外伝1 ―秘密の内側―
ロッテ視点です。
――運行暦1513年 3月 オールト王国
王都リシテア市中央特別区『王宮』へ向かう馬車の車中――
知人から渡されたその資料に目を通した私は、その内容に言葉を失っていた。
■ ■ ■
朝食中に通信用魔法具の片眼鏡で連絡を寄こしてきたのは、四課で食料調達を担当している同僚からだった。
その彼女が片眼鏡越しに言う所によると、今朝早く近衛騎士団から演習用の物資の融通を依頼されたそうだ。それだけならば特に不思議な事は無い。武具や食料といった兵站関連は、国軍と近衛の分もウチが全て一括して管理しているからだ。そのため近衛の連中が演習を行うときも、こちらが予め物資の調達と移送を手配する事になっている。
だからこそ軍や近衛の部隊には、物資が必要となる演習などの予定は予め四課に知らせてくれるよう、関係各所を通じて伝達してある。だが何事にも例外があるように、時折事前の連絡なく申し込まれる時もある。四課としても当然それに備えて予備の物資を確保ているし、今回もそれを回せば問題ないはずなのだ。
なのに何故休暇中の私に連絡が来るのか。それは当然の疑問だったのだが、その答えは同僚が泣きそうな声で教えてくれた。
『それが今日の夕方までに一個中隊分の食料を用意してくれって言うんですよ』
同僚からの報告によれば、騎兵が長距離行軍するために必要な物資を一個中隊90人分、遅くとも明日早朝までに手配してほしいと言うのだ。彼女が泣きたくなるのも分かる。
戦に定石通りなどありえない。戦場では常に想定外の出来事で満ちているものだ。だからこそ私たちのような役割の人間は、不測の事態が起っても確実に部隊へと物資を供給できるよう、常日頃から訓練を怠っていない。
しかしその反面、軍という組織は役所の一部でもあるのだ。有事ならともかく、平時においてはパン一つ買うのにも書類を通すなどの手続きが必要になる。大規模な演習ともなれば、その仕事量は下手な戦場よりなお忙しくなる。兵站と言う仕事にはそれだけの手間が掛かるからこそ、必要なら前もって連絡しろと言って回っているというのに、それを守らず90人分の食料を大至急用意しろとは。誰の命令かは知らないが、そんな妄言をのたまう野郎の首ならば、今すぐ撥ねてやりたくもなるというものだ。
内心はどう思っていようとも、必要だと言われれば準備するのが我々の仕事だ。夕方までという限られた時間を考えれば、不満は一旦押し殺して迅速に作業に取り掛からばければならない。
しかし近衛側の担当者の方も、急な命令で随分と慌てているらしい。あちら側も朝早く上司から急遽命令が降りてきたそうで、二進も三進も行かなくなっているそうなのだ。近衛側ではどうしようもなく、しかたなく無理を承知で四課に連絡したというのだ。このままでは双方共に現場が混乱するのは目に見えているからと、近衛に顔の聞く私に泣きついてきのが真相らしい。
確かに私は仕官学校時代の縁で、近衛の人間と多少の面識がある。その私に近衛との調整役を頼りたいと思う気持ちは分かるのだが、それで休暇中に呼び出される身としてはたまらない。
なにより今日はアズマリアとユーリ様との初対面という大切な日なのだ。私にとってどちらがより重要かなど分かりきっている。
そんなわけでアズマリアとの事を優先させたかったのだが
『近衛の方が今ロッテ中尉のお宅に馬車を向かわせてるそうですよ』
そう先回りされていてはさすがに逃げる訳にはいかないだろう。
宮勤めの悲しい宿命か。そこまで手回しされていては仕方ないので、ステラに出掛ける用意を頼ると、アズマリアとケントを置いて屋敷を出る事になったのだ。
■ ■ ■
屋敷の門を出ると、待ち構えていたかの様に滑り込んでくる一台の馬車。車体に近衛騎士団の紋章が入ったそれに乗ってきたのは、予想通り馴染みの顔の男だった。
「ようロッテ。朝から辛気臭い顔をしているな」
そう言って手を振ってくる長身のこの男の名は、ゲオルグ・プラウ。私が士官学校に籍を置いていたときからの知り合いで、所謂腐れ縁の一人だ。
「――その理由を知っているのなら無駄口は叩くな。兵站のイロハも知らぬ馬鹿どもにお灸を据えてさっ
さと帰りたいのを我慢してやっているのだ。手短に話せ」
睨みつけながらそう告げるが、ゲオルグは気にするそぶりも見せない。真剣な顔をして馬車の扉を開けると、無言で乗り込むように促してくる。
「……」
普段ならここで下らない冗談を入れてくるこの男が、今日は無駄な事を話すことなく任務を優先させている。それだけでこの件がただ事ではない事が察せられた。
近衛が用意したと言う馬車に素早く乗り込む。ゲオルグがそれ後に続くと、馬車は静かに走り出した。
「それで状況は?」
短い言葉で説明を求める。
「まあそう焦るな。近衛の演習の件については王宮に着いてからだ。俺の方もそっちについては詳しい事
を知らされていないからな」
隣に座ったゲオルグはそう言いながら、手に持ったカバンから一枚の封筒を取り出した。
「それは?」
厚手の茶封筒を差し出す彼に、いったい何の書類かを問いただす。「まあ見てみろ」と言う彼の言葉に促されながら、その白い紙に書かれた文字に目を通した私は
「!!」
その内容に驚愕する。
「――前々から依頼されていたモノだったがな、今まで開示許可が下りなかったのは知っての通りだ」
その内容を食い入るように見詰める私に、ゲオルグがコレが手元に届いた経緯を説明してくる。
「それが今朝になって急にだ。騎士団長様直々に呼び出しを受けて手渡されたんだよ。俺から直接お前に渡せってな」
「……ゲオルグはコレの中身は見たのか?」
そう尋ねる私に
「あぁ。一応俺とお前の連名で開示請求をしてたからな。団長からも目を通しておけって言われたしな」
彼もこのことを既に知っている事を告白した。
「そうか……」
それだけ呟くと、後は無言でこの報告書を読んでいく。
それは第一王女ユーリ・オルトティーヌ様の警備計画書の一部だった。
警備計画書といっても機密に触れるほど詳細なものではなく、ユーリ様がアヤ・ソフィアに入学された際の大まかな警備の概要が記されているものだった。
外部に対して開示されることはなくとも、幕僚本部付きという身分を使えば、しかるべき手続きを経て閲覧することは可能な情報である。
しかしそれがユーリ様のものになると、事情は少し複雑になってしまう。
ユーリ・オルトティーヌ
彼女は現女王セイラ・オルトティーヌ陛下の一人娘でありながら、王位継承権を凍結されておられる身でもあるのだ。
その理由については様々なものがあるが、一番の理由はセイラ様が即位された時の誓約によるものだろう。
セイラ様が女王に即位されたとき、時代は黒い災厄がようやく終息したばかりの頃だった。そのため時の国王でありセイラ様の兄上でもあった前国王は、魔物によって荒廃したこの国の復興の旗頭として"救国の英雄"である妹君に王位をお譲りしたのだ。
その戴冠式においてセイラ様は
『この王位は一代限りであり、私の後に即位する王は兄上のお子の中から選ばれる』
と光と闇の二つ神に誓約されている。
この誓約は神殿と議会とによって承認されており、次の国王は前国王陛下のお子が就くことに決まっている。
そのためユーリ様は、王族の証である王位継承権を持つれっきとした王女殿下ではあるものの、"王位につける"という可能性は凍結された状態であるのだ。
このことがユーリ様が貴族達から『人形姫』などという不名誉な名で呼ばれている最大の要因となっている。
"飾られているだけで自分達の役には立たないお人形"。
将来王位を継がれることはなく、仮にユーリ様との間にお子が生まれても、その子が王族を名乗れる事もない。ユーリ様のお立場を理解すれば政治的な価値など皆無であり、だからこそ利に聡い貴族達は彼女の事を無視できるのだ。
そのようなお立場にあられるユーリ様ではあるが、こと王宮内での彼女の立ち位置を考える時、先に述べた理解だけでは不可解な謎があるのもまた事実だ。
――貴族達からは政治的な利用価値が無いとして公然と無視されているが、仮にも王女であるユーリ様がこれまで一度も公式な場にお姿をお見せにならないのは何故か?
――王宮の警備を担当する近衛騎士団にあって、ユーリ様の警護を担当する騎士たちの所属や名前が、ゲオルグ達近衛の団員に対しても秘匿されている理由はなんなのか?
『女王陛下の人形姫』と揶揄されている裏に、なにか秘密があるのではないか?
普段の私なら、その可能性に気付いたとしても調べようとはしなかっただろう。誰も気にはしていないが、一度気付いてみるとユーリ様の周辺はあからさまなほど謎めいている。下手に深入りすれば、徒では済まないのは容易に想像できる事だった。
しかし、そのユーリ様のご学友にアズマリアが選ばれたのだ。アズマリアの姉として無視するわけには絶対にいかなかった。
そうしてユーリ様の近辺をそれとなく探ってみたのだが、彼女の周囲は不自然なくらいに静かなのだ。貴族や議員達の中でユーリ様に接触をはかる人物もなく、彼女のために執行されている予算にも不審な点は無い。国軍内での政治ごっこが大好きな将軍派の人間もユーリ様には無関心なまま。まるで誰も彼もがユーリ様のことなど忘れているかのようなのだ。
調べれば調べるほど、アズマリアに危険が及ぶ可能性は見出せず、それが返って私の不安を煽る。しかし私の手の届く範囲は限られていて、しかたなくゲオルグに協力を求めたのだ。
彼は最初は渋ったものの、ビンテージ物のワインをおごる事でなんとか協力を取り付けられた。それでも結果は私と大差無いものだったが、一つだけ気になる情報をもたらしてくれた。
―曰く、ユーリ殿下の側役の侍女に"青い髪の少女”がいると。
そんな噂話程度のものだったが、私の勘がこのことになにかを感じたのだ。
それを確かめる為にアヤ・ソフィアでのユーリ様の警備計画の概要を求めたのだ。具体的にはユーリ様に随行する人員の名前をだ。
これからユーリ様と共にアヤ・ソフィアで生活する事になる者達になのだ。学園側に提出される資料にはある程度の情報が載っているのではないかと言う読みだったのだが、どうやらそれは当ったらしい。
そこにくだんの"青い髪の少女"の名前を見つけたのだ。
「――アリサ・エッジワースか」
「さずがにその名前を見たときには肝が冷えたよ」
思わずその名を呟く私に、ゲオルグも真剣な声でそう答えた。
青い髪と聞いて、もしかしてと思いはしたのだが。
「ユーリ様の随行の者の中に、神殿の者が紛れ込んでいるのではと考えていたが、まさかこの方が来られていたとな……」
「ああ。最初に噂を聞いたときは殿下の侍女だって話だったからな。俺はてっきりお世話役の一人がたまたま"青い髪"なんだとばかり思っていたよ」
そう言って苦笑いを浮かべるゲオルグだったが、その顔にはまだ驚きの余韻が色濃く残っていた。かく言う私も同じ顔をしている事だろう。
神殿式の魔法術を得意とする者は、えてして青い髪を持つ者が多いという。これは統計上もはっきりと示されている事だ。
ゆえに私もゲオルグも、殿下のそばにいる髪が青い少女とは神殿に関わりのある者ではないかと推測してはいたが……。
「まさか偽名も使わずに、本名のままで学園に通われるお積もりだったとはな」
これはとんだサプライズになるな。ゲオルグはそう茶化すように笑うが、それだけでは済まない事は彼も良く分かっているのだろう。藪を突いてみたら、まさかこんな大物の名前が出るとは思ってもみなかったのだから。
「この情報は今日付けで開示されたのか?」
そう尋ねる私に
「一応そうなるみたいだぞ。でなきゃお前に見せられやしないさ」
情報の漏洩には当らない。ゲオルグは暗にそう答える。
しかし騎士団長自ら彼に手渡したところといい、引っかかる点はまだ残っている。残っていはいるが、現状でそれをどう判断すべきか。情報が足りない中では何ともいえないもどかしさを感じる。
「……エッジワース家のご息女か。一般には家名の方はあまり知られてはいない様だが、受け入れる側の学園は大慌てだろう」
そのもどかしさを振り祓うように話を振ると
「まさか留学生として殿下と同時に入学されるなんてな。事前に学園に知らされて無いとすれば、ご愁傷様としか言いようが無いわな」
ゲオルグもいつもの調子を取り戻してきたかのように応じてくる。もっともその意見には私も深く同意する他無かった。
■ ■ ■
ゲオルグから渡された警備計画書にはこう記されていた。
『本年度アヤ・ソフィア学術院付属高等中学校へ入学を予定されている各国の王族方は次のお二人である。
オールト王国第一王女 ユーリ・オルトティーヌ様。並びにカイパーベルト大神殿神官長ケレス猊下 のご息女アリサ・エッジワース様――』
※外伝投稿にあたり、これまでのお話のサブタイトルに『第○話』という表記を付け加えました。
5/16 文章の表現を一部修正・加筆
5/18 本文を一部加筆