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紅茶庭園Silver Leaf

作者: キョウリ

 いらっしゃいませ。紅茶庭園(ティーガーデン)シルバーリーフへようこそ。

 あなたはどんな紅茶がお好きですか?

 温かい紅茶? 冷たい紅茶? 何も入れずそのまま? それともミルク派? 砂糖や蜂蜜を入れた甘い紅茶? それともさっぱりとした紅茶がお好きですか? 最近人気のフレーバーティーに、フラワーティーやブレンドティーもございます。珍しいところでは、イーラムやジョルジなどいかがでしょうか。

 ああ、紅茶に合いますデザートや軽食もご一緒に如何ですか?

 スコーンやサンドウィッチ、プチフールにケーキもございますよ?

 紅茶の好みが分からない時は、どうぞ店主にご相談ください。

 あなた好みの一杯を入れさせていただきます。

 ただ、いくつかご来店に際しお願いがございます。

 紅茶を心より楽しんでいただくために、香りの強いものや香水を付けてのご来店。または、大声でのおしゃべりはご遠慮ください。

 このお願いを守っていただければ、どうぞ当店で静かな、あなただけの時をお過ごしください。

 まずは、どうぞ一杯。

 慌ただしい日常と日常の間に、一杯の紅茶がもたらす安らぎの一時、くつろぎのティータイムを過ごしてみませんか?



金曜の午後3時、秋崎尚人は時間を持て余していた。

 出先から戻り、報告書を提出したところ上司から早々に帰って休むように言われたのだ。

 ここ数ヶ月間かなり多忙で、毎日終電ぎりぎりまで仕事をしていた自分を気遣ってのことだろう。

 仕事が恋人なんじゃないかと、大学時代の友人に笑われる位には仕事漬けだ。終電まで放してくれない恋人、なかなかに情熱的だろう。冗談じゃないけどな。

 半休を貰ったが、何をするにも中途半端な時間だ。荷物の片付けも終わり、秋崎は自宅マンションの窓から外を眺めた。

「あー、散歩にでも行くかな」

 春先で少し肌寒いが天気も良く、過ごしやすい陽気なのに家の中に居るのも勿体無いと、秋崎は財布とスマホを持って家を出た。

 どうせならと、いつも会社に行く時に通る道とは違う道を歩くことにする。

 穏やかな平日の昼下がり、人通りの少ない道を歩いていると一軒の店が目に留まる。

 英国風のハーフティンバー造りの建物に、石で組み上げられた花壇。所々にさりげなく飾られている緑の観葉植物が彩りを添えている。

 歴史を感じさせる飴色の扉、その横に壁に取り付けられた細かな細工を施されているブラケット、それに掛けられたステンドランプ。少し大きめの窓から見える店内も、重厚で落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 街の中で、その小さな店だけがまるで違う世界かのように、けれど周囲に溶け込むように存在していた。

 入口に掛けられたボードには『紅茶専門店 紅茶庭園シルバーリーフ』とあり、そして直筆で本日のオススメとメニュー、そしてちょっとした店からのお願いが書かれていた。

「……ダージリン ファーストフラッシュ入荷しました?……喫茶もあるのか?」

 普段、紅茶などペットボトルかティーパックでしか飲まない秋崎だが、ふと興味が湧きその扉に手を掛けた。

 カラン カラン

 少し低めの音のドアベルを鳴らし店に足を踏み入れた途端、身を包むのは芳醇な茶葉の香りだ。湯を落としてもいないのに濃く香るこれが、茶葉本来の香りなのだろうか。

 そして目の前の壁一面、天井近くまで届く棚にぎっしりと並べられた瓶の中には、恐らく茶葉だろうものが詰まっている。

 よくよく見れば、どれも微妙に形や大きさが違っているようだ。それに、貼られているラベルの文字も全て違っている。

 まさかこれ、全部違う紅茶なのか?

 紅茶の種類なんてアッサムやアールグレイ、ダージリン位しか知らない秋崎は、その種類の多さに圧倒された。

「いらっしゃいませ、紅茶庭園シルバーリーフへようこそ」

 不意に掛けられた声に、はっと我に返り声のした方に顔を向けると、そこには線の細い青年が穏やかな微笑を浮かべて立っていた。

 白いシャツに黒のソムリエエプロン、同色のスラックスに丁寧に磨かれているのか上品な輝きを放つ黒の革靴。シンプルなそれらを身に付け立っている青年は何処となく、人を落ち着けさせるような雰囲気を持っている。

「茶葉をお探しですか? それとも喫茶でしょうか?」

 耳に心地よい声で青年が問う。

「あ、はい……喫茶で」

「畏まりました。奥のお好きな席へどうぞ」

 そう言った青年が半身を引き促す先には、春先の穏やかな陽光を受けた喫茶スペースがあった。

 少し小さめな丸テーブルに一人掛けの椅子が2脚づつ、それぞれ2席とカウンター席が3つというこじんまりとしたスペースだ。だが、椅子やテーブルにいたる全てがアンティークで統一されていて、まるでイギリスのパブにでも訪れたかのような気になる。

 店内に流れるのは穏やかな時間だった。

 一番奥の日当たりの良い席では、上品な感じの老婦人が何かを編んでいるようだ。その向かいには、小学生くらいの少女が静かに本を読んでいる。

 いるのはその二人だけだった。秋崎は何となくカウンター前に置かれた椅子に足を向けた。

 足元に置かれている籠は荷物を入れるためのものだろう。荷物など財布とスマホくらいしかないので、そのまま椅子に座る。

 腰を落ち着けた秋崎を確認して、カウンターの中から青年が本型のメニュー表を差し出してくる。

「何になさいますか?」

 ずらりと並んだカタカナやアルファベットに、まさかこれが全部紅茶の名前かと、秋崎は困ったような顔をした。

 どうせなら飲んだ事がないものを飲んではみたい、けれど適当に頼んで、それが口に合わなかったら申し訳ない気がする。

「もし宜しければ、お客様の好みを伺ってこちらで紅茶をご用意することも出来ますよ」

 悩んでいる秋崎に何かを感じたのか、青年は穏やかに微笑んで言った。

「なら、それでお願いします」

 そう頷けば、青年もまた頷いてメニューを引いた。

「畏まりました。幾つか質問しても宜しいでしょうか?」

「あ、はい」

「ありがとうございます。では、温かいお茶と冷たいお茶、どちらになさいますか?」

「温かいので」

「甘いお茶と渋みのあるお茶では?」

「……甘めのものがいいです」

「ミルクはお入れしますか?」

「いえ」

「ハーブティーなどは飲まれますか?」

「ティーパックのなら飲んだことはあるんですけど……」

 あの独特の風味が苦手で言葉を濁した秋崎に、青年は穏やかな微笑を浮かべて頷いた。

「失礼ですが……少しお疲れのように見えますが」

「ああ、昨日までちょっと忙しくて、今日この後休みが貰えたところなんです」

「それは、お疲れ様でした。……では、少々お待ちください」

「? それだけ、で選べるんですか?」

「はい」

 たったこれだけで、この膨大な種類の茶葉から選び出せるものなのだろうか?

 にっこりと笑った青年は訝しむ秋崎の視線の先で、迷うことなく壁に並んだ瓶の中から一つの茶葉を取り出した。

 穏やかな微笑を浮かべたまま、青年の手が慣れた様子で動いていく。

「どうぞ、お待たせいたしました」

 白磁に小さく青い花があしらわれた上品なカップに注がれた、濃いオレンジ色をした液体。そこからは優しく甘い香りが立ち上ってくる。

「ジョルジです。しっかりとした甘みがありますから、まずは砂糖を入れずにそのままでお召し上がりください」

 聞いたことの無い名前の紅茶だが、その優しい香りに自然と手が伸びる。

 カップを傾ければ、口腔内にふわりと甘さが広がり、疲れた身体に染み渡るようだった。

「……美味い」

 思わず声が漏れる。

「ありがとうございます。お茶請けをご用意いたしますか?」

 青年は笑顔で軽く頭を下げ、そう尋ねてきた。

「えっと、何があるんですか?」

「そうですね、ジョルジのような甘みのあるものでしたらカカオの強いチョコレートやガトーショコラ、あとはホットサンドにスコーンなどでしょうか」

 青年の言葉に、昼食を食べていないことを思い出した胃が秋崎に空腹を訴える。

「それじゃあ、ちょっと昼を食べ損なってたんでホットサンドを貰えますか?」

「畏まりました、では少々お待ちください」

 そう言ってカウンターの奥、恐らく調理スペースだろう場所に入った青年はそんなに経たないで戻ってきた。

 そんなに早く出来上がるのかと目を向けると、彼の手にはシルバーのトレーがあり、その上に小皿に盛られたチョコレートが乗っていた。

 青年はこちらに微笑んで目礼するとカウンターを出て、奥のテーブル席へと向かう。

「どうぞ、都さん」

「まあ、ありがとう」

「だいぶ出来上がってきましたね。桜のレースのタオルハンカチですか?」

「ええ、これなら円と沙希の誕生日に間に合いそうだわ。もう少し、此処を借りても構わないかしら?」

「はい大丈夫ですよ、ゆっくりしていって下さい。お代わりをお持ちしましょうか?」

「そうね、お願いできるかしら。響さんのおすすめを下さいな」

「畏まりました。では春らしいお茶をお持ちしますね」

 青年は老婦人の言葉に頷くと、少女のほうを向き、少し腰を落とした。

「円ちゃんもお代わりをお持ちしましょうか?」

「あ、じゃあマシュマロミルクティーをお願いします」

「はい、畏まりました。少々お待ちください」

 微笑んで立ち上がると、滑らかな足取りで青年は店の奥に下がっていく。

 少しして、再び奥から出てきたその手には、綺麗に盛り付けられたホットサンドが乗っていた。

「お待たせしました、鶏ハムとスクランブルエッグの親子サンドです」

「ありがとう」

 さっそく一口食べてみる。とろりと溶け出したチーズが程よい塩気を出し、ピリッとしたマスタードがアクセントになっていてかなり美味い。

 マスタードは風味も良く、市販の物とは違うようだ。もしかしたら自家製なのかもしれない。

「美味い。これもここで作っているんですか?」

「ええ、簡単なものしかお出しできませんが」

「いえ、十分美味いです」

「ありがとうございます」

「この紅茶は? ジョルジでしたっけ、初めて飲む味ですけど…」

「はい、ジョルジはロシアの茶葉になります。……ロシア料理の専門店であれば、もしかしたらお出ししているお店もあるかもしれません」

「珍しいんですか?」

「そうですね。あまり見かけないかと思います」

「そうなんですか」

 再びカップに口をつける。

 ふと、紅茶の味が少し違う気がした。

 あ、ホットサンドを食べたからか。

 すぐに作り始めなかったのは、紅茶本来の味をしっかりと味わってもらうという配慮なのだろう。

 顔を上げて青年を見れば、彼は流れるような手つきで老婦人と少女の新たな紅茶を入れているようだ。

 店内で流れ聞こえてくるのは、川のせせらぎと葉擦れの音、時折小鳥の鳴き声が耳に心地よく響く。まるで森の中にでもいるような、そんな気がする。外の喧騒も届かない穏やかな空間、鼻腔をくすぐる紅茶の優しい香りと相まってゆっくりと身体から余分な力が抜けていくようだ。

「ここは、長居をしてもいいんですか?」

「ええ、もちろんです。お代わりは気軽にお申し付けください」

 青年はそう言うと、ふんわりと微笑んだ。

 ゆっくりとした空間、ここで本を読んだりしながらすごす時間は最高だろう。

「そう言えば、店の前に注意書きのようなものがあったけれど、あれは?」

「ああ、あれは当店からのお願いです。香水のように匂いの強いものは茶葉にその匂いが移ってしまうんです、なので勝手ですが最初からそういったものを身につけられたお客様は喫茶をお断りしているんです。後はやはりお客様には紅茶をゆっくりと楽しんでいただきたいので、大きな声での会話もご遠慮いただいております」

「確かにこの空間にそういったものは無粋ですね」

 青年の言葉通り、この店のゆったりと寛げる空間は、そういった拘りから出来ているのだろう。

 紅茶も美味いし、居心地がとても良い、良い店を見つけたと秋崎は小さく笑う。

 あの二人の紅茶が淹れ終わったのだろう、ふと甘い香りを秋崎に届けた。

「お待たせいたしました。どうぞ都さん、円ちゃん」

「まあ、ありがとう」

「ありがとうございます」

「あら綺麗、桜の紅茶ね」

「ええ、桜ティーになります。今の季節にぴったりかと」

「ふふ、ありがとう」

「それでは、ごゆっくりどうぞ」

 彼がカウンターに戻ると、奥のドアが静かに開き、一人の青年が出てきた。

「響、一息入れるから紅茶をもらえるか?」

「わかりました、何にしますか?」

「あー、キームンで、それと俺にもホットサンドひとつ」

 会話をしながら、秋崎のいるカウンターの方に来る。

「隣、座っても?」

「ああ、どうぞ」

 頷いて見れば、モデルと見間違えるような均整の取れた体格に、シルバーフレームの眼鏡を掛けた知的な印象の青年だった。

「……ジョルジ、か」

 秋崎が飲んでいる紅茶を見て、眼鏡の青年がポツリと呟いた。

「え? あっはい、そうです」

「うまいか?」

 その呟きに、思わず返事を返した秋崎に彼はそう尋ねてきた。

「はい、初めて飲みましたけど、優しい味がして美味いです」

「そいつは良かった」

 秋崎の答えに、彼は笑みを浮かべた。

「真澄さん、あまりお客様を困らせないで下さいね」

 カウンターにそっとカップを置きながら、響と呼ばれた青年が声をかける。そちらを見れば、その優しい顔に微かに苦笑を浮かべていた。

「ああ、悪かったな」

 隣に座った青年はそう言い、笑いながらカップに口を付けると静かに頷いた。

「…あの、この方は?」

「ああ、すみません。彼は御堂 真澄さん、この店のオーナーで、私の叔父です」

「御堂だ。叔父ったって、響とは十も離れてないけどな」

 そう言ってふっと笑った彼は、確かにどこかカウンターの中で微笑んでいる青年と似ていた。

「響?」

「申し遅れました、この店の店長兼ティーブレンダーをしています神野 響です。差し支えがなければ、お客様のお名前を伺っても?」

「秋崎 尚人です。良い店を見つけました、これから通わせてもらいます」

「ええ是非、お得意様になっていただけると嬉しいです」

「ここの紅茶を飲んだら、もう他の店の紅茶は飲めませんね」

「響の淹れる紅茶は美味いからなぁ」

 秋崎の言葉に、御堂が笑いながら頷く。

「ありがとうございます」

 そんな二人に神野も嬉しそうに微笑を浮かべた。

「ああそうだ。秋崎さん、初めてのお客様にはこれを渡している。秋崎さんも良ければどうぞ」

 ふと御堂が思い出したように声をかけ、何かを秋崎に差し出してきた。見ればそれは、小さな小瓶に入った紅茶色の液体のようだ。

「あの、これは?」

「試供品だが、当店オリジナルの紅茶のシロップだ。トーストやアイスにかけてもいいし、牛乳や酒と割って飲んでも良い。自分の好きなようにアレンジを見つけて使ってくれ」

 酒と割って飲むのが俺のおすすめだ。そう言って笑う御堂から小瓶を受け取る。

 片手にすっぽりと収まる大きさの小瓶は、窓から差し込む光を受けてキラキラと輝いていて綺麗だ。

「ありがとうございます。今晩さっそく試してみます」

 空になったカップを渡し、料金を払い立ち上がると服の裾を引っ張られた。下を向けば円と呼ばれていた女の子が、秋崎の服を掴んで見上げていた。

「えっと、どうしたのかな?」

 少女の視線までしゃがみ視線を合わせると、彼女はすっと手を伸ばしてきた。

「あげます、疲れたときには甘いものが良いってお母さんも言ってました」

 思わず出した手に乗せられたのは、ペーパーナプキンに包まれた数粒のチョコレートだった。

「あ、ありがとう」

 お礼を言い少女を見ると、彼女はにっこり笑って席に戻っていった。

「円ちゃん、きっと最初の会話を聞いていたのでしょうね」

 席に戻っていった少女のほうを見ると、座っていた老婦人がにっこり笑って会釈をしてきた。秋崎も会釈を返すと、その笑みを深め孫であろう少女に優しい表情で何かを語りかけているようだった。

「ごちそうさまでした」

「ありがとうございました。またいつでもお越しください」

 神野に見送られ店を出ると、窓越しに少女がこちらに手を振っていた。それに手を振り替えして、秋崎は歩き出した。

 時間を持て余して散歩に出たが本当に良い店を見つけたと、渡されたシロップと少女がくれたチョコが入った紙袋を見て秋崎は笑顔を浮かべた。

 絶対にまた来よう、あの穏やかな空間と店長の淹れてくれた美味しい紅茶を味わいに。

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