泥のついた足で
カツンカツン、と靴音が響く。
アスファルトの上にまばらに散らばった小石を払いのけるようにいくぶんすり足で歩くのは、腿を上げる気力もとうに失われたからか。よくよく聴けば、その足音にも疲労の色がべったりと滲んでいる。
ああ、俺は疲れてるんだな――そう思い、顔を上げる。空は暗く、煙のような雲に覆われている。星は見えない。月は相変わらず丸い。
もうどれだけ歩いてきただろう?
宛てもなく夜の町を散策する自らの無聊を思い、苦笑を漏らす。やるべきことは他にいくらでもあるはずだ。少なくとも、夜中に意味もなく徘徊するよりはよほど有意義な何かが、探せばきっと両手に余るくらいは見つかるだろう――無論、探す気さえあれば、ということだが。その前提条件に俺はまた苦笑する。俺がいったい何を探すというのだろう? 俺に本気で何かを探す気なんてあるのだろうか?
くだらない自問を続けながら、視線を前に向けてみる。だが何があるわけでもない。丑三つ時をとうに過ぎた夜の町は冷たく静まり返っている。昼間の喧騒が嘘のように。昼間の明るさが夢のように。物音ひとつしない町。外灯のわずかな明かりだけが、面倒くさそうに俺をぼんやりと照らしている。
ときどき、夜の時間だけが現実なのだと思うことがある。
昼の日差しのなかで行われていることはみないっときの幻想に過ぎないのであり、欺瞞と虚飾に充ちた夢のようなものではないだろうか――そう思う瞬間が確かにある。いつからそう思うようになったのかはわからない。だがそんなに最近というわけでもないだろう。子供の頃から、俺はそんなことを考えていたように思う――まったく、変わったガキだった。そしてその変わったガキはいまでは変わった大人になった。何が変わった? 何も変わってない。変わってるってことだけがずっとそのまんまで、それだけが俺の中で唯一不変のことだった。あとはみんな変わっちまった。俺の知らないところで。いつの間にか。
外灯に背を預け、上を向いて呟く。
「なあ、外灯さんよ。俺はあんたの価値を知ってるぜ。あんたがどれだけ立派かってことをな。ああ、確かにあんたは俺を見下ろすだけの値打ちはあるさ。それだけの仕事はしてる。だがな、もののわからないやつらは、あんたの態度が尊大だって難癖をつけては、あんたを蹴とばすんだ。泥のついた足でな」
そう言った瞬間、俺は喩えようもない寂寥に襲われた。ああ、まったくここはなんてくだらない世界なんだろう。誰も彼もが本当に大切なものを泥のついた足で蹴とばしながら生きている。誰もそれに気づかない。自分たちが何をしでかしているのか、誰も知らないし知ろうともしない。ろくでもない世界だ。どこにも救いなんてない。もう救いようがない。俺が生まれたときから、この世界はとっくにこんな感じだった。
俺は突然、大声で笑いだしたくなった。この平和な夜の中でバカみたいな顔をして呑気に眠り込んでいるやつらをみんな叩き起こしてやれるくらいでっかい声で。だができなかった。代わりに俺は涙を流した。誰に届くこともない叫びを胸に抱えながら、俺は泣き続けた。出口のない世界で飽くこともなく繰り返されるくだらないやりとりを、そのたびに摩耗していく孤独な魂のことを思いながら、俺は声を出さずに泣いた。
涙の向こうではもう夜が明けようとしていた。まもなく、くだらない生き物たちがのそのそと起き上がり始めるだろう。そして心のない言葉と行為を交わしながら、不毛な時間を過ごし始めるだろう。陽が昇れば、俺もその中に入っていかなくてはならない。与えられた光の下で、作り物の笑顔を浮かべながら、紛い物ばかりの世の中にわずかでも尊いものが残っていることを信じて、祈り、求めながら――




