あるきっかけの朝
◇◇
魔界にやってきてから、およそ一週間が経過した。
あれから劇的な出来事はない。
日々は穏やかに回り、俺達は少しずつこの館での生活に馴染みつつあった。
特に、俺はここ数日でこの館における居場所を獲得していたりする。
起床し、着替えと洗顔を済ませて二階へと足を向ける。
まだ日が昇ってすらいないが、幸い朝には強いので大した苦にはならない
目的は朝食準備の手伝いだ。
獲得した居場所というのは、つまるところ厨房である
「おはようございます!」
「あら、おはようルイ君。今日も手伝いに来てくれたの?」
「あ、おはようッス! 今日もサポート頼りにしてるっスよー」
厨房の扉を開けると、エプロン姿の2人の女性に迎えられる。
青の長髪をポニーにまとめている、エロ……もとい大人びている方がアシリールさん。
赤のショートをツインテールにしている、「ッス」口調の元気な方がリラさんだ。
「そりゃぁまぁ。ここは賑やかですし、料理は楽しいので。それとここは美人が多いので癒されに来てたり?」
「あら、お上手ね。感心な坊やだと思ってたけど、まさか狙われてたなんて」
「あはは、やだなぁ。やめてくださいよ。そんなこと言ったらおやっさんに俺が狙われる事になるんですから」
半分冗談、半分本気の言葉をアシリールさんはさらに高みから弄んできた
こんなやり取りもすっかり慣れた物だ。
無論、口説くつもりで言っているわけじゃない。
厨房に勤めている魔族は、全員が既婚者なのだ。
危ない火遊びを楽しむどころか、まともに初恋すら経験していない身としては、おいそれと手を出す気にもならない。
それでも弄られると分かってこんな事を口にするのは、ひとえにこういう褒め言葉は彼女たちの機嫌を良くし、雰囲気が華やげばそれだけ仕事もしやすいからである。
料理が出来ると言っても、俺はここではまだ新入り。
任される事は割と雑用や単純作業がメインになる。
そんな仕事が主だからこそ、せめて楽しい空気の中で仕事がしたいのだ。
で、談笑しながら準備を進め、体感10分ほどが過ぎた頃。
「おーす! お早う、お前たち」
「おはよう、貴方」
「あ、旦那! おはようッスー!」
筋骨隆々。
剃りあがった頭頂部と、代わりに側頭部から角のように伸びる金髪。
切れ長の鋭い目に、口端は機嫌がいいのか獰猛な笑みを浮かべている。
そんな、見た目完全に堅気じゃねぇ荒くれ者がエプロン姿で現れた。
彼こそ、この厨房の主ことバルゲルジ氏。
この厨房のトップである。
氏の後ろにはそれぞれ白、桃、橙の髪色の女性たちが従うように立っている。
……聞いて驚け、アシリールさんとリラさん含め、この場に居る女性全員(+1人)があのおっちゃんの嫁なのだそうだ。
厨房に勤める魔族は全員が既婚者だというのは、つまりそういう事。
名実ともに文句なく、氏はこの厨房の主として君臨していた。
「お、ルイも来てたか。いやぁ早いなお前」
「うっす。早起きは得意ッス、ウッス!」
「あぁ! 真似しないで欲しいッス! これ旦那に可愛いって言ってもらった私のアイデンティティなんスから!」
怒るリラさんと、それをみて笑い合うその他大勢。
朝から厨房は喧しいほど賑やかなのだった。
「よし、んじゃぁお前ら! 今日も頼むぜぇ!」
「「「ッス!」」」
「あぁ、みんなして酷いッス!」
「ガッハハハハ!!!」
豪快な笑い声が響く。
バルゲルジ氏は見た目の厳つさに反し、随分と気さくな性格をしている。
先日食材使用の許可を貰いに出迎えてくれた際にも、最初こそ警戒していたが、打ち解けるまでに時間はそれほど時間はかからず、今ではこうして冗談を言い合う仲にはなっていた。
彼の妻達も同様だ。
夫の姿を見て俺への警戒は無くなったのだろう。
「よぉし! 早速取り掛かるぞ!」
「「「ッス!」」」
「だからぁ!!」
笑顔とか喧騒に包まれて、忙しい朝は過ぎていく。
もう暫くすれば、館勤めの魔族達が食事を摂りに来る。
それに間に合うように、急いで朝食を準備するとしよう。
◇◇
手伝いもあらかた終了し、厨房を後にする。
白と赤の廊下を渡って、1階の自分にあてがわれた客室に向かう。
窓からは柔らかな陽の光が入ってきている。
太陽の高さから見て、おそらく時間は10時少し前というところだろう。
「まぁ、流石にホープも起きてるよな」
特に予定がない日はとことんぐうたらな師匠でも、流石にまだ起きてないなら流石に寝過ぎだ、なんて考えながら階段を降りる。
すれ違う使用人に挨拶をし、返って来るそれぞれ違ったリアクションを楽しんでいると、ほどなくして部屋の前に辿りついた。
ふと、ちょっとした思い付きで自分用の部屋を通り過ぎ、隣の部屋へ。
中にはホープがいる筈だ。
寝ているにしろ起きているにしろ、一言挨拶位はしておいて問題ないだろう。
ノックをすると返事があったので、そのまま扉を開ける。
中にはホープと
「あ、おはよう! ルイ」
朝から元気な笑顔で、フェテレーシアが一緒にいた。
「あ、おはようルイ。今日も厨房の手伝いかい?」
「おはよう二人とも。朝は何かと忙しいからな。フェテレーシアは何でここに?」
「ボクが呼んだんだ。彼女たちの力を教えてもらおうって思ってさ」
ニコリとしながら答える師匠。
そう言えば、ホープは魔法についても興味を持っていたっけ。
「でも、バシアスが言うには人間には使えないらしいぞ? 前例がないとか」
「そんなの分からないじゃないか。かつては神様の力だった雷だって、今じゃ立派に人間を支える力だ」
「む、そりゃぁそうだけどさ」
「ね? 初めから無理って決めつけるのは、余裕がない時だけでいいんだよ。時間があるときはいろんなことに挑戦していいんだ。どこに神様への道が続いているか分からないんだしね」
ふふん、と人差し指を立てて語るホープ。
確かに、昨日までの不可能を覆して発展してきたのが人間という種族だ。
時に長い時間をかけた知識の継承と累積によって。
時に一人の天才の不断の努力によって。
時に天からもたらされたような偶然によって。
個体として大した能力こそないものの、高い知能と、何より深い欲によって、力と共に新たな時代を切り開いてきた種族の1人として、ホープの意見は否定できない。
それに、やりたいことは何でもやる、というのがホープのポリシーだ。
そのポリシーに救われた俺としては、あまりにも危険な事でない以上、止める理由もないし、止められる筈もねぇのである。
「そうか。で、どんな感じ?」
「うん。残念ながら、これっぽっちも分からない」
どうやらなかなか上手くいかないようだ。
それと、何故かフェテレーシアが気まずそうに頬を掻いているのが気になる。
「ん? どうしたんだ? フェテレーシア」
「あ、あはは……。うん、私も魔法の使い方を説明する事になるとは思わなかったからさ」
なるほど。
上手く教えられなかったことを気まずく思っているのか、彼女の口調はどこか言い訳がましい。
「だって、魔法って魔族なら当たり前に使える力なんだもん。出力とか精密さとか、そういうのはそれぞれ違うけどね。ほら、腕っぷしが強い人もいれば手先が器用な人もいる。けど、誰だって腕が動く理由を考てるわけじゃないでしょ?」
知らなくたって動くものは動くんだし、と言いながらフェテレーシアはわたわたと手を動かしている。
「……じゃぁ、つまり何か? 魔族ってあんな力を使えるのが当たり前ってこと? 痛みとか感じない訳?」
「え? ルイ達は力を使うと痛みとか感じるの?」
トンデモナイ返答だった。
あれだけの魔力の奔流を体に通し、あれだけの破壊力をぶっ放しておきながら、それが魔族のスタンダードであり、あろうことか痛みすら感じていなかったなんて……!
「なんっ!? あっり得ねぇ! 本気で言ってんのかアンタ!?」
「ね? 参考にならないだろう? 凄いと思ってたけど、ここまで桁違いだったとは思ってなかった。反則と言うか、道路をかっ飛ばすレーシングカーというか」
「望むような事を教えられなかったのは確かに申し訳ないと思うけど、その言い方は流石にどうかと思うな!!」
呆れたような師匠と抗議の声を上げる緑の髪の少女。
けど、未熟者とはいえ魔術師である者としては、流石に一言言わずにはいれないのだ。
魔術とは、つまるところ法則の操作だ。
空間を霊器で切り抜いて異界と化し、その中でのみ展開される“特殊に組みあげられた法則”。
それを操作することで、自分が望む結果を事象として得る行為である。
勿論、簡単なことではない。
複雑な操作には高い集中力が必要になるし、それを魔力が体を駆け巡る激痛の中で行わなければならない。
事象が大きくなればなおの事だ。
強大な現象を起こすには、精密な法則操作と激痛に耐える忍耐力が要る。
まかり間違っても、気に入らない奴をぶん殴る様な感覚で暴風を起こせる訳じゃないのだ。
「と、とにかく! 私じゃぁこれ以上は教えてあげられないからね! というか、そんな事を言うんなら知ってたって教えてあげないんだから!」
すっかりへそを曲げてしまったフェテレーシアであった。
結局、彼女の不機嫌は午後に俺が特別に用意したおやつを用意するまで続くことになった。
その際、割と健啖家な彼女の一面を、俺は初めて知ったりする。
◇◇
時刻は大体10時半頃。
フェテレーシアの説得を続けるホープに「秘策を用意してくる」と言って抜け出したあと、再度厨房を目指す途中で、
「お、バシアス」
「……ルイか」
嫌そうに俺の名前を呼ぶバシアスと出くわした。
肩の下まで積み重なった本やら書類を両手に抱えている。
一週間で流石に慣れたのか、俺を見る視線に敵意は感じなくなったが、やはり親しみは持てないらしい。
でもまぁ、それでもあの夜の草原の時に比べれば、大分歩み寄ってくれていると思わないでもない。
「こんなところで何をしている?」
「いや、フェテレーシアの機嫌を取るためにお菓子でも少々仕込みに行こうかと」
「フン、気楽な事だ」
「む、なんだよバシアス。そういうお前は一体何をしてるんだ?」
「お前たちと違って仕事をしている。人間による魔族殺害事件の情報収集と、その整理だ」
「それって、例の神々との決別って奴らのか?」
無言で頷くバシアス。
彼らの世界、今俺達がいる魔界では、人間の手による魔族狩りが各地で起こっている。
魔界には人間と魔族が暮らしているが、ここ5年ほど活発になった凶行のせいで、両者の関係はすっかり冷え切っていた。
魔界に来てすぐ、俺が目の前のバシアスに襲われたのも。
今俺達が手を組んでいるのも、そんな神々との決別とかいう組織の所為だったりする。
エヌマエリシュ。
俺達の世界で言う、4大文明の1つ――ティグリスとユーフラテスの流域に産声を上げたメソポタミアにおいて作られた神話の名だ。
二大神とその子供たちによる大戦と、そこからいかにして世界が創られたのかを語る創世の叙事詩。
そんな、普通に生きてれば学生時代に数回触れるかもしれなくて、その後は耳にする方が珍しくなるような名を冠する組織が、魔界で魔族を狩って回っているらしい。
「そっか。手伝おうか?」
「いい。というか、フェテレーシアを放置しておいていいのか?」
「もともとそっち方面で協力するって条件で部屋を貸してもらってるんだ。働かなきゃ嘘になるだろ。何、場合によってはメニューをお手軽なものにすればいいんだし、会う度に気楽だな、なんて言われるのも癪だしな」
そう言って、バシアスの本を半分奪い取る。
「しまった、失言だったか」なんて言っているバシアスだが、諦めた様に
「まぁ、お前達は強引だからな。断るだけ無駄か……ではこれを俺の部屋まで頼む。場所は俺が案内しよう」
「了解。任せろ」
何やら失礼な事を言われた気がしたが、聞き流してバシアスについていく。
それにしても、まさか部屋に案内されるとは思ってはいなかった。
◇◇
俺は綺麗に整頓された部屋で、資料とにらめっこするバシアスを眺めていた。
字事態はアルファベットに近く、ところどころ読めそうな箇所は存在したが、それにしたってその程度のレベルでは解読に時間がかかる。
なので、バシアスが資料を読んで疑問に思った個所を、“人間的な視点から解釈していく”という形で助力することになったのだ。
「なるほどな。霊器とやらで、グレイラディ様の魔権を防いだと」
「まぁな。ホープが言うには、霊器っていうのは国境のようなものなのだと」
「コッキョウ? なんだ、それは」
「あー……魔界は街社会なんだっけ……。じゃあ、その街みたいなものだと考えてくれりゃいい。世界の一部を切り取って、皆が暮らしやすいようにルールや建物なんかを作ってるんだ。そうやって、霊器っていうのは街の外郭に壁を作って内側を守ってるような感じなんだよ」
「それによって、霊器の内側の力である魔術は守られていたと」
今日の議題は、敵の力についてだ。
報告書によると、魔権を完全に跳ね除ける力を、魔族側は大層脅威として認識していたらしい。
まぁ、それもそのはずだ。
魔権は、それが高い者が振るえば、仮に魔族が100人束になっても一方的にやられる他ない力なのだから。
だから、魔権が通じない人間の魔術は、彼らにとって理解の外だったのだろう。
「理屈は分かった。だが、肝心の対処法は……」
バシアスが言いかけたところで、ぐぅ、という音が部屋に響く。
彼の腹の虫の泣き声だろう。
そういえば、そろそろ昼時である。
「……一端切り上げるか?」
「いや、俺はいい。先に行っていろ」
「……あのさ、まさかまだ俺達と一緒にいるのが嫌とか言うんじゃないだろうな?」
「そんなつもりはない。嫌だがな。だが、せっかく新しい情報が入ったのだ。早くまとめておきたいんだよ」
ニヤリ、と口端を上げながら言う炎の猟犬もといポチアス。
む、彼なりのジョークのつもりなのだろうか。
しかし、食い気よりも仕事優先か。
ホープならお腹が鳴るなり「お腹減ったー! ルイ、ご飯作ってー!」と駄々をこねるところなので、こんな奴もいるのかとちょっと新鮮だ。
……唐突だが、こんだけ真面目なバシアスって、休みとか普段何してるんだろ。
「なぁ、バシアス。一番近い休みっていつだ?」
「何だ突然……」
「いや、我ながら脈絡ないとは思うけどさ。いいから、いつだよ?」
「……明日だが、一応予定は入っているぞ」
「え!? マジで!? 何するの!?」
予想外の返答につい驚いてしまう。
本当に何するんだろ。
デートとかだったら間違いなく爆笑すると思う。
「今日の続きだよ。調べ物だ。エフレア近辺でも神々との決別のものと思しき被害の報告が挙がっている。この状況で気を休めてはおれんよ」
力が抜け、ついずっこけてしまった。
つい彼でも休みの日には無邪気に遊んだりするんだろうか、なんて考えてしまった俺が馬鹿だったようだ、この真面目バカめ!
それは休みではなく、休日返上と言うのである。
「……何をやってるんだ、お前?」
「なぁ、バシアス。少しは心と体を休めたほうがいいと思うぞ……」
「余計な世話だ。お前らはお前らで勝手に休めばいい。俺には俺のやるべきことがあるんだよ」
資料に目を落とし、こちらを見ることなく返事をするバシアス。
この返答をした直後だと、昼飯食うのも忘れて資料と向き合っているのではなかろうかと心配になってしまう。
「分かるだろう。神々との決別の連中が、いつエフレアの民に牙を剥くとも限らない。ならば、平和になるまでは、休んでいる時間などない。別に睡眠や食事を削っている訳じゃないんだ。お前が気にする必要はない」
「……そりゃぁ、そうだけどよ」
……それは、わかる。
彼らにとって、民を守る事が重要だって事、そのためにエフレアに危機が迫っている現状で休むわけにはいかない事は俺にだってわかる。
だけど、
「だけどさ。平和になったらって、それっていつまでだよ」
それは、いずれ報われると分かっているから出来る事なのだ。
曰く神々との決別という組織は、5年ほど前から魔族狩りを行っているのにもかかわらず、情報すらロクに掴めていないらしい。
そんな組織を相手取り、ロクな休息もナシに耐久戦をしたところで結果はたかが知れている。
「神々との決別ってやつらをぶっ潰すまでか? それはどれだけかかるんだ? 民のために身を捧げるってのは立派だとは思う。けど、その間お前が自分のために仕える時間はどうなる? 何時まで気を張らなくちゃいけないか分からないからこそ、節目節目でしっかりと自分のやりたいことをやっておくべきなんじゃないのか?」
無限に走り続けられる生物はいない。
速きにしろ遅きにしろ、どこかで休息をとらなければならないのは魔族だって同じだと思う。
「……俺がやりたいことは、グレイラディ様のお役に立つことだ。それ以外、考えた事はない。お前たちはお前達で、休暇は好きにすればいい」
だが、バシアスは本に視線を落してそう言い切った。
俺の意見を受け入れる気は完全に無い様だ。
「……わかった。んじゃぁ俺は先に食堂行ってくる。でも、ちゃんとバシアスも昼飯来るんだぞ?」
こうなってしまえば、もうどうしようもない。
聞く耳を持たない者と出来る話はないと、彼は黙々と資料に目を通している。
「分かっている」
相変わらず、紙と向かい合ったまま生返事のバシアス。
こういう手合いには真正面から言っても無駄だと相場が決まっているので、ここは大人しく引き下がる。
ただし、俺を相手に軽々しく「勝手にしろ」と言った事を後悔するのはそっちなのだ、とか心の中でひとりごちてみる。
くくく、とりあえずはグレイラディに話をつけるところから始めるとしよう。
次回投稿は9/21の予定です
※11/18 改稿しました




