第拾陸之幕
「もー何これ! わっけ分かんない!」
辞書を片手にノートを取りながら宿題をこなしていく。でもそもそもとして、こんなミミズ読める訳無いじゃん! 文字は掠れてるし、紙は破れてるし、私普通の女子高生なんだけど? あ、いや普通ではないか。
「せめて読めるならまだしもさぁ、これじゃあまるで暗号解読だよ……」
宿題って言われても、これは流石に難易度高すぎるよ……。色んな時代に書かれた本が幾つもあるから、漢文だったり仮名だったり、時系列がきちんとしていたりそうでなかったり、個人の記録だったりその辺りがまちまちだし、私達の家業を知らない人が読んだら絶対に創作物だろうと思う、と思う。
大体こんなの考古学者とか、専門的な知識を持ってて、そういうのに長けてる人がやるもんでしょ? 私はどちらかというと現地で活動する方なんだけど。
「んにゃああああああ」
「ねーちゃんさっきから独り言うるさい」
部屋の扉がノックの音も鳴らさず当然の様に開けられた。あぁもう……落ち込みつつあった気分が、今完全に『落ち込んだ』に変わった。
「へーへー、お殿様のご機嫌損ねちゃって大変申し訳ございませんでした~」
大直様は大変喜ばしい事に少しムスッとした顔を浮かべて下さった。ちぃ……まぁ、今日ぐらいは見逃してあげようか。実際、本当にうるさいいのだろうし。でもせめてノックぐらいはして欲しいものだけどね。
「で、何をさっきからギャーギャー喚いてるんだよ。そこそこうるさいんだけど?」
「んー……ヤタとお祖母ちゃんに宿題出されちゃってね、それに悪戦苦闘って感じ」
「ふぅん。ちょっと入るよ」
大直がうんをも言わせずに部屋に入ってきた。そのまま私の横に立つと、勉強机に広げているノートや巻物、古文書みたいな本たちをサラッと見流していく。
「あーなるほどね。へぇー、これ姉ちゃんには無理なんじゃないの?」
カチン。私の中のスイッチが入った。ほほぅ……こいつ、随分と舐めきってくれちゃってるじゃないのよ。今一度この弟には姉の威厳ってものを分からせないといけないかな?
私が一人でムスッとしてると、大直が私のノートを取って眺めながら「あぁ、なるほど」とか「んんん?」とか言ってる。もしかして本当に分かってるとか?
「意外だね、姉ちゃんここまで分かってるんだ」
「なによ、なんかすっごいバカにされてるみたいでムカつくんだけど」
「うん、ちょっとバカにしてた」
はぁぁああ? よくもまぁいけしゃあしゃあと悪びれる様子もなく、私の目の前で言っちゃってくれるもんだね?
「てか、ここまで言えるってことは当然アンタはこれの内容が分かってるんだよね?」
「うん、まぁ大体だけど」
……。い、今何て言った? 私の聞き間違いじゃなかったら、今私は凄い敗北感を味わっている所なんだけど、まさか……ねぇ? 聞き間違いだよね?
「分かってるってよりも、覚えてるって言う方が近いけどね。俺じゃこんなのまだ読み解けないし、結構前にヤタ様に教えて貰ってたりしてたから。まぁ姉ちゃんの事だから勉強してないとは思ってたけど、案の定って感じだね」
ふぐぐ……ここ最近、敗北感というか屈辱感というか、いや、自分に対する不甲斐なさと情けなさを感じる事が多いな。それもこれも自分のせいだけどさ、それでもヤタとかお祖母ちゃんに言われるのと、大直に言われるのとではその屈辱感が違う。
にしても、こいつが本好きな事を忘れてた……。大直は私と違って勉強が楽しいと思えるタイプで、成績も悪くないし、ゲームとかをしてる姿も見るけど、それよりも読書してる姿の方が良く見る。いや、家族同士なのに他人行儀な言い方になっちゃってるけど、実際私は家にいる時大体自分の部屋に居るし、大直や日笠が起きている時間は寝ているし、逆も待った然りな訳で。
生活リズムが違うせいもあって、私達姉弟はお互いの事をそんなには知らない。まぁだからと言ってわざわざ分かろうともしない。だからと言って仲が悪いって訳じゃなけどね。腹は立つけど。
「まぁ、頑張ってね」
「当り前よ! あんたなんかに言われなくても頑張りますー!」
「もし分からなかったら俺に頼ってくれればイイよ。ま、姉ちゃんの事だから俺なんかに頼らなくても大丈夫だろうけど」
大直が厭味ったらしい笑顔を見せながら部屋を出て行く。ホンッッッット嫌な奴! あいつは私の事を姉と思っているのか? 昔は泣き虫でよく私の足元で私にしがみついて泣きまくっていたくせに……。
まぁそんなことは良いとして、この本たちの内容は(間違っていなければ)ウチの家の成り立ちとか、歴代の当主が使っていた日の力のそれぞれの能力、今まで戦ってきた禍の外見、特徴とかみたいで、禍の特徴は絵が入ってるからまだ良いんだけど、ウチの成り立ちとかその辺は文字ばっかりで、正直見ているだけで眠気を誘ってくる。
ていうか、そもそも私達のやってる禍祓い自体が特殊ってこともあるせいで、辞書だけじゃ太刀打ち出来ない単語が頻出してる。しかも、多分だけど今の私達が使ってない言葉みたいだから、そうなると完全にお手上げだ。
今手にしているのは禍祓記って本で、私達の家の歴史を記したもの。厚さもそれなりにある上に、巻数も結構な数がある。そしてこの中には二つの単語が頻出している。
一つは『禍祓日霊』という単語で、これは……まがはらうひれいって読むのかな? 読み方がイマイチ分からない。そしてもう一つは、
「この『命』? みことなのか、いのちなのか、めいなのか分かんないけど、これが具体的な説明とか無いんだよねぇ」
冒頭から最後の方に至るまで全部に出てくるんだけど、最初の方に出て来たときは文字掠れてるし、後の方に出て来たときは省略されてたり、達筆すぎて単語分かんないし、完全に暗号解読な状態だから、良く分からない。
一つ目の禍祓日霊ってのは、読み方がイマイチ分かんないんだけど、読んだ限りではどうやら私達みたいな禍を祓う人の事みたい。記述の中に、禍祓日霊は世に蔓延る禍を祓う者って書いてあるし、まぁ字面からして私達の事だろう、主には当主の事を指すみたい。
んで、二つ目の『命』の方なんだけど、禍祓記の中の方とかを掻い摘んで読んだ感じでは、歴代の当主の人の……えと、禍祓日霊? の前に出て来たり、その人と会話してたりもしてたみたい。
ただ、今手にしてる本をざっと読んだ限りでは二十回ぐらいの世代交代が行われているみたいで、そのどれの中にも命? なる人物の話が出て来ている。
実際にこの人が居たのか、それとも話として出て来ているだけなのかはまだ分かっていないけど、実際に会話をしたって話がある事を思うと、実在はしたんだと思う。そして、何回も世代交代をしても出てくるってことは、私達みたいに世代交代をして禍祓日霊って名前を受け継いでいるみたいに、『命』って名前の付いた役職? を引き継いでいるのならあり得る。あるいは同じ人物がずっと生きているってことなんだろう。
ずっと生きているってのも確証は無いけれど、ヤタが何千・何百年と生きている事を思うと、あり得ない話では無いからね。
「事実は小説よりも奇なりって奴かな……」
我ながら同じ人物が何百年も生きているって結論に簡単に至って、しかもそれに対して特別疑問も抱かない事に普通じゃないなーって思う。まぁ慣れっこだけど。
とにかく、『命』ってことから分かることと言えば、かなり位の高い人って事。もしくは人でないのなら神様とか?
「神様か……。でも、それなら確かに話は繋がるかもしれない」
もしその命なる人が人でなくて神様なんだとしたら、何百年と生きている事も何ら不思議ではない。でも、神様ならなんでわざわざ私達に頼るんだろう? 神様みたいな存在なら自分で何とか出来そうなものだけど……。じゃあやっぱり人なのかな?
「あー禍祓いしたい。私はやっぱり身体動かす方が性にあってるよねー」
おばあちゃんの言ってた『暫くの間の休息』が何時までなのか分かんないし。まぁこの休みの間にも一人前になる為の修業は怠るなって事で、この宿題が出てるんだろうね、きっと。
「とりあえず、これでも読んどこうかな」
そう言って私が山の中から取り出したのは、歴代の当主である禍祓日霊の人達が使っていたそれぞれの日の力が纏めてある本。
一番最初の初代禍祓日霊は意外と記述が少なくて、具体的な内容はあまり書いてなかった。ただ、今の私達とは比べ物にならないぐらいあまりにも強力な日の力だったみたいで、何というか、力の塊でごり押ししてた? って感じみたい。
後の方になると、随分と細かな力の使い方をしてきているみたいで、ある当主は禍を拘束するための鎖の様な物を作り出していたり、またある当主の人は自分の分身を作ったりしていたみたいだ。
「うーん。ほんとにこりゃ千差万別って感じみたいだね……」
その後も今までの禍祓日霊の人達の日の力を見て行く。攻撃に長けている人、防御に長けている人、感知や探知に長けている人、果ては予知能力がある人まで居たみたい。攻撃に長けていた人も近距離、遠距離で分かれていたりしていて、さすがに似たような力を持った人もいたみたいだけど、完璧に同じ日の力ってのはあまり実例が無いみたいだった。
目覚めるタイミングもまちまちで、10歳頃から個々の能力が使えるように日の力に目覚めている人もいれば、25歳前後で目覚める人も居たみたい。でも、平均して大よそ16歳前後が目覚めの時のようだった。
私が今16歳である事を考えると丁度今ぐらいな訳だけど、まだこの先どうなるのかは分からない。
「私にあった日の力かー……。まぁ、多分だけどチマチマした奴じゃないだろうなー。もしそうなら使う私自身が困るし」
個人的にはやっぱりお母さんみたいにド派手な力が良いな~。たくさんの敵をドッカン! と一気に倒せるようなのが良いよねー。お祖母ちゃんみたいな探知系も良いけど、やっぱり私には合わなそうだし。
でも、やっぱりその為にも今は宿題をこなさなきゃ。今の私に出来る事、葵ちゃんが言う所の『何もしないで出来る事』をしなきゃ前には進めない。
結局、私は時間も忘れてそのままずっと宿題をこなし続けた。途中何度か禍の気配は感じたけれど、今の私に出来る事をするだけだと割り切って、少し申し訳なさを感じながらも本を読み解き続けた。