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吉原指南 拾二

今ままでで一番重い足取りで大門までたどり着くと、簡素な木組みだけの冠木門の周りは、昼見世前の振り売りや湯屋に行く前の化粧気のない花魁を見物に来た客などで賑わい、夜の艶っぽさは微塵も感じられなかった。

籠に入った花を掠めながら、白粉や香の混じった匂いのする男がすれ違っていく。文句をの一つでも言おうと思ったが、客を見送る時刻を過ぎても居続けるあたりどうやら遊女の間夫(情夫)だろう。無粋な真似はしまいと思いつつ、喜市は苦い思い出を噛み締めた。


「喜の字じゃねえか!」

門をくぐった瞬間、威勢のいいだみ声が投げかけられる。つられて平助が振り向けば、声をかけた男は「ほう」と声をあげてしげしげと平助の顔を眺めた。

「久助どん」

平助の直ぐ前で喜市の素っ頓狂な声があがったせいで、通り過ぎていく行商たちも思わず振り返る。その様子にがははと豪快に笑う、久助とよばれたその男は、年のころは三十ほどだろうか、浅黒く光る肌のその額に小さな傷跡をこさえ、がっしりとした体つきは、平助の兄弟子よりもよっぽど強そうに見えた。

「なんでえ、お前さんもう白粉の匂いはうんざりじゃなかったのかよ」

久助の視線を辿って、平助が喜市の顔にたどり着けば、気づいた喜市は気まずそうに頬を強張らせ口の端をぎこちなくあげた。

「彦佐が足おっかいたから、少しの間だけ代わってやってるだけだよ。久助どんこそ吉原なんか出て地女(遊女等ではない女性)と所帯持つんじゃなかったのかい。」

「そりゃあ久助どんだって言い寄る女の一人でもいりゃあこんなとこにはいねえさ。」

久助の後ろからもう一人、今度は喜市と同じくらいの年と思える男がひょっこりと顔を出して隣に腰掛けると、久助の肩に手を回して慰めるように二度叩いた。


「伊之助、おめえもまだいたのかよ」

今度は顔も声も明るくした喜市が、振り向いて平助の腕をつかむと、番屋の上がりかまちに腰掛ける二人のもとへと引き寄せた。

よろけながらも二人の目の前へと出た平助はひょこりと小さく頭を下げる。

「喜市、おめえがそっちの気もあっただなんて俺は知らなかったぜ、なあ伊之助」

やけに腹に響く久助の声に答えて、伊之助はにやにやと薄い唇でキセルを咥えると、じろりと平助を舐めるように見て、勢い良く煙を吐き出した。

「それにしちゃあ色気のかけらもねえけどなあ」

当てられた煙を顔を振って避けながら、平助はあからさまに眉間に皺を寄せる。気づいた伊之助はそれを鼻で笑ってから自分のたぼ(後頭部)辺りを指差した。


「怒るない。お武家様に色気なんてあってもしょうがあるめえよ」

伊之助が意地悪そうにそう口にすると、喜市は「あっ」と声をあげ、急いで平助が肩にかけたままの手ぬぐいをつかむと瞬く間に平助の頭にかぶせて裾を縛った。

相変わらず伊之助はにやにやと口の端を上げていたが、上がりかまちに腰掛けたままで体後ろにそらせ、端に寄せてあった文机の上で筆を走らせると、平助に髪を手渡した。

「何処の結屋も今は見世に出払ってるよ。その見世いって源次って髪結いに結ってもらいな。見世の抱えだけど目が見えねえってんで、源次を贔屓にしてるそこのお職(トップの花魁)以外は使わねえから暇なはずだぜ」


片手で駕籠を押えたまま、平助はその紙を読んだが、髪を結ってやって欲しいとしか書いておらず、思わず自分の髪がそんなに乱れているのかと被せて貰った手ぬぐいの中に手を入れて確かめてみた。

しかし、昨日の朝きっちりと結ってもらったばかりの髪はまだ綺麗に整っていて、念のためになでた月代もすべすべとしていた。


「髪は乱れちゃいねえよ、その逆だ平助。お前の髪が綺麗過ぎるんだよ。それじゃあまるでお武家さんだ」

喜市に言われて初めて、平助は3人の髱が少しふっくらと張り出している事に気がついた。

平助のそれは、武士らしいぴったりとひっつめた髱だったのだ。棒手振りには似合わない。

気づいてとっさに頭を押えたものだから、肩にかけていた天秤棒がぐらついて花籠から花が一輪落ちてしまった。

しかし平助は思いつめた顔で地面に目を落としたままその花には気づいていないようだった。


「ああほら、売りもんを粗末にするんじゃねえや」

見かねたのか、ちいさく「よいしょ」と口にして大儀そうに花を持ち上げて籠に入れると、伊之助は壁にかけてあった笠をそのひっ詰めた丁髷頭にかぶせてやった。

「結いなおせねえってんなら、これ被っときな。」

キセルを咥えなおし、あごをほんの少ししゃくって促すと、平助は僅かに頭を下げてその紐をしっかりと結んだ。

「悪いなあ伊之助、ありがたいや」

「昔のよしみで負けといてやるから安心しねえ」

懐に入れていた手を喜市に突きつけると、伊之助はその天に向けた掌をひらひらと上下に扇いでねだる。喜市が呆れて口をあんぐりとさせると、伊之助の後ろでは久助が笑いながら首を左右に振って、伊之助とは逆に向けた掌で同じように上下に扇ぐと、喜市たちにさっさと行けと合図していた。


久助とばっちりと目が合った喜市は深く頷くと、うろたえる平助の手をそっと取り

「ありがとうよ伊之助どん!」

と言い放って仲ノ町へと駆け出した。

伊之助の怒鳴る声と、久助の割れるように荒々しい笑い声が後ろから追いかけたが、二人はわき目も振らず、まだ閑散としている吉原の奥へと消えていった。

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