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Skies Heart  作者: みやびなや
Prologue
1/27

prologue(1/3)



「死ね」


 男の一声で、夜の草原が炎の海と化した。

 熱を振りまきながら迫る橙の火柱は、まるで城壁が津波になったようだ。

 躱そうという試みは無意味だろう。

 押し寄せる波の先にいる者は、ことごとく呑み込まれ焼き尽くされるのみである。


 けれど。


 弾かれるように、俺は前に飛び出す。

 同時に突き出した右手だけで、炎の波に抗った。

 体内で跳弾する激痛と、容赦なく肌を焼く灼熱。

 きっと、地獄の責め苦とはこのことを言うのだろう。

 だが、


「――――――!!」


 背後から、自分を呼ぶ声が聞こえた。

 その声で、意識を手放したくなる弱気を叩き出す。


 死ね、だと?

 冗談じゃない。

 俺には、叶えなくちゃならない夢が有るんだから――――!!


 突き出した腕に力が籠もる。

 そうして加減も限界も知らないまま、握りつぶすように、炎の壁を突破した。



◇◇



 もう八年も前の話になるが、俺はひとりぼっちになってしまった。

 俺がまだ子供の頃、ある殺人事件があって、その被害者が俺の両親だったからだ。


 その地獄のような光景は、今でもハッキリと思い出せる。

 まだ俺が小学生だったある夜、寝苦しさに目を覚まして居間に降りると、嵐の後みたいな惨状になっていた。

 木っ端と砕け散ったテーブル。

 雷のように裂けたフローリング。

 照明はとうに消え、窓から差し込む月光だけが、目を覆いたくなる破壊痕を照らしている。


 生臭い匂いがした。

 きっと、それは目の前の、黒々と広がる血の海から匂い立つモノで。

 その中に沈む、お父さんとお母さんだったものが放つ、最後の命の残滓だった。


「――――――」


 恐怖で言葉が出なかった。

 音一つない、静かな闇の中にいる。

 ついさっきまではこの場所に温かい団欒があったことが信じられない程、この場所は冷たい空気に満ちていた。


――――悪い夢を見ている、と思った。


 両親だったモノには、手足が欠けていた。

 イメージは屠殺場。

 ここで動物の解体があって。

 食べられる(やくにたつ)部分だけ加工するために持ち去られ、食べられない(いらない)部分は置き去りにされたという、馬鹿げた想像をしてしまう。


 現実味がない。

 時期は夏、つい目を覚ましてしまう程、この日は怪談が似合いそうな熱帯夜だったのだ。

 こんなコワイユメを見てしまったとて不思議ではない。


 ――――これは現実だという確信がある。


 けど、だとすれば。

 蛇の怪物の腹の中に捕らわれたような、言い様のないこの不安は一体なんだというのか。

 まるで、この惨状を引き起こした元凶が、今に持闇の中から滲みだしてきそうな、そんな嫌な気持ち悪さは――――。


「ヒッ――――!」


 気が付けば、家を飛び出していた。

 靴も履かずに、扉を蹴破り、訳も分からず走り出す。

 とにかく、一刻も早くこの場から逃げ出さないと、と。

 八年の間、自分を見守ってくれた両親と家をあっさりと見捨て、恐怖に急かされるように走る。

 それは恐ろしい夏の夜。

 俺が全てを失い、生まれ変わった、転生(きっかけ)の闇の空の話――――。



◇◇



 夜が明けても、走り続けた。

 止まれば、捕まる気がして。

 振り返れば、発狂してしまうくらい怖い目に遭う気がして。


 生物に全速力を維持し続けられる能力は備わっていない。

 呼吸は乱れ、足は靴を履いてこなかったことで傷だらけ。

 自然、ペースは落ちに落ちている。


 だが、苦しいから止まってしまいたいという気持ち以上に。

 止まれば酷い目に遭うという恐怖の方が強かった。

 吐き気や、倒れ込んでしまいたい衝動を堪え、俺は走り続けた。


 その姿を見咎(みとが)められなかったのは、幸運だったのか、あるいは不幸だったのか。

 鬼気迫る表情で走る子供(おれ)を不審な目で見る人は大勢いたが、いずれも通報するには至らなかったらしい。

 一目見て厄ネタだと判る子供だ。

 賢い大人たちにとって、そんな奴を追いかけて保護する旨味は無い。

 誰かがきっと助けるだろう、という楽観のおかげで、俺は逃げ続ける事が出来たのだ。


 結果として、限界に近づく体は着実に壊れていく。


 人間に無限に走り続ける能力は無い。

 むしろ子供の体力でここまで走り続ける事が出来た事こそ、一つの偉業と讃えるべきだ。

 今思えば、どうして誰かに助けを求めるという考えすら浮かばなかったのだろう。


――――大切な者を見捨てておいて、今更何に助けを求める資格があるのか。

 

 分からないけれど、背中に感じていた恐怖感は、いつの間にか胸の内から生じるモノになっていたと思う。




 そうして、自壊は一日で極まった。

 血は運ぶ酸素すら無くし、目は光を捉えてすらいない。

 足跡は赤く、鼓動は水を奪われた魚のように弱々しい。


 死にたくないと逃げ続けて、結果燃え尽きる命の火がここにある。

 皮肉な話だ、生存のための能力は使いすぎても命を削る。

 その負債は、この先続くはずだった俺の未来を容赦なく食い尽くしたらしい。


 それでも足は止められず。

 そんな体で、市内でも名の知れた神社に辿りついた。

 人目を避けるという観点から相応しくないが、少なくともここには水がある。


 手水舎の水を枯れた体に押し込んで、逃走を再開する。

 のろのろと、歩く方が速いようなスピードで、足を引きずって。


 それは、みすぼらしいにも程がある歩みだった。

 ボロきれみたいになった体を引きずって、転ぶように前に進む――回復したと思った体力があっという間に底をつく。


 もはや体を支える事すら困難で、鳥居に体をぶつけ、崩れるように倒れ込む。

 もう走れない、それは困る。

 脚はもう動かない、ここで止まらぬなら、シャットダウンも辞さないとばかりに、体は意識を強制的に刈り取りに来る。

 出力は既に一割以下。

 思考は定まらず、四肢に力はこもらない。


――――死にたく、ない。


 けど、そんな状態になっても、その思いだけは手放さなかった。

 明確な夢や目標があったわけじゃないけれど、父さんや母さんみたいに、誰とも話せなくなる事がこの世の何より怖かった。

 だから――このまま眠ってしまえば、もう起きる事が出来なくなる気がして――風前の灯火となった命で、どうにか意識を保つ。

 目前に迫った死を、無理やりに遠ざけようとした。


 だから、これは。

 きっとその必死な願いを、神様が叶えてくれたんだと思う。


「うわ! キミ、随分とボロボロだけど、大丈夫?」


 今にも吹き消えそうな意識が、太陽のような声を聴く。

 声の主は、こちらを案じているようだった。

 朝の陽ざしを弾く、砂金のように淡い金髪。

 宝石のような蒼い目と、心配そうな表情を浮かべる人のよさそうな童顔。

 目の前には、白衣を纏う優男が立っている。


 そこで、意識は途絶える。

 けれど、不思議と死の恐れは消え去っていた。

 ただ漠然と、あの怖い夜に追いかけられることはないと安心して、深い眠りに落ちていく。

 安らかな朝日の眠り。

 これが、俺の恐怖を振り払った、一人の魔術師(おとこ)との出会いだった。



◇◇


 白く、眩しい世界で目を覚ました。

 窓からはさんさんと温かな陽光が差し込んでいる。

 気が付けば、俺は清潔なベッドの上に寝かされていた。


「――――――?」


 最初、ここは天国なんだと思った。

 ずっと恐ろしいものから逃げていた事は覚えている。

 だから、結局自分は死んでしまって、こんなところに連れて来られたのだと思ったのだ。


「あら、ルイ君。目が覚めたみたいね」


 体を起こせないなりに、首だけで周囲を伺う。

 声がした方を見ると、看護婦さんがいた。

 それでようやく、自分が病院にいるのだと理解できた。


「疲労、脱水症状、酸欠、筋肉や靭帯の損傷……って言っても、まだ分からないわよね。ともかく、ルイ君の体は、今大変なことになっています。だから、今はしっかり休む事。何があったかは知らないけど、こんなに体を虐めたらロクなことにならないんだから。ちゃんとご飯を食べて、眠って。そしたら、数日で退院できるからね」


 看護婦さんはニコニコと、そんなことを言ってきた。

 なんでも、自分はあの逃亡で体を酷使しすぎて入院することになったらしい。

 見ればベッドのすぐ隣には点滴のパックが吊るされている。

 一日休みなしで走り続けたせいで、色々とマズい事になっていたのだという。


「……わかり、ました」

「ん、ルイ君はいい子ね。それじゃ、私はそろそろ行くからね」


 笑顔を残して、看護婦さんは去っていく。

 話し声が聞こえたので周囲を確認すれば、同じようにベッドに寝ている人達がいた。

 彼らは一様にどこか体を悪くしていたけれど、それでも楽しそうに会話を楽しんでいる。

 それで、自分は助かったんだって漠然と分かった。


 けど、それが分かると同時、悲しさが顔を出した。

 両親は消え、家に帰るわけにもいかない。

 これからの不安、失った物への寂しさに泣きそうになる。

 けど、楽しそうに話す皆の邪魔をしたくなくて、涙声だけはぐっとのみ込んだ。


 で、そんな悲しみに暮れる子供(おれ)の前に。

 その男はひょっこりと顔を出した。


「や。おはよう、ルイ君。実に二日間の眠り姫も、ようやくお目覚めのようだね。いや、姫じゃなくて王子様かな?」

 

 男は病室に入って来るなり、冗談交じりに俺のベッドのそばに腰かけた。

 陽光と砂金を溶かして混ぜたような、首まで伸びた淡い金髪。

 一見して日本人でないと判るその男は、蒼い瞳を細めて人懐っこい笑みを作っていた。


「あな、たは……?」

「ん? ボクはホフマン。ホフマン・レジテンド。気軽にホープって呼んでくれ」


 ゆるふわっとした声で、男はそう名乗った。

 優しげなお兄さんという雰囲気を纏う彼が、実は成人していたなんて、この時の俺が気付くわけもない。


「さて、いきなり本題なんだけど。キミは施設に預けられるのと、初めて会うお兄さんに引き取られるの、どっちがいいかな?」


 ホープは俺を引き取ってもいいと言った。

 なんでも、彼が俺を病院に担ぎ込んだ張本人なのだそうだ。

 で、その過程で俺の身の上を知ったのだという。

 数日前に一組の夫婦が殺された事。

 犯人は見つかっていない事。

 その夫婦には息子がいて、その息子が逃亡中である事。

 自分が助け出した少年こそ、逃亡中に子供である事を、警察の調査で知ったらしい。


 で、その話を聞いたホープは、どうしてか俺を引き取ろうと思ったのだという。

 もしかして血がつながっているのか、と問えば、「いや、れっきとした赤の他人だね」と笑って返された。


「じゃぁ、なんで? お兄さんにそんなことをする理由なんて」

「ん? そんなの、キミが困っていて、ボクが助けたいと思ったからに決まってるでしょ?」


 不安いっぱいに尋ねた俺の言葉に、ホープは事もなげに答える。


「ボクには君を助ける力があって、助けたいという意志がある。なら、やらない理由は無いと思わない?」


 言い切る彼の表情は、とんでもなく明るいものだった。

 けれど、そんなのは綺麗事だ。

 そんな考えなしに厄介ごとを抱え込む人間など、よほどの善人くらいだと思う。


「んー、信じられないかぁ。それじゃぁこうしよう。キミにはボクの夢を叶えるお手伝いをしてもらいたい。そのために、君を引き取ろうと思った。どうかな、手伝ってくれるかい?」


 俺の考えを見抜いたのか、ホープは困ったように頭を掻きながら、どう聞いたって無理やりな理由づけをする。

 けど、そのおかげで俺も安心できた。

 俺はこの男に着いて行ってもいいのだと。


「良かった。それじゃぁボクは一足先に準備をしてくるね」


 頷く俺に満足したのか、ホープは病室を後にしようとする。

 その背中に、そういえば訊き忘れていた、彼の夢とやらを尋ねた。


「ボクの夢かい? それは、神様に会う事さ」


 振り向いたホープが返したのは、こんな冗談みたいな答え。

 けれど、その表情は本気で夢見る少年のようだった。


 以来、俺はこの男の子供になった。

 ルイ・レジテンド。

 ホープと同じ姓になり、ホープと一緒に生きていく。

 ホープの夢を叶えるために。

 あの夜の恐怖を振り払ってくれた男に恩を返すために、俺は、自らの人生を使うのだと決めた。




「ルイ。ボク、明日からちょっと海外に行くことになったから」


 ある日、ホープはそんなことを言い出した。

 俺が家事の大半をこなせるようになった頃だから、引き取られて大体一年くらいたったころの話である。

理由を尋ねると、仕事だからとのこと。


「生きていくためには、先立つものが必要だろう? ちょっと長く家を空けることになるのは悪いけどさ」


 以来、ホープは家を空ける事が多くなった。

 ちょっとと言いつつ、半年以上も帰ってこないことだってあった。

 結果として、俺は家に一人でいる事が多くなって、寂しいと思った日は数えきれない。


 それでも、その寂しさはホープが帰ってくると報われた。

 ホープが自慢げに土産話を語るのを聞くのが好きだった。

 ホープがいない間に特訓を重ねて、その成果で驚かせるのが好きだった。

 久しぶりに見るホープの笑顔は、一人で家を守る不安に対する、最大の報酬だったのだ。


 だから、一人でも頑張れた。

 いつかホープの仕事を手伝えるほど立派な男になるのだと、日々努力を積み重ねられた。


 あの日、鳥居の前で、壊れた子供をやさしく助け出してくれた男がいて。

 そいつの願いを叶える為に、もう一度ゼロから始まった自分がいる。

 あの夜の恐怖は月日が経つにつれて薄れていくが、変わらず俺の恩返しのための歩みは続いていく。


 あの朝焼けの出会いに報いるためならば、いくらでも頑張れたんだ。


「さぁ、ルイ君。キミには、ボクが神様に会うためのお手伝いをしてもらうからね!」


 あぁ、それを貴方が望むなら、俺が絶対に会わせてやるから……!

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