【きおく】-まどろみのはざまで-
その場所には、箱のような形をした家々が見渡す限りに広がっていた。
土や石畳とは違う、黒くのっぺりとした道。
その道の両脇に並ぶ木々は、青々とした葉を空へと伸ばしてはいても、野や山で見かけるものとは違ってどこかしら整然とした不自然さを感じさせた。
夏の日差しは容赦なく照りつき、水気の無い黒い地面からは陽炎が昇る。「みーんみーん」と鳴く聞きなれない虫の声も加わり、見る者全てにその暑さを伝えてくる。
そんな風景の中を、一人の男が歩いていた。
日差しの加減によるものなのか、その男の顔は陰になっていて窺えない。
ベルトのようなもので肩から吊るしたカバンの中には、小さな本が大量に詰まっている。友人から借りた【まんが】を、これから返しに行っている所なのだ。
その男は【まんが】の入ったカバンを重そうに押さえつつ、もう一方の手にも何かを抱きかかえていた。
それは一歳くらいの小さな女の子だった。
乳児用の白いワンピースに、小さな麦藁帽を被ったその女の子は、男の胸の中で静かに眠っているようだった。
その子の眠りを妨げないように気を配っているからか。暑い日差しを避けるように、木立の影を縫うようにして歩く男。ときより通り過ぎる【くるま】の吐き出す熱風に顔をしかめながらも、しかしその男の顔には不満の色は微塵も無かった。
女の子がむずかるように、男の腕の中で小さく動く。麦藁帽子からはみ出た黒い髪が、汗にぬれて女の子の頬に張り付いていた。
男はカバンを押さえていた手を離すと、ポケットから取り出したハンカチで女の子の額に浮かんだ汗を優しくぬぐう。
そのやり取りはありふれていても、満ち足りた光景としてそこにあった。
雲ひとつなく晴れ上がった青い空が、二人の上に広がっている。
うだる様な夏の暑さにウンザリしたような表情を浮かべることはあっても、その男の顔には悲壮感や絶望など微塵も無い。あろうはずも無かった。
平和な国の、ありふれた街角で。
その日も、「かれ」にとっては変わらない日常が続いていた。
"そんな風景を、私は見ていた"