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エビは生きている

 ここ数週間、仕事で帰宅が遅くなることが多かったが、ようやく抱えている案件の目途がついてきて、今日は夕飯時に自宅に着くことができた。久しぶりに妻の料理が食べられるのは私にとってこの上ない喜びであった。私は妻の料理の腕に惚れ込んで結婚を決めたようなものだったからだ。


 それがここのところ深夜に帰宅することが多く、せっかく作ってもらった料理も冷めきっていて、また疲れのためか腹も減っておらず、泣く泣く翌日の弁当に詰めてもらうというようなことが続いていた。冷めた弁当にもそれなりの味わいはあるが、やはり料理はできたてを味わわなくては意味がない。電子レンジでチンすればできたての風味に立ち戻るというのは幻想にすぎない。そこには大いなる欺瞞と諦観がある。一度失われてしまったものは、二度と取り戻すことはできないのだ。


 食卓から立ち昇るかぐわしい匂いで見当はついていたが、私はあえて妻に尋ねてみた。


「今日のおかずはなんだろう?」


 こんな些細な問いかけすら、以前に交わしたのはもうずいぶんと過去のように思えた。


「エビフライよ」


 顔を輝かせて告げる妻は少女のようにはしゃいでいた。


「あなたから早く帰るって連絡があったから、今日は奮発して活きのいい車海老を買ってきたの」


 そう言ってくるりと回ってみせた彼女はそのまま台所に向かい、大皿に、これまた大ぶりのエビフライを山盛り載せて掲げ得意げであった。素晴らしい。エビフライは私の大好物だ。妻は私の好物をちゃんと覚えていてくれたのだ。


 さあ召し上がれ、と言われる前に箸でエビフライを掴んでいた私だったが、漆塗りの箸がからりと揚がったエビフライを掴んだその瞬間、さくりという感触と共に脳裏をよぎったものがあった。


 海老沢海老蔵――


 なぜこんなことを思い出したのだろう。こんなときに。こんな大切なひとときに、なぜこんなくだらないことを。私は思わず笑みを漏らす。妻には純粋に好物のエビフライを前にした喜びに映っているだろうか。だが違う。


「エビは生きている」


 そう呟いた私に妻は怪訝な顔をした。


「何か言った?」

「いや……なんでもないんだ」


 私はエビフライを口に運んだ。まごうことなく揚げたてのエビフライはたとえようもないほど美味かった。こんな美味いものが世の中にあっていいのだろうか、そう思ってしまうほどに、妻の揚げたエビフライは極上の味わいだった。エビのプリプリ具合ときたら、さながら生きているかのようだ。


『エビは生きている』


 海老沢海老蔵の著になるその本はかつてベストセラーとなり、社会現象を巻き起こした。驚くほど短期間に百万部を超える売り上げを計上し、そしてあっという間に忘れ去られた。今ではもう、誰も覚えているものはいない。古書店ですら見かけることはない。私の自室にもあったはずだが、おそらく探しても見つからないだろう。いったいどこへ消えてしまったのだろう。私はその本をここ数年見かけることはなかったし、ほんのわずかでも思い出すこともなかった。


 私は目を閉じ、エビフライを咀嚼する。


 もう終わってしまったのだ、と思う。すべては終わってしまったのだ。彼に関することはすべて。一切残らず。メディアというのはそういうものだ。いつかは霧のように消えてしまう膨大な虚構。メディアはその巨大な見えざる力によって、どこにも存在しないはずのものをあたかも実在するかのように鮮明に映し出し、確かに存在するはずのものを夢や幻のごとく儚いものに変えてしまう。何物もそれから逃れることはできない。


 どのようなものであれ、メディアの前では変質を余儀なくされる。海老沢海老蔵も例外ではなかった。彼は新進気鋭の哲学者としてメディアに紹介された。その奇抜な風貌と攻撃的な物言い、独特なスタイルはいっとき世間を沸かせるのに充分だった。エビを通して世界を語るその奇想天外な発想はさしたる話題もなく退屈していた人々に喝采をもって受け入れられた。一時期はどのチャンネルを回しても彼が出演していて、ギョロ目を剥きながら、「エビは生きている!」と叫んでいた。


 咀嚼され、細切れになったエビフライの残骸を飲み込みながら私は思う。当時は彼のエキセントリックな部分ばかりが取り上げられ、誰もが新種のお笑いタレントを見るような目で彼を見ていたが、それはメディアによって歪められた姿であり、本当の彼は世間が思っているような人間ではなかったのではないか。彼は純粋にエビが生きているということを世間に知らしめたかったのではないか――ただそれだけだったのではないか。今になって私はそう思うのだ。


 もちろんすべては想像にすぎない。私の考えはまったくの見当違いであるのかもしれない。それはわかっている。しかし、こうも言えるのではないかと思うのだ。つまり、ある意味では真実は無数にあるのだ、と。


 メディアが抑圧された虚構をひとつの真実として押しつけるのならば、それを受け取る私たちのひとりひとりがそれぞれの真実を構築することも可能なのではないか。ひとつの真実とされるもの、それをバラバラに分解してまた組み合わせてみたら、そこにはまったく違った形のもうひとつの真実が姿を現すのではないか。そしてそれは組み上げるものが違えば、出来上がる形もまた変わってくるのではないだろうか――


 私たちは半ば無意識的にそれを行っている。真実の再構築を。与えられたものをそのまま受け取ることはない。自己というフィルターを通し選り分けられた情報をさらに偏見によってこねくり回し、自身にとって都合のいい真実を創り上げていく。だがいったいそのどこに問題がある? まっさらな真実などどこにも存在しない。どんなに生まれたてのように見える情報もとっくに加工済みなのだ。この世界では!


 私は現在という時代の複雑性を思う。処理しきれないほどの、認識しきれないほどの情報が至るところから際限なく生み出され、それらは光のごとき速度で世界中を飛び交い、そこかしこであらゆるものが密接に絡み合って現代という時代を創り上げている。そして時代はただそこに在るのではなく、絶えず新たな時代へと更新され、ひとときとして同じ時代は存在しない。すべてが急速な変貌の過渡期にあり、いつ終わるとも知れぬアップデートのさなかにある。


 私には海老沢海老蔵の言いたかったことがわかるような気がする。彼は求めていたのだ。伝えることを。絶え間ない様式変更のなかにあっても決して変わることのない普遍的な真実が存在することを。それをこそ知らしめたかった。ただひとつの言葉を通して。ただひとつの言葉に託して。彼は叫び続けたのだ。


 エビは生きている、と。


 それこそが彼にとってたったひとつの真実だった。真実と呼ぶに値するものだった。メディアがばら撒き、私たちが再構築する無数の真実のなかで、誰かひとりでも真に自身を理解してくれるものがいてくれれば――きっと彼はそう思っていたのだろう。おそらくはそれが永遠に叶うことのない希求であるとどこかで感じながら、彼は叫び続けた。こんな単純な言葉ですら――いや、単純な言葉であるからこそ――正しく伝わることはないのだと、ある種の諦観を込め、哀切を滲ませて、訴え続けたのだ。


 テレビの向こう側にいる何千万人という人々の誰かひとりにでも自らの意図が正しく伝わるようにと。声を嗄らし叫び続けたのだ。それはあたかも砂漠に水を撒くようなものだっただろう。私たちには想像もつかないような虚無が絶え間なく彼を襲ったに違いない。だが、それでも彼は叫び続けた。


 叫び続け、叫び続け――そしていつしか忘れられた。


 私は二尾めのエビフライに箸を伸ばす。眼前に掲げ持ち、まじまじと見つめてみる。これは確かにどこぞのファミレスで供される得体のしれないブラックタイガーなんかとは根本的に違う、由緒正しき車海老のフライであるのかもしれない。だが果たして、本当にそうであるという保証がいったいどこにある? 証明されないことは無限の可能性を示唆し、それはそのままたったひとつの真実の喪失を意味する。妻が言っているから、パックに記載されているから、だから正しいとは限らないのだ。それらは何も保証しない。何も証明しない。なにひとつ——これがそもそもエビであるかすらも!


 私たちは無数の解釈の上に暮らしている。その不確かさの上に生きている。何も保証しない世界で私たちは何を寄る辺として生きていけばいいのだろう。


 私は海老沢海老蔵のことを思う。彼の誠実さと孤独を思う。多くの人々の記憶から失われてしまった彼の存在の儚さを思う。すべては泡沫の夢のように時の流れと共に失われていく。だがそれでも残るものはある。誰かの心の片隅に。私も誰かの心のうちに残りたいと思う。それがおそらくは生きるということなのだ。本当に生きるということなのだ。エビのように。


 エビが生きているように、私もまた生きているのだ。



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