第一話 「ご学友」
2015/1/1 改稿
「私を殿下のご学友に、ですか?」
質素にして実務的、しかしそこはかとなく上品さが漂う執務室。その主であり父でもある侯爵閣下の告げた用件に、私は思わず聞き返してしまう。
「正確にはその候補者の一人にだな」
父さんが私に教えてくれた所によると、第一王女殿下が王都の学園へとこの春からご入学される事が決まったらしいのだ。
しかし、これまで王宮の中で大切に育てられてきた王女殿下にしてみれば、学園での新しい生活はまったく未知のものになるだろう。そのため゜娘思い゜で有名なの女王陛下は、娘が学園での生活に上手く溶け込められるかのと大層ご心配なされているらしい。可愛い娘の為に陛下は知恵をお絞りになり、結果、王女殿下と同世代の貴族のご令嬢方から殿下と共に学ぶことになる『ご学友』をお選びする事をご決断なされたそうだ。
それだけでも大ニュースなのに、なんとその候補の一人が、この私らしいのだ。
「はぁ、ええと、つまり『王女殿下のご学友』の候補者の一人にですか。この私を?」
「うむうむ。王女殿下のご学友候補の一人にアズをだ。うん」
なんというか、近年稀にみるびっくりさだ。あんまりにもびっくりすぎてぼんやりと聞き返してしまったのもしょうがないと思う。
そんな私の驚き具合を気にすることなく、わが父上様は温和な顔に嬉しげな表象を浮かべて何度も頷いている。
どうやら聞き間違えでは無いらしい。
そもそも私の知っているイメージで言えば王族の学友になるのって――
「それって要は、王女様の取り巻きをしろってことですよね?」
「そこは取り巻きではなくお話し相手と言うべきだな」
父から突込みが入るが、気にせず話を続ける。
「王子殿下ではなくて"あの王女殿下"のご学友にですか?」
「そうだ。女王陛下がご寵愛ばさる"あの王女殿下"のご学友にだ」
それはまあ。なんというか。
「陛下は風邪でもおひきになられたのですか?」
思わずそう聞き返してしまう。いやだってねぇー
「これこれ。滅多なことを言うもんじゃないぞ」
そう注意してくるけど、父さんも内心では同じことを思っているに違いない。だって王女殿下を学園に送り出すだけでも驚きなのに、さらに御傍にご学友を付けられるというのだ。
゜あの陛下゜がである。
日ごろ新聞などを読んでイメージしてきた陛下の印象から考えると、王女殿下を学園に送り出すだけでも驚きだし、これって随分と思い切ったことをしたんじゃないのかな
『女王陛下の人形姫』
この国の第一王女であるユーリ・オルトティーヌ様のことを、私達の国では貴族も民もみなそう呼んでいる。その理由は簡単で、娘の事を溺愛している我らが女王陛下は、その愛ゆえにユーリ様をあまり外に出したがらないのだ。
そのため公式な場でもユーリ様のお姿をお見かけることは稀であり、噂では王宮の奥にて日々陛下から花よ蝶よと可愛がられて過ごしているそうだ。ある意味私に並ぶ引きこもりなお姫さまである。
陛下のその寵愛ぶりが、まるで大切な人形を大事に仕舞いこんでいるかのようであり、そのことから付いたあだ名が『女王陛下の人形姫』なんだとか。
――もっとも全部新聞からの受け売りだけどね
むしろ軟禁なんじゃね? とその手の記事を読むたびに引きいていたのを思い出す。
その王女様がいったいどんなお顔をなのか、領地の館から外へ出た事のない私は知らない。何度かお見かけした事のある父さん曰く、たいそう可愛らしいお顔立ちをされているんだって。
しかし『女王陛下の人形姫』ってあだ名は、王女様ご本人の容姿を指してでなく、実の娘をお気に入りの人形のごとく可愛がっている陛下へ、新聞社が皮肉を込めて付けたネーミングだと私は思っている。
そんな大切な『お人形』を一時とはいえ王宮の外に送り出されると聞けば、思わず陛下のご病気を疑ってしまうのも仕方が無いだろう。
――そういえば
「王女殿下って御幾つでしたっけ?」
「今年で12歳になられるな。アズと同い年だ」
そうそう12歳だった。打てば響くように応えてくれる父に感謝。
まあ私の年齢と、王女様のとがほぼ同じ。ご学友の候補者としては妥当なのだろう。
だからといってはいそうですかと、素直にご学友に成るのには面倒な事が多そうなお相手であるのは間違いない。
ゆえにここで父さんに言うべき事はきちんと言っておかねばなるまい。
「残念ですがお父様、このお話はなかったことに―」
「は、できないからなアズ」
姿勢を正して丁重にお断りしようとした私の話を遮って、ニコニコ顔の父が言う。
ならばこちらもにっこりと笑顔を浮かべて「お父様、わたしね」とおねだりしてみても「そんな顔してもだめだからなー」と切り返される。取り付く島も無い。ぶすーとした顔をしてみせても同じだった。
しかたないので普段どおりの表情に戻しておく。
「それってつまり勅命って事ですか」
「形式上はともかく勅命だろうね。なんせ王室からの正式なご依頼だ」
ですよねー。
軽くため息をつきながらも、私にとってもここらが年貢の納め時かと思う。たとえ王室からの依頼であったとしても、父さんはそれが縁で私も学園へと行くのならと、この話を受けて喜んでいるのが丸分かりだった。
侯爵家の三女なのをいいことに、私が領地の館に引きこもりがちだったのを父や姉兄が気にかけているのは知っている。それでも、これまでは外には出ずとも姉さん達を教師役に勉強したり、書庫の本を引っ張り出しては読書をしたりしてきた。
しかしイリス姉さんが嫁ぎ、ロッテ姉さんも王都での仕事に就いてからは自分ひとりで過ごす時間が増えていた。領主としての仕事に忙しい父と兄は、私の事を気にかけていても一緒にいる時間を割く事は難しい。早くに母を亡くし、家族以外で親しい人物のいない末っ子の事が心配だったのだろう。王女殿下のご学友の話はまさに渡りに船だったわけだ。
そうするとこの話断るわけにはいかない。私としてもこれ以上家族に心配をかけるのはさすがに申し訳ないし。館の外に出る事に思うことは多いけど、気持ちを切り替えて侯爵家の娘として『王女殿下のご学友』の件を考えるとしよう。
テーブルに出されたままの紅茶を手に取る。だいぶん冷えてしまっているが気にせず口につける。ゆっくりと喉を潤しながら父から聞かされた話をもう一度思い返す。真剣に考え出した事に気付いたのだろう。そんな私の様子を見守りながら、父さんは侍女に命じて紅茶のお替りを用意してくれる。
――まあ候補者の一人って言ってたし、無理にご学友に成らなくてもいいかな
私って社交の場には不慣れだし(というか出席した事すらない)。立ち居振る舞いは一通り身に付けているとはいえ、社交スキル皆無な私としては、恥をかくことが判っている以上王族とはあまり関わりたくないし。それならばご学友の候補者の一人として、父の顔を立てつつ適当に立ち回ればいいだろう。
となると次は学園での生活のことだ。"あの"女王陛下が入学を許したとなるとどこだろう? 王女様が通うんだし、このご時勢で選択肢はあまりないだろうし、そうなると……
「……マグナウラですか?だとしたら断固辞退したいのですが」
前言撤回。この話なんとしても阻止せねば!
マグナウラ女学園といえば、聖都にある世界一安全な学校であり、超がつくほどキラキラしたお嬢様学校として有名なところだ。そんなところに通うなんて是非とも避けたい行きたくない。女の園なんて聞くだけでも恐ろしげじゃないか。「ごきげんよう」と挨拶しながら少女たちに囲まれての学園生活。人見知りな私など百戦錬磨のお姉さま方の餌食に違いない。『前』の記憶があるのでなおさら怖い。フリフリした制服に身を包んだ自分の姿を想像してげっそりとしながらも父さんに拒絶の意を伝える。
すると「ん?なんでマグナウラだ?」と真顔で返されてしまった。
「……」
「……」
あちゃまたやったか。
「……はぁ。なあアズよ。思案に浸るのも良いがな、そのせいで話の流れを飛ばすのは悪い癖だといつも言っておるだろう」
そう言って苦笑いする父さんに神妙な顔をして頷いておく。
「まぁ確かに、王女殿下が通われる所となると誰もがマグナウラ女学園を思い浮かべるだろう。女王陛下の御言動を聞く限り、ワシでもそう思った事だろうしな。しかしアズよ、ワシは"王都の学園"だとちゃんと言ったろうが」
そう言う父さんの言葉に確かにそうだったなと思い返す。
と同時に驚いてしまう。だって王都の学園っていったら
「アヤ・ソフィア学術院の付属学校にですか!?」
王都で学園といえば普通ここを指す。貴族の子弟から庶民の子まで、身分を問わず受け入れる事で有名な所だ。だからこそ有り得ないと最初に除外していたのだ。
「選民思考のあの女王様が、自分の姫を庶民も通う学校にですか……」
「だから滅多なことを口走るなと言っておるだろう」
父さんの苦言を無視してしまうほど驚いてしまう。
オールト王国の女王セイラ・オルトティーヌといえば救国の御子として13年前の災厄を鎮めた英雄として有名だ。と同時に「御子はケガレを嫌うから」と潔癖な方であり、それが行過ぎて選民思考に陥った事でも有名な人物であるのだ。そのため救国の英雄でありながらも市井の民からの支持は今ひとつ、というのはロッテ姉さんの評。毒にも薬にもならないんだろうなってのが私の感想だ。
それにしても――
「……よく陛下が許しましたね。」
アヤ・ソフィアの卒業生である上の姉兄達曰く、なんでも有りな学園である。国中から学生が集まるし授業も実践的なものが多いと聞く。それこそお洋服が汚れましたわ~ではすまないレベルの事もあるだろう。そんな所に自分の『お人形』を送るなんて本格的に病気を疑わなくてはならないんじゃないのか。
「まあまあ。気持ちは分かるが陛下もまた娘を持つ母親でもあらせられるのだ。いつまでも手元に置いて大事に囲っておるだけでなく、可愛い子には旅をさせる事も必要だと考えての事だろう」
本当のところはしらんがな。そう呟く父さんの言葉に一応納得しておく。
にしてもそんな状況で王女殿下のご学友をなると
「はてしなく面倒そうですね……」
先ほどとは違う意味でまたげっそりだ。
「うーん、まあそう深刻に考えるな。アズをご学友の候補にといってもな、最後にご自身の友を選ばれるのはユーリ殿下ご本人だ。それにアズの他にもお声の掛かっている令嬢はいるのだし、本命は陛下も用意されているのだろう。アズはアズで適度に役目を果たしさえすればそれでよい。それよりも学園での生活こそを、十分に楽しんできなさい」
そう告げる父さんの顔はどこまでも穏やかだ。やはりご学友の件よりも、私が外の世界に触れる事のほうが大事だと、そう思っているのだろう。
「……必ずしも殿下と友誼を結ぶ必要はない、ということでよろしいのですね」
そう念をおす私に対し
「ああ、それでよい。それでよい」
そう返す父さんの顔は領主のものではなく父親の顔だった。
……まったくもう。
王族と懇意に成れるという貴族としての利益よりも娘の事を。そう断言されてしまえば断る事などできようか。
私はソファーから立ち上がると軽くスカートを摘み、淑女の礼を持って父である侯爵閣下に告げたのだった。
「アルフォード・シュタットフェルトが娘アズマリア。王命に従いユーリ様のご学友候補として王都へと参上する旨、謹んでお受けいたします」
こうして私、アズマリア・シュタットフェルトの初めての学生生活が始まることになったのだ。
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5/11 ユーリの年齢を「12歳」に変更
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