鋼の意志
深夜の閑散とした東区の小道路を、ラドは用心深く歩いていた。
大司祭ナーゲルが提示した試練………それは、ある一人の男を裁く事だった。
男の名はウェーガ。昨日この近辺でラドに襲い掛かってきた能力者であった。
ラドは、大司祭ナーゲルから手渡されたウェーガの資料を見る。
年齢は十八歳。ごく普通の家庭に生まれ、不自由の無い生活を送って育つ。
十五歳の時、親が離婚した事を境に心情に変化が表れ、素行の悪さが目立つようになる。
喧嘩で勝つ為に能力を磨きはじめるが、才能に恵まれていた事もあり、わずか一年足らずで力を開花させ能力者と成る。
強大な力を手にした事で慢心し、それが原因で喧嘩相手を能力で殺害してしまう。
それ以降殺人に快楽を覚えるようになり、夜な夜な一人で出歩く弱者を狙っては、殺人人生を謳歌していると言う。
その境遇には同情の余地があるが、人を殺める事に快楽を覚えるようになってしまった以上、もはや更正は不可能だろう。
ラドは、腰に下げたポーチを開いて持ち物を再確認する。
一瞬だけだが、強力な電気を流す事が可能な巻き取り式のワイヤー。
小規模ではあるが、煙を発生させる玉。
そして、木製の筒に入った300mlほどの純水。
詳しい事情こそ話さなかったが、「犯罪者をとっちめに行くのなら、俺の作ったこいつを持って行け。」とノークが持たせてくれたのだ。
ノークの趣味が物作りである事は周知の事実であったが、まさかこんな物騒な品を作っているとは、思いもよらなかった。
頑張れよ。と行き際に優しく背中を押してくれたノークに感謝する。
能力には、特定の条件を満たさなければその力を行使出来ないルールがある以上、勿論それはウェーガも例外ではない。
その条件を見つけ出すことが出来れば、有利に戦えるかも知れない。
そんな事を考えながら歩いている内に、目星を付けておいた小道路に到着する。
大司祭ナーゲルから受け取った資料の中には、ここ最近の出没箇所を記録した地図も含まれていたのだが、その出没箇所に規則性が見られた事を疑問に思ったラドは、出没箇所を点とし、その全ての点から内側に線を引いていくと、この場所で交わったのである。
ウェーガが行動を起こす際は必ずここに現れると踏んだラドは、ここで網を張って待つことにしたのであった。
小道路の角でじっと息を潜めて待つこと三十分少々。
今日はもう現れないかと思われたが、ラドの推測通りウェーガはその姿を現した。
辺りに獲物の姿を探しつつ、徐々にこちらに近づいてくる。
今から命のやり取りをする………そう考えると、緊張で額から汗が流れる。
しかし、ラドには絶対に負けられない理由がある。その確固たる意思が、緊張の汗を拭い去った。
軽く深呼吸をして、ウェーガがこちらの射程圏内に入ってくるのを、はやる気持ちを抑えて辛抱強く待つ。
30………20………10……距離が縮まるにつれ、心臓の鼓動が高鳴っているのが自身でも聞き取れた。
5m付近まで迫ったその時、ラドは準備していた電磁ワイヤーを片手に、勢いよく飛び出した。
「なっ………!!」
突然の襲撃に動揺しているウェーガ向けて、長さ5mほどの電磁ワイヤーを飛ばす。
しかし、流石に喧嘩慣れしているだけあってか、難なく攻撃をかわして体勢を整える。
「ハハハッ!誰かと思えば、昨日のお兄さんじゃねぇか。まさか、自分から殺されに来るなんてなぁ!!」
大袈裟に指を鳴らし、恍惚の表情でラドを見つめる。
「昨日は余計な邪魔が入ったせいで狩り損ねたからなぁ、今日はちゃんとあの世に送ってやるよぉ………!!」
宣言すると同時に地面を蹴り、素早く距離を詰めて来る。
重く切れのある拳を顔面に向けて二発、三発。
ラドはすんでのところで左右にかわしつつ、電磁ワイヤーを鞭のようにして薙ぐ。
ウェーガは最低限の動作でそれをかわすと、再び拳を放つ。
ワイヤーの収容動作で遅れを取ったラドの肩に、鈍い痛みが襲いかかる。
「ハッハァ!大当たりだぁ!!」
苦痛に歪むラドの顔に心底嬉しそうな叫び声を上げて、次々と拳を繰り出す。
かろうじてその拳の雨を受け流すが、肩の痛みが響いて思うように動けず、防戦一方の展開が続く。
「能力は使わないんですか?………!?」
「そいつを使うのは、お兄さんをたっぷりいたぶってからだなぁ!!」
それなりに打ち込んでいるはずのウェーガの拳の鋭さは、衰えることを知らない。
このまま守り続けるだけではこちらが持たない。そう判断したラドは、状況を打開すべく反撃行動に移る。
放たれたウェーガの拳を受け流さず、腹部へ誘い込む。激しい痛みに気絶しそうになるが、歯を食いしばって耐える。
「うおおおぉぉっ!!」
突拍子もないその行動に唖然としているウェーガの頬に、咆哮と拳を全力で叩き込む。
「ぐあっ………!」
ラドの渾身の一撃を受けて大きく吹き飛んだところに、すかさず電磁ワイヤーで追撃をかけるも、ウェーガは余裕のある動作でかわしつつ、素早く頬を拭う。
「へへ………中々。」
少しはダメージを与えられたかと思われたが、その動きはまるで鈍っていない。
対するラドは動悸が激しく、体中にガタがきている………力の差は歴然だった。
「くそっ………!うおおおぉぉ!!」
焦りを感じずにはいられないラドは、必死の形相で電磁ワイヤーを右往左往に振り回す。
そんなラドを見て、ウェーガは高笑いしながら遊ぶように避け始めた。
「ハハハハッ、もう限界そうだなぁ!?どうしたほら、俺に当ててみろよぉ!!」
何度も何度も、無我夢中で電磁ワイヤーを振るった。しかし、もう体力が限界に近いのか、上手く標準が定まらない。
ウェーガは攻撃が外れる度に、手加減した蹴りを放ってくる………もはや完全に遊ばれていた。
「ざまぁねえな!正義感ってやつに駆られて俺を裁きに来たんだろうが、身の程を弁えろよ………お兄さんよぉ!!!」
止めの蹴りでラドは地面に吹き飛ばされ、うつぶせで倒れ伏す。
「おら、もう終わりか!?さんざん息巻いてた割には大した事ねぇじゃねえか!」
ウェーガの挑発に、ラドはピクリとも反応しない。
「しかしまあ………ちょっとは楽しめたぜ。ご褒美に、こいつで一思いに逝かせてやるよぉ。」
うつぶせの状態だった為にその様子は見えなかったが、ウェーガの方向からけたたましい水音が聞こえてくる。間違いなく、能力だった。
来た。
ラドの目に光が宿る。ウェーガが能力を解放する、この瞬間を待っていた。
地面を転がった際にポーチから取り出しておいた煙玉を、体で隠しつつ静かに割る。
「これで終わり―――――何!?」
ウェーガが目を見開く。突然ラドの周りから、煙が噴き出したからだ。
あっという間に辺り一帯は煙に包まれ、お互いの姿は見えなくなった。
「へぇ、悪あがきか。いいぜぇ、来いよぉ!!」
ウェーガはいつでも投げられるよう水の球体は手の平に残しつつ、首を動かして周囲を確認する。
すると、右方向から素早い何かが向かって来た。
「ハッ………甘ぇ!!」
ばればれの奇襲を鼻で笑って、その素早い何かに向かって水の球体を投げつける。
すると、その何かは割れる音と共に粉々に砕け散った。
「!?」
ウェーガが攻撃した何か………それはラドではなく、木製の筒だった。
砕けた筒から、多量の液体が雨のようにウェーガに降り注ぐ。
「何だこりゃ、水!?」
ウェーガが囮に動揺していたその刹那。奇襲の本命であるラドが、背後からその姿を現す。
水に気を取られた所為で若干反応が遅れたが、ウェーガの心にはまだ余裕があった。
電磁ワイヤーを片手に、疾風迅雷の如く距離を詰めて来てはいるが、まだラドとの距離は8~10mほどある。
約5mほどまでしか伸ばせない電磁ワイヤーを振るったとしても、届くことはないからだ。
軽いステップを踏むようにして後退するウェーガに向けて、ラドが電磁ワイヤーを伸ばす。
決して、届くことはない………そう、考えていた。しかし―――――
電磁ワイヤーは、しっかりとウェーガの右腕を捕らえていた。
「な………何だと………!?」
「ようやく、捕まえられました。」
信じられないと言った顔で驚くウェーガに、ラドは口元を綻ばせる。
「どうしてだ、どうして!?」
「………分かりませんか?」
その答えは、すぐ分かった。ラドの放った電磁ワイヤーは、5m以上伸びていたのだ。
「本当はまだ伸びたってのか………!!だったら、どうして最初からそれをしなかった………!?」
その問いに、ラドは手品の種明かしをするかのようにゆっくりと答える。
「真正面からぶつかっても、僕が貴方に勝てる見込みはありませんからね。………少し芝居をさせてもらったんです。」
「芝居、だと………!?」
「普段貴方は、深夜に出歩く弱者だけを狙って活動していました。それ故に相手からの抵抗、反撃を受けたためしがないんでしょう。事実、黒い幽霊に出会った時には異常な警戒心を寄せていました。」
図星をつかれて怯むウェーガに、さらに言葉で追い討ちをかける。
「加えて、その慢心さ………僕が何を思って、あんな滅茶苦茶にワイヤーを振り回していたと思いますか?尤も貴方からしたら、弱者が無駄な足掻きをしている………程度にしか思わなかったでしょうが。」
「………まさか。」
「そうです。何度も何度も同じ攻撃を続けて、貴方にワイヤーの射程限界を誤認させる為です。だから今の僕の攻撃に対しても、貴方は余裕のある後退行動をとった。ワイヤーが伸びる事を想定しなかった………それが、貴方の慢心です。」
ラドの解説を小さく嘲笑し、ウェーガは切り返す。
「なるほど………つまりこの俺が慢心しているがばっかりに、お前の罠に嵌ったって事か?笑わせるな、馬鹿馬鹿しい!こんな物………!!」
電磁ワイヤーを引き剥がそうとするが、腕に食い込むように絡み付いている上、ラドが引っ張っている為に身動きが取れない。
「………これから貴方を襲う電撃は、僕の拳よりはるかに強力ですよ。」
「雑魚がこの俺に脅しかけようってのかぁ!?舐めんなぁ!!!」
獣の様な叫び声で威嚇するが、ラドはたじろがない。
「脅しではありません、今のご自身の姿をよく見て下さい。」
ウェーガは先程筒を破壊した際に、全身に多量の水を浴びていた。
「ハハハハッ、馬鹿が!!水はよく電気を通す何て言われてはいるが、実際は違うんだよ!!」
ウェーガの言う通り、水は半導体であり電気を通しにくい。さらに、ラドの持って来ていた水は純水。
純水は絶縁体であり、電気をほとんど通さない。
「そうですね。しかも、貴方がかぶった水は純水です。ですが、これに食塩が混ぜてあるとしたら………?」
意味を理解したウェーガの顔色が、みるみる変わっていく。そう、純水は食塩を混ぜる事により導体に変化し、非常に良く電気を通すようになるからだ。
「ウェーガ、貴方の境遇には同情の余地がありました。ですが………畜生の道に堕ち、殺人を喜びとする今の貴方にそれを語る資格は無い!!裁きを受けて貰います!!!」
ラドが言い放つと同時に、ウェーガが我を失って突撃して来るが、もう手遅れだった。
「断罪!!!」
激しい衝撃音と共に、ウェーガはその場に崩れ去る。しばらく様子を窺うが、立ち上がる気配はない。
勝った。
敵が立ち上がってこない事に安堵し、ラドは勢いよく地面に倒れる。
ウェーガに悟られまいと芝居と称して虚勢を張り、体を酷使し過ぎた為であった。もう、手も足も動かない。
ラドの予測は、当たっていた。ウェーガの能力の条件………それは「使用している間は、立ち止まらなければならない」事だった。
昨日ウェーガに能力を受けた時も、彼はその場に立ち止まって投げていた。
ラドは、その一件がずっと頭の中で引っかかっていた。そして今、能力を使えば拘束も容易であろうに、わざわざリスクの高い肉弾戦を仕掛けてきた。その一連の行動で察しがついたラドは、分の悪い賭けではあったが、今回の策を講じた。
尤も、舌戦で相手を圧倒して動揺させ、能力に意識がいかなくなるよう仕向ける必要があったが。
感付かれて再び水の球体を投擲されていたら、敗北していたであろう。
「体………鍛えないとな………。」
段々と重くなる瞼に身を委ねて、ラドは深い眠りについた―――――