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蝶の葬式  作者: 志水川 結木
蝶の葬式
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第7話 火曜日の放課後と葬式

 放課後のHR後、「もし、もしも見つけたらだからね」と何度も念押してから、美術室へ用がある委員長とは昇降口で分かれて一人中庭へ向かう。




 靴を履き替えていれば、昇降口から外の冷気がぶわりと波のように飛び込んでは悪戯に頬を撫でてゆく。体を震わせてはポケットの中のカイロの存在に薄く息を吐いた。


 木曜日に続いて今季二番目の寒さらしいという情報と前回に学び、首にマフラーとカイロをポケットに二つ。それに手袋を携えての中庭であったが、やはりひどく寒かった。昨日に比べ、肌を打つような勢いを持った冷たい風は体の熱を瞬く間に奪って行く。


 ざりざりと音を鳴らしながら躊躇いがちに手袋を外し、鮮やかなあの黄色を探す。




 指に赤みが増せどもいくら歩き見れ回れども姿一つ羽ばたき一つ見せぬそれへの苛立ちを誤魔化すように首元に手を寄せた。


 斜角筋をなぞるように爪を立てて往復をさせるものの、指先の冷たさがノイズになってより気を逆立たせるばかりで、堪えきれずガンとベンチを蹴り上げた。


 土汚れがほろほろと落ちるばかりのそれに気力が失せ、ダランと脱力してベンチに座り込む。放課後になったらクラスメイトが何か騒ぐだろうかとか考えていたらもう、ただでさえ寒いなかだ。諦めの魔力が影からひたひたと侵食してベンチへ縫い込んできてはもうダメだった。




 もう無い。もういないです、此処にはもういません。旅立ちました。遠くへ旅立ち春に触れました。ここの冬を忘れ、春の日向での微睡みを知りました。春キャベツの美味さを貪りながら惰眠に生きています。奴は旅立ちました。




 ここはもうダメだと中庭へ見切りを付け、諦めて別のところも探そうと体を起こした。それから、視線を動かした。その一瞬だった。たった一瞬、視界の端で不意に黄色が覗いた。黄色が見えた。そんな気がして、ベンチから転げ落ちるように降りては、急いでその色彩に向かった。


 鮮やかな黄色が、花壇の縁でまるで土に座礁したかのような弱々しさをもって、ひどく緩慢な動きで羽を動かしていた。拭えぬ哀れを纏っていた。




 恐る恐るというように、そっとそぅっと指先を近付けた。ゆっくりと、しかし迷いなく真っ直ぐにこちらへ羽ばたいてきた黄色に、そういえば蝶の翅には感温察知の機能が云々というような、ソース不明の豆知識を思い出した。


 何度か羽ばたいた後、奴はゆっくりと、長い節足の手足がピタリと人差し指に巻き付くようにしてとまった。寒さで多少感覚の鈍りはあれども、細い手足が一本一本、丁寧に置かれた感触、肌に時たま触れては持ち上がる翅のざわめき。縋るしかないようなその一挙一投足が、そのどれもが、どうしても、どうしても憐れましくて、愚かで、哀らしくて、ひどくひどく不快であった。


 そして、蝶に鮮やかさに連れられてというように、靄の感触までもがやってきた。


 指先から睫毛までどころか、頭の天辺から爪先、髪の一本まで覆っているような得体の知れぬ靄の、変わらずベールをかけるように体を満たしている感覚に。もはや、体の水分が全部この靄に姿を変えて思考を覆うように全体にベールをかけるように存在しているのではないかすら思わせる、忘れかけていたその感触と感覚の違和感がどんどん露になっていく様もまた、ひどく不快だった。


 指先にとまる蝶の愚かな鮮やかさに視界が晴れていくと同時に、靄によって暫く隠されていた不快感と、忘れかけていた靄そのものの不快な感触がひどく身を苛立たせていた。




 鮮やかな蝶を眺めた。




鮮やかな蝶を眺めた、愚かで憐れましいその姿を眺めた、眺め、鮮やかな鮮やかな、憐れな、鮮明な、鮮烈な黄色の、哀らしい、哀らしい黄色い蝶を眺める。眺め、眺めて、眺めて、蝶が、そう、蝶が、こちらをちらりと、ちらり、ちらりと此方を、見、見て、それから、止める間も無く、伸ばされた口吻が、指先に触れ






気がついたときには叩き落としていた。


最後の理性が、右手に乗せてから、左手のハンカチで掴めば良いだろう、なんて考えて握り込んでいたのを役立てて、見事その通りに動いたのだった。


左手に構えていた緑の残るハンカチの中、無惨にもガラス細工よりも脆く砕けた黄色が、ただそこに在った。翅が蝶としての存在を感じさせるばかりで、生き物としての姿形はもはや跡形も残っていなかった。


緑色のキャンバスを背にした黄色と黒と銀色と、鱗粉の偏光が散らばる、なんともまとまりのない世界が手の内にはあった。小さなその存在の、ひどく呆気のない、終着であった。訪れなかったかもしれない、もたらされた終焉であった。




 翅に触れようと指を伸ばす数ミリ、上空で風が瞬間強く吹くのを感じて急いで背を丸めた。そうして体を丸めながら、これ以上破片が溢れ落ちてしまわぬようにと両手を使って上手くハンカチに包み、最後に一つと端々を結んだ。冷たい地べたで結ばれたハンカチの双葉が北風に揺れていた。座り込みたい疲労を感じながら、ゆっくりと立ち上がる。


 そしてそれから、はたと急いでスマホを取り出して電話をかけた。一、二、三、四コール目で漸く繋がった。なんて言おうか、このエゴと無責任に生かされ理不尽な終わりを迎えた奴を、なんと言おうか。足元の、もはや白色の面影もないハンカチを見下ろす。




 こちらの言葉を待つ息に、少しの逡巡の後、ゆっくりと口を開いた。葬式への参列は如何かと。






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