社畜たちの挽歌
あと幾度繰り返せばいいのだろう――この終わりのない戦いを。
未来永劫に渡って私たちは戦い続ける。
振り返ればそこは死屍累々たる荒野。志半ばで斃れた戦士たちの無念が声なき声となって靄のように立ち込めている。だが私たちにはまだ振り返ることは許されていない。立ち止まることも許されていない。立ち止まるときは死ぬときだ。だから私たちは進み続ける。先の見えない道を。微かな光を頼りに。それが冥府へと誘う鬼火でないという保証はどこにもない。この世界において確かなものなど存在しない。努力が報われる保証もなく、時間外労働が給与に寄与する保証もない。ボーナスの査定が正しく行われる保証ももちろんない――あるわけがない。
ここは社会という名の墓場。会社という名の牢獄。
誰もが檻の中にいる。檻の中の囚人を監視しているつもりの刑務官でさえ、より大きな檻の中にいるというだけの話だ。みな等しく囚われの身である。彼らを総称して社会人という。自由という名の翼を失った悲しき人種である。決して届かぬ蒼穹に想いを馳せながらも地を這いずり回るばかりの哀れなものども。その悲しみはマリアナ海溝よりも深い。
種族全体の悲しみに突き動かされるかのように私たちは労働に勤しむ。それはさながら戦争に似ている。目的を等しくする集団はひとつのパイを巡り互いに争う。癒されることのない痛みを血で贖うかのような惨と悲で彩られた争いが、社会の至るところで日夜繰り広げられている。千の昼と千の夜を過ぎ、万の昼と万の夜を越えようとも、それが終わることはない。
果てのない戦い。彼らはそれを生きる。彼らは社畜と呼ばれる。あるものは蔑みとともに、またあるものは誇りとともにその名を呼ぶ。彼らの多くは隷属することに歓びを覚える。だが彼らが自身のことを正しく理解することはない。彼らは不可解な生き物に見える。少なくともはた目には。絶えず不満を述べながらも懸命に働き、会社を悪しざまに罵りながらもその実は忠誠を誓っている。
彼らは無数であり、とらえどころがない。素顔を社畜という匿名の仮面で覆い隠し、密かに反乱を企てているようにも思える。実際にそう吹聴するものもいる。だが彼らの多くは本音では反乱など望んでいない。彼らは自ら望んで隷属したのであり、彼らが口にする不満は空言にすぎない。実際のところ、彼らは自らの立場に満足している。多大な代償を払って手に入れたものに不満などあるはずもない。それを否定するのは自らを否定するのと同じことだ。
彼らは戦い続ける。自ら選んだ生き方が正しいと――少なくとも、間違ってはいないと示すために。
月曜日、彼らは深い眠りから目覚めたばかりの鈍重な身体でもって強大な敵に立ち向かう。
火曜日、昨日の傷跡がまだ生々しく残るその足でいばらの道を踏みしめ進む。
水曜日、その身に刻まれた疲労の色は隠しようもない――だが、あらん限りの勇気を振り絞って彼らは進む。
木曜日、もはや精神力だけで彼らは動いている。ペンを握ることすらままならない。
金曜日、ようやくひとつの終わりが見えてきた。希望が彼らを再び立ち上がらせる。
土曜日、あるかに見えた終わりは虚像であった。絶望の淵で従容と運命を受け入れる。もはやなるようにしかならない。
日曜日、まだ自らが生きていることに安堵の息を漏らす。全身の傷跡が戦闘の激しさを物語る。痛みのために動くこともままならないが、この日ばかりは安息を与えられる。だが、不幸な仲間たちはこの日もどこかで命を賭して戦っている。薄れゆく意識の中、彼らは深い眠りに就く。
そしてまた月曜日が始まる。
この戦いに終わりはない。彼らは戦い続ける。戦火の中を彼らは生きる。蹂躙された大地で彼らは微かな幸せを探す。路傍の花のように儚い幸福を。それを心の支えに彼らは生きる。
数えきれない悲しみと不幸が絶え間なく彼らの上に降り注ぐが、彼らは希望を失うことはない。その双眸には強靭な意志の輝きがある。彼らはみな運命を受け入れた戦士なのだ。いかなる苦痛も彼らの足を止めることはできない。理不尽な上司に激しく罵倒され、打擲されようとも、彼らが出社をやめることはない。腕や足が折れようとも、病魔が身体を蝕もうとも、彼らが有休を使用することはない。
有休などというものは存在しない。彼らがそのことに気づいたのはいつだっただろう。信じていたものは幻であった。それは夢幻のごとく、触れようとしたら音もなく消え去ってしまった。そのときの彼らの絶望はいかばかりだったろう。しかし彼らはその絶望に耐えた。社会の悪意、その陥穽に足を取られることはなかった。彼らはすでに受け入れたものたちなのだ。戦士はすべてを受容する。いかなる理不尽も、悲しみも、不幸も。すべてを受け入れて彼らは自らの務めを果たす。それが働くということだ。この社会で働くということだ。彼らはそのことを知っている。
今日も彼らは出社する。連休などない。土曜日も夜まで働き、日曜日も自宅で仕事をしてこその社畜である。だが彼らの口から泣き言などは聞こえてこない。嘆いても何も変わらないことを彼らは知っている。彼らの生きる道はただ仕事をこなすことだけだ。たとえ報われることがなかったとしても、彼らは働き続けるだろう。それだけが彼らの存在理由であり、誇りであるのだから。




