全然……楽しくないや
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醜くて浅ましいのは大人じゃなくて、人間だった。
それに気づいたのは、いつだっただろう。
初めて、外見のことで同級生の男の子たちからいじめられたときかな。
あの子たちの目は、あの大人たちと同じくらい汚かった。
汚いのは、大人じゃない。
人間だ。
そして、あたし自身も人間だった。
あたしはそんなあたしが、嫌いで仕方がなかった。
ーーあたしを唯一庇おうとしてくれた、あの男の子。
あの子はどんな大人になっただろう。
今となっては顔も名前もわからないけど、あんな人たちみたいには、なってなければいいな。
「……!……さん!」
……なんか聞こえる。
えっと、ところであたし、なにしてたんだっけ。
凄く寒いんだけど。
……人を、待ってたんだ。
誰を、だっけ。
「月川さん!」
月川……あたしのことだ。
そう理解に至ったあたしは、はっと顔を上げた。
目の前には、見たことある顔がある。
「宗旦、狐?」
そうだ、あたし、宗旦狐のこと待ってたんだ。
その間、知らないうちに寝てたらしい。
「こんなところで、寝てたんですか!?」
珍しく、宗旦狐が焦ってる。
あたし、端末の時計を見た。
二十一時三十分。
うわ、三時間半もあたしここにいたんか。
というか、それも驚きだけど、なにより宗旦狐がここに来たことの方が驚きだった。
ーーでも、これで、帰れる。
「ずっと、待ってたんです。先生に、言ってもらいたくて」
寒すぎて、声が震える。
でも、せっかく来てくれたんなら、言ってもらいたい。
「嫌いって、言ってほしいんです。それだけで、いいんです」
「……そんなことのために、ずっと待ってたんですか」
宗旦狐は、眉間にしわを寄せてあたしのことを見下ろした。
「馬鹿ですよね。わかってるんです。でも、ちゃんと、先生の口から聞かないと、前みたいに戻れないんです。……好きって言われる前に戻りたいんです。先生のこと、ずっと考えたり、心配したり、悩まなくてよかったあの時に」
……あ、れ?
なんで、涙、出るんだろう。
「入院してる時から、ずっと先生が頭から離れなくて、困ってるんです。気持ち悪いじゃないですか。あたしみたいなデブスが、先生のことずっと考えてるなんて。そんな、自分が、もう……いや、なんです」
そう、だから。
お願いだから、言ってほしい。
嫌いって、一言。
それだけでいいから。
「もう、それで、先生のこと、考えるの、やめます。だから……!」
ーーほんの、一瞬だけ。
宗旦狐の辛そうな顔が見えた。
あの時の、男の子みたいな、辛そうな顔。
なんで、宗旦狐がそんな顔するんだろう。
そう、疑問に思ったとき。
あたしは、宗旦狐に手首を掴まれて、思いきり抱き寄せられていた。
あ、あったかい。
人って、こんなあったかかったっけ。
あたしは、宗旦狐の腕の中で、そんなことを考えてた。
「それが、人を好きになるということです」
宗旦狐は、苦しそうにこう言った。
……これが?
こんなに、苦しくて悲しいのが?
……なんだ、全然ーー
「全然……楽しくないや」
あたしは、子どもみたいに泣いた。