第三話
戸谷さんに関しては社長が色々と手を回して表沙汰になることはなかった。
とは言っても目撃者が多数、しかも特別国家公務員の人達ともなると社長の思惑通り有耶無耶にすることは叶わず警察へと引き渡された。傷害になるのか殺人未遂になるのかは検察と弁護士のやり取りで決まると思う。心神喪失的な言葉も行きかっていたので罪に問えるのかどうかも微妙な感じだったけど。
私の方はもちろん被害届を提出した。突き落とされたわけだし実際に溺れていた可能性もあるのだから当然と言えば当然の事なんだけれども。
田宮さんが言うにはかなりの海水を飲んでいたみたいだから、私に記憶が無いだけで実際に溺れたんだと思う。私自身は溺れたという感覚よりも何となく安らかな気持ちになれたというのが強くて、イマイチ実感が無いんだけどね。あれ、安らかな気持ちにって、もしかして死にかけてたってこと?
で、今回の件でうちの社長の応対に、怒髪天を衝いたのがいつもはにこやかな日和さん。
同じ事務所の先輩が言うには時代が時代なら極道の妻たちに出演できるんじゃないかってぐらい怖い微笑みを浮かべて事務所に来たらしい。その二十分後には水嶋さんまで現れて、社長の頭が一瞬にして禿げたとかいう話なんだけど、私は実際に見ていないので真偽は謎。その日のうちに私の事務所移籍が決まってたんだけど、一体どんなやり取りがあったのかちょっと興味はあるよね。誰も話してくれないんだけどさ。
そして撮影は続行されている。
中断、打ち切りという話も出たんだけど、大人の事情ってのもあったみたい。私としても最終回までちゃんとしたのを観たいからそれを聞いてホッとした一人なのだ。
そして私はと言うと今まで通り普通に見学に来たりしているけど、別に水が怖いとか感じることはない。どっちかと言えば逆に飛び込みたくなるんだから、それはそれでちょっと困った後遺症なのかな。
「田宮さん、本当について来なくても大丈夫ですよ?」
あれ以来、私が来ると田宮さんが心配して私について回る。これも困ったことの一つかも。
「でも心配だから」
「もう戸谷さんもいない訳だし、そうそう私を何度も突き落とそうだなんて考える人はいないと思うんだけどな」
「分かってる。けど、マコさんが海に還っちゃうと困るでしょ?」
「海に還るって……?」
「今にも飛び込みそうだから」
飛び込みたくなる衝動に駆られるって誰にも言ってない筈なのに、どうして田宮さんには分かるのかな……。
「せっかく捕まえた人魚姫を簡単に手放すほど僕はおバカな王子様じゃないよ?」
「そんな漫画じゃないんだから、アディオス・アミーゴ!!なーんて叫んでから海に飛び込んで去っていくなんてことないですから、私」
私の言葉に思わずと言った感じで田宮さんは噴き出した。
「うん、なんか凄い例えだけどマコさんらしいよね、その去り方」
「だから去りませんてば」
海に落ちたこと、私よりよっぽど田宮さんの方が堪えているみたい。
「マコさん」
「はい?」
「俺、トイレ行きたいんだけど……」
「どうぞ?」
お互いに向き合ったままで沈黙が流れた。
「一人で大丈夫?」
「大丈夫ですよ。ここ、護衛艦の中じゃないですか、こんだけ自衛官さん達に囲まれていて大丈夫じゃないなんてことは無いでしょ?」
そうなんだよね、とにかくあれから甲板には撮影で邪魔になるほどの自衛官さん達が立つようになっちゃったんだよ。
そりゃそうだよね、護衛艦で芸能人とは言え民間人が海に落ちたなんて大問題だもの。自衛隊さんとしてはそれまでロケの邪魔になるから遠慮していたけど、そうも言っていられなくなっちゃったってこともみたい。もちろん撮影の時にカメラの邪魔になるようだったらちゃんと移動してくれるんだけど。
「けど突き落とされたわけだし」
「そうですけど、もう他にはいないでしょ」
「でも八つ当たりしている女優さんがいるよね」
それとなく真理菜さんのことを指摘する。
「女優生命をかけてまで私を突き落とそうだなんてしないと思いますけど」
「マネージャーさんがいるだろ?」
「もう、そんなに心配ならマコちゃんに首輪でもつけておいたらいかが?」
私達の会話を眺めていた日和さんが仲裁に入ってきた。仲裁なのかな、これ。しかも首輪ってなんですか首輪って。
「……首輪、ですか」
田宮さんも真顔で受け止めないで下さい。
「イヤですよ、マコは犬じゃありませんからね!」
困った人達だ。
「仕方ないですねえ。じゃあマコが田宮さんについていってあげます」
アイドルが男の人のトイレについていく羽目になるとは何か間違ってる気がする。しかも手を繋いで。トイレに辿り着くまでに乗組員さん達の何とも言えない視線が痛いです。生温かいというか何というか……。
「ちゃんと手を洗って出てきてくださいねえ」
「分かってるよ」
ドア越しにこんな会話ってどうなの?
「あ、マコちゃん、サインしてもらってもいいですか?」
「はーい」
廊下で待っている間も若い隊員さんが声をかけてきてくれるのでサインにはちゃんと笑顔で応じます。そのへんは事務所が変わっても変わらない。ファンサービスは大事だものね。
トイレから出てきた田宮さんはサインをしている私を見て溜め息をつく。
「ほんと、アイドルって大変だよね。何処に行っても注目されちゃって心休まる時なんてないでしょ?」
「んー……そうでもないですよ? あ、はい、どうぞ。ドラマの方も見て下さいね、お願いします」
握手をしてからバイバイと手を振って相手を見送ると、田宮さんの方に体をむけた。
「普通にしていたら街中を歩いていても私って気づかれないことあるし」
「そうなの?」
「最近はツイッターとかで投稿されちゃう人とかいますけど、私は一度もないですよ?」
それはそれでちょっと悲しいんだけどね。
「そうなのか。けどさすがにデートしてたら騒がれるよね?」
「さあ、したことないから分からないけど見つかったら騒がれるかな」
そして再び繋がれている手。
「一般の人はそんなに心配することないんだけど、やっぱり怖いのは芸能記者かなあ。あの人達って本当にハイエナみたいだから」
そう言いながら田宮さんにしっかり握られている手をプラプラと振ってみせる。
「こんなところ写真に撮られたら凄いですよ? ここは中だから撮られる心配ないですけど、外だと何処から望遠レンズで撮られるか分かったもんじゃないです」
外に繋がるドアをくぐろうとすると田宮さんが立ちどまって引っ張った。
「ねえマコさん」
「はい?」
「今度の僕の休暇にデートしない? 僕に助けてもらったお礼にとか」
「自分で言うんですか、それ」
「うん。だって待っていてもマコさんから言ってくれそうにないし」
「私、これでも一応アイドルなので、一般の方とのデートはNGなんですけど?」
「……だそうですけど、同じ事務所の先輩としてはどうなんですか?」
田宮さんがドアの外に声をかけると水嶋さんが顔を出した。
「うん? たまにはデートぐらいいいんじゃないの? マコちゃんだってお年頃だし事務所としては問題ないよ。但し貴方がマコちゃんを玩ぶとなれば話は別だけれど」
「……だということだけど?」
「田宮さん、水嶋さんと日和さんに取り入りましたね?」
「そりゃ、将を射んと欲すれば先ず馬を射よと言う諺があるから」
ニッコリ笑う田宮さんに水嶋さんがヒヒーンと馬の嘶きを真似してみせる。
「ズルイですよ、それ」
「俺の戦略勝ちってことで。連絡はちゃんと事務所通してするから安心して?」
「つまりは事務所公認のデートってことですか? この馬集団め」
きっとそのお馬さんの中には日和さんも含まれているに違いない。
「ほら、今回のドラマのロケでは色々と融通も利かせてもらっているしね、そんな海上自衛隊の人からのお願いだったら無碍には断れないでしょ? 以後のこともあるし」
水嶋さんがもっともらしいことを言うけど何だかとっても胡散臭い。
「わっかりました、お食事くらいならよいですよ? マコだって助けてもらったわけですし」
「だよね。だからお礼にデートね」
うーん……なんだか納得いかないけど。
+++++
「マコちゃんをね、助ける為に海に飛び込んだ時の田宮君、それはそれはカッコ良かったんだよ?」
事務所に戻た時に水嶋さんがそんなことを口にした。
「そうそう。さすが現役自衛官さんでアクション俳優さんも真っ青って感じだったわよね。あ、彼方君の方がもっとかっこいいから安心して」
水嶋さんの言葉に頷いて同意する日和さん、さりげなく惚気を入れるところが日和さんらしい。
「彼の応急処置が早かったからマコちゃんは助かったんだと思うな。だからマコちゃんは彼に命の借りがあるってわけだ」
「命の借り、ですか」
確かに助けて貰ったんだからそうなるのかな。
「そう。勿論、彼はそんな風には思ってないだろうけどね。だからデートくらい付き合ってあげなさい」
「それで事務所公認なんですか?」
「前の事務所では恋愛禁止なんてことだったみたいだけどね、恋愛もその人を成長させる大事なプロセスなんだよ。上手く行くか行かないかは別としてね。だから羽目を外さない限りはうちでは黙認だ。僕達はマコちゃんに色々な経験をしてもらって、いい女優さんになってほしいんだよ。日和みたいにね」
「私は彼が気に入ったからマコちゃんとはずっと続いて欲しいと思ってるわ。だけどこればかりは分からないものね」
二人がお互いの視線を絡ませて微笑み合うのを見てちょっと疑問に感じたことを口にした。
「水嶋さんと日和さんって、どうして独身なんですか? 若い頃から共演が多いし私はてっきり二人が結婚してるんじゃないかって思ってたんですけど」
その問いに目をうるうるさせる日和さん。
「やだぁん、マコちゃん! そんな恥ずかしこと言わないでぇ!」
「ぅえぇ?」
むぎゅぅぅぅと抱き締められて危うく窒息しそうになる。
「僕達の話はまたゆっくり聞かせてあげるよ。いろいろとあったからね、この三十年」
「もうそんなになるのねえ」
懐かしそうに目を細める日和さん。
「ちょっとしたお昼のドラマにできそうな三十年だわね」
「そうだね。あっという間な気もするけど」
うわあ……大物俳優と売れっ子女優の恋バナだなんて美味し過ぎてよだれが出そうだよ……。