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今回の内容に不妊の描写があります。不快に思われる方は注意願います。
大学卒業後、私は美也子と結婚し、仕事に打ち込み、忙しい日々はあっという間に過ぎ去っていった。
美也子は海外を転々とする仕事にも不平不満一つ言わず、どこにでもついてきてくれ、よくフォローをしてくれた。
そんな生活にも慣れ、次に家族が増えるなら女の子がいいか男の子がいいか、全部で子供は何人がいいかなど、とよく二人で語りあった。
美也子は女の子なら一緒に買い物やオシャレができて楽しいと言い、私は男女どちらであっても美也子に似ていてくれれば嬉しいと話した。
しかし、なかなか子供には恵まれず、その話題が二人の間に出ることは少なくなっていった。
ある日、思いつめたような様子の美也子から、一緒に病院に行って欲しいと頼まれた。
私はそれが美也子の願いなら、と頷いた。
病院での検査の結果、私と美也子の間には子供ができないと診断された。
それは、美也子の身体に原因があった為だった。
それなりにショックではあったが、私はそれはそれで仕方がないとすぐに納得した。
そういう運命だったのだと。
しかし、自身が原因だと宣言された美也子は、そうは思わなかった。
口数も減り、顔色も悪い美也子を気遣いながら、しばらくは仕方がないと私は思っていた。
子供も、私より美也子の方が欲しがっていたのだ。
いずれ落ち着けば、犬や猫を子供の代わりに可愛がったり、どうしても美也子が望めば里子や養子を引き受けるという方法もある。
そんなふうに私は軽く考えていたのだ。
だから、美也子から離婚届けの書類を渡された時には、私は衝撃を受けた。
そこまで、美也子が思いつめていたことに気がつけなかった自分を殴りたかった。
美也子は顔を覆って泣いて私に謝った。
幸せな家庭を約束すると言ったのに。
後悔はさせないと言ったのに。
全部自分のせい。
そう言って美也子は泣いた。
美也子がここまで弱っている姿を、私は初めて見た。
最初に出会ってから今までずっと、美也子は強く、明るく、頼りになる私の光そのものであった。
子供ができないのは残念なことであったが、私はそれほど苦にはしていなかった。
だから、美也子がこれほどに思い悩むとは思いもしなかったのだ。
私にとって、家族も、幸せな家庭も、すべては美也子がいてこそだった。
美也子が、私のすべてだった。
その美也子が、今消えそうなほど小さく、肩を震わせ、嘆き悲しんでいる。
こんな美也子は知らなかった。
しかし、まぎれもなくこの美也子も私の愛する美也子の一部なのだった。
私は言葉を尽くし、心を打ち明け、訴えた。
私に必要なのは、通り一遍の幸せな家庭というものではない。
美也子なのだと。
美也子がいる場所こそが、幸せな家庭なのだと。
私から、その幸福な場を、美也子を奪わないで欲しい。
私には、君が必要なのだと。
君を、愛しているのだと。
長い長い説得、懇願の末、美也子はやっと微笑んでくれた。
そして、私の妻であり続けてくれることを約束してくれた。
この時私達は本当の夫婦になったのだと、そう感じた。
次回もお願いいたします。