吉原指南 七
「はて、何かお困りごとでも」
「藤堂平助と言う武家のご子息がこちらに通っておりますでしょう」
平助の名前が出ると、道三郎は少し眉を引き上げて驚いて見せ、首をかしげながらも「ええ」と答える。
少し目を左右に振って何かを探ると、今度は首を反対の方向にかしげた。
「あれは少々乱暴なところがあるが、中々骨のあるしっかりとした子です。
ただ少しわがままで融通が利かぬこともありましてな。いやあ、もしやそれで平助が何かご迷惑をおかけしましたか。」
真摯な瞳の中に若干の不安をよぎらせる様子をみると、どうやら平助の素行は普段から褒められたものではないらしい。それが想像通りで、道三郎の苦労を浮かべた清次郎が思わず笑い声をこぼしたのを見て、道三郎は気まずそうに頬をかいた。
「先日、ご縁で知り合いまして。長屋で私の向かいに住んでいる振り売りの男の話をしていましたらば、是非一度振り売りをしてみたい、と。」
「また、何と言う」
清次郎が言い終えるより早く、ばかげたことを、と継ごうとした言葉を飲み込んで、道三郎の口からは代わりにため息が漏れる。どうやら、平助は想像以上に悪名高いらしい。
しかし、清次郎の方も請け負ったと言う責任があるものだから、その程度では引っ込んでいられないと、早々に言葉をおっつけた。
責任というよりは、そういう子供だからこそ、市井の暮らしを知れば素行も変わるやもしれんと清次郎は期待を抱いていた。
「それが、自分だって半分は町人の子でもあるからと。剣術だけでなく町人の生活も知っておく必要があるのではといっておりましてな。いやあ、中々考えのある子です。」
「それは確かに半分はそうかもしれないが。いやいや、半分どころか平助の言い分はまるきりただの建前でありましょう。本当のところはただ商人というものに一時興味が沸いただけでしょうな。何でも興味を持つのはいいが、素晴らしいのは飛び出すときの勢いだけだからなあ。あいつめは。」
随分真剣な顔をして語ってみても、声の中には噛み潰していたのであろう可笑し味と慈愛が満ちていて、師匠だけあり平助のことを良く把握していると見える道三郎の前では、清次郎がわざとらしく並べた文句は全く意味のないものになってしまった。
「さすがは道三郎殿」
まいった、と観念して眉を下げれば、道三郎は堪え切れずに声をあげて笑った。
狭い部屋に響く笑い声の隙間に、もう蜩の声がかなり大きく入り込んでいて、清次郎は一瞬それに気を取られた。
暑さが思い出したように日中に襲っていても、季節はすっかりと秋へ足を踏み入れていた。
昨日の小ぶりだが熟れた柿が何よりの証拠だ。
「で、どうして平助でなく清次郎殿が私のもとへ」
運ばれた茶に口をつけつつ、足を崩すと清次郎にも目でそうするように促した。
「それが棒手振りに行くのは稽古に支障が出る時分でしょうと思いまして、よろしければその分は私が伊東道場で稽古をと思いまして。半月ほど、いかがでしょう。
お家を背負う頃になればこのような自由も利きますまいし。
一応同じ流派であれどご本家からお預かりするのでは、きちんとご了承を得る手はずを教えていただきたく。
藤堂殿についても私は、例え今は建前であろうと市井の暮らしぶりを身をもって学ぶことは、学問にも劣らぬと思うのです。」
「むう。」
顎に手をやる道三郎が悩む姿は、凛々しい顔に何処からか皺が集まってがんものようで愛嬌がある。しばらくがんもは黙り込んで、首をひねるとちらりと清次郎へと目をやった。
「して、何の振り売りを」
「花です」
途端に道三郎は破裂したようにぶっと息を漏らして笑い出した。
余りにそれが大きい声だったもので、さっきまで障子を隔てて鳴いていた蜩が鳴くのをぴたりとやめてしまったほどだ。
「平助が花ですか。それはいい」
そんなことなど気づく様子もなく、道三郎はその顔を緩めて膝を叩き大いに笑った。
しかし清次郎は、道三郎が黙り込んで悩んで見せた時点で、ああこれはだめかも知れぬと思っていた。清次郎の呼び方の件でもそうであるように、一度これは納得いかんと思えばてこでも動かぬのが道三郎だということを良く知っていた。