〔ゆめ〕-まどろみにしずみながら-
その思いが最初に胸に浮かんだのは、私が王都へと出発する二年くらい前のことだった。
イリス姉さんがお嫁に行った後、私は領地の館の中で一人で過ごす事が多くなっていた。
その頃にはロッテ姉さんも軍のお仕事で王都に行っていたし、父さん達も領主の務めが忙しくて末娘と一日中一緒にいる事はできなかったのだ。
そのため新しく家庭教師を付けようかと言う話も上がったけど、それは私から断っていた。勉強なら小さい頃から二人の姉さんに付きっ切りで教えてもらっていたから、基礎的な読み書きや算術などは理解出来ていたし。なにより、その頃はまだ家族以外の人に会うのが怖かったからだ。
父さんはそんな私の気持ちを尊重してくれて
「ならば自分の力で勉強を続けるんだよ」
そう言って書庫の鍵を渡してくれたのだ。
それから始まった新しい日常。その日々の大半を、私は書庫の中で過ごすようになった。 日課の早朝の散歩を終えると書庫へと出向き、午前中は今までの復習に、午後からは読書の時間に当てていた。
書庫には侯爵家らしく、様々な本が所狭しと並べてあった。(後でロッテ姉さんに聞いたら、貴族の家でもこんなに沢山の蔵書がある所は珍しいそうだ)
基礎教養の勉強の他にも歴史書や地理、天文学や植物図鑑など、いろいろな本を読んでいった。復習の為に読んだ物もあれば、気が向くままに手に取ったものもあった。
そうしてその頃の私は、実に沢山の本を読んでいたけど、中でも一番良く手にしていたのはイリス姉さんから送られてくる小説だった。
イリス姉さん直々に、王都の本屋さんに足を運んで選ばれてきた小説の数々。月に一度手紙と共に送られるその本を、私は午後の時間を使ってゆっくりと読み進めていた。なにせ大好きなイリス姉さんが私の為に選んでくれたものなのだ。出来るだけ丁寧に読みたかった。
しかし、そこはまあ流石イリス姉さんといったところか、送られてくる本はものの見事に少女小説ばかりだったのには苦笑いした。まあそれも、私の事を心配しての事なんだろうけど。
『前世』の記憶のせいで、小さい頃の私は男の子のように振舞っていた。そのことで家族には要らぬ心配をかけてしまったと、今では深く反省している。
なかでもイリス姉さんはずっと私の事を気にかけてくれていた。それではダメだって事で、「女の子教育」の名の下に、ロッテ姉さんと一緒になってに随分と心を砕いてくれた。そのおかげで"私"はアズマリアという名の女の子なんだって、ちゃんと理解できたんだけどね。
そんな風にして私は二人の姉に育てられて来たんだけど、イリス姉さん的には今の私もまだまだ本当の乙女には程遠く感じるのだろう。イリス姉さん風の「女の子教育」は、互いに遠く離れてしまってもまだ継続中なんだなーと、届けられた本の表面からヒシヒシと伝わってきた。
だから私はその本達を熱心に読んでいった。一冊ずつ、丁寧に。
そんなイリス姉さん厳選の、甘く切ない物語の数々を読みながら、私は時折思うのだ。
――心の中に『彼』という"秘密"を隠し持っている私は、物語の中の少女達のように誰かを好きになる時が訪れるのだろうかと。