遺書8
遺書8
ある日、学校から帰宅すると、母上が私を部屋に呼びました。
母上の自室に呼ばれるのは、初めてでした。
母上の部屋を訪ねると、母上はまるで本当の母親のような口調で私に声をかけてきました。
「学校は楽しい?茶道のお稽古にも随分と熱心に参加してるわね。お弟子さんたちも驚いていたわ。天真がいい子で助かったわ。天真がいい子だったから、あたくしも安心して宗辰のそばにいられたのよ」
私の頭を撫でながらそう言う母上は、まるで聖母のような笑みを浮かべていました。
私はそれが妙に恐ろしく思えてしまい、直視することができませんでした。
しばらくして、母上の口から出た言葉は、兄上とさなえから距離を置けという命令でした。
私はその時初めて、兄上とさなえの婚約話を聞かされました。
兄上も、それを了承しているようでした。
兄上は病床の頃から、いつも母上と一緒にいました。
その母上の言うことに、兄上が逆らうはずがありません。
退院してからも、まるで母上の人形のように言われるがまま、従っていたのです。
行く学校、友だち、成績、将来。
すべて、母上が決めていました。
今回も例外ではなかった。
それだけでした。
私はこの日、完全に朝倉家での存在価値をなくしました。
私には、兄上を超えることができなかったのです。
いえ、それよりなにより辛かったのは、さなえと兄上が婚約するという事実でした。
兄上が戻れば、兄上の代わりだった私など必要はない。
さなえもそう思ってるのかもしれないと思うと、胸が張り裂けそうでした。
気づけば、私も母上の人形でした。
弟子や同級生たちの目や陰口に抵抗することはできても、母上にはどうしても逆らえないのです。
それはやはり、心のどこかで、あの人に認めてもらいたいという想いがあったからなのだと思います。
私は母上に言われたとおり、兄上とさなえから距離を置き、一緒に行動をすることはほとんどなくなりました。
何も聞かされていなかったさなえは、しばらく私にしつこく付き纏ってきました。
私は何も知らないさなえが、疎ましかった。
だから、つい、こう言ってしまったのです。
「お前はどうせ、兄上がいればそれでよかったんだろ。俺のことなんて、兄上の代わりにしか思ってなかったくせに」
私はこの時のさなえの顔を、一生忘れません。
あんなさなえの悲しげな顔を見るのは、初めてでした。
さなえを傷つけた。
あれだけ守りたかったさなえを、自分で。
さなえはそれ以来、兄上と婚約するまで私に声をかけることはなくなりました。