吉原指南 拾一
「あれまあ、こりゃあ痛いだろうよねえ。ほら其処に座って足をお出しよ。」
まだ小さな孫娘と共に体が隠れそうなほどの大量の花を持って出てきた、花問屋のおみよというばあ様は、筵の上に花を置くとすぐさま平助の疵だらけの足を見つけ、しゃがみこむとその節くれだった皺の深い手で平助の白くなめらかな足をさすった。
「喜市、こんなお坊ちゃんに無理させちゃあいけないよ、お前とはお育ちが違うみたいじゃないか。」
「へえ、わかるかい」
煙管を吹かして一服する喜市をおみよはじろりと睨んでしかりつけると、その見かけに似あわぬ素早い動きで家の中に戻り、何かを大事そうに手に包み戻ってきた。
そして手際よく平助を座らせその足を濡れた手ぬぐいで綺麗にぬぐうと、手に持つ貝の中に入っていた軟膏と思しきものを平助の足に塗りつけ、手ぬぐいを裂き、鼻緒に当たらぬように巻いてやっていた。
「わるいなあみよさん」
余りの手際のよさに端で感心してみている喜市に気もやらず、おみよは平助にしきりに「痛くないかい、きつくないかい」と声をかけていた。難しい顔をしたまま足を投げ出していた平助は酷く拠り所のなさそうな顔をした後で「すまない」とぽつりと呟いたが、少年らしい素直さに思わず口を歪めた喜市に気づくと、ばつが悪そうに顔を背けてさっさと足を引き揚げ、急いで花の入った籠を肩にかけてそそくさと門へ駆け出した。
「馬鹿だねえ喜市。あんな意地の強そうな子にそんな顔したら直ぐに臍曲げるに決まってるじゃないか。」
気分を悪くするわけでもなく、からからと笑いながら曲げた腰を伸ばすおみよは、平助の背中にまぶしそうに目を細めていた。
「その意地の強さに参っちまってるんだよ」
煙管の葉を詰めなおしながら喜市が片眉を引き揚げて苦く口にすると、おみよは一層高く笑い声を上げる。
隣で餌をつついていた鶏と、それを眺めていた孫娘が、同時にびくりと体を跳ね上げた。
「そりゃあ喜市、お前さんだっていい勝負だったじゃないさ。今じゃかっこつけてそんな洒落た手ぬぐいなんてかぶっちまって」
笑うだけでは飽き足らず、ばしばしとおみよが喜市の背中を叩くので、詰めたばかりの煙草の葉は煙管からほろりとこぼれてしまった。鶏が突っつき始めたのを慌てて足で追い払う。
「お前さんがいっちょ前に文句言えるようになったご恩返しだと思って、ちゃあんと面倒見ておやりな。」
拾いあげた煙草の葉を再び詰めなおす喜市は、生返事をしながらもいっぱしの口を叩いた気恥ずかしさを隠すように、かぶった流行の柄の頬かむりを正すと、土間の隅に自分たちのために置かれた小さな火鉢から火を貰い、先ほどの平助のようにそそくさと外へと出て行ってしまった。
垣根で出来た門まで出ると、小さな孫娘の見送りの声が後を追いかけてきたので、つい喜市は振り向いた。するとその奥には穏やかで見透かしたような笑みをたたえるおみよがいて、喜市は観念して頬かむりをとるとひょいと首にかけ、大きく手を振った後で歩き出した。
「昼もかわらず人がいるんだなあ」
大門の外から伸びる衣紋坂にある、見返り柳といわれる柳の木に差し掛かった時、平助が間延びした声を漏らす。
「昼見世も近いしなあ。通いの髪結いだの、俺らみたいなもの売りが殆どだよ。しかし平助、夜見世がどんなものだか知ってるのかい」
喜市は何気なしに返したものの、後ろから付いてくる平助が妙に押し黙っているのを感じて立ち止まった。えもいわれぬ嫌な予感が喜市の中を駆ける。
振り向いてみれば思った通り不穏な雰囲気を浮かべた平助は目を泳がせ、喜市の視線に促されて自分から口を開いた。
「それは兄弟子に話を聞いただけで。私は何も。」
せきたてて口にするさまはいかにもわけありげだった。しまったなあと後悔をしたところで既に遅く、喜市は花の重さにしなる肩をさらに下げると、とぼとぼとと大門へと続く坂を上りはじめ「清次郎どのめ」と小さく呟いた。