幕開之前
とても不思議な感覚。
液体の中に居るみたいなのに、何故か呼吸ができて、落ちていく訳でもなく、浮かんでいく訳でもなく、ただその場に漂っている様な、奇妙な浮遊感。
「――――」
近いようでいて遠いような。何処か分からない所から、暖かくて柔らかい声が聞こえてくる。
「――――よ」
あまり聞こえないけれど、とても、とても優しい声。どこかで聞いた事がある様な気がするけれど、思い出せない。
声は聞こえるばかりで、姿が見えない。それどころか辺りを見回しても何も見えなくて、ただ永久の闇が広がっているだけ。私は今、上を向いているのか下を向いているのか……それ以前に上下という物が存在しているの?
自分の手を見ようとするけれど、自分の姿さえも見えなくて、温かい声とは裏腹に、寒気がする程の底知れない不安が私を襲う。
「――――よ。―は―――――と――――の」
「ここはどこっ? あなたは誰?」
問いかけても返事は帰ってこない。自分の声が響くことなく闇の中に溶け込むだけで、不安感は募る一方。
そもそも、私の声は私にしか聞こえていない? 私は、本当に声を出していたの?
もう一度声を出そうと口を開けるが、もう声は出なかった。
今度は体を動かそうとしてみようとするが、体の動かし方が分からない。ただ、ひんやりとしていて、少し滑り気のある何かが勝手に体の上を滑っていく感覚だけがある。
体の上を何かが滑る度に、足先から体の方へと徐々に体温を奪い、四肢は冷たくなって重くなる。身体中に重りをつけられたまま海に沈められた様に冷たくて息苦しくて、それなのに体は少しも動かす事が出来ないからもがく事も出来ず、死という言葉が頭の中をよぎる程の恐怖に襲われる。
暫くすると冷たさも息苦しさも感じなくなってきた。恐らくは、体の感覚が全て闇に飲み込まれてしまったのだろうか。
私を……助けて……。ここから、この闇から……。
声が出ないから、強く、強く念じる。
底知れぬ恐怖に負けない為にも、頭と心だけはしっかり保とうとする。
しかし、その思いを嘲笑うかの様に、何かが意識を侵食し始め、この闇が本当の闇か、瞼の裏の闇なのか分からない程に思考が鈍り、朦朧となる。
私、何をしていたんだろう。何がしたかったんだろう。
そもそも、私って誰? 私? ワタシ。わたし……。
その答えが出ることはなく、やがて自分という自我さえもが、闇に飲み込まれてしまった。
「――――よ。―は―――――と――――の。――の―――――――さい」
消えゆく意識の中で、途切れ途切れの優しい声だけが聞こえてくる。
「そう、―の力を」