第二話 「対面の場」
アヤ・ソフィア学術院内の応接室。
神殿時代の名残を色濃く残すその部屋の中で、私と王女様は無言でお互いの顔を見詰めあい続けていた。
私は王女殿下を前にしてだというのに、中途半端に頭を上げたまま固まってしまっていた。不恰好な姿勢のままでいるせいか腰が痛い。
対する王女様はというと、私の顔の前でしゃがみ込んでいる。先程までのニコニコ顔から一転して、今はこちらをじぃーっと見上げては首を傾げてらっしゃる。
なにがそんなに不思議なのか。私の顔を見る王女殿下の黒い瞳は強い好奇心で輝いているようにも見える。
家族以外でこんなにも間近で顔を見たのは初めての事だった。私の眼を真っ直ぐに覗きこんでくる殿下の視線に、顔を真っ赤にしながらも、自分から逸らしてもいいのか悪いのか迷う。私の乏しい経験からは判断が付かないんですが。
結果、至近距離でお互いを覗き込むような格好のまま、私は動けずにいる。
「……」
「……」
期せずして互いに時が止まったかの様に静止した私たち。そんな二人の間に流れる沈黙が重い。おかげで腰だけでなく胃も痛いたくなってくる。
(うぅ、なんでそんなに見つめてくるんですか……)
なんなんですかさっきから。こちとら人見知りなんですよ。分かってるんですか凄く恥ずかしいんです。そんなにじっと私の眼を見つめてこないで頂きたいです。もしかして喧嘩売ってるんですか?それなら不肖このアズマリア王女様相手でも買いますよ。買ってやろうじゃないですか――
(……なんて言えるも筈ないですし)
恥ずかしさから暴走してしまいそうなお口を思い切り閉めておく。ここでいつもの癖が出てしまったらさすがにまずい。今朝の決意を思い出すんだアズマリア!
そんな事を思いつつ、いい感じにテンパってる私だったが、状況は依然変わらずじまいのまま。
そもその相手は王族の姫君で、私はというと貴族といってもその末娘。本来ならば初対面の席でこんな風に王女様の目をじぃーっと見つめるなんて不敬もいいところなのだ。されども今のこの状況。はたして私から視線を外していいものなのか。こんなにじっと見詰められていると、逆に無礼だとか思われそうな雰囲気なのですが。
全くの未知の体験に、なにをするのが最適なのか分からすに途方にくれる。結果王女様との睨めっこを続ける他ないのですが……
(こ、腰が痛い)
先程から悲鳴を上げている腰の痛みが半端ない。無理な姿勢なままでいるからか、額に脂汗が浮かんでくるのが分かる。腰の痛みで顔が引きつりそうになるのを気合で押し隠す。
そんな私をなおも不思議そうに見上げる王女様。ああ、私も彼女みたいに膝を曲げて屈みこみたい。
さすがにそろそろ限界だなーと思っていると
「――ユーリ様。いつまでもそのような格好のままでいるものではありません。アズマリア様もお辛いご様子です。こちらへお戻りください」
無限に続くように思えた時間に響いた声。その声にビックっとなさった殿下は、「はーい」と返事を返されると、くるりと向きを変えて彼女に促されるままソファーに座られる。
私もすっと姿勢を戻すと、声のした方へと視線を向ける。先程の声の主は王女殿下と一緒に入室していた侍女さんだった。透き通る様な青い色をした髪を、背中まで綺麗に伸ばした女の子。他に殿下に御付の人は見当たらないので、彼女が声をかけた本人なのだろう。王女殿下の印象が強烈だったので忘れていたが、そういえば足音は二人分でしたね。
(……ていうか気付いてたのなら助けてよ)
八つ当たり気味に軽く睨むも、侍女さんは素知らぬ顔のまま私にも席に付くよう視線で促す。青みがかった瞳で無表情に催促するその仕草にカチンとくるけど我慢だ我慢。御付の人にいちいち当たっていてもしょうがないだろう。
気持ちを落ち着かせるように胸元の首飾りに軽く手を触れると、私も席に座った。
○ ○ ○
それじゃあ改めまして。
「はじめましてマリアちゃん。私はオールト王国の女王様の娘で、第一王女をやってるユーリ・オルトティーヌって言います。よろしくね!」
そう言うと、弾けるような笑顔と共に片手を差し出してくる王女殿下。初見からなんとなく感じていたことだけど、このお姫様いろいろとおかしい。
「……」
不本意な事だが、私はこれから彼女のご学友になる身だ。殿下を相手に多少馴れ馴れしくしても許されるのだろう。だが、それと同時に私は彼女の臣下でもあるのだ。いくら実家が侯爵家だとしても、王家に方に対して礼節をもって接しなければならない身分でもあるのだ。
それを踏まえていろいろと予習してきたのに、王女殿下のこのご様子である。あまりにも想定外のことに、事前に予習してきた事柄が頭から綺麗に抜け落ちていた。
こういう場面って普通もっと畏まったものじゃないの? そう思ってきたのでどうしたらいいのか分からない。私は頭が真っ白になったまま、彼女の手をじっと凝視してしまう。
そんな私の態度をどう取ったのか。笑顔から一転して泣きそうな、それでいて寂しげなお顔になる殿下。
「……ぅ」
そんな顔されると困る。なにがどうと言われると分からないんだけど、とにかく困る。
王家の方に対する礼儀作法や、貴族としての面子。その他もろものの常識などが頭を駆け巡るけど、彼女の泣き顔の前では全てどうでも良く思えてくる。もう泣かないでもいいようにと、今すぐ手をとって頭を撫でてあげたくなる。
(――っていやいやいや、それはさすがにダメでしょう)
突飛な考えが浮かんでくるのを、思いっきり頭を振ることで追い出していく。綺麗に梳かして来た蜂蜜色の髪がぶんぶんと左右に振り回される。
突然頭を振り出した私にビクッとなる王女様。それを見て侍女さんが鋭い視線を向けてくる。しかし私は、そんな二人の様子には気付かないままだった。
そもそもだ。いくら王女殿下が手を差し出しているからと言って、軽々しく握手をしても良いものなのか。
(う~ん)
イリス姉さんに教わってきた宮廷作法を必死に思い出していく。確か王族の方に許されて、そのお手に触れる時の作法があったはず。でもそれって、なんていうかもっとこう、厳かな雰囲気の場でするもんじゃなかったっけ?
王女様を相手に、侯爵家の娘とはいえ一介の貴族が気軽に握手する。
(いやいや、ないないない)
いくらなんでもフレンドリーすぎるでしょう。私の怪しい記憶力でも分かるもんだぞ。
「う~~む」
ここで間違ってしまえばシュタットフェルト家の名が下がると言うもの。そう、今の私はいわば我が家の代表なのだ。
目をつむんでもう一度良く考えてみる。それだけでは収まりが悪かったので、一緒に腕も組んでおく。そうするといつも物思いに耽るときの体勢になって落ち着く。
そんな私の様子を見て、王女殿下とその侍女さんが目を丸くする。その事にも気付かないまま、正解を求めて私は考えに没頭していた。
(そもそも殿下と直接対面すること事態が想定外なんですよね……)
生まれてからこの方、社交界にも出ずに引きこもっていた。そんな私には、こういた時の対処法など知る由もないのだ。むしろ完璧にマスターしてない方が選考会で落ちやすいよね、と考えているような人間である。
(ロッテ姉さんに、常々想定外など許されないと訓示を受けていたはずなのに……)
その結果がこの体たらく。これでは礼儀作法を教えてくれたイリス姉さんに顔向けできません。うう、泣きたい。
「……ぐす」
心なしか瞼に涙が浮かんだような気がする。自身のふがいなさから泣いてなるものかと、慌てて手の甲でぬぐおうとした所で、ぽかんとした表情をなさった王女殿下と目があった。
「……」
「……」
再び無言でお互いの顔を見詰めあう私と王女様。
握手をしようと片手を差し出されたまま、ぽかんとこちらを見詰める殿下の顔は、素のままの彼女の愛嬌があってかわいくって、直前に見た寂しげな様子はもうないようで安心して。
対する私は、自分でもはっきりと分かるほど顔を真っ赤に染めていた。
「ぁ、あの、えっとこれは、その……」
今更だけど殿下の前で百面相をさらしていたことに思い至って、恥ずかしさで頭が真っ白になる。
顔から火が出るってこんな感じなんだ。そう思いながらも、しどろもどろに言い訳を始める私。頭が混乱しすぎてなにがなんだか分からないが、とにかく何か言わなければと気持ちだけが焦る。
「ぅー」とか「ぁ~」とか訳が分からない事を呟きながら、身振り手振り手伝えようとする私。その視草を呆然と見詰め続けている王女様。
(お、王女様の前でなにやってんですか私はっ)
もうこれって不敬罪だよね?
そう思い頭を抱えようとした時――
「……あはっ」
そんな笑い声か私たちの横から響いた。
何事かと振り向いてみると、王女殿下の隣に控えていた例の侍女さんが突如として笑い出していのだ。
驚いた顔をして侍女さんを振り返る殿下。しかし彼女はその視線を気にすることなく、苦しげにお腹を押さえて笑い続けている。
ていうか貴女そんなキャラでした?さっき無表情でガンつけてたじゃないですか。
そんな侍女さんの様子を、私と二人で呆然と見ていた殿下もやがて
「くす、くふふふふっふ……」
堪え切れなくなったのか、同じように笑い出された。
声を上げて笑い出したお二人を呆然と見ていた私。だけどお腹を抱えて笑い続ける二人の姿を見ていると、なんだか私まで可笑しくなってきて
「……あは、くくははははっ!」
はしたないとは思っても、結局は目の前の二人と一緒に声にして笑い出してしまうのだった。
王女殿下の作法を無視した突飛な挨拶とか、殿下の事を無視して考え込んでしまった私の失敗とか。今日これまでの事全てがなんだがとても可笑しく思えてきて。いろいろと難しく考えていたことがバカバカしく思えてきて。みんなまとめて笑い飛ばしてみたくなったのだ。
まだまともに言葉も交わしてない私達。その始まりはこんな光景からだった。