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マッチョ売りの少女

 ある寒い冬の夜のこと、粉雪がひらひらと舞うなか、少女は駅前でマッチョを売っておりました。


「マッチョはいりませんか……マッチョは……」


 寒さのせいでしょうか、あるいはもうずいぶんとそうやって道行く人々に声をかけていたからでしょうか、少女の声はいくぶんかすれ気味になっておりました。顔には疲れの色も見えます。


「マッチョは……マッチョは……あっ――」


 駅前の混雑のなかで、少女は誰かに突き飛ばされてしまいます。しりもちをつくと同時に、カゴのなかに入っていたマッチョがあたり一面に散らばり、少女は慌ててそれらを拾い集めます。


 悲しげに転がったひとつのマッチョを細身の男性が拾い上げます。


「へえ……いまどきマッチョかい? 珍しいねえ」


 そう言って少女にマッチョを手渡します。少女は拾ってくれたお礼を言って、


「あ、あの……よかったら、おひとついかがですか?」


 と、おずおずとマッチョを差し出します。


 男性は苦笑しながら、いや、おれはいいよ、と手を振ります。


「で……でも、これはすごくいいマッチョなんですよ! ほら、この三角筋と僧帽筋……上腕二頭筋も、大胸筋も、腹直筋も、腹斜筋だって! すごく均整がとれてて……ここまでになるのに、いったいどれだけのトレーニングが必要か――」


「悪いんだけどさ」


 男性は言います。


「おれ、そういうの苦手なんだよね。トレーニングとか? もう勘弁してくれって感じ。筋肉なんてそんな必要ないっしょ」


 男性はそう言って去っていきます。少女はがくりと肩を落とし、うなだれてしまいます。その背中に人々の厳しい視線と言葉が突き刺さります。


「ちょっと聞いた? あれ、マッチョだってさ」

「えーマジで。えぐいって」

「なんなのあの筋肉。やりすぎでしょ」

「あそこまでやられたら気持ち悪いよ」

「だよねー生理的に無理。ムリムリ。普通にきもい」

「きゃはははは!」


 心無い人々の容赦のない言葉の群れに触れて、少女は泣きたいような気持ちになってその場にしゃがみこんでしまいます。


 どうして。

 どうしてこんなことになってしまったのでしょう?


 いつの間に、マッチョはこんなにも時代にそぐわないものになってしまったのでしょう。人々の嗜好から乖離してしまったのでしょうか。


 昔はこうではなかったはずです。人々は強いものに――より強いものに憧れ、筋肉とはまさにその象徴だったはずです。男性たちはこぞって上腕二頭筋の太さを競い合い、女性たちはその腕が自分たちを力強く持ち上げてくれることを夢想していたはずです。


 人々の憧憬の的だったはずのマッチョ。それがいまは、嫌悪の対象でしかないなんて――少女は悲しみのあまり泣き出します。その肩をそっと叩く手がありました。駅員さんでした。もう初老と言ってもいいくらいの、顔のあちこちに深いシワの刻まれたおじさんでした。駅員さんは申し訳なさそうに少女に告げます。


「悪いんだけどね、ちょっと苦情があってね。このあたりでマッチョを売るのは控えてほしいんだ……ほら、そういうのを嫌がるひともいるからさ」


「そんな……マッチョは何も悪くないのに……」


 少女の目から大粒の涙がこぼれ落ちます。

 駅員さんは目を細めて、うんうん、と頷きます。


「そうだね、確かに君の言う通り、マッチョは何も悪くない。正しくないというわけじゃない。でもね、世の中を動かしていくのは正しいとか正しくないとかじゃないんだ。好きか嫌いか、ただそれだけなんだ。それは誰にもどうにもしようのないことなんだよ」

 

 少女は目頭をおさえます。


「マッチョは……マッチョは、もうダメなんですか?」


 駅員さんは少女の頭を撫でます。


「ダメじゃない。けっしてダメというわけじゃない。確かにいまは嫌われている……でも、人々は移り気なものだ。いつかまた、マッチョが人々の好みに合う時代がきっとやってくるさ」


「本当……ですか?」


「本当だとも。おじさんが保証しよう」


 駅員さんはそう言って頼もしげに胸を張ります。


「おじさんはこれでも、昔はボディビルダーとしてちょっとしたものだったんだよ」


 少女は思わずくすりと笑いました。というのも、おじさんはどう見ても元ボディビルダーには見えない、痩せっぽちの身体だったからです。でもその心遣いが嬉しくて、少女は、


「立派なマッチョですね」


 と言いました。

 おじさんは、そうだろう、そうだろう、と満足そうに頷きます。


「とりあえず、そのカゴのなかのマッチョはおじさんが全部買ってあげるから、今日のところは帰りなさい。もう夜も遅いから」


「ホントに?」


 少女は目を輝かせます。


「おじさんありがとう!」


 すべてのマッチョをおじさんに渡し、空になったカゴを振り回しながら、少女は家へと急ぎます。家にはまだ多くのマッチョが想像を絶するトレーニングに耐えながら、外の世界に出る日を待っています。できるだけ多くの人々にマッチョの素晴らしさを知ってもらいたい――その思いを胸に、マッチョ売りの少女は、明日からもまた、マッチョ売りに精を出すのでした。



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