表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
短編と呼ぶにはあまりに短くて  作者: 松茸


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/22

明日の世界

 誰もがこんなはずではなかったと思いながら今日を生きている。

 忸怩じくじたる思いを抱え、不遇ふぐうをかこちながら暮らしている。


 周囲を見渡し、自身とそれを形作る世界があまりにも悲しい色彩に彩られていることに不安を覚える。そして明日こそはよりよい世界にしようと願いながらも、それを果たすことができずにいる。


 私たちの世界は黎明れいめいではなく、すでに薄暮はくぼに差しかかっているのかもしれない。


 たぎるような焦燥しょうそうのなか、日々だけが無情にすぎていく。

 何も語らない日常が、静かに私たちをし潰していく。


 幼き頃に描いた夢や憧れは、いまはあの遠い日々と同じように、私たちから遥か隔たれている。


 私たちはどこで間違えてしまったのだろう?

 なぜ私たちはここにいるのだろう?


 答えのない問いが積み重ねられていく。


 いつかその重みに私たちの心が耐えきれなくなるまで、月のない夜に深々しんしんと降る雪のように、音もなくこの問いは降り積もるのだろう。


 無数の疑問符たちが行き場をなくして、深閑しんかんたる心象世界をさまよっている。

 私たちの心に拡がるのは渺々びょうびょうたる空白であり、無辺際むへんざいの白い闇である。


 思えば遠くへ来たものだ、と私たちはかたを振り返る。

 ある時期をすぎると過去がなんと甘美に映ることだろう。


 先の見えた行く末よりも、蓋然がいぜん性に充ちた来し方が愛おしく感じるのは生物としての自然な希求なのだろうか。


 だが、甘い追憶に潜む毒に私たちは気づいていないわけではない。そうと知りながらも背徳的な悦びに、盲目的な空想にふけっているのだ。それはなんと悲しい人間のさがなのだろう。


 人はどうしてこんなにも悲しく形作られているのだろう。


 その形象は極限まで悲しみを体現している――まるで造物主の深い悲しみをそのまま反映させたかのように。


 私たちはみな悲しみから生まれたのだ。私たちの心の奥底には常に深い悲しみが流れていて、私たちはふとした瞬間にそれに触れてしまう。悲しみは外から来るのではない。すべて私たちの内にもともとあるものなのだ。


 そのことを忘れてはいけない。


 悲しみは私たちの影であり、私たち自身であるということ――それを受け入れることで、私たちは悲しみと共生することができる。悲しみに寄り添い、同化し、共に生きることができる。悲しみながらも希望を探し、人生を楽しむことができる。


 切り離せない悲しみならば、寄り添って生きよう。


 そう思えることができたなら、明日はきっとよりよい世界が待っている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ