表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/15

吉原指南 四

「共するって、一体何のために」

喜市が眉間にしわを寄せれ問いかければ、平助は少し口ごもって目を泳がせた。

余りにもわかりやすい動揺に、喜市はその目を清次郎へと差し向ける。

しかし清次郎は、平助のそれを何と取ったのか、喜市に向けて苦笑いを浮かべながら首を左右に振ると

「藤堂殿、わけを話してはくれまいか。何しろ侍が共をして花を売るのでは、買うほうも驚いてしまうだろう。喜市もそんな風に話しては藤堂殿も話しにくいだろう」

相変わらずの鈍感ぶりに、ため息をついた喜市の前で、清次郎が横から柔らかく促された平助は、差した刀の柄をぐっと握って漸く答えた。


「私もその、花売りというものをやってみたい。」

先ほどの同様は何処へやら、きっぱりと言い切った平助の目は妙に凛々しくて、唖然としつつも思わず喜市は感心してしまいそうだった。

「何いってやがんでえ」

しかし、あまりに思いがけない答えに、思わず口からぼろりと言葉がこぼれたのは空豆だった。

驚きすぎて、豆のくせに豆鉄砲を食らったような顔をしているものだから、井戸端から戻った侘助がどっかのおっかさんからもらってきた干し芋を咥えながら覗き込んでいた。


「それはどういうことですかな」

唖然とした喜市と空豆、毅然とした平助の間を割って、清次郎が口を挟む。

坊ちゃまの気まぐれかとも取れたが、それにしては喜市が花の振り売りをすると聞いたときの、何か望みを得たような目が引っかかった。


「人々の暮らしというものを学びたいのです。」

今度は直ぐに、はっきりと言い返す。しかしいかにも腑に落ちていないといった感じで、喜市は眉間のしわを深めた。

「振り売りはわかるが、俺が行くのは吉原だ。そんなところに行って、咎められはしませんかい」

「しかし、人と言うものが一番わかる街だと、聞きました」

「そりゃまあ、違いねえが」


拍子のいい答えながらも、答えになっちゃいねえ、と口の中で呟きながら、喜市は今一つ納得がいかなかった。

例えば、登楼したこともないであろうこの少年が、花魁の美しさを聞き及んでいたがゆえに、憧れを持つのは喜市もわからぬわけでもなかった。振り売りをして見たいというより、吉原という言葉に反応しているのではないかと喜市は踏んでいた。

しかし不思議なことに平助からは邪な心も感じられなければ、憧れに浮かれるような雰囲気も見出せなかった。

ただ真摯な目のみが喜市を指した。


「それでも、お武家の坊ちゃまを働かせるなんて出来ねえよ」

困り果てた喜市が口にすると、平助は少々顔を曇らせた後で、そのかぶりを振った。

「私の母上は町人です。」


その言葉にはみな驚いたが、だからといってお武家なことに変わりはない。町人の娘を武家に養子に入れ、同格の家に嫁がせることは稀なことでもない。

それに武家と言えども、庶民じみた趣味を持つ人間は数え切れないほどにいる。大商人のほうが今ではまるでお武家のような振る舞いをしている者もある。

しかし果たして平助の言う庶民の生活への興味が果たしてその類のものなのだろうかと量りかねた喜市は、やっぱり返事をすることが出来なかった。


「なれば、やってみるが良いさ」

思いがけぬところからあっさりと承諾したのは清次郎だった。

その言葉に一瞬にして平助の顔に光がさすが、一方意表を突かれた喜市は跳ね上がるように立ち上がると、思わず言葉を荒げた。


「清次郎殿、そういうわけにはいかんだろうよ。いくら母上が元は町人とて、お父上にしれればどうなることか。」

そりゃそうさ、と弱弱しく空豆が加勢したが、平助が目線をやるとひょっと肩をすくめて口をつぐみ、眉を上げた。

「父上に会うことはありません。ご心配は無用です」

「しかしなあ」

おっつけるように言う平助に、言うべき言葉も見つからず、喜市はそれ以上ものをいうのをやめてしまった。しかし空豆はそんな喜市に向かい顎をしゃくって、断れと促す。

店子にもし不手際があれば、差配の不手際にもなる。空豆が嫌がるのも無理はなかった。

意向を受け取った喜市のほうは、ため息をつきながら言葉を捜したが、正面の真摯な目に急かされてどうにもいかず、逃げるように視線を清次郎へとむけた。

すると、清次郎はその意図を得たらしく、穏やかに笑い「藤堂殿」とその口を開いた。


「まあ、まだお勤めも始まらぬうちでなければ、このようなことは土台無理な話だ。見聞を広げるには広めるにはいい機会だと思うんだがなあ。」

期待に満ちた目で見つめる平助に、眉を下げると

「しかしながら」

と清次郎は付け加えた。


「剣術や文字を怠ることがあれば直ぐにでも辞めて頂くことにはなるが。」

下がり眉でありながらも、さすがに剣を人並み以上につかうだけあって、清次郎の目の芯は厳しさを持っていた。

平助もどうやらそれを感じ取ったらしく、ぴしりと姿勢を正すと静かにゆっくりとうなずいた。


どこか取り残された心持の、喜市と他の二人が、その両名の妙に通じ合った様子をぽかんと眺めていると、今度はこちらを向いた清次郎が、喜市に向かって少し頭を下げる。

「私からもよろしく頼むよ、喜市」

そんな風に言われてしまえば、喜市だって断り切れるはずもない。一度まとまった話を解いたところで、また振り出しに戻るだけなのも喜市にはわかっていた。

せめてもの抵抗で一二度首を傾げ、ため息をつきつつも

「わかったよ」

と言う他になかった。

空豆は真っ赤にゆだった顔を今度は白くして、節くれだった手で顔を覆うとがっくりと肩を落とした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ