ホープ。寝付けなかったんで、少し夜風にあたってきたんだ。気分も落ち着いたから、これから寝るところだよ」
「あ、そう? ボクもそろそろ部屋に戻ろうと思ってたし、一緒に行こう。部屋隣だしね」
「あいよ。んじゃぁ行こうか」
2人で歩き出す。
明日への不安はもうない。
月下の約束、連なる星の輝きにかけて、明日は自分の役割を果たそうと誓う。
――――うむ、うむ! 任せるのじゃ! ……ふふ
少女の言葉を思い出し、もう一度くすりと笑ってしまう。
「ん? どうしたの、ルイ?」
「何でもないよ。さ、早く寝ようぜ」
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