その午後の事
Side バシアス
「……なぜこうなった」
木と煉瓦と白い石畳の街エフレア。
白い外壁の内側では、賑やかな魔族達の声が響いている。
そんな街に辿りついての第一声。
それは、俺の心からの言葉だった。
先日、ルイと別れた後も、俺は部屋で延々と神々との決別の情報を集めていた。
気が付くと昼時をとっくに過ぎていた事に気が付き、「やっぱりか」と呆れるルイの顔を思い浮かべる。
そんな自分がなんでかおかしくて笑ってしまう。
その時、おもむろに部屋の扉がノックされた
「バシアス様、グレイラディ様がお呼びです」
外から、使用人の少女の声に呼び出される。
作業を切り上げなければならない事に憂鬱になりながらも、持ち出された名前を聞いては無視できない。
「あぁ、すぐに行く」
グレイラディ様がお呼びとの事ならば、何を差し置いてでも応えなければならない。
軽く資料を整理してから部屋を出る。
微笑みを浮かべ、挨拶をする使用人を後に執務室に向かった。
そこには、いつも通り忙しそうに手を動かす少女の姿があった。
グレイラディ様。
領主にしてこの館の主は、明るい声で俺を迎え入れた
それに応えるよう少々雑談を交わすと、主はほどなくして俺を呼び出した目的を話し出した。
「明日、エフレアへと向かってほしいのじゃ」
エフレアはグレイラディ様が治める街だ。
他の領主の持つ街と比べて取り立てて大きい訳でも小さい訳でもないが、煉瓦で出来た建造物と白い石畳が続く街並みは、遠目からは格調高い雰囲気をその身に宿しているように見えるだろう。
だが、いざ白く高い外壁の内側に足を踏み入れると、ぎっしりと家屋が立ち並んでおり、賑やかな民の声は四六時中喧しく響き渡っている。
どこにでもあるような、のどかだが息吹に満ちた田舎街。
だが、そんな美しい街には、近頃不穏な噂が流れていた。
「それは、神々との決別に関する警戒、という事でよろしいのでしょうか」
「あー……うむ。その通りじゃ。貴様も知っての通り、奴らはこの付近でも活動的になっているようじゃからな」
魔族狩りを行う人間の集団――――神々との決別。
そいつらの噂は活動が本格化した五年前から被害の拡大と共に広まり、ついにこのエフレアにも手を掛けようとしていた。
エフレアにそいつらの手が及んだのは過去に一度だけ。
だが、最近は近くの街でも被害が頻繁にみられるようになっていた。
その内エフレアが再び巻き込まれる事も想像に難くない。
そうした不安から、現在のエフレアの民たちの表情は暗くなっているのだ。
「故に自警団と連携し、近隣の神々との決別の情報について整理せよ。今は奴らの力よりも、動向を調べる方が優先度は高いからの」
「は! お任せください」
こうして、命を受けた俺は朝からエフレアの街にやって来ていたのだが……。
目の前の、本来ここにいる筈のない人間が、呟いた俺を心底面白そうに眺めている。
人を小馬鹿にしたような目でこちらを見ているのは、人間の少年だ。
名をルイ・レジテンド。
コイツとは先日、あるすれ違いから交戦し、和解して協力関係を結んだ間柄である。
「……ルイ、なぜお前がここにいる……」
いや、ルイだけではない。
ホフマンにフェテレーシア、俺を送り出したはずのグレイラディ様までもがそこにいる。
「あ? そりゃぁもうドッキリ大成功というか、バっ君は分からず屋だけど分かりやすいというか」
ドッキリが何かは分からないが、何やらろくでもない事を考えていることは分かる。
和解したとはいえ、その後の関係が良好になるかと言われれば話は別だ。
正直に言うと、俺はコイツが少し苦手である。
「……どういうことだ? というか、バっ君と呼ぶな!」
その表情からしてろくでもない答えが返ってくる予感があるが、それでもなぜコイツが此処にいるのかは問い質さなければならない。
「あぁ、それはな――――」
悪戯が成功したような喜びで頬を緩ませながら、ルイは語り始める。
その表情に、内容を聞く前から頭が痛くなってしまった。
◇◇Side ルイ 前日午後
バシアスと別れ、資料室を後にする。
アイツは真面目だけど、それだけに頑固なところが玉にキズだと思う。
一生懸命に仕事をするのは結構だが、休み楽しみを怠るのは労働者として間違ってると思うのだ……まだ俺働いたことないけど。
とはいえ、俺が正面から何を言った所で、バシアスは話を聞かないだろう。
だから、彼に耳を傾けさせることが出来る人物に会いに行くことにする。
時刻は太陽の位置からして昼時ちょっと前。
この時間ならば、目的の相手はそこにいる筈と、当たりをつけて歩き出す。
ほどなくして執務室の前に辿りついた。
木製の扉を軽い調子でノックし、軽快な音を奏でてみる。
「グレイラディ、ルイだ。入っても大丈夫か?」
「む? ルイか? よかろう。入るがいい」
部屋の中から響く返事を聞いてから扉を開ける。
白い壁と赤い絨毯の部屋に踏み入る。
相変わらず高く積まれた書類に囲まれながら、グレイラディは不相応に大きい机に向かっていた。
「失礼しまーす……と、相変わらず忙しそうだな」
「仕方あるまいよ。民の生活を担う以上、どれだけ働いても働き過ぎという事はあるまい」
グレイラディは疲れを吐きだすように、大きなため息を一つ吐くと、ネコのような目でこちらを流し見た。
「いやいや、働き過ぎってことはあるだろう。体にしろ心にしろ、ぶっ潰れたら遅いんだからさ。まったく、あいつの働き過ぎも、案外あんたの影響は言ってるんじゃないか?」
「む? 誰の事を言っているのだ?」
「バシアスだよ。あいつ、明日休みだってのに、仕事に一日使うんだとさ」
「何? それでは休みを与えている意味がないではないか。……その忠誠は買うが、休息はしっかり取るよう言っているのだがな」
やれやれ、とグレイラディは首を振る。
あんたも人の事は言えないのではないか、とは思うが、それは口には出さないでおいた。
「ってことは、やっぱバシアスが真面目すぎるのか」
流石にここがブラック体質な職場って訳ではないようだ。
まぁ、グレイラディがそんな無理な労働を強いるようには見えないのではあるが。
まだよく知らない事も多いが、彼女は自分に出来る事は自分で処理しようとするタイプの性格だと思う。
「うむ、困ったモノじゃな。休めるうちに休んでおかなければ、いざという時に力が出せん。我もバシアスを頼りにしているというのにな」
「だよなぁ……。そこで、ちょっとした頼みごとがあるんだが……」
「ほう? 申してみよ」
俺の言葉に興味を持ったように、グレイラディの目が見開かれる。
「おう、明日の休みにバシアスをリフレッシュさせたいと思ってさ。協力して一芝居打ってほしいんだ」
「む? 気晴らしさせるのは我も賛成じゃが、芝居を打つ必要はあるのか?」
「そりゃあるよ。休めって言った所で自主的に働きだしちゃうような奴なんだから、何かしら名目を与えてやらないとワークにハローしてしまいかねない」
あぁ、と納得したような表情のグレイラディ。
バシアスは主に似て働き者のケがある。
勤勉は美徳だが、それにしたって程度があると思うのだ。
さっきの分だと、神々との決別の件が解決するまで不休を貫きそうな勢いである。
で、彼のその仕事中毒の源泉はどう考えても目の前の少女だ。
バシアスはグレイラディを守る事を第一に考えている節がある。
ならば、真正面から休めと言った所で効果は薄いだろう。
そもそも、バシアスが言って聞くような奴ならば、俺はここには来ていない。
だから、彼を気分転換させようとするなら、そうする理由を作ってやる必要がある。
休んでる暇がないというのなら、仕事ついでに気分転換をさせるのだ。
「あいつ、俺が誘っても絶対来ないしな。お前たちは勝手に休めって言うだろ、バシアスなら。でも、グレイラディが何か要件でっちあげれば、きっと普通に出かけてくれるだろうからさ」
「……まぁ、そうでもしないと動かないバシアスが悪いという事にするかのう。我としても、奴には気を揉んでおった所じゃ。いい機会じゃろう。優秀な部下を使い潰す領主など、笑い話にもならんからな」
呆れるように少女は笑っている。
「して、その要件とやらはどうする?」
「んー……。そうだな、エフレアに魔族狩りの調査ってのはどうだ? それなら、いざそいつらが出て来た時にも対応できるし」
要は、ていのいい出張だ。
出張が休みになるかどうかは疑問ではあるけれど、これでバシアスが“休む理由が出来た”のだからそこにはあえて深く突っ込まない事にする。
「なるほど。神々との決別が出てきた際には対応を頼める。何も起きなければそのまま気分転換になる、か。」
「そういうこと。まぁ、休みかと言われれば微妙だけどな」
「まったくだ。本来ならば思う存分休んでもらいたいのじゃが、時世が時世じゃしな」
神々との決別の被害がエフレアの近辺でも確認されている以上、手放しにゆっくりできる状態じゃないのだろう。
けれど、常に気を張っているのはそれはそれで問題なのだ。
「よかろう。ならばその方向で行くとするのじゃ。バシアスをよろしく頼むぞ?」
「ん? グレイラディは来ないのか?」
「……もしかして、我も誘っておったのか」
「予定がないなら是非。ほら、街の魔族達は人間を警戒してるかもしれないだろ? グレイラディの方からエフレアの魔族達に紹介してもらえたなら、スムーズに打ち解けられると思うからさ」
グレイラディの目が点になった後、何かに気が付いたように口端が吊りあがる。
「貴様、そう言うのが得意なのか?」
「なんのことかな? 単純に、俺達だけじゃ不安だからついてきて欲しいだけだよ」
「ズルい顔をして説得力がないが……。よかろう、そう言う事にしておいてやろう。“そういう理由があるのなら“仕方あるまい」
二人してくすくすと笑い合う。
なんだかわからないが、こうしているのが凄く楽しくて、笑いが全然止まらなかった。
「では、落ち着いたらバシアスを呼び出すとするかの」
「了解。それじゃあそれまでにもうちょい細かい段取りとか決めておくか」
忍び笑いが響く執務室で、悪代官と越後谷の密談は続く。
思えば、俺は魔界に来てから街を見るのは初めてなのだし、テンションが上がるのは割と仕方のない事だったりするのだった。
◇◇Side バシアス
「という訳だ。いやぁ大成功だな」
「要するに、このエフレア行きは、俺を休ませるための口実だったと」
こ、この男っ……!
エフレアの近辺にある脅威がいつ牙を剥くともしれないのに、気を緩めてる暇などない事が分からないのだろうか。
「……帰る。俺には遊んでる暇なんてないんだ」
「待てよ。休んでほしいとは思っちゃいるが、一応これも仕事なんだぜ? まさかバシアスともあろう者が投げ出すつもりかぁ?」
「む……」
ニマニマとルイが笑う。
……癪だが、奴が言う事ももっともだ。
エフレアに危機が迫っている以上、視察だって必要な仕事と言える。
「魔族狩りの連中が出てくれば即対応、出て来なければエフレア巡り……いや、視察ってな。ほら、何も遊んでる訳じゃないだろ?」
確かに、こう言われれば十分仕事の範疇だ。
少なくとも、エフレアの民のために不要な事では決してない。
その、本当に癪ではあるのだが……!
「分かった、わかったよ! やるさ! やるとも! 視察は俺が受けた仕事だ! やり遂げるさ!」
「よろしい。んじゃぁ早速始めるとするか!」
「はーい! 私ちょっと仕事道具揃えたいなぁ! 買い物しよ! 買い物!」
走り出すフェテレーシア、それを止めるホフマン、普段の笑顔がどこか弾んで見えるグレイラディ様。
そして俺の隣で笑いながら鼻歌なぞ歌っているルイ。
……まぁ、仕事をするには緩みすぎな気がしないでもないが、そこは俺がしっかりしていればいいだけの話だ。
「ルイ、一ついいか?」
隣の人間に尋ねる。
“こういう仕事”をすることに納得はしたが、一つ気にかかっていることがあるのだ。
「ん? どうした?」
「なぜこんなことを? 俺を休ませたいって目的は分かった。だが、なぜここまでやった? 別に、俺を気に掛ける理由などないだろう」
別段、俺はルイ達と親しくした覚えはない。
むしろ突き放していた筈だ。
だというのに、彼のやった事には悪戯心はあれ悪意はない。
むしろ俺の事を思っての行動だという事くらいは分かる。
これまでの俺の態度に対し、こんなことをされる理由が分からなかった。
ルイは「まぁ、色々理由はあるが」と、ふと中空を眺め、ややしたあと。
「協力者に無茶されると困るからな。いざって時にぶっ倒れかねない仲間なんて勘弁だぜ、俺は」
無邪気に、そんな事を言っていた。
……驚いた。
俺の事を本当に心配していた事にもだが、一度殺されかけた相手に対して、ここまで明るく笑いかけられるコイツの態度に。
「……ふん。仲間と言うのなら、もう少し強くなって貰わなければ、俺としては頼りないがな。気が付いたら倒れてる仲間なんて、仲間なんて言えないだろ」
「あ! 言ったなこの野郎!」
騙されたせめてもの仕返しに、憎まれ口を置いて歩き出す。
石畳が上げるコツコツ、という音が何やら弾んでいる様に聞こえる。
人混みに混じっていく主に追いつくように、歩を急がせた。
後ろから協力者の人間が着いてきているのを感じながら。
……次回作は9/21に投稿します……今度こそ本当です
※11/23改稿




