第四話 「紅茶の香り」
6/20 活動報告更新。よろしかったらご覧下さい。
開け放たれた窓から、鐘の音が暖かな風と共に微かに響く。重厚な神殿の鐘とは違うその音色に、これは『学園』で鳴らされるチャイムの音なんだろうと辺りを付ける。王宮のある中央特別区や王都の他の地区とは違い、ここコンスタンティーノの丘では、アヤ・ソフィアの鐘が町の時計代わりに成っていると聞いた事がある。
いつも王宮の部屋から聴いていた神殿のものとは違う、軽やかな音の響き。
それはきっと、『学園』に入学すればこの鐘の音は毎日聞く事になる。それこそ、今目の前のベットで眠っている彼女と共に。
「――すぅ。――すぅ」
マリアちゃんは今、『喫茶・木洩れ日』の二階にあるアニスさんの部屋で横になっている。イリスさんの親友でもある、このお店の店主のアニスさんに無理を言って寝室を借してもらっているのだ。
それからおよそ一時間。アリサの背に乗せて、ここ『木洩れ日』へと運んできたマリアちゃんは、そのままずっと眠り続けている。
「……うぅん」
その寝顔は、アヤ・ソフィアの応接室で見せたものと違い、年相応の生気に満ちている。
しかしその反面、時折苦しげな吐息を洩らす様子から。彼女がどれほどの疲労を抱えていたのかもまた感じさせてれた。
彼女をこのベッドに下ろした直後に再度診察をしたアリサ曰く、マリアちゃんが起きない理由は緊張が解けたことによる反動によるものだ。いつも持ち歩いている白い手袋型の魔法具に回復系の指輪を嵌め、マリアちゃんの体に魔法術式を展開しながら、アリサはそうわたしに教えてくれた。
マリアちゃんが王都へ来て約一週間。彼女本人がどれくらい自覚していたかはわからない。それでも、これまでずっとシュタットフェルト領の館に篭もりっきりで、家族以外の者と接した事のなかった彼女にとって、この一週間はとてもきつい物だったはずだ。
それがさっきの公園での一件を切欠にして、それまで我慢していた疲れが一気に出てしまったのかもしれない。アリサの手によって、疲労を和らげる効果のある術式を施された彼女は、今は夢を見ないほど深い眠りの中にある。
(無理も……無いよね)
必要な処置を済ませてしまうと、アリサはまだ買い揃えていない残りの品を購入しすために席を外している。アニスさんもベッドの用意などを手伝ってくれると、何も言わずにお店に戻ってくれている。詳しい事情を話せない身としては、アニスさんのその気遣いは有難いものだった。
そうして一人マリアちゃんの傍に残ったわたしは、心のなかでそう呟いていた。
(本当に、そうだ……)
マリアちゃんが無理をしていないはず無かったのに。
マリアちゃんにとって、わたしとの謁見は不意打ちに近い形で行われたものだった。
イリスさんから話を聞く限りでは、もともとマリアちゃん自身は『王女殿下のご学友』になる気は無かったはず。この子にしてみれば侯爵家の娘として、王女様のご学友を選ぶ選考会を無難に乗り越えようと十分がんばっていた。だからこそ、自分がご学友に選ばれる可能性など、まったく考えてもいなかっんだろう。
(――王女様との縁は、きっとそれだけ)
マリアちゃんにとって、本来『第一王女/わたし』との関係はそれで終わりだったのだ。
それなのにわたし達は、むりやり彼女に『ご学友』になることを強要してしまった。
これまでの彼女の事を知っていれば、アヤ・ソフィアに入る事を決心してくれただけでも、大変な進歩なんだって分かる。それに加えて『王女殿下のご学友』の役を引き受ける事は、マリアちゃんにとっては荷が重い事だったろう。
「――それでも今日、貴女はわたしの元へ来てくれた」
二人っきりの部屋の中で、わたしは語りかける。
わたしの初めての友達に。
穏やかに眠る彼女の姿を見詰めながら、わたしは強い後悔に苛まれたいた。
……分かっていたつもりだったのだ。貴女が強い重圧に耐えて王女様に会いに来てくれた事を。貴女が自分の大好きな家族のために、その身に背負った大きな責任を果たそうと必死に努力していた事を。
その事を知っていたはずなのに。それでもわたしは、貴女に会えた喜びがとても大きくて、その事実を見過ごしてしまっていた。
「……ともだちって、なんなんだろうね」
あの小さな公園で、マリアちゃんはわたしの体を抱きしめてくれた。アリサはそれを、マリアちゃんなりの励まし方だったのだと教えてくれた。その時に胸に湧き上がった温もりは、今もわたしの中に残っている。
それだけじゃない。一番最初の時からずっと、彼女は一生懸命友達になろうとしてくれていた。
初対面のわたしにどう接すればいいのかと、真剣に悩んでくれた時の顔。
アリサと三人で笑いあったときの顔。
これからよろしくお願いしますと言って、右手を差し出してくれたときの顔。
殿下ではなく、初めてユーリと呼んでくれたときの顔。
その全てを覚えている。今日一日、マリアちゃんはわたしの為に本当に一生懸命に頑張ってくれていたんだ。
だからこそわたしは、マリアちゃんとはすっかり仲良しになれたのだと、そう思っていた。
「でも、それだけじゃ、ダメなんだ」
マリアちゃんだけが頑張っていてはダメなのだ。それではきっと、本当の友達にはなれない。
それなのに今日わたしは、ずっと彼女を振り回してばかりいた。あまつさえ、彼女に甘えるように、アリサとの仲を縮めるために協力して貰おうとさえ考えていたのだ。
「……ねえマリアちゃん。わたしは貴女に、何をしてあげられるのかな?」
▽ ▽ ▽
私の知っている知識の殆どは、シュタットフェルト領の館の書庫で身に付けたものだ。そして、その中にあった事の一つなんだけど、世の中には"お袋の味"と言うものがあるんだって。
それは呼んで字のごとく、母親の作ってくれた料理の味の事を指しているらしい。オールト王国の一般的な家庭なら、毎日の食事はだいたい女性の仕事だそうなので、まあ分かる。
これが貴族や大商人の家になるとどうなるんだろう?。そういった家庭では、普段の食事は専門の料理人に任せっきりになるはずだし、"お袋の味"といえば母が作ってくれるおやつの事になるのかな。お菓子作りは淑女の嗜みとして教えられてるしね。
まあともかく。ここオールト王国の大半の人には、自分だけの"お袋の味"というのが誰にでもあるって話だ。
では我がシュタットフェルト侯爵家の場合はと言うと、残念ながら明確にこれだと言う"お袋の味"は無い。私の母さんは早くに亡くなっているし、姉さん達もお菓子作りは教わってはいないんだそうだ。イリス姉さんやロッテ姉さんが生まれた頃は、時代は黒い魔物の災厄の真っ只中だったし、国軍の魔法士として最前線で戦っていた母さんには、とてもそんな余裕も無かったのだろう。
そんな訳で、私自身は母さんの味と言うのを知らないんだけど、それでも私には、"お袋の味"ならぬ"家族の香り"みないなのはある。
それは紅茶の香りだ。
我が家にいる時は、私は事あるごとに紅茶を飲んでいた。部屋で一人過ごしている時もそうだし、家族の内の誰かといる時もそう。姉さん達に勉強を教えてもらっている時にも、手元には紅茶が用意されていたし、父さんや兄さんと話す時も紅茶と共にだった。
私は末っ子だったから、上の姉兄と歳が離れているせいで、毎年誰かしら学校なりで実家を離れていた。だから幼い頃から、私と家族とがそろう時間はそれほど多くは無かったのだ。だから一緒にいられる時間は大切にしていたし、それは今も変わらない。そしてその時には必ず紅茶が添えられているのだ。
――だから私にとって、紅茶の香りは家族の思い出そのものなのだ。
○ ○ ○
「――ぅぅん……」
ぼんやりと意識が戻ってくると同時に、鼻をくすぐる甘い紅茶の香りが伝わってくる。
まだ頭が目覚めきっていないみたんだけど、その紅茶の匂いだけはしっかり届いていた。
(これ、ザラメの匂いだ)
イリス姉さんが紅茶を淹れてくれる時に使う、白くて透明なお砂糖の匂い。
美人で頭がいいイリス姉さんは、いろんな事を上手に出来るんだけど、何故か料理だけはまったくダメダメなんだよね。そんな姉さんだけど、私と二人っきりになったに時だけは、自分で紅茶を淹れてくれたんだ。
だからザラメ入りの紅茶は、その時にしか味わえない特別製なのだ。
その香りに釣られるようにして、"お袋の味"という言葉が思い浮かぶ。
母さんの手料理の味を知らない私にとって、紅茶の香りは"家族の香り"だ。その中でも、特にザラメ入りの紅茶は、どうやらとても大切なものだったみたい。
その香りに導かれるように、私はゆっくりと目蓋を開いた。
いつもより硬いベッドの感触。こころもち天井も低く感じる。
その見慣れない木目に、窓からの光が反射していた。
(……?)
そもそもここはどこなのだろう。
何で私はここに寝てるんだ?
そんな疑問が浮かんでくるけど、疲れに引きずらているせいで、それは言葉になる前に散ってしまう。
なんだかとても頭が重たいし、体の方もだるさを感じる。目蓋を上げているのも億劫だ。
だからいつものように、また眠ってしまいたい。
そう思った時、窓から入ってきた一陣の風が、もう一度懐かしい紅茶の香りを運んでくれた。
「イリス…ねえさん?」
その香りのする方へと、思わずそう呼びかける。
しかし首を向けた先に見慣れた姿は居無くって。でもその代わりに、一人の女の子が私の傍に座っているのが分かった。
窓からは西の空へと傾きだしたお日様の光。女の子はその光を背に受けていて、だからそう、その子は自分の影を使って私を日差しから守ってくれているんだなって。なんとなく、そう思った。
「起きた?」
逆光の中にいる女の子が、私にそう問いかける。
「うん」
その声に、私は小さく頷く。
「身体、キツくはない?」
女の子の声が、もう一度問うて来る。
私の右手を包む温もりに、彼女が手を繋いでくれている事に、その時になって気付いた。だから大丈夫だよと伝えたくて、その手を握り返そうと思ったんだけど、まだ体に力が入らなくって失敗してしまう。
「……ううん。ちょっとキツい、かな」
だから素直にそう答えた。口の中が乾いていて、ちょっとだけ痛かった。
「……そっか」
そう言ったきり、口を閉ざしてしまう女の子。私の方もなにを言っていいのか分からなかったから、彼女と一緒になって口を閉ざしてしまう。
私も彼女も黙ってしまった部屋の中に、静けさだけが漂っている。
このままじゃダメと思っていた時、そんな私達二人を叱るように、再度風が吹く。甘い紅茶の香りと一緒に、私達を包んでくれる。
「――こう、ちゃ」
その香りに後押しされるように、私は渇いた喉を必死に動かして、彼女へ向かって言葉を紡ぐ。
「こうちゃ、いれて、まっててくれたの?」
その言葉を聞いた女の子は、泣きそうな顔をして「うん」と頷くいてくれた。
なんで彼女がそんな顔をするのか。その理由は私には分からなかったけど。それでも、彼女が紅茶を淹れて待っていてくれたってのが分かっただけで、私には十分だった。
だから――
「あり、がとうね。ユウリ」
上手く笑えているといいな。
そう思いながら、私は今出来る精一杯の力を使って、彼女が繋いでくれている手のひらを握る。
ユーリは一瞬目を見開いたあと、泣きそうだった顔を笑顔の形に歪めながら、私の右手を握り返してくれた。そのことに満足すると、私は目蓋を閉じてもう一度眠りの中へと落ちていくのだった。
▽ ▽ ▽
「あり、がとうね。ユウリ」
マリアちゃんはそう言うと、繋いだ手を握り返してくれた。
そうして淡く微笑み、もう一度目を瞑り眠っていった。先程とは違うその穏やかな寝顔に満たされた気持ちになったわたしは、その顔に静かに魅入っていた。
『いつかあの子とお茶を飲むときにね、このお砂糖を使ってみてください』
彼女のために今なにが出来るのだろう。そう考えていた時に思い出したのは、かつてイリスさんからもらったプレゼントの事だった。
あれはいつだったろう。イリスさんはそう言って、一つの袋を渡してくれた事があった。その中に入っていたのは、白くて透明なザラメという名のお砂糖だった。
イリスさん曰く、マリアちゃんと二人っきりのときにだけ使う特別なお砂糖なんだとか。
『あの子はこのお砂糖を入れた紅茶が大好物なの。だからきっと喜んでくれると思いますよ』
あの日イリスさんから貰ったザラメ入りの袋は、たとえお仕事のときであっても、ずっと持ち歩いていた。それは今日も同じで、肩から提げたポーチの中に大事に入れている。
お店の仕事の合間だったのだろうアニスさんに、紅茶を用意してくれと頼むのは気が引けたのだけれど、今マリアちゃんのために出来る事はこれしか思い付かなかったのだ。
「お願いします」と頭を下げるわたしに、アニスさんは笑顔を浮かべると快く応じてくれた。そうしてしばらく待っていると、アニスさんがティーセットを持って戻ってきてくれた。
それらを受け取ると、わたしはマリアちゃんの為に、自分の手で紅茶を淹れる。
アニスさんが用意してくれたのは、沸騰したてのお湯の入ったポットと、陶磁器製のティーポット。そして白地に金の縁取りが美しい二組のティーカップ。
あらかじめアニスさんが暖めてくれていたティーポットにスプーン1杯分の茶葉を入れ、お湯を注ぐ。蒸らし終わったら、ポットの中を、スプーンで軽くひとまぜする。そうして出来上がった紅茶で、ティーカップの中を満たす。最後に淹れ立ての紅茶へ白いザラメを落とすと、辺りに甘い香りが広がっていった。
マリアちゃんが好きだという紅茶の香り。
その香りに誘われるように、彼女は眠りから覚めてくれた。
そして紅茶に気付いてれると、わたしの名前を呼んで、ありがとうと言ってくれた。
わたしがつたない手つきで淹れたその琥珀色の飲み物を、マリアちゃんは飲む事は出来なかったけど、彼女はその甘い香りだけでも味わってくれただろうか。
マリアちゃんが浮かべてくれた笑顔を思い出しながら、そうであってほしいとわたしは願う。
明日になれば巡礼の旅が始まる。それが無事に終わっても、これからもっと大変な思いをさせてしまう。運命だなんて、そんな綺麗な言葉で飾れない困難がわたし達の行く先に待ち受けている。"大地の巡礼"はその始まりに過ぎないのだから。
アズマリア・シュタットフェルトとユーリ・オルトティーヌ、そしてアリサ・エッジワース。
わたし達三人がここにいるのは、決して偶然ではない。
だからこそわたし達は、これからの試練を一緒に乗り越えられるように、『ご学友』という名の友達にならなければいけなかった。
(でも、そのためだからじゃ、イヤなんだ)
必要に迫られたから。そんな理由でこの子と友達になったんじゃない。
マリアちゃんだから友達になったんだって、わたしはそう胸を張って言いたいのだ。
右手同士を繋ぎ会った手の上へ、左手を添えて包み込む。
甘い紅茶の香りに包まれながら、わたしはそっと囁く。
次にマリアちゃんが起きた時には、わたしはまたニコニコと笑う、いつものわたしに戻っているはずだから。
「これから先の未来に、たとえなにがあってもね。わたしはずっと、マリアちゃんの味方だよ」
(だからお願い、これからもずっと、わたしと一緒にいてください)
最後のその一言を、今はまだ口にする事はできなかった。
だから心の中で誓うのだ。自信を持って貴女の友達でといえる自分になろうと。
――今はまだ穏やかな眠りの中に居る彼女に向かって、いつかちゃんと言えますように。
そう祈るわたしを励ますように、澄んだ風の音が聞こえた気がした。
このお話の投稿とあわせて、前話のタイトルを変更しました。
『閑話―ともだちのつくりかた―』→『貴女の優しさ』
作者の都合でコロコロと変えるのは良くないと思っているのですが、慣れていないのだなと思い温かい目で見守って下さい。
誤字・脱字等がありましたらご報告してもらえると嬉しいです。