この人をこんなふうにさせてるのは
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「天真!あたくしの言うことが聞けないの!?」
「この子を殺したところで、なんになるんです!それこそ、この家は終わりです!冷静になってください、母上!」
天真さんに諭された母上は、急に静かになった。
本当に、なにかが取り憑いてたかのようだった。
「離して!愛人の子どもの分際で……!」
母上はそう言って天真さんを振り払った。
愛人の、子ども……?
天真さんは、下唇を噛み締めて後ろへ下がった。
すると、襖が開いて和装の初老の男が入ってくる。
「なんの騒ぎだ」
眉間にしわを寄せ、こう言った男は宗旦狐によく似ていた。
きっと、宗旦狐が歳をとったら、こんな顔になるんだろう。
男はあたしを見るなり、全てを察したらしい。
母上を鋭い目で睨みつけた。
「どうやって連れてきた。まさか、無理やり連れてきたんじゃないだろうな」
「……あなたが悪いのよ。あなたが早く宗辰を連れ戻さないから!!」
そう言って、母上は湯のみを男に向かって投げつけた。
湯のみは、部屋の壁に当たって粉々に割れる。
しかし、男は動揺したりはしなかった。
「やめなさい、客人の前で」
「宗辰を返して!!あの子を返してよ!!あの子はあたくしとあなたの、たった一人の息子でしょう!?」
母上は、男に向かってそう叫ぶと泣き崩れた。
そう、か……この人が恨んでるのは、あたしでも憑き物家でもおおばあ様でもない。
愛人を作った、夫だったんだ。
だから、前々代当主の妾だったおおばあ様に嫌悪を抱いたり、夫との間にできたたった一人の息子にこんなにも執着するんだ。
この人をこんなふうにさせてるのは、嫉妬だ。
「月川なるみさん、でしたか。うちの者が迷惑をおかけしました。ーー天真、なにか拭くものを持ってきなさい」
「……はい」
男は泣き崩れる母上を放って、あたしに近寄り膝をついて謝罪した。
「私は朝倉家現当主の斎玄と申します。あれは、私の家内の綾子です」
あたしは、なんて返事をしたらいいかわからなかった。
とりあえず、斎玄さんから敵意は感じない。
「嫌な思いをさせましたね。本当に、申し訳ない。直ぐに車で家まで送らせましょう」
「その必要はありません」
と、部屋の入り口から声が聞こえてきた。
「先生」
「宗辰!」
あたしと綾子さんの声が重なった。
宗旦狐は荒れ散らかった部屋と綾子さんを一瞥してから、あたしの方に近寄ってあたしの手をとった。
「なるみさん、帰りましょう」
ああ、宗旦狐めちゃくちゃ怒ってる。
「宗辰、待ちなさい」
斎玄さんが宗旦狐の手を取ろうとすると、宗旦狐はそれを思いっきり振り払った。
「俺はこの家と縁を切ります。お世話になりました」
そう言うと、あたしの手首を引っ張って立たせ、部屋を出て行こうとする。
「宗辰、待って!お母さんを一人にしないで!!宗辰!!」
綾子さんの泣き叫ぶ声が、背中を突き刺す。
しかし、宗旦狐が母親の方を振り返ることはなかった。