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短編と呼ぶにはあまりに短くて  作者: 松茸


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14/22

成功者

 僕が今日訪ねたのは、IT企業HOLICのCEO、堀口正樹だ。28歳にして、すでに億万長者である。典型的な若き成功者というやつだ。唸るほど金を持っていて、億ションの最上階に住み、世界に数台しかない超高級車を乗り回し、芸能人やモデルと交際している。誰もがうらやむ生活である。


 対して僕はしがない記者にすぎない。年収は400万程度で、その日の昼食を我慢して、晩飯に缶ビールをつけるかどうかを真剣に悩んでいるような男だ。年齢は奇しくも同じ28歳だが……その境遇は天と地ほどの差がある。普通に考えれば接点はない。


「白石様ですね、こちらへどうぞ」


 美人モデルのような秘書に案内されて、CEO室へと足を踏み入れる。豪華な内装であった。壁には巨大な絵画が飾られている。僕の目には意味不明な幾何学模様にしか見えないが、きっとこれも何十億とするのだろう。僕は引け目を感じながら、目の前の男に頭を下げた。取材対象の堀口正樹がにこやかな表情で僕を迎えてくれた。


「このたびは取材を受けていただいてありがとうございます」


 僕は言った。いま僕が手掛けているのは、若き成功者たちへのインタビュー記事だ。特に目新しいところはないが、こういったものはいつの世にも一定の需要はある。誰もが金持ちになりたい、成功したいと思っているわけだから、であれば成功者に話を訊くのが一番手っ取り早いというわけだ。


「いえ、いいんですよ。ちょうど今日は時間が空いてましてね。でも、大したお話はできないと思いますが、それでもよろしければ」


 堀口は意外にも感じのいい男であった。もちろん写真では幾度も見たことがある。男らしくキリっとした顔をしており、昔はバスケでも活躍したらしく、身体も引き締まっている。当然女性にもモテる。僕にはないあらゆるものを持っているのだから、せめて性格だけは悪くあってほしいと密かに願っていたのだが、どうやら性格も僕よりはるかにいいようだった。


「堀口さんはこの企画の大トリなんです。うちの読者はみんな堀口さんの話を楽しみにしております」

「はは、そう言われるとプレッシャーがすごいな」

「いえいえ、若干28歳でここまでの成功を収めている方は日本ではほとんどいらっしゃいません。ずばり伺いますが、何が秘訣なのでしょう」

「困ったな。秘訣なんてものはありませんよ。ただがむしゃらにやってきただけです。それが運よく成功したというだけの話です」


 まあそうだろうな、と僕は思う。これまで多くの成功者と呼ばれる人間に話を訊いたが、返ってくるのは正直くだらない内容ばかりであった。やってることは他人とそんなに大差はない。考えてることにしたってそうだろう。じゃあ何が命運を分けるのか。それは結局のところ、運だ。成功者というのは運のいい人間のことなのだ。彼らと同じことをやって失敗していった人間は星の数ほどいる。でも彼らは偶然成功した。それを自分の手柄のように自慢げに話す人間が多いのだが、堀口は少し違っていた。


「僕はただ運がよかっただけですよ。それ以上でもそれ以下でもありません」などと平気で言うのである。その謙虚な姿勢は好感が持てるが、これでは記事にならない。成功したのは運がよかったからです。そんな記事を誰が見るというのか。堀口の話をそのまま書いたらまたデスクに怒鳴られてしまう。


「なるほど……つまり、運を呼び寄せるということですね。そういうことを日常意識されておられる」

「いえ、特に意識は」

「そういう見返りを求めない姿勢が大事なんでしょうねえ。普段必ずやっておられることは何かありますか? ルーティーン的なものがあれば教えていただけますか?」

「そうですねえ、靴が好きなので休日は靴磨きをよくしますね」

「ほう、それはいい! 靴を磨くことは心を磨くこと……それが幸運を呼び寄せるんだなあ。普段忙しい毎日を送っておられるから、休日のそういう時間が、ゆっくりと自分を見つめ直す時間になっているんでしょうねえ」

「ええ、まあ……そうかもしれません」


 こんなものでいいか、と僕は思う。『休日の靴磨きが幸運の秘訣? 堀口は語る――靴を磨くことは心を磨くこと。僕にとって靴磨きというのは自分を見つめ直す大事な時間なんです』ほとんど僕の誘導だが構うものか。つまらない内容はこちらで記事にしやすいように上手く誘導するのがこの仕事の常識なのだ。


 あとはお気に入りの靴――どうせとんでもない値段のやつだろう――を何足か写真に撮らせてもらって、靴磨きの道具と一緒に紹介してやればいい。それで終わりだ。はあ、今回もつまらない仕事だった。


「あの……」

「あ、はい、なんでしょう」

「どうも、僕の話に満足されていないみたいですね」

「い、いえ! そんなことは!」


 しまった。顔に出ていたか? 僕は慌てる。堀口の機嫌を損ねるのはまずい。会社に抗議でもされたら、僕の首なんて一発で飛んでしまう。


「いいんですよ。僕も話していて月並みだなあ、と思っていたんです。本当のことを話してもいいんですが、でもそれは記事にできない内容ですからね」

「記事にできない?」

 

 それは犯罪とかそういう話なのだろうか。僕は急に目の前の男が怖くなった。


 ふふ、と堀口は笑う。


「何かよからぬことを考えていますか? そういうのじゃないですよ。記事にできないというのは、単純に、信じてもらえないということです。あまりに突拍子もなさすぎてね」

「はあ、でも……もし可能なら聞かせていただいてもよろしいでしょうか」

「いいですよ。でも、多分無駄になっちゃいますよ」

「そこまで言われると気になります」


「わかりました。じゃあ、お話ししますね。あれは、10年ほど前のことでした。僕は大学受験に失敗して、家に引きこもっていました。僕は勉強が苦手で、スポーツだって得意なわけじゃなかった。バスケは万年補欠でしたしね。人間関係も上手くいってなかった。とにかく、僕はそのときどん底だったんです。受験は3年続けて失敗しました。僕は自分が何の価値もない人間だと思いました。何のとりえもない、生きていても意味のない人間だと」


「はあ、堀口さんにもそんな時期が」

「僕は死ぬことにしました。練炭自殺です。車の中で練炭を燃やし、一酸化炭素中毒で自殺することにしたんです」


 僕はつばを飲み込んだ。それは本当の話なのか?


「そして僕は死にました。でも、死後に目を開けるとそこは見たこともない世界だったんです」

「は?」

「いわゆる異世界というやつです。異世界転生ものの小説やアニメを見たことがあるでしょう、それですよ」


 いや、それですよ、と言われても。


「僕は歓喜しました。これが異世界転生というやつか。ここでなら僕はやり直せるかもしれない。神様からすごいスキルか何かを授かって、無双できるかもしれない。そう思ったんです。でも、それは大きな間違いでした」


「というと?」


「よく考えてみてください。現実世界でパッとしない人間が、どうして異世界で活躍できるんですか? そんなことがあるわけないでしょう。そこで僕を待っていたのは、現実世界よりもはるかにつらい日々でした。森の中を危険な魔獣に追われながらさまよい、ボロボロになって町にたどりついたんですが、誰も助けてはくれませんでした。空腹のために何かを食べようにも異世界の通貨がありません。僕は我慢できなくなって露店の食べ物を盗みました。そのあと、当然のように罰を受けました。屈強な男たちに袋叩きにされたんです。牢屋にも入れられました。解放されたあと、僕にできるのは奴隷のような仕事だけでした。一日中必死に肉体労働をして、もらえるのはわずかな残飯だけです。


 そんな日々がずっと続きました。半年か一年か……あるいはもっとか。月日の感覚はなくなっていました。僕はやがて動けなくなりました。動けなくなった僕は主人に捨てられました。使えない奴隷などに何の価値もないからです。そして僕は道端で震えながら死ぬことになりました。その記憶はいまでもハッキリと残っています。飢えと寒さと苦痛のなか、ゆるやかに死んでいく記憶が……目覚めた僕は車の中にいました。練炭自殺をしようとした車の中です。僕は慌てて窓を開けました。そのときの空気の旨さといったら……あのあと、どんなご馳走を食べても、あのときの空気よりも美味しいものはなかったですね。


 僕は生き返ったんです。そして気づいたんです。逃げたって何もいいことはないんだと。人はつらくなったら逃げたくなります。でも、それは自分の首を絞めるだけなんです。逃げたらもっとつらい状況が待っているんです。現実の世界がつらいから異世界に転生したい。そう考える人がたくさんいるでしょう。でもそれは大きな間違いです。異世界よりも現実世界のほうがよっぽど楽なんですよ。僕はそのことに気づきました。どこにも逃げ場なんてないんです。この世界で自分を救う方法はただひとつです。この世界で生きて努力すること――ただそれだけなんです」


「つまり……」


「これが僕の本当の成功の秘訣です。どうです、記事にはできないでしょう」


 堀口はそう言って笑った。だが僕は笑えなかった。心のどこかでこの世界から逃げることを考えていたのだった。いざとなれば、そういう選択肢もある……そんな風に考えていたのだった。


 だがその道は閉ざされた。いまこの瞬間に、絶望的な音を立てて。


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