インコンシステント・ラヴ-死で二人が再会うまで-
パリンと何かが割れる音がした。
薙ぎ払ったアタシの右手。
その右手がグラスを一つ、地面へと叩きつけた。
とても大事な彼女から貰った、綺麗なグラス。
琉球ガラスのお揃いのグラス。
でも、今のアタシには、そんなものに何の価値も感じられなかった。
暗く沈んだ部屋の中。
腐臭漂う部屋の中。
アタシは独り、膝を抱えて座っていた。
ハァ、ハァと部屋へと響く。
アタシの呼吸が、虚空へ響く。
頭の中にフラッシュバックする。
彼女が死したその時の――紅い、紅い光景が。
両手が血に染まっている。
そんな幻覚に悲鳴を上げる。
彼女が居ないと生きられない。
かと言って、死ぬ勇気も無い。
こみ上げてきた吐き気を抑え、手近にあったドールに八つ当たりをする。
歪な肢体のそのドールは、リアルな生きた死体のようで。
怯えを含んだその瞳が、アタシの瞳を見つめてくる。
腹部は抉られ硬い内臓が垂れ下がり、切断された手足からは、白い骨がわずかに覗いた。
そのドールを目にしたアタシは、吐き気を抑えきれなくて。
思いっきり胃の中の物を外へと出す。
しかし、口から洩れるのは、滑稽な呻きと、唾液と胃液。
それもそうだ。
彼女が死して数日間、アタシは何も口にしていなかったのだから。
アタシは必死に吐きながら、床に転がるナイフを掴む。
黒く濡れたナイフを掴む。
そのナイフを、床に転がる幾体ものドールに突き立てる。
突き立てる。
突き立てる。
ドールにナイフを突き立てる。
ガリッガリッガリッ
とナイフがドールの表面を削る。
硬いドールの彼女達は、人間のように啼いてはくれない。
人間だった頃のように、啼いてはくれない。
あぁぁぁあああああああああああああああああああああ!!!!!!!
叫びながら放り投げたナイフが、他のドールを地へと落とす。
アタシは、そのまま手あたり次第。
周囲に転がるドールの骸を、手あたり次第に掴んでは投げ。
掴んでは投げて、部屋を汚す。
崩れていく、アタシがこれまで作り上げたガールズドール・ミュージアム。
ある者は恨みを込めた瞳で。
ある者は涙を浮かべた瞳で。
ある者は憐れむような瞳で。
アタシを見つめ、アタシから目をそらし、地に落ちる。
堕ちていく。
0歳の女の子のドール。
1歳の女の子のドール。
2歳の女の子のドール。
3歳の女の子のドール。
4歳の女の子のドール。
5歳の女の子のドール。
6歳の女の子のドール。
7歳の女の子のドール。
8歳の女の子のドール。
9歳の女の子のドール。
10歳の女の子のドール。
11歳の女の子のドール。
12歳の女の子のドール。
13歳の女の子のドール。
14歳の女の子のドール。
15歳の女の子のドール。
16歳の女の子のドール。
17歳の女の子のドール。
18歳の女の子のドール。
19歳の女の子のドール。
全部全部、彼女に見做してアタシが殺した。
アタシは、狂おしいほど彼女が好きだった。
それに気付いたのは何時だっただろうか。
彼女の事を独り占めしたい、グチャグチャにしたい、彼女の色んな表情を見てみたい。
だから殺した。
彼女ではなく、彼女に似ている女の子達を。
その時だった。
気付いたのは。
アタシには、人をドールに変える力がある事に。
理由は分からない。
だけど、アタシは殺し続けた。
彼女の人生を辿るように、その瞬間瞬間の彼女を、アタシの物にするために。
そんなアタシの姿を、彼女自身は何も言わずに見守っていた。
ただ、ただただ、傍に居てくれた。
しかし彼女が20歳になったその日に、こう告げた。
「もう、こんなことはやめよう」
「二人で一緒に、罪を償おう」
アタシは彼女を殺してしまった。
彼女はドールにはならなかった。
ただの死体となってアタシの前に転がっただけ。
そして日に日にその身を腐らせていくだけだった。
アタシは悟ってしまった。
アタシがどれだけ彼女だけを拠り所にして、どれだけ彼女だけの為に生きてきたのか。
アタシは、彼女が居なければ、活きる事も死ぬことも出来ないだなんて。
だからアタシは、ただ生きる。
何をするでも無く、ただ、ただあり続ける。
死が訪れるその日まで。
何時か来るその日まで。
「綺羅々」
不意に静かな声がアタシを呼んだ。
聞き覚えのある声に、アタシははっと顔を上げる。
「礼夢」
アタシの言葉に、彼女は静かに頷いた。
思わず頬を熱いものが伝ってくる。
「どうしてアタシの元に来たの?」
「それは私が貴女を裁き、地へと返す役割の為。私は貴女を殺す為に、貴女の元まで来たのです」
彼女の言葉は淡々と、しかし、とても甘美な響きを持って、アタシの心を震わせた。
「あぁ、それはとても嬉しいこと。罪に汚れたアタシの身が、アナタの手により逝けるなら……これほど嬉しいことは無い」
アタシの言葉に彼女は微笑む。
優しく、しかし、悲しげに。
「さぁ、二人で逝こう――綺羅々」
「うん」
熱い衝撃がアタシの体を貫いた。
久々に感じる彼女の体温。
すぐそばに、彼女を感じる。
紛い物でも、幻覚でも無い。
確かに彼女の温もりに、アタシの意識は微睡んで。
沈みゆく意識の中で、アタシは静かに彼女と最期の口づけを交わした。
そして二人は沈んでいく。
決して許されない罪の中へと。
決して安寧の無い闇の中へと。
しかし、二人の表情は穏やかに、紅い眠りの海へと沈んだ。