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夢の記憶

名前もほとんど世に知られていない小さな町の繁華街の路地裏で、子供の泣き叫ぶ悲鳴が聞こえる。

その少年は、生まれながらにして誰もが持つ能力リボルトを持たず、それが理由で周りの人間から<呪いの子>と忌み嫌われ、虐げられていた。そして今日もまた、複数の子供達から暴行を受けていた。


「おらっ、気持ち悪いんだよ!この呪い野郎!」


「俺の父ちゃんが病気になったのは、お前の所為だ!」


無抵抗の少年に対して、複数の子供達は容赦のない罵詈雑言と暴力を浴びせ続ける。


「そう言えばお前の親、死んじまったんだってなあ?ハハッ、ざまあないぜ!」


時に厳しく、時に優しく接してくれた、尊敬すべき父親。

毎日笑顔が絶えず、父と自分の帰る家を守り続けてくれた母親。

少年は、自分自身が虐げられる事には耐えられたが、両親を侮辱される事だけは、我慢ならなかった。


「父さんと母さんを馬鹿にするな………!!」


その鬼気迫った表情に、子供達は一瞬怯む。が、その発言は火に油を注ぐだけだった。


「減らず口を叩きやがって!喋れないようにしてやる!」


少年の必死な想いは虚しく、子供達の無情な一撃と共に消え去る。

度重なる暴力の追い討ちに、ついに少年は地面に倒れ伏す。それ以降、少年が立ち上がる気配はなかった。

その様子に満足したのか、子供達は少年に唾を吐きかけて、何処へ去っていった。

ただ一人その場に残された少年は、何も出来ない自分自身の弱さに悔しさを抑えきれず、静かに涙を流した。




美しい夕焼けの空が、果ての見えない大草原を色鮮やかに彩っている。

少年は、草原の片隅にある大木の下で、一人佇んでいた。

時折吹く、柔らかなそよ風の心地よい感覚が、少年の心を癒してくれる。

今日もまた一人、大地に沈む太陽を眺めながら、目を閉じて深い眠りにつく………。


「こんばんは。」


不意に背後から、透き通った少女の声が耳に届く。

この場所に自分以外の人間が来たのは、初めての事だった。

少年は、一体誰なのかと思い、目を開けて声の聞こえた方へと首を動かす。

するとそこには、そよ風になびく美しい漆黒の髪に、曇りのない澄んだ紅色の瞳が印象的な幼い小柄の少女が、少年を見下ろしていた。


「ふふっ、初めまして。」


とびきりの笑顔を添えて、少女は少年に向けて挨拶をする。

両親以外で普通に話しかけてくれた人は、何年ぶりだろうか。突然の来訪者に、少年は返答に戸惑った。


「は、初め………まして。」


「私、ウル。ウルリリカって言うの。貴方の名前は?」


ウルリリカと名乗った少女は、両手を合わせて首を傾げる。


「ラド………ラドクリフ。」


どうしてだろうか。答えるつもりは無かったはずなのに、自然に口から言葉が出ていた。


「ラド!ふふっ、宜しくね!」


名前を聞けて上機嫌になったウルは、その場でふわりとスカートを翻し、ラドに微笑みかける。

お互いの名前を教えあっただけなのに、もう友達にでもなったかの様な気持ちにさせてくれる………とても、不思議な女の子だった。


「ウル………は、どうしてここに来たの?ここは、何も無いよ。どこまで行っても………何も。」


まともに話をしてくれる人ができて嬉しかった反動で、つい弱音を吐いてしまった。

だが、ウルは意に介した様子はないどころか、草原の彼方を見てワクワクしているようだった。


「そんな事ないよ。ほら、見て!」


そう言って、ウルは草原の彼方を指差す。ラドも視線を草原の方へと移すが、いつも見ている光景と何ら変わらない。


「………やっぱり何も無いよ、ウル。」


一体ウルの瞳には、何が映っているのだろうか。どれだけ目を凝らしても、その光景が見えることはなかった。


「大丈夫!いつか、ラドにもきっと見えるよ。」


「うん………ありがとう。」


落ち込んでいるラドの姿を見て、ウルは身振り手振りで励ましてくれる。


「そうだ、ラド。貴方の家はこの辺りにあるの?」


一月ぐらい前までは存在したが、両親が事故で他界した後に、浄化と称して近所の子供達に火を放たれ、全焼してしまった。

今手元にあるのは、いざと言う時の為に両親が残してくれていたなけなしの銀貨セイルと、一枚の写真だけだった。

周囲からは呪いの子と蔑まれていたが、お金さえ支払えば、一部のお店の人間はご飯を作ってくれた。

そのおかげで、今までは何とか命を繋いでこられたが、もうご飯を食べられるほどの銀貨セイルはない。

働こうかとも思ったが、誰も呪いの子を雇ってくれる人などいはしない。

自身の秘密を知っている人間のいない土地へ行こうかとも思ったが、十歳の少年が、この土地以外の場所を知るはずもない。


くぅー………。


空腹に耐え切れなかったラドのお腹が、腹鳴する。風の音だけが支配するこの場所では、それはよく聞こえた。


「ラド、お腹鳴ってる。ご飯食べてないの?」


恥ずかしそうに俯くラドの顔を、ウルは心配そうに覗き込む。

食べた。と言いたかったが、かれこれもう三日も何も食べていない。その上度重なる子供達の暴行により、体力と精神は極限まで低下していた。

しかし、ウルにその事を話せば、きっとまた一人になってしまう。それだけは、もう嫌だった。

だが、段々と意識が朦朧として来た。神様と言うのは、つくづく意地が悪い。


「~~~?~~~!!」


ウルが必死に何かを叫んでいるような気がしたが、既にラドの意識は、深い闇の底へと沈んでいた………。






次に目覚めると、知らない家屋のベッドの上に仰向けになっていた。

隅にある棚には、高級感溢れる花瓶や人形が飾ってあり、いかにも豪邸といった感じが漂う。

ウルがここまで運んでくれたのだろうか?状況を確認しようと上半身を起こすが、節々から激痛が走り、まともに動く事が出来なかった。

すると、奥の扉が静かに開き、一人の男性が部屋に入ってきた。

年齢は四十~五十ぐらいだろうか。煉瓦色の七三分けに、入念に手入れしているのが見て取れる口髭と、しっかりと結んだネクタイと黒のスーツが、エリートの風格を醸し出していた。


「起きたかね。具合はどうかな?」


厳格そうな容姿とは裏腹に、優しさを含んだ笑みをラドへ向ける。


「えっと………その。」


ラドが何を言わんとしているのかを理解したのか、軽く咳払いをして口を開く。


「おお、失礼。私はマークバーン・エーテルハート。聖典教会リベル・サーンクトゥスに所属している者だ。安心したまえ、君の味方だ。」


聖典教会リベル・サーンクトゥスというのが何なのかはよく分からないが、マークバーンと名乗った男性はウルと同様に、何故か信じられるような気がした。


「娘が衰弱していた君を連れてきた時は驚いたよ。体中のいたるところに痣があったからね。一体、何があったんだね?」


マークバーンの質問に対して正直に答えるかどうか、ラドは一瞬迷ったが、答える事にした。


「僕は………呪いの子なんです。」


その返答をある程度予想していたのか、マークバーンは微動だにしないでラドの話に耳を傾ける。


「僕、生まれつき誰でも持っているはずの能力リボルトが無いんです。使えないとかじゃなくて、無いんです………。それが原因で、町の人から嫌われて、殴られて………。」


繁華街で出会った子供達の顔を思い出してしまい、口ごもる。

そんなラドの苦悶の表情を見て、マークバーンはラドの頭にそっと手を置く。


「分かったよ。辛かったね………もう、大丈夫だ。」


慈愛に満ちた手のぬくもりから、マークバーンの想いが伝わってくるように感じた。

コトン、と扉の方から小さな物音が聞こえた。見ると、隙間から小柄な少女が顔を覗かせる。ウルだった。


「ラド、目が覚めたんだね。良かった。」


ラドが上半身を起こしている事を確認すると、両手がトレイで塞がって前が見えない所為か、とてとてとおぼつかない足取りでベッドまで歩いてくる。

そんなウルの姿を見て、ラドは何故マークバーンを信じようと思ったのか合点がいった。

恐らくマークバーンの言っていた<娘>とは、ウルの事なのではないだろうか。


「えへへ………。」


トレイをラドの膝に置いた後に頬を緩める。その一連の仕草が、妙に可愛らしかった。


「ウル、そのポタージュはどうしたんだ?」


小さな皿になみなみと注がれたポタージュを見て、マークバーンはにっこりと笑顔を見せる。


「あのねお父さん。疲れてる人には、これがいいんだって。お母さんが言ってたよ。」


やはり、ウルはマークバーンの娘であった。


「あのね、ラド。お母さんに教えてもらいながらだけど、初めて作ったから、あんまり美味しくないかも知れない………けど、よかったら食べて。」


ラドは、ウルがどうして自分の為に料理を作ってくれたのかを理解した。草原で倒れる前に、自身の腹鳴を聞いていたからだ。

ウルも疲れているだろうに、そんな事は気にも留めていない様子だ。

余程、ラドにご飯を食べさせてあげたかったのだろう。とても、健気だった。


「ありがとう、ウル。」


命の恩人と言っても過言ではない少女に、お礼を言って微笑みかける。

皿から出る湯気と甘い匂いが、ラドの食欲を加速させる。スプーンを手に取り、優しく掬って口に運ぶ。

お世辞にも、それは決して美味しいと呼べる物ではなかったが、口に運ぶ度にウルの気持ちが伝ってくる。

ラドの瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。


「わっ、ごめんラド。………おいしくなかった?」


突然の事に驚いたウルは、慌てて謝罪する。しかし、ラドは涙こそ流してはいるが、口元は笑っていた。


「違うんだ、ウル………。おいしい、とてもおいしいよ………。」


一ヶ月ぶりに味わったそのぬくもりは、ラドの凍りついた心を溶かすのには十分過ぎるぐらい温かかった。




それから、ラドは全てを話した。

両親が他界した事も、家が焼かれた事も、銀貨セイルが底をついた事も、全て。

すると、少し考える様な仕草をした後、マークバーンは信じられない言葉を口にした。


「ラド君。私の養子にならないか?」


思わず、ポカンと口をあけてしまった。


「ど、どうして………そんな事を?」


「ははは、こう言うと親馬鹿かも知れないが、娘が君を大層気に入っているからね。それに、私自身も君と言う人間をもっと知りたいと………そう思ったんだよ。」


どうかな?と視線を送るマークバーンに対して、ラドは悩んでいた。

自分は呪いの子。それが故に、いつかこの家庭の幸せを壊してしまうかも知れない。

そんな恐怖に脅えて、中々言い出せないでいると、ウルが口を開いた。


「私………もっとラドと話したい!折角会えたのにお別れだなんて………嫌だよ。」


幼い少女の精一杯の訴えに、ラドは決心した。自分も、もっとウルの事を知りたいと。


「僕も、ウルともっと話したい………。だから、僕をここに置いてもらえませんか?」


マークバーンとウルは互いに見合わせて微笑んだ。


「ようこそ、エーテルハート家へ。ラド君、私達は君を歓迎するよ。」




その日は、ラドにとって忘れられない大切な思い出となった。

こんな毎日が、いつまでも、続けばいいのに―――――

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