遺書7
遺書7
さなえは、私が同級生たちになにかしたのではないかと勘づいていました。
だからか、以前よりもさなえは私のそばを離れなくなりました。
どうして他の子たちと遊ばないのか、さなえに聞いたことがあります。
さなえは、私のそばにいたいからと言ってくれました。
さなえにそう言ってもらえて、私は心の底から嬉しかった。
しかし、その反面、それがさなえの本心からの言葉なのか疑っていました。
本当は、兄上といたいんじゃないか。
本当は、他の友だちと遊びたいんじゃないか。
私はそんな疑念を打ち消すように、さなえの温かい手を握っていました。
中学に進学する頃。
兄上の容態は、奇跡的に回復へと向かい始めました。
小学校の勉強を家庭教師をつけて病院でしていた兄上は、小学校からの課題をこなすことで卒業することができたのです。
兄上の退院を誰よりも喜んだのは、母上でした。
病院に通いつめていて滅多に家にいなかった母上は、兄上と共に家に戻って来ました。
兄上の見舞いにさなえと行ったことは何度かあり、その度母上の様子も伺ってはいたものの、健康そうな私を見る母上の目を見ると、「お前が死ねばいいのに」と言われているようで、やはり苦手でした。
だから、兄上の退院は嬉しかったものの、母上が家に戻って来たことは、素直には喜べませんでした。
中学一年の間、兄上は保健室登校ということで、保健室で勉強をしていました。
私とさなえはお昼休みになると、兄上を訪ねて保健室で会話をしました。
兄上と話すさなえは本当に嬉しそうで、その笑顔は私の胸を締め付けました。
中学二年になると、兄上は普通に登校できるまで回復しました。
正直、嬉しさよりも危機感の方が勝っていました。
朝倉家を継ぐため、兄上を超えなければならない。
私は今まで以上に稽古や勉学に励みました。
しかし、どれだけ周りとの関係を絶って必死に励んでも、兄上はまるで小石の上を跨ぐように私を超えていくのです。
気がつけば、兄上の周りにはさなえだけでなく多くの友だちが集まっていました。
文武両道、眉目秀麗と囃し立て、誰もが兄上に期待を寄せていました。
それでも私は、朝倉家の人間として恥じないよう、努力を惜しみませんでした。