第七話 「姉妹の休日」
先ほど腰を下ろしていた喫茶店で、紅茶を飲むだけでなく早めの昼食も済ませた私たちは、改めてアヤ・ソフィア学術院を目指してコンスタンティーノの丘を登り始めた。
「それにしても、同じ王都の中なのにコンスタンティーノって他とは違う感じだねー」
ゆるいカーブを描きながら続く坂道の左右には、様々な店や露天が軒を連ねている。それだけならば軌道車の車窓から見ていたの街の風景と同じなのだけど、なんと言うか、コンスタンティーノは道が狭いし、お店の数も多くてごちゃごちゃしている印象だ。
「そうだね。ここはアヤ・ソフィアのお膝元ってのもあるせいか、王都の中では下町って感じがするよね」
懐かしいなぁと頷きながら、ケント兄さんが私の話に同意してくれる。それでいながらも、初めて訪れた私以上に、あちらこちらへと目移りしている兄さん。その様子に少しだけ呆れながらも、まあ楽しいのならいいかと思い質問する。
「そういえばケント兄さんって、確か寮に住みながら通ってたんだっけ?」
「そうそう、そうなんだよアズ! 僕が学生だったときはな、ここからもう少し上にある男子寮に住んでたんだよ」
ほらアレだよアレ。そういって兄さんが指差す方向に目を凝らして見るものの、フード越しの視界に入るのは人の頭ばかり。肝心の学生寮とやらは遮られて見えはしないのだ。
(……)
薄々気付いていた事だが、コンスタンティーノの丘を登り始めてからの兄さんは私以上にウキウキとしている。数年ぶりに訪れた思いでの場所に懐かしさで一杯なのだろう。長身な兄さんには見えていても、小柄な私では無理だという単純な事も頭から抜け落ちているらしい。
「あの店は品揃えが良くてね」とか「ここの食堂のメニューで―」などなど、頼んでもいないのにこの町の薀蓄を語り始める兄さん。本人としてはこれからアヤ・ソフィアに通う末の妹の為に有益な情報を教えているつもりなのだろう。
しかしその話の大半は、それに付随して語られる兄さんの思い出話に摩り替わっている。自身の思い出に熱が上がりまくっていく兄さんに、「気付けよ」とばかりにジト目を向けているのだが、フード越しではまったく効果なし。これでまたミランダさんにお知れすることがふえてしまったな。未来の奥さんにたっぷりと叱られてしまえ。
そんな私の心情が伝わったのだろう、そのやり取りを苦笑いを浮かべて見守っていたロッテ姉さんが私の手を引いてくれる。
「まああれだ。ケントも言っていた事だが、この辺りは王都の中でも古い町並みが残っている唯一の場所だ。アズマリアにとっては他の街区と比べると雑然とした印象を持つ所だろう。それでもここに愛着を持っている者は多いし、ここを離れてもなお懐かしく思う人間も多い」
今のケントの様にな。そういって呆れ気味に笑う姉さん。でもその顔には、ケント兄さんと同じくこの町に懐かしさを覚えている気持ちが浮かんでいた。
コンスタンティーノの丘とはもともと、王都とは別の町だったそうだ。王都から東に延びる街道のそばにこんもりとそびえる丘のうえには、古くから二つ神を祀る神殿が建っていた。その神殿への巡礼者や、街道を進む人たちの泊まる宿場町であったコンスタンティーノの丘も、女王リシテアによる王都の大拡張の時に城壁の内側へと編入されたのだ。その後丘の上の神殿は王都の中心に移され、跡地には小さな砦が設置される。
しかしコンスタンティーノの丘における変化とはこれ位のもの。王都がその城壁や新市街地の建設などに力を注注いでいる中、ここだけ忘れ去られたかのように昔の町並みが残っているのだ。
「その後、リシテア市郊外にアマルテア、テーベの二つの支城が完成した事でコンスタンティーノの砦は閉鎖。その跡地に現在のアヤ・ソフィア学術院が建設される。それに合わせて各種学校や研究機関なども集まって来たことから、以後この辺り一帯のことを指して"学園"と呼ばれるようになりました」
以上出典は王国史の教科書、新都リシテア市の建設の項からでした。
そう言ってコンスタンティーノの丘の歴史を掻い摘んで語り終わった私に、学園の由来を問うてきた姉さんも満足げだ。
「うむうむ。王国の歴史に付いては順調に勉強が進んでいるようだなアズマリア。これならば『学園』入学した後も問題あるまい」
そういえば父さんが、リシテア様以降の歴代の王達は、コンスタンティーノの丘の開発にはワザと手を付けなかったんだって言っていたっけな。まあそのあたりは蛇足だし、試験には直接関係ないだろうし割愛だ。
その話を聞いたとき「なんで?」って思って聞いてみたんだけど、父さんの答えは
『街にしても戦場における陣形と同じで、ガチガチに固めたらダメなのだ』
というものだった。さすがは元国軍指揮官。発想が戦場帰りだよなー。
「付け加えるならばコンスタンティーノが昔と変わらぬ姿で残されてきたのも、戦場における陣形と同じ着目点から、王都という街の空気が堅苦しくしくならぬようにという思惑からだろう」
元軍人らしい父さんとの問答を思い返していると、現役軍人の姉さんの口からも似たようなお話が。
さすがに驚いて姉さんの顔をまじまじと見てしまう。
「ん?どうしたアズマリア」
そんな私の反応に不思議そうにするロッテ姉さん。
いや、だってねえ。
「……前に父さんも同じことを言ってましたよ」
陣形と同じで固めてはダメだって。私は笑いながらそう教えてある。
その言葉に一瞬ぽかんとする姉さん。が、すぐにピンと来たのだろう。若干顔を赤らめながら
「あーまあなんだ。父上の方が戦場が長かったしな……」
言い訳するようにそう呟く。言外に父さんと姉さんて似てるよねーと伝えたかったのだが、どうやらキチンと届いたみたい。
"不退転のアルフォード"と呼ばれた父親を尊敬している姉さんにとって、父さんと似ているといわれる事は嬉しい反面、そのことを指摘されると何故か恥ずかしがってしまうのだ。その姿は大層可愛らしいのだが、あまりつっつき過ぎて怒らしては後が怖い。さらりと流しながら話を進める。
「まあ言いたい事はなんとなく分かります。要するに息抜きのようなものなんでしょう?」
"光と共に闇がある。"
要するに、この世界の信仰の中心である光の神と闇の女神の関係と同じなのだ。一面を美しく整然と整えたのなら、もう一つの面は混沌としたままにしておく。王都全体を画一的にするよりかは、ここのように雑然とした場所もまた必要だって話なんだ。その喩えに軍事を持ってくるところが親子な所だが。
私が話しの趣旨をきちんと理解している事が分かったのだろう。ロッテ姉さんもコホンっと一つ咳をして頷く。
「でもやはり話に聞くのと実際に見るのとでは訳が違いますね。直に歩いてみると姉さんが話してくれた事の意味が肌で実感できますよ」
百聞は一見に如かず。整理された美しさも混沌とした活気も、どちらも私には魅力的だ。
(……領地から出てきて良かったかも)
目に映る何もかもが新鮮な驚きでいっぱいだ。
イリス姉さんの話でしんみりしていた私の心にも、ウキウキとした気持ちが湧いてくる。
ロッテ姉さんの手を引きながら、丘の上まで続く店々の間を進んでいった。
○ ○ ○
アヤ・ソフィアへと続く道沿いの店には、多種多様な品々が展示されていた。新書や古書を取り扱うお店や、ペンやノートなどの文具を売っている道具店などなど。やはり"学園"と呼ばれるだけあって学生向けの品を売っている店が多い。その他には飲食店も結構ある。私は屋敷から通う予定だが、コンスタンティーノ周辺に下宿している学生も多いっていうし需要があるんだろう。
そして意外な事に最も良く目に付くのが、女の子向けの服や装飾品を取り扱っているお店だ。
(……いや、不思議というわけでは無いのですが)
アヤ・ソフィアの半分は女子生徒といいますし。
しかし先入観とは恐ろしいもので、学園というからには学園っぽい店しかないものと思っていたのだ。外観は古い町並みらしく石造りの落ち着いた雰囲気なのだが、店の入り口から漂うキラキラとした空気は私にとっては未知のものだ。出入りしている女の子達も、学生らしい制服やワンピース姿の子が多いのだが、私には未知の秘境を探検する勇者達と同じに映る。
(……)
翻って今日の私の装いはといえば見てみれば、白のブラウスにロングスカートというもの。これ自体はまあ、以前イリス姉さんが揃えてくれた物だから悪くないはず。問題はそれをすっぽりと覆っている灰白色のローブの存在だ。
(じ、地味すぎる……)
家族からは可愛い顔立ちだと満場一致でお褒め頂いたことの在る私だが、こんな風に頭までローブですっぽりと覆ってしまっていてはそれも関係ないだろう。そもそも自分の容姿にはさほど興味を払ってこなかったのだ。館にいる時も外に出掛けるときは必ず着ていた愛用のローブだったし、今日もいつもの習慣で着てきたのだった。
(いや、館に居た時は野山を駆けに出掛けていたんだけどさ)
田舎の野原に行って来るのと都会とでは、出掛けるにしても訳が違うのは当たり前なんだけど。
(なんなんでしょうかこの敗北感は……)
これが今まで引きこもってきたツケだというのか。
言いようのない感情に内心打ちのめされていると、ロッテ姉さんと(いつの間にか戻っていた)ケント兄さんが私の視線の先にある物に気付いたらしい。
「ほう、アズマリアもああいった物に興味を引かれるようになったか」
「アズはなにを着てても可愛いと思うけどね」
ならば寄ってみるかと私の手を引いて先導し始めた。
ってあの中に入るのですか。え、ちょっとまってください
「いやいやいいです!結構です!間に合ってますから!!」
というか私にはまだ早いんです!!
両手を握って引きずっていく姉兄二人に対して、私は両足を踏ん張り抵抗する。あんなにキラキラと輝いているお店など、今の私の女子力では太刀打ちできずに返り討ちされるのが関の山だ。
そんなことを必死で喚く私の気持ちが伝わったのか、足を止めて振り返るご両人。
……というか真昼間の往来でなにをしてるんだ私ってば。
(傍からはどう見えるのかな。)
きっと駄々をこねて姉さん達を困らせている子にしか見えなかっただろう。
そう思い別の意味でまた内心を打ちのめされる私。その姿を不思議そうに見下ろす二人の視線に気付いてしまい、今度は逆に顔が真っ赤になる。
(ぅぅぅ。フード被っててよかったよぅ……)
先程の敗北の原因であるローブに助けられるとは、世の中なにが起こるか判らない。そう現実逃避しておこう。
短時間でころころ変わる感情に振り回される私を見て、さすがの姉兄といえどもその心情を推し量る事は出来なかったのだろう。ケント兄さんがやや強引に話題を変えてくれた。
「そ、そういえばアズの制服っていつ出来上がるんだっけ?」
「あ、ああ。アズマリアの寸法はもう送ってあるからな。依頼通りなら来週には仕上がっている頃だろう」
制服という単語に引っ掛かりを覚えて、沈んでいた意識が浮上する。
「あれ? もう制服の発注を済ませてるんですか?」
さすがに入学試験も終えてないのに気が早すぎではないの?
そう聞けば「なにを言っているんだ」という顔をなさるロッテ姉さん。しかしすぐに合点がいったのか、「そういえばそうだった」と納得げに頷きだしている。
なんだなんだとケント兄さんに視線で尋ねてみると、何故か気詰まりげな顔をして私と目線を合わせまいとしている。
(……)
きっとまた禄でもないことが起きているんだなと確信する。
私とて奇人変人の集まりだと噂されるシュタットフェルト家の一員。悲しいかなこの人たちの行動には慣れているのだ。きっと私に内緒でまたなにかやっているんだろう。
「……えっと、どういうことか説明してくれますか?」
そう促す私にニヒルな笑みで応じるロッテ姉さん。うう、聞くのが怖い。
そんな私の心情などお見通しなのだろう。ケント兄さんと視線で何かを確認しあったロッテ姉さんは今日一番の爆弾を落とした。
「ああ。実はアズマリアが王女殿下のご学友になる事はもう既に決定しているんだよ」
……
……
(……はい?)
「はいぃぃいいっ!?」
え? だって――
「ちょっと待ってくださいよっ!! た、確か殿下のご学友って選抜会の後に決まるんじゃなかったんですか!?」
少なくとも私はそう聞いているぞ。年頃の貴族の娘さん達を集めて選抜会をやるって。そんでもってその中から成績やら性格やらを見極めた上で殿下のご学友を決めるんだって。
しどろもどろにそう訴えるのだが、ロッテ姉さんはいたずらが成功した顔のまま楽しげに佇んでいるままだ。そのニヤニヤ顔が大層似合ってらしてムカつきます!!
姉さん相手では埒が明かないとケント兄さんを睨み付ければ、こちらはなぜが酷く疲れきったようなお顔。我が家の中では割と常識人なケント兄さん。そんな兄がゲッソリとしているってことは、うん他の家族はみなグルか。
私のうろたえぶりを満喫し終わったらしいロッテ姉さんが、真相のネタ晴らしを始める。
「はっはっは。いやなに、王室から我が家にユーリ様のご学友の話が持ち込まれたのは事実なのだがな、それは"候補者の一人"としてでは無かったという、ただそれだけの話だ」
いや、それだけの話だって……
姉さんの説明に唖然とする私に、ケント兄さんが補足を加えてくれた。
「王室からは『ユーリ殿下のご学友にはアズマリア嬢を』としか説明されなくてね。僕も父上もいろいろと調べてみたんだけど……」
そう言ってロッテ姉さんを見るケント兄さん。その意味を察して姉さんも応える。
「ああ。私と姉上とでも探ってみたんだ。姉上は社交界に人脈をお持ちだし、私も軍の中にコネはあるからな」
きちんと裏は取っていたと。
「それでもアズが選ばれた理由はわからなかったんだ。だけど何か裏があるとか誰かの陰謀じゃないってのはハッキリしたんだ。そうしたら父上たちが……」
――なぜ王室が末娘を指名したのかはわからない。でもユーリ様って悪い子じゃないんだし良いんじゃね? アズも学校に通えるんだし問題ないない――
そんなノリで王女殿下のご学友の話を受け入れたらしい。か、軽い……
「ええっと、それじゃアヤ・ソフィアへ制服ができてるって話はどういう事なの?
それに明日の入学試験はどうなっているの?」
ご学友の件はひとまず置いといて。いや、置いてはいけないけど置いておいて!
アヤ・ソフィアの制服って入学が決まった人でないと注文できないんでしょたしか。
「ん? アヤ・ソフィアへの入学試験ならもう受けただろう。喜べアズマリア。君は優秀な成績で合格していたぞ」
勉強を教えてきた身として鼻が高いぞ。そう嬉しそうなロッテ姉さん。
「いやっそうじゃなくって明日の事ですよ!!」
そう食い下がる私にケント兄さんが
「……アズ。領地を出発する前にアヤ・ソフィアの模擬試験をしたのを覚えているかな?」
そう聞いてくる。
模擬試験って確かアレですよね。ご学友の話を受けた翌週くらいにやってみたやつ。ケント兄さんが試しにやってみなよって持ってきたんだよね。え、それって
「……つまりあの時のがアヤ・ソフィアの入学試験だったわけですか」
おいおいマジかよ。本番前の軽い腕試しのつもりで受けちゃったよ私。
その時のことを思い出してギョッとする。まあ、あれだ。とりあえず受かってて良かったと思っておこう。でなきゃきっと胃が持たないのです。
とすると後は……
「それじゃあ明日の試験って言うのは……?」
「もちろん嘘だ」
そう胸を張って言い放つロッテ姉さん。そのふてぶてしさが羨ましい。
「……なんでまたそんな嘘を」
でなけりゃ王都に来てからもあんなに必死こいて勉強しなかったのに。そんな心の声が聞こえたかのように
「ああそれはだな、アズマリアが『学園』に入ってからも苦労しないようにと、出来る限り復習しておいてもらおうと思ったからだな」
そうおっしゃるロッテ姉さん。しかし私もシュタットフェルト家の一員です。甘く見ないでもらいたい。
「……その心は?」
ロッテ姉さんの事、きっとそれだけじゃないはずだ。そう確信して振ってみると
「アズマリアの驚く顔を見たかったからだ」
ドヤ顔で自信満々に断言してくる我がお姉さま。
もうやだこの姉……。
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