遺書10
遺書10
兄上の母上に対する反抗は、その時はアルバイトの件だけに止まりました。
父上が賛成したため、アルバイトは許可されましたが、進学と婚約は母上の望んだ通りになったのです。
婚約が決まった日から、さなえは朝倉家に住むようになりました。
朝昼は兄上と同じ高校に通い、夜には朝倉家に戻って家事に勤しみ、そして兄上の部屋で兄上と過ごす。
私にとってはこの上ない生き地獄でした。
ある日、さなえが外出している時、兄上はふとこんなことを言いました。
「お前は俺がさぞかし憎いだろうな」
私は、兄上を憎んではいませんでした。
ただ、羨ましかった。
自分も、兄上のようになりたかった。
それだけでした。
「俺は、どれだけ天真から憎まれても恨まれても仕方ないと思ってるよ。それでも、お前は俺の弟だ。お前に縁を切られたとしても、俺はそう思ってるから」
兄上は、完璧な兄でした。
だから、私は兄上を責めることなんてできなかった。
私を家族として見てくれる、たった一人の存在だったのです。
兄上なら、さなえを大切にしてくれると信じていました。
さなえを守ってくれると、信じていたのです。
さなえとは、あの日からどんな顔をして会話をすればいいのかわからず、家の中でも避け続けていました。
しかし、それでもたまに家の中で鉢合わせると、さなえは義弟の私を気遣いながらたまに声をかけてきました。
といっても、「天気がいいですね」とか、「お夕飯はなにがいいですか」など、ほとんど女中との会話でした。
兄上と婚約してからのさなえは、どこかしら影が差したように見えました。
いえ、幼い頃から慕っていた兄上と婚約ができたのですから、きっと私の気のせいなのでしょう。
しかし、私のことを見るさなえの目が悲しげであったことは間違いありませんでした。
私のことを憐れんでいるのか、それともあの日、私に言われたことを引きずっていたからなのか、今となってはわかりません。
いつもなにか、私に話しかけたそうにしていました。
私はそんなさなえから、逃げ続けてしまいました。




