希望の先
呪いの子。少年ラドは、長い間その名で忌み嫌われ虐げられてきた。
しかし、一人の少女ウルリリカとの出会いによって、彼の荒んだ心は少しずつ癒されていった。
日に日に生気を取り戻していくラドの姿を快く思わなかった周りの子供達は、ラドに対してより一層の苛烈な攻撃を加えるようになっていった。
「呪い野郎!調子に乗ってんじゃねんぞ!!」
「この街にお前が食べるご飯なんてないんだよ!」
マークバーンからお使いを頼まれたラドは、一人寂れた商店街を訪れていた。
出かける直前、心配だから私も行く。とウルが名乗りを上げてくれたが、頼ってばかりでは彼女に負担がかかると判断したラドは、その申し出を断った。
そしてその買い物の途中で、運悪く街の子供達に出くわしてしまったのだった。
「おい、こいつ銀貨持ってるぞ!」
「お前が持っててもしょうがないからな。貰っておいてやるよ。」
ズボンのポケットに入れておいた銀貨を抜き取られる。
マークバーンから受け取った大切な銀貨を取り返そうとするが、羽交い絞めにされている所為で、身動きが取れない。
いつも、こうだ。
肉親を侮辱されたあの時も、ただ叫ぶばかりで何も出来なかった。
同じ………いつまでも………同じ―――――
「やめてっ!!」
透き通るようなその声に、子供達は動きを止め振り向く。
その視線の先には、ここにいるはずのない少女、ウルが立っていた。
「何だ、見ない顔だな。最近この街に来たのか?」
子供達のリーダー的存在の少年が問いかけるも、ウルは耳を貸さない。その険を含んだ目に、子供達はラドの拘束を解いて後退する。その様子を確認した後、ラドの元へと駆け寄り、衰弱しきったその体を抱き寄せる。
「ラド………!!酷い、何でこんな事をするの!?」
ラドは体中傷だらけで、至る所から出血していた。
「知らないのか?だったら教えてやる、こいつは呪いの子供なんだよ。生まれつき能力のない生ゴミさ。」
「そんな事ない!貴方達は、ラドの何を知っているって言うの!?」
「知らねえな。だけど、能力がないのは事実なんだよ。」
能力がない。たったそれだけの理由で、ここまでの暴虐が許されるはずがない。
「そんなの理由にならない!!だったら、貴方達はどうなの!?」
「え………?」
「お父さんに聞いたよ、能力は、毎日辛い特訓を重ねないと使えないって。当然貴方達は全員使えるって事だよね!?」
子供達は口を噤んで黙り込む。確かに能力は、人であれば誰もが所持する力ではあるが、使わなければ蕾のままであり、花開く事はない。
「同じだよ、ラドも貴方達と同じ人間だよ!!何も変わらない、人間だよ………!」
少女の瞳から、涙の雫が頬を伝ってこぼれ落ちる。
「ラドが今までに一度でも貴方達に嫌がらせをした事があった!?あるはずがない!だって、今もこうして全然抵抗しないで、攻撃されて………。ラドは優しいから、こんな酷い事をする貴方達でさえ傷つくことを嫌がって………だから………!!」
とめどなく溢れる涙を抑えきれず、ウルは泣きじゃくる。
純真な少女の悲痛な願いが子供達に届いたのかは分からないが、リーダーの少年を筆頭に、子供達は静かに商店街の奥へと去って行った。
子供達が去った後も、しばらくウルが泣き止むことはなかった。
自分の為に泣いてくれる心優しい少女に感謝しつつ、ラドは静かに口を開く。
「いいんだ、ウル………みんなを許してあげて。」
「どうして………ひっく、悪いのはあの子達なのに………。」
確かに、そうなのかも知れない。しかし、憎んだり、妬んだり、そういった負の感情に心を支配されたまま生きていく事が何よりも嫌だった。
大切な両親が教えてくれた、あの言葉を思い出す。口にするのは簡単だけど、実践するのはとても難しい言葉。
「罪を憎んで人を憎まず………だよ。」
窓から差し込む暖かな日差しが、ラドの目覚めを迎え入れる。
気が付くとそこは、自宅のベッドの上だった。確か昨日はウェーガとの死闘を繰り広げた後、そのまま小道路で倒れ眠ってしまったはず………。
なのに、どうして自分はここにいるのだろうか。ラドは軽い既視感を覚えたが、考えないようにする。
台所から、包丁の小気味良い音が聞こえてくる………誰かいるようだ。
その正体を確認するべくベッドから起き上がろうとするが、体が全く言う事を聞かない。
ウェーガとの戦いで、想像以上に酷使し過ぎたようだ。
ベッドから台所にいる人物に声をかけようとした時、その人物は自身の目が覚めていることに気が付いたようで、ゆっくりとこちらに向かって来る。
その人物は、肩まで伸びた美しい漆黒の髪に、曇りのない澄んだ紅色の瞳を持つ、小柄な少女………ウルリリカだった。
「ラド、起きた?」
「ウル!!!~~~っ!!」
予想だにしない人物だったことに、驚きのあまり飛び上がってしまいそうになるが、体中の痛みがそれを抑制する。
「無理したら駄目だよ、寝てないと。」
その顔に心配そうな表情は窺えないが、ラドにはウルの想いがしっかりと胸に響いていた。
ウルはラドと目線を合わせるよう軽くしゃがみこむ。
「ウル………本当に、ウルなんだね………。」
幻ではない、本物のウルが、今目の前にいる。
どれほど再会を望んでいた事だろうか。ラドは、感極まって涙を流さずにはいられなかった。
「ラド、大丈夫………?」
「うん、平気だよ………嬉しくて、ね。」
その優しい涙を、ウルはハンカチでそっと拭き取る。
「私も、ラドに会いたかった。」
こうして近くで触れ合う事で、ラドは理解した。
たとえ表情を、感情を失っていようとも、ウル自身が変わった訳ではないと。
それを感じられた事で、大きな安心感を得られた。
それはそうと、とりあえず状況を整理しなければならない。
ウルが何故ここにいるのかという事、黒い幽霊の事、七年前に何があったのかという事………。
兎にも角にも聞きたい事が山ほどある所為で、どう切り出せば良いのか少し迷ったが、まずは一番当たり障りのない話から始めることにする。
「そう言えば、どうしてウルは僕の家を知っているんだい?」
「大司祭様から、ラドに関する資料をいただいたの。その中に、住所と地図が書いてある用紙があったから、来てみた。一昨日再会してから今まで、ラドに会う許可が下りなかったから………。」
「そうだったんだ………でも、一体どうやって家の中に入ったんだい?」
「………カギ、開けっ放しだったから。」
うっかりしていた。もしこれがウルではなく泥棒なら、物が盗まれるところだ。
「ははは、忘れてたよ。泥棒じゃなくて良かった。」
「ラド、反省。」
「はい………。」
昔も、こんなやり取りをしていたのを思い出し、笑みがこぼれる。
ラドの元気な様子を見て安心したのか、ウルは立ち上がって背を向ける。
「ちょっと待ってて。ご飯、作ってる途中だったから。」
そう告げて、台所へと行ってしまった。まだ色々と聞きたかったが、それは追々聞くことにする。
ウルと入れ替わるように、今度は玄関の方から二つの声が聞こえてくる………ラドも、聞き覚えるのある声だった。
「こんにちはー!お見舞いに来たよー!」
「静かにしなよ、セリス。君の大声で、ラドが起きてしまうよ。」
「うぅ………ごめん、ジン。」
「僕に謝ってどうするのさ。とりあえず、中に入ろう。」
セリスとジンだ。相も変わらず、コントのようなやり取りをしている。床を踏む音と共に、その姿を現した。
「セリスさんに、ジンさん。わざわざありがとうございます。」
「わ゛ーっ、ラド君起きてる!」
「だから言ったじゃないか。セリス、君はもう少し配慮を学んだ方がいいよ。」
素っ頓狂な声をあげて慌てふためくセリスに、ジンは呆れ顔で突っ込む。
「ごめんラド君………!わざとじゃないの!」
「いえ、気にしないで下さい。少し前から、起きてましたので。」
「だって、ジン!私のせいじゃないよっ!」
「………はいはい。」
セリスのどうだ!と言わんばかりの表情に、ジンは突っ込む気も失せたのか、やれやれと肩をすくめる。
そんな微笑ましいやり取りが一段落すると、ウルが食事を乗せたトレイをベッドまで運んで来る。
ベッド近くの物置棚にそれを置くと、セリスとジンに軽く会釈をしてラドに向き直る。
「ラド、ご飯できたよ。」
「セリス、ラドを起こすの手伝って。」
ジンはラドの容体を察したらしく、セリスに協力を促す。
しかし流石にそこまでしてもらう訳にはいかないと思い、あちこち悲鳴を上げる体に鞭を打って、上半身を叩き起こす。
「少しは………上手になったよ。」
差し出されたそれは、ラドの大切な思い出を呼び起こす一品、ポタージュだった。
「何だか懐かしいね。ウルのポタージュを食べるのは、何年ぶりだろう。」
「七年………だよ。それより、冷めちゃう。」
「ごめん、いただきます。」
不思議なことに、先程まで動かすのが辛かった両腕が、今は羽のように軽く感じられた。
スプーンを手に取り、軽く吹いてから口に運ぶ。七年ぶりのその味は、見違えるほどにおいしかった。
「うん、美味しい!凄く美味しいよ、ウル!」
「良かった………練習した甲斐、あった。」
今のウルの言葉に、驚いた様子でセリスとジンは顔を見合わせる。
「………?お二人とも、どうかしましたか?」
ウルに気付かれないようセリスはウルを小さく指差して、口パクでよ・か・っ・た。と。
ラドは、その意味を理解してはっとする。ウルは、能力を行使する条件として自身の感情を破壊していると、大司祭ナーゲルから教わった。セリスとジンも、この事を承知しているのだろう。
しかし今、ウルは確かに「良かった」と発言した。もしかすると、完全に感情が消え去っている訳ではないのかも知れない。
本人に直接聞こうかとも思ったが、躊躇われた。それは今聞いてはいけないような………そんな気がした。
「………ラド?」
「ん、ごめん。何でもないよ。」
「………変なラド。」
考えている事が顔に出る前に、ポタージュを一気に食べ尽くす。
「ふう、美味しかった。ご馳走様。」
「お粗末様でした、片付けてくるね。」
食器とトレイを持って、ウルは再び台所へと向かって行った。
その姿が見えなくなったことを確認して、セリスがラドに耳打ちする。
「ねぇ、ラド君………。」
「ええ………セリスさんの言いたい事は分かりましたよ。」
「大司祭様は、ウルちゃんは感情を破壊したって仰ってたけど、本当にそうなのかな?」
「僕もそうは思えません。あくまでも仮説ですが、本当は感情が破壊されているのではなく、感情を極限まで抑えられているだけなのではないでしょうか?」
「僕も、ラドの意見に賛成だ。」
ずっと黙っていたジンが静かに手を挙げる。
「そうでないと、色々と説明がつかない部分があるからね。」
「何の話………?」
「わっ、ウル!?」
既に食器を洗い終え、ウルはこちらに戻って来ていた。流石のジンも、これには動揺を隠し切れない。
話題を逸らす為に、ここへ来た本当の目的を話し始める。
「そうそう。僕達がここに来た本当の目的は、お見舞いじゃなくて、お祝いさ。」
「………お祝いですか?」
何となく察しがついたが、あえて黙って続きを聞く。
「そうだよ。ラド君は、大司祭様の試練に合格したからね!そのお祝い!」
「親睦会ってやつかな?これからは、君も僕達と共に戦う仲間だからね。」
「おめでとう、ラド。」
ウルが自分に会いに来た時から、何となくではあるが分かってはいた。しかし、直接言われることにより、より強くそれを実感できた。
ラドは、自分自身の力で、この未来を切り開いたのだと。
能力者どころか、能力すらないラドに対して言い放った大司祭ナーゲルの言葉の真意………見えた気がした。
「ウル、セリスさん、ジンさん、ありがとう………これから、宜しく!」
強き信念は、何者にも勝る………と。