気持ち
「はい、らっしゃい!!今なら野菜が安いよ!!」
「うちの魚は獲れたてだよぉーー!!」
店主達の威勢良い声が、西区の市場を満たす。その中を、ラドとウルは二人で歩いていた。
晴れて無事に、イヴァムから書を奪還する特別部門の一員となったラドだが、大司祭ナーゲルが多忙の為か、正式な就任はまだ三日後だと言う。
そう言った訳もあり、体力のリハビリも兼ねて、たまたま家を訪ねて来たウルと街へ繰り出したのだった。
「あ、ラド。あのお魚、まだ生きてる。」
ウルの指差した方向には、長さ3mをも超える巨大な魚が調理台で飛び跳ねていた。
「本当だ、凄いね。」
「あっちは牛のお肉が売ってる。」
魚屋の反対側にあるお店は、厚切りされた生の牛肉がズラリと陳列されている。
「今まで市場には来た事なかったから、何だか新鮮だなぁ。」
「………人の多い所は活気に溢れてる。ほら、あそこの店主さんいい笑顔。」
再びウルが指差した方向には、お客と楽しそうに話す店主の姿が映っていた。
ふいに立ち止まり、その光景をじっと見つめているウルに、哀愁を感じた。
「そ、そうだウル!ちょっと休憩しない!?」
「ん、いいよ。どこで休むの?」
「あそこに見えるカフェにしよう。」
奥の方に偶然見えた、小さなカフェの旗を指す。
「分かった、行こう。」
人混みの中、お互いがはぐれないよう寄り添うと、ウルのか細い肩がラドに触れる。
その肩は、日々命がけの戦いを行っているとは、到底思えない程に小さかった。
ウルが動く度に、美しい漆黒の髪がゆれラドの鼻をかすめる。その甘い匂いに、どきっとする。
「ラド、どうしたの。顔、赤いよ………?」
「ご、ごめん!何でもないんだ!」
顔に出てしまっていたことが恥ずかしくなり、ウルから目を背けるが、ウルはラドの顔を覗き込もうとする。
「本当に何でもないんだ!気にしないで!」
逃げるようにウルから距離を離して先行する。その後ろ姿を見て、ウルは首を傾げていた。
そんなやり取りをしつつ、目的のカフェに到着する。人気のオープンカフェだったらしく、結構な数の人間が利用していた。
「人、たくさんだね。席空いてるかな?」
「僕が探して来るから、ウルはここで待ってて。」
「………一緒に探そう?」
意識していた所為もあってか、ラドを見上げるウルの姿が、とても可愛らしく見えた。
「うん、そうしようか。ありがとうウル。」
「おーい、ラドじゃねえか!?」
二人で探そうとした矢先、奥のテーブルに座っていた巨漢の男が声をかけてくる。よく見ると、その男はラドの先輩、ロッズであった。隣には、クリオの姿も見える。
ウルと二人きりでいるところをあまり見られたくなかったが、見つかってしまった以上は仕方が無い。
探すことを諦めて、奥のテーブルへと向かう。
「ロッズさん、クリオさん。お二人とも、仕事の合間の休憩ですか?」
「はは、そんなとこだ。まあ、リーダーは相変わらず休む暇もないぐらい激務に追われてるけどな。」
書類と向き合うノークを想像して、思わずクスリと笑ってしまう。
「お、おいラド………お前の隣にいる女の子は一体………!?」
「初めまして、ウルリリカと言います。ラドの知り合い………?です。」
特別部門への参入の件や、黒い幽霊は特別部門に所属されている自分達の味方である件………等々、一応許可された範囲内での情報は、配給部門の面々に伝えてはあるが、黒い幽霊の正体がこのウルリリカである事は教えていない。
ロッズには以前口を滑らせてしまった事があったが、本人はすでに忘れている様子であった。
「ラド、お前こんな可愛い知り合いがいたのかよ!?」
「ピュアモヒカン、静かにしろって。周りの人達が驚いてるじゃないか。」
たたでさえ巨漢で強面のロッズが大声を出せば、普通の人間であれば驚くのが当然だろう。クリオに注意されて、ロッズは声を絞る。
「ウルリリカちゃんって言うのか。俺はロッズ、んでこっちの眼鏡がクリオだ。宜しくな。」
「眼鏡って………まあ、いいけどさ。ウルリリカちゃん、宜しくね。」
ぞんざいに扱われたのが不服だったのか、クリオは眼鏡を軽く押さえて挨拶する。
「ロッズさんに、クリオさん。宜しくお願いします。………私の名前、長いのでウルと呼んでいただいて構いません。」
「じゃあそう呼ばせてもらうぜウルちゃん。それより座りな、ラドも。」
「ありがとうございます………。」
「失礼します。」
ウルとラドは言われるがままに、空いている椅子に腰掛ける。すると、ロッズはメニュー差し出してくる。
「へへへ、何でも頼んでいいぜ。今の俺は気分が良いからな。」
いやに上機嫌なロッズを尻目に、クリオはラドに小声で耳打ちする。
「あいつ、久しぶりに女の子と話せたもんだから嬉しいんだよ。」
「リィズさんには会いに行ってないんですか?」
「それが出来てたら、こんなに喜ばないって。ほら。」
ちらりとロッズに視線を移すと、これ以上ないくらいの満面の笑みで、ウルに色々と質問していた。
な?と目で訴えるクリオに、確かに。と目で訴え返す。今更ながら、ロッズが何故ピュアモヒカンと呼ばれているのかが、分かったような気がした。
「そう言えば、ウルちゃん。ラドとはいつ知り合ったんだ?」
「………七年前に、草原で。」
「草原?公園じゃなくてか?」
「草原です。」
「ほぉー、こりゃまたおかしな場所で知り合ったもんだなぁ。」
尤もな一言に、苦笑いする。
「それで、何処で働いてるんだ?花屋さんとか?」
「えと………。」
変わらずの無表情だが返答に困った様子で、ラドに助け舟を出して欲しそうな視線を送る。
「そ、そうです!南区の隅にある小さな花屋で!」
咄嗟のでまかせは、何とも嘘くさいものだった。ウルの表情が一瞬曇ったように見えたが、それよりも自分自身の対応力の無さに恥ずかしさを感じていた。
「やっぱりそうだったか!いやぁ、今日の俺は勘も鋭いなー。」
嘘に気が付かないどころか、ますます調子付いたロッズに対して、クリオが制止に入る。
「はいはい、もうその辺にしとけってロッズ。お前のテンションが高すぎてウルちゃん困ってるじゃないか。」
「お、おうそうか。それはすまねえ………。」
ウルから何かを感じ取ったのか、ロッズは頭を下げて謝罪する。
「いえ、お気になさらず。」
ロッズに習ってウルもぺこりと頭を下げる。
「さぁさ、休憩は終わりにして、そろそろ仕事に戻るぞロッズ。」
「お、おう。それじゃあな、ウルちゃん、ラド。」
テンションを上げ過ぎた所為でウルに迷惑をかけた事を自覚したのか、逃げるようにその場を立ち去った。
その後ろ姿が見えなくなるのを確認した後、クリオはラドとウルに深く頭を下げる。
「ほんと悪いな。でも、ラドは知ってるとは思うけど、決してあいつも悪気があってやってる訳じゃないんだ。許してやってくれよ。」
「いえ、気にしないで下さいクリオさん。ウルも、全然怒ってなんかいませんから。」
話を振ると、ウルは無言で頷く。
「ありがとうな。それじゃ、こいつはお詫び。」
クリオはそう言って席を立つと同時に、テーブルの上に銀貨を置く。
「結局何にも頼んでないだろ?だからこいつで好きな物を頼みな。」
そうは言うが、どう考えてもお釣りが有り余るほどの銀貨の量であった。が、せっかくのクリオの厚意を無下にするのは心苦しい。
「………分かりました。ありがたく受け取らせていただきます。」
「うんうん。それじゃあまたなラド、ウルちゃん。デートの続き、楽しんでくれ。」
人差し指と中指の二本を、こめかみに当てながら挨拶をして早々に立ち去った。その背中を見送った後に、先程のクリオの言葉がラドの頭の中を駆け巡った。
「デ………デート!?」
誤解を解こうにも、もうクリオの姿は完全に見えなくなっていた………。
今回ウルを誘ったのはたまたま家を訪ねて来たからであって、別段下心があった訳ではない。
しかし、そう言われてしまってはウルのことを意識せずにはいられない。そんな緊張しているラドをよそに、ウルはメニュー表とにらめっこしていた。
「ラド、どうかした?」
「え?い、いや………何でもないよ!」
どうやら先程のクリオの台詞を聞いていなかったらしい。メニュー表越しに顔を覗かせる。
「私は決まったから、ラドも注文決めて。」
「う………うん、ごめん。」
メニュー表でウルの顔を隠しつつ、適当に決めると、都合良くウェイトレスが注文を取りに来たので、お互いの希望の品を頼む。数分後、頼んだ品がテーブルに運ばれて来る。
ごゆっくりどうぞ。と、丁寧な接客応対をして、ウェイトレスは店内へと戻って行った。
「いただきます。」
いつもであれば自身からもっと積極的に会話するのだが、極度の緊張感からか思ったことを上手く言葉にできない。そんなラドの様子に気が付いたのか、ウルが口を開く。
「何だか、懐かしいね。昔はこうして二人でいるのが当たり前だったのに、今はもう遠い日のことのように感じられる。」
「………そうだね。でも、こうしてまた会えたじゃないか。」
「うん………。」
その返事は、どこか寂しさを含んでいたような気がした。
「ラド、ちゃんと話さなくてごめんね。」
「えっ?」
「私の能力について………だよ。この間のラド達の話、聞いてたんだ。」
ウルが自分から話してくれるまでは聞くまいと思っていたが、聞かれていたとは迂闊だった。
本音を言えば聞きたいのは勿論なのだが、余計な詮索をして彼女の心を傷つけることはしたくなかった。
「こっちこそ、ごめん………ウルの気持ちを考えないで、好き勝手に言ったりして。」
「いいの。私も、ラドにはいつか話さないといけないって思ってたから。」
そう言ってウルは軽く右腕を突き出し、手の平を水平にしてラドに見せる。しばらくすると、手の平から怪しげな靄のようなものが薄く浮き出てくる。それは、本の押し絵にある<魂>によく似ていた。
「それは………?」
「氣………これが私の能力。」
人差し指に、氣を集めてくるくると自在に動かして見せる。
「人前だから今は力を最小限に抑えてあるけど、出力を上げれば握り拳ぐらいまで大きくできるよ。それで、これを銃弾代わりにして打ち出すの。あの時の夜に撃ったのもこれ………。」
「力の量を、調節出来るんだね。」
あの時、ウェーガに撃った氣弾は出力を弱めた牽制弾だったようだ。それならば血が流れなかったのも頷ける。
「うん。それで、この力を行使する条件は………。」
ウルは少し間を置いて、続きを話す。
「ラドも知っての通り、条件は感情………何だけど、全ての感情を失う訳じゃなくて、一部だけ。それ以外は昨日のラドの推測通りで、極限まで抑えられてるだけなの。」
「一部の感情………。」
何故こういった時だけは察しが良いのだろうと、ラドは自分自身に問いただしたくなる。そんな苦悶の表情を直視していたウルは、寂しげに呟いた。
「そう………笑顔、だよ………。」
分かっていた………はずだったのに、本人からその言葉を口にされては、心が痛む。ウルの言葉に混乱している頭の中を、少しずつ整理しながら声を絞り出す。
「………一つ聞いてもいいかい?ウルには、自分自身を犠牲にしてでも、成し遂げたい目的があるんだね?」
その問いに、返事はなかった。が、ウルの瞳には先程の氣に似た、魂のような力が宿っているように見えた。大司祭ナーゲルの言っていた通り、その意志は固く気高い。
「………分かった。僕も、これ以上深くは聞かないよ。ウルが話したいと思ってくれた時に、話してくれればそれで構わないし、戦いをやめてとも言わない。でも―――――」
思い余って、突き出していたウルの右手を両手で握って力を込める。自分の言葉が、ウルに届くようにと。
「これだけは、忘れないで。ウルは一人じゃない、僕はいつでも君の力になる。ウルからすれば、僕は頼りない存在なのかも知れない………。けど、ウルの助けになりたいと思う気持ちは、他の誰よりも強く持っているつもりだから。」
昔、ウルが助けてくれたように、今度は自分が力になる。そう………決めたのだから。
「………ありがとう、ラド。やっぱり、ラドは優しいね。」
ウルは瞳を閉じて、左手をラドの両手の上に優しく被せる。
「でも、私を助けようとしてラドが傷つくのは嫌だよ………。だからラド、絶対に無理はしないでね………。」
温かいその手に触れて、お互いの気持ちを通わせる。今日この日の思いを、しっかりと胸に刻み付けておく為に―――――
「ひゅーひゅー。お熱いねーラドさん。」
突如、後ろから声をかけられてビクッとする。振り返るとそこには、激務に追われているはずのノークがにやけ顔で突っ立っていた。
「ノ、ノークさん!?ど、どうしてここに!?」
「何ってお前、そりゃあ息抜きに決まってんだろう。ここのコーヒーは美味いって人気なんだぜ?」
「お仕事はどうしたんですか!?」
「今日の分は終わらせた。俺が本気出せば、まあこんなもんよ。それより、いいもん見られたな。若いっていいねぇ………。」
一体どの辺りから見られていたのだろうか。ウルとのやり取りを思い返す度に、羞恥の念で耳たぶまで真っ赤に染まる。
「ノークさん、忘れて下さいっ!!」
「ははは、そいつは無理な相談だ。ところでその子はどこの子だ?」
二人のやり取りを見つめながら、ウルは一人悩んでいた。
ラドは優しい………優し過ぎて、私の心を迷わせる。もし再び出会わなかったのなら、今頃私は修羅になれていただろうに。でも、ラドがいてくれるおかげで、今のこの時間を愛おしく感じている。
私の気持ちは、今更揺れている……………。