第二話 「馬車の中」
『人はどこから来て、どこへ行くのか』
この哲学めいた命題に対して"この世界"の答えはこうだ。
『人は光の神の恩寵によって生まれ、闇の女神のお導きによって祖霊となる』
ここオールト王国では一般常識の類の話だ。人や動物の生命の大元は光の神が産み出す"種"だといわれている。その"種"を光の神から受け取った祖霊が、自身に似た姿になるように"種"を育てる。そしてある程度育ってから母親の胎内に宿すのだそうだ。生まれてくる子が両親や祖父母にどこか似ているのも、その一族の祖霊が"種"から育てた結果なのだ。そして死とは闇の女神の導きであり、死後の魂は祖霊の一部になると信じられている。
ゆえに"この世界"では『前世』はというのは"ない"
……だというのに
(前世の記憶があるとか異端もいいとこですよねー)
それも『ここではない世界』の記憶で、尚且つ性別が『男性』だったなんて。どこの御伽噺ですかって話ですもんね。我ながら今だに不思議ですもの。
王都へ向かう馬車にガタゴトと揺られながら、私は改めて自分の持つ『記憶』について思いを巡らしていた。
最初に違和感を覚えたのはいつだったか。生まれた時からかもしれないし、物心付いた時からかもしれない。
覚えているなかで私自身がはっきりと違和感を自覚したのは、オムツが取れて自分でするようになった時だ。
(……いま思い出しても恥ずかしい出来事でしたね)
その頃にはもう母は亡くなっていたから、私を指導してくれたのは一番上のイリス姉さんだった。イリス姉さんは手取り足取り"女の子"のやり方を教えてくれるのに、私は頑として"男の子"のやり方でしようとしていたのだ。なにせそれが自分にとっての"正しい"やり方だと思っていたのだ。
結局は尿意に負けてしぶしぶイリス姉さんに従ったのだが、そのときの違和感は今でもはっきりと覚えている。『これは違う』と。
(そのせいで半年掛りで矯正する大騒ぎになりましたしね……)
トイレに行くたびに"男の子"のやり方でしようとする私と、それを阻止せんとする姉さん達との攻防は屋敷中を巻き込んでの大騒ぎ。そのおかげで女の子としての自覚が身に着いたのは良かったのだが、それで帳消しにはできないくらい今となってはあの出来事は恥ずかしい。
(なんとも変わった子だったでしょうね。変わった子なのは今も同じな気もしますけど)
その出来事を皮切りに、今に至るまでの間数々の騒動を引き起こしてきた身としては、変わり者と呼ばれるのも仕方がないなーと思っている。ひとこと言い訳すれならば、あの頃はそれだけ多くの違和感に悩やまされていたのだ。
そんな変わり者な私でも受け入れてくれた家族には感謝し切れません。
さすがは貴族達の間で変人貴人の集まりだと噂されるシュタットフェルト侯爵家。その度量の広さは定評通りです。
(……それでも)
それでも私は思うのだ。末の娘が男の子っぽいのは許せるだろう。外に出たがらないのも、友達を持たないのも、心配はしても私なりに悩んでの事だと知っているからこそ見守ってくれているのも知っている。この身に宿る違和感ゆえに数々の珍騒動を起こすのだって、その騒ぎ自体を楽しんでしまうような人たちなのだ。そんな家族に恵まれた事を私は誰よりも感謝している。これは本当だ。
だからこそ。
(私が『前世』の記憶を持っていることは言えませんよね……)
生まれる前は実は男性だったのだとか、そんなレベルの問題じゃないのだ。
『こことは違う世界の記憶をもっている』という事がなによりも不味いのだ。
これは異端どころの話ではない。よしんば家族が『前世』の話を受け入れたとしても、貴族としての、または領主としての立場にとっては致命傷だ。
信仰が人びとの生活に深く根付くこの世界で、そんな異端な子どもを持つ侯爵など誰が信用するというのか。ましてやここはオールト王国。世界を救った英雄である女王セイラ・オルトティーヌの治める国だ。かの女王を支えているのは神殿だと聞くし、光と闇の二つ神を否定するような存在を決して生かしてはおかないだろう。
家族を愛するがゆえに、私はこの事を墓場まで持っていく覚悟でいる。
(まぁそんな私が王女殿下のご学友候補っていんですから、世の中不思議ですよねー)
『前世』の記憶うんぬんはおいといても、社交の場にも出てこない引きこもりな令嬢として(ロッテ姉さん曰く)有名な私がである。そんな娘を王女の友人に?選ぶんならもっとましなのを選べよと私でも思うぞ。
……どうせ父たちの画策でしょうけど。
今は王都に住んでいるロッテ姉さんがユーリ様のご学友の話を聞きつけて、父さん達を焚き付けて計画したのだろう。王室に根回ししたのもロッテ姉さんで間違いない。社交界の華であるイリス姉さんの口ぞえも加われば簡単だったろう。かくして父さんへと書状が送られる事と相成ったというのが真相といったところじゃないでしょうか。
イリス姉さんもロッテ姉さんも常々私のことを気にかけてたし、機会があればアヤ・ソフィアへ行く事を薦めていたし。今回のご学友の件はだしに使ったって線が濃厚だろう。
(まあそろそろ自分だけでの勉強に限界を感じていましたし、ちょうど良い機会だったんでしょう)
たとえそれが家族の思惑通りだとしても悪い気はしない。むしろ今の私なら外へ出ても大丈夫だと判断してくれたからこその話だろうし。本当に私のことをよく分かってらっしゃる。自慢の家族達だ。
その家族の一人であるケント兄さんは、今回王都へ旅立つ私の付き添いで一緒に来てくれている。馬車の向かいの席に座るケント兄さんをチラリと見れば、兄さんも私の視線に気付いたのか書類から目を上げて(なに?)と言いたげにこちらを見る。首を軽く振って(なんでもないよー)と伝えると、軽く微笑んでからまた書類に目を通しだした。
それにしても……
(――相変わらずイケメンだよね、ケント兄さんは)
透き通るような光沢のある綺麗な金髪。キリっとしながらもどこか優しげな顔立ち。貴族としての能力も申し分なく、侯爵である父の元で日々研鑽を積んではメキメキとその才覚を発揮している。当然そんな優良物件なのだ。ひとたび社交界に出席すれば、たちまち女性達に囲まれるほどの人気者なんだとか。それでも本人は婚約者にぞっこんなんだけどね。
(ほんとに同じ血を分けた兄妹なんでしょうかね。髪質なんて私よりも良いしさ)
自分の髪を摘んではため息を付く。濁った蜂蜜のような色をした私の髪よりケント兄さんの方が断然綺麗だ。実の兄だというのに軽く嫉妬してしまう。
そんなもやもやを追い払うように窓の外に視線をずらせば、遠く丘の向こうに街並みが小さく見えていた。あれが王都なのだろうか。領地を出発して4日目。今日の夕方には到着する予定だし間違いないだろう。
にしても、ケント兄さん相手に嫉妬するなんて、今では私もいっぱしの"女の子"になったものです。
"この世界"に生まれて早12年。『前世』の記憶に散々悩まされてきたけど、こうして女の子らしい感情が自然と出てきた事は素直に嬉しい。一時期は本当の自分は『記憶』にある男性なのではないかと不安にもなったけど、今では私は私としてしっかりと自我を確立できているつもりだ。『前世』の記憶にある「アイデンティティ」とやらが女性であることを肯定しているのだろう。
……そこに至るまでに紆余曲折が多すぎて笑えませんが、まあ家族はみな苦笑い一つで許してくれるからいいけど。
(とにかく心機一転がんばらなければ)
遠くに見える王都を眺めながら、気合を入れるかのように胸の前でこぶしを握る。その仕草を見ていたのだろう。ケント兄さんの方から小さな笑い声が聞こえてきた。
あわてて睨みつねると、片手を挙げてスマンスマンと謝るポーズ。しかし兄さんの顔にはまだ苦笑いの名残が残ってたのを見逃さなかった。
恥ずかしいやら悔しいやらで、少しだけ(あくまでちょびっとだ!)赤くなった頬を隠すように再び視線を窓の外へと向ける。
澄み渡った青い空。春を思わせる暖かな日差し。どこまでも穏やかな風景がそこにある。
そんな景色なのにチラリとよぎる胸の痛み
違和感が身体を突き抜ける、あの感覚
久しぶりに感じた違和感に、背筋が凍りつく。そんな私に気付いたのか、ケント兄さんの心配げな視線。なんでもない風を装って、胸に沸き起こった違和感の正体を確かめようとするが、もうあの感覚は消え去った後だった。
(……大丈夫だよね)
誰にでもなく呟いた声は、馬車の響きに紛れて消えていった。
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