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第三回『死神』

 彼女は、最後に抱き締めたかった。


 死神。

 その存在は生命の終わりに訪れる魂の観測者。

 生者の目に留まることはなく、不可視の存在として命に干渉する。

 死神は命を奪えてしまう。だからこそ、死神は命の扱い方を正しく理解しなければならない。

 命とは何か、を。




 三時。

 異世界の街の空にはまだ暗く靄がかかり、ほんのりと明るい空が広がっている。


 黒い厚底ブーツを履き、ゴスロリ衣装を着こなす十八才ほどの女性。

 彼女は街を徘徊していた。

 後ろ手に組みながら、街行く人々を見回す。

 目立つ格好をしている彼女に視線を向ける者は誰もいない。


 なぜなら彼女は死神だから。

 人の命を奪い、人とは異なる法則に生きる存在。


 彼女はアドメシア=サーティーン。


 この度、我々は死神への取材に成功した。


「私、死神になってからまだ数日。死神になる以前、というより、数日前の記憶がほとんどない。だからこうして手がかりを探してる。こうして歩き続ければ、いつか大切な誰かに会える気がした」


 アドメシアが早朝から街を歩く理由は、そこにあるのだろう。


 死神にはどうやってなるんですか。


「分からない。私がどうやって死神になったのか。それ以前の記憶を思い出せれば、何か分かるかもしれないけれど……」


 本当に彼女は覚えていなかった。

 記憶に靄がかかったように、ぼんやりとしていた。


 一時間歩き続けたが、記憶の鍵は見つからない。足を止め、霞がかった空を見上げる。瞳には何が映っているのだろうか。


 アドメシアの瞳がわずかに揺らいだ。

 視線の先、空中には黒ヤギの体毛でできたような翼を肩甲骨辺りから生やした女性が浮いていた。やがてアドメシアの前方に着地する。


「新入り、こんなところで何をしている。四時は死神会議の時間だと伝えたはずだ」


「もうそんな時間になってしまったんですね」


 女性は急かすが、アドメシアは落ち着いた口調で話す。


「死神会議は私たち死神の大切な会議だ。誰がどの命を奪うか、その命がどんな終わり方をするのか、それを詳しく知る会議。欠席や遅刻は許されない」


「そうなんですか。私、まだ死神について詳しくありませんね」


 既に四時二分。

 死神会議の重要性を語られるが、アドメシアは依然マイペースだった。


「とりあえず翼を生やせ。死神界までひとっ飛びだ」


「翼……? 私にも生やせるんですか」


「そんなことも分からないのか……って、新入りだから仕方ないか」


 一瞬カッとなったものの、すぐに冷静さを取り戻す。

 女性はアドメシアを背中に担ぐと、翼を広げて飛び立った。


「わあ、気持ちいい風ですね」


「呑気なこと言ってる場合か。死神会議に遅刻してるんだぞ」


「でも私、死神になってから数日ですよ。右も左も分かりません」


「ここ数日は先輩死神の仕事を観察するだけだっただろう。おそらく今日から死神としての仕事をしてもらうことになる」


「命の奪い方も分からない私に務まりますかね」


「務まるかッ!」


 務まるはずがない、という勢いで言い放つ。

 確かに死神の作法も何も知らない彼女に務まる仕事ではないな。


「お前、死神になってから何も教わっていないのか」


「そういえばガドミラアンっていう先輩から教わってたんですけど、急にいなくなっちゃって」


「ガドミラアンなら禁則を犯して拘束中だ」


 アドメシアはその事を知らなかった。


「どんな禁則を犯したのですか」


「死神は死ぬべき命は奪わなくてはいけない。寿命というものに従い、命を奪うことが使命。だがガドミラアンは掟に反し、奪うべき命を助けてしまった」


 ガドミラアンが犯した罪を知ったところで、アドメシアは疑問符を立てる。


「良いことではないんですか」


「死ぬはずだった命を救うということは、寿命を引き延ばすということ。その場合、神様が新たに寿命を設定しなきゃいけない。それには相当時間がかかり、神様に手間を取らせちゃうのは大問題」


「寿命……」


 女性は寿命の仕組みを伝える。

 アドメシアは納得がいかない様子で眉間に眉を寄せ、


「まるで死に方が決まっているみたいです」


「決まってるんだよ。誰だって死に方は神様に定められてる。死神だけはそれに干渉できるから、気を付けなきゃいけない」


「神様って何なんですか。私、文句を言いたいです」


 強気な姿勢で愚痴をこぼす。


「やめとけ。神様は何でもできる。指の一振りで私たちを消失させられる」


 女性は神様を敬うと同時、恐れている。


「命ってもっと自由であるべきだと思います」


「なれないよ。たとえ自由だと思っても、それは神様に定められた足跡(そくせき)を歩んでいるだけだからね」


「全部神に決められてるっていうんですか」


「そうだ」


「じゃあ、私があの時、あの人に出逢ったのも──」


 アドメシアは何かを叫ぼうとして、だがそれは頭痛に遮られた。

 一瞬だけ記憶の蓋が開き、何かを言いかけた。すぐに何を言いかけたのは忘れてしまった。


 一つ分かるのは、胸が浮いているような感覚に支配されていること。


「どうした、新入り」


「いえ……」


 モヤモヤした気持ちで返答する。


「そういえば先輩の名前は何ですか」


「私か。私はミラーパック。正しくはミラーパック=サーティーン」


「ミラーパック先輩は死神になる以前の記憶ってあるんですか」


 アドメシアは記憶がない。他の死神がどうなのか、気になっていた。


「断片的にだがな。私も死神になった当初は記憶がなかったが、徐々に思い出した。とはいえ自分が鯉だった、程度の情報だけだが」


「前世が……鯉?」


「珍しいことではないさ。前世が人だったり、龍だったり、猫だったり、色んな奴がいる」


 アドメシアは驚いたように目を見張り、ミラーパックの身体を見回す。

 どこを見ても鯉だと思えるような部分は見当たらない。


「海を泳げたりするんですか」


「挑戦したことはないな。ただ死神は水の干渉を受けることも受けないこともできる。泳ぐ以前にすり抜けることができる」


 アドメシアは感心する。

 が、その方法も当然知らない。


「もうすぐ死神界だ」


 やがて山奥の湖上で停止し、急降下する。ミラーパックは湖面に迷いなく飛び込む。

 アドメシアは思わず目を閉じるが、すぐに苦しくないことを感じ取り、恐る恐る目を開く。


 驚くべきことに、そこは水中ではなかった。湖の中には湖よりも遥かに大きいと思われる空間が広がっていた。

 先ほどの山と鏡写しのような山と湖。山には孤城が立ち、ミラーパックは孤城を目指す。

 ガラスのない窓から内部へ侵入し、赤い絨毯が敷かれた廊下を歩き、重厚な扉を押し開ける。入るとミラーパックのように黒い翼を生やした者が大勢アドメシアに視線を向ける。


 真っ黒な部屋。部屋は人魂のように部屋をさ迷う光球によって照らされている。

 部屋の最奥、重厚な椅子に鎮座する影。


 その者のもとまで進み、ミラーパックは膝をついて頭を垂れる。アドメシアは首を傾げてたたずむ。


「アドメシアを連れて参りました」


 その者は顔を黒布で覆い隠され、さしずめ黒子のようだった。


「よくやった。アドメシア、そなたは頭を垂れぬのか」


 アドメシアは事の重大さに気づいていない。


「あなたは一体誰なんですか。もしかして神様ですか」


「神様か。懐かしい響きだな」


 周囲の死神たちは肩を震わし、アドメシアの側から距離をとる。

 鎮座する者は黒布越しにアドメシアを睨みつける。


「そなたは新入りだったな。知らぬのも当然」


 手すりに置いた手に力を入れ、立ち上がってアドメシアと距離を詰める。黒布からわずかに目が見えるほど接近する。


「私は死神様。全ての死神の統率者。私の命令に背くことは許されない」


「なるほど。では礼儀は必要ですね」


 軽率な行動をとったことを自覚し、ミラーパックの行動を真似、膝をついて頭を垂れる。

 死神様はコクりと頷き、再び玉座に座る。


「他の者は解散して構わん。仕事を行え」


 死神様の指示のもと、部屋中にいた死神が一斉に部屋の外へ飛び立っていく。


「さて、アドメシア、そなたには今日から死神としての仕事を行ってもらう。だがそなたの監督死神であるガドミラアンは謹慎の身。よってミラーパック、アドメシアの監督をせよ」


「わ、私がですか!?」


 ミラーパックは驚き、目を二度三度パクパクさせる。

 アドメシアは嬉しそうな顔で、


「良いんですか。私、不安だったんです」


 手を合わせて喜ぶ。

 だがミラーパックは怪訝な顔で、


「ちょっと待ってください。私、監督死神なんて初めてで」


 なんとか阻止しようと抗弁する。


「問題はないはずだ。自分がしている仕事を教えるだけなんだから」


 だがそれは失敗に終わった。

 ミラーパックは渋々諦める。


「アドメシア、くれぐれも禁則は破るなよ」


「できる限りのことはします」


 そう言って、二人は死神様の御前を後退りし、湖を潜った。





 五時半。

 ギルド病院。

 そこに加護衛止(えいじ)という男が入院していた。

 窓際には、スーツ姿の男が花束を持参し、病室に飾られた花と入れ換えていた。


「父さん、早く元気になってね」


 加護擁固は父である加護衛止の見舞いに来ていた。

 寝たきりの衛止は目覚めることなく、眠り続けている。

 魔術的人工呼吸器によってなんとか延命している状態で、今も危機的な状態が続いている。


 加護衛止は裁判官だった。

 裁判へ向かう途中で襲撃を受け、全身に深い傷を負った。

 一命を取り留めたものの、今にも死んでもおかしくない状態だ。


 擁固は寝たきりの父の手を握り締め、


「いってきます」


 しばらく父の寝顔を見つめた後、病室を去っていく。

 彼が去った病室には影はないものの、二人の存在があった。


「ねえミラーパック。今の人とこの人ってどういう関係なの? 私とミラーパックみたいな関係かな?」


「親子だよ」


「親子?」


 アドメシアは親子の意味が分からず、ミラーパックに問いかける。


「親は子を産む。子は親によって産まれる」


「へえ。親子か……」


 電流が走ったような衝撃に頭を押さえ、しゃがみこむ。


「新入りの死神にはよくあることだ。かつての記憶を取り戻しかけて、度々そうなる」


 その後ボソッと、


「いずれ死神に染まるがな」


 とこぼし、アドメシアが苦しみ終えるのを待つ。

 わずかに父親らしき影を脳裏に思い浮かべたが、それ以上は何も思い出せない。


「私は……本当にアドメシアなのか」


「今は仕事に集中しろ。命には真剣に向き合うべきだから」


「それもそうだね」


 アドメシアは思い出しかけた記憶から一旦意識を逸らし、目の前のことに集中する。


「彼についての情報はインプットされたよね」


 死神が命を奪う対象の情報は、個々に死神様からインプットされる。

 データコピーをするようなイメージだ。


「名前は加護衛止。寿命は今日の四十四時に尽きる」


「私たちの目標は四十四時まで彼を死なせないこと。そして四十四時に必ず彼を殺すこと」


「……?」


 アドメシアは首を傾げ、謎を差し出された名探偵のような表情を向ける。


「寿命の前に死ぬことってあるんですか。それとも私がそんなドジを踏むと思ってるんですか」


「どっちもだよ」


 二択一答の問いに対し、ミラーパックは二つとも選んだ。

 ひとときのユーモアかと思われたが、実際にどちらも正しかった。


「死神は言うなれば『 .5次元』に存在している。視認や接触が曖昧な世界」


「へえ、なんか幽霊でもいそうですね」


「いるんだよ。この次元には私たち死神の他に幽霊が生息している。幽霊は私たちに比べて通常の生命から視認されやすいが、確かに私たちと同じ次元にいる。私たちが高度生命体だとしたら、幽霊は通常生命体」


 アドメシアはミラーパックの説明をなんとなくで理解し、テキトーに頷く。


「幽霊の中には悪霊もいてな、そいつらが悪事を働いて時々人を殺す」


「それさえも神様が定める死なんじゃないんですか」


「いいや、違う。そもそも神様が決められるのは大まかな予定。だからこそ細かい場面で予想していない感情が生じ、未練を残す。その未練が神の定めた法則から外れ、幽霊となって『 .5次元』に現れる。その幽霊が干渉する死は予定の死ではないため、寿命が短くなる」


 アドメシアはぼんやりとした思考を必死に働かせ、ミラーパックの説明に理解を費やす。


「神様は幽霊に干渉できないの」


「できはする。だが神様に手間をかけさせるわけにはいかない」


「毎回それだよね。神様ってどんだけ面倒くさがりなの」


 先ほども聞いた謳い文句に目を尖らせる。


「面倒なわけではない。世界に不用意に干渉しないようにしているだけだ」


「なんで?」


「あくまでも私たちの世界。作ったのは神様でも、生きるのは私たち。襲いかかる全ての困難に神様を頼ってしまっては成長できない。だから、神様は極力手を貸さないようにしている」


「ようやく合点がいったよ」


 今までずっと不満だったのが、今の説明で満足に変わる。

 気が晴れたのか、表情には笑みが見える。


「本題に戻すと、寿命を迎えるまで私たちが守り抜かなければいけない。悪霊やその他諸々から」


「戦うんだね」


「大概は話し合いに応じてくれるからそれで終わり。悪霊とかは一般の人にも見えやすいから、除霊師やゴーストぺインターが倒してくれる。おかげで私たち死神が戦う現場に遭遇するのは滅多にないかな」


「よかった」


 戦うことは滅多にないと分かり、分かりやすく安堵する。


「さて、早速加護衛止の状態を確認しよう」


 ミラーパックは衛止に近づき、手を伸ばした。


「何をするんですか」


「魂があるかを確認してる」


 ミラーパックの手は身体に向かう。手は身体を貫通し、内部に入った。そのまま水面を揺らすように身体の隅々に手を巡らせる。やがて手は心臓付近で止まる。


「魂はあるな。イレギュラーはなし」


 アドメシアはミラーパックの行動を傍観していた。

 ミラーパックは振り返り、アドメシアを見る。


「アドメシアもやってみろ。でなきゃ勉強にならないからな」


「は、はい」


 アドメシアは緊張で声が上ずる。

 恐る恐る衛止の肉体に手を伸ばすが、実体には触れられず、貫通した。


「ひえっ!?」


 初めての経験だったためか、奇妙な声を漏らす。


「身体の隅々に手を伸ばすと、途中で何かに触れられるだろ。それを確認しろ」


「触れられるんですか」


 アドメシアは至るところに手を伸ばすと、心臓部辺りで何かに触れた。


「それが魂だ。魂のない肉体は死体だ。あるということはまだ生きてる。判別はそれでする。よく覚えておけ」


「はい」


 アドメシアは衛止の肉体から手を出す。

 が、アドメシアが握るものを見た途端、ミラーパックは鼠と遭遇した猫のような奇声を上げる。


「お前、何をしてる!?」


「何をしてるって……あっ!?」


 そこで気づいた。

 自分が衛止の魂を握っていることに。


 突如衛止の身体に取り付けられていた医療機器が赤く発光し、奇抜な音を出し始めた。

 すぐに看護師が部屋に飛び込み、衛止の病床に駆け寄った。


「おい、魂を切り離すな。これじゃ死ぬ」


「ままま、まずいじゃないですか。予定時刻より早く死んじゃうなんて」


 アドメシアは動揺し、意味もなく右往左往し、視線もあらぬ方向を向きまくる。


「すぐに魂を体内に戻せ。そしたらすぐに戻るから」


「はいィ」


 アドメシアは急いで魂を身体に戻す。すると医療機器の発光が止まり、音が鳴り止んだ。


「ふぅ。一件落着ですね」


「はぁ。あのまま魂がどこかへ行ってたらと思うと……」


 アドメシアが深呼吸をする横で、ミラーパックは冷や汗をだらだらに流す。


「とにかく死亡時刻になるまで触れるなよ」


「はい」


 二人ともトラウマ級の体験を味わった。


「時刻までこいつの側にいろ。私は近くに悪霊がいないか見張ってくる」


 ミラーパックは翼を広げ、窓をすり抜けて外に飛び立った。





 十時。

 現在まで何も起こらず、無事に衛止を守れていた。だが、アドメシアには別の不安があった。

 それは命の奪い方だ。その方法はまだ教わっていない。


「そういえばガドミラアンさんが言ってたっけ。死神はそれぞれ命の奪い方が異なるって。魂を喰う、額に触れる、キスをするとか様々な方法がある。それぞれの奪い方によって死神様が死神を振り分ける。じゃあ私の奪い方は何?」


 迷いながら衛止を見つめる。

 試そうにも、時刻前に殺してしまう恐れがあるため、迂闊に手を出せない。


「他にももっと言ってた気がするけど……思い出せない」


 頭を抱え、必死に思い出そうとする。

 だが記憶は夢のように曖昧だった。


 ふと、隣の部屋から声がする。耳を澄ませると、聞き覚えのある声だった。

 壁をすり抜け、隣室にいる人物の正体を探る。

 隣室には二人いた。一人は包帯を巻き、病床に座り、上体を起こす男性。側には酒を持つ男性が立っている。


「なんか魅力的かも」


 アドメシアは包帯を巻いた男の顔を間近で凝視する。男からはアドメシアの姿は見えていない。


「にしても娘さんが三年前に亡くなっていたとは驚いた」


「三年間ずっと探していた。それでも見つけられなかった」


 酒を持つ男は瓶の中の水面を眺める。


「FLOW現象に賭け、第二十区画を探し回った。結局あなたが見つけ、救ってくれた。感謝している」


「救えたのかは分からない。あの時、何が起きたのか分からなかった。気付いたら龍が倒れていた」


「神様が救ってくださったのかもな」


「神様がいたら、そうかもしれない」


 二人の会話はお通夜のように暗さを纏っていた。


「あの娘はどんな子だったんですか」


「人との距離感がゼロ距離な子だ。どんな相手ともすぐに仲良くなって、特にハグをするのが好きな子だった。妻がよく娘を抱き締めていたからかな」


 娘のことを語る男の表情は嬉しそうに見えた。


「だからこそ、FLOW現象によって誰にも触れることができないのはさぞかし辛かっただろう。寂しかっただろう」


「良い親に育てられたんですね。俺は両親は幼い頃に亡くなってるから、良い親を持って羨ましい」


「自分で言うのもなんだが、娘に出来得る限りのことはした。旅行に行ったり、一緒に遊んだり、でも、こんなに早くいなくなるなんて思わなかったから……」


 酒を持つ男は未練を口にする。出来得る限りのことはしたけれど、それはできないことも多くあったことを暗に示していた。


「なんか、懐かしいな」


 二人の話を聞いている内に、アドメシアは古いアルバムをめくるような感覚を抱き始めていた。


「あれ、そういえば私……何をしにここに来たんだっけ」


 死神界には幾つかの掟が存在する。

 新入りの死神は四十四日間監督死神によって監視されなければいけない。なぜなら初期の死神は記憶の混濁が激しく、記憶喪失が頻繁に起こるから。


「今日中に退院はできるので、今晩墓参りに行きましょう」


「いいね。じゃあまた後で来ます」


 酒を持った男は身支度を済ませ、病床に座る男に一礼した。病室を去っていく。


「とりあえずこの人についていこう」


 アドメシアは男の後をつける。



 街を迷わずに進み、住宅街へ向かう。

 赤い屋根の一軒家を発見し、戸を叩く。戸を開け、女性が男を迎える。


「……の父です。娘のことで奏恵(かなえ)さんにお話があるのですが」


「リビングで待っていてください。奏恵を呼んで参りますので」


 リビングのソファーに腰掛け、奏恵を待つ。

 青髪の少年が駆け足で階段を下り、リビングに通じる襖を開ける。


「あいつは見つかったんですか」


 目を大きく見開き、軽く息切れしている。

 男は躊躇いつつも答える。


「見つかった……が、死んでいたよ」


「そう、ですか……」


 少年は瞳を揺らした。


「あいつにはもう会えないんですね」


「今まで捜索に協力してくれてありがとう。娘も君が協力していたことを知ったら喜ぶだろう」


 悲痛な表情を浮かべる少年に、男はそっと声をかける。


「俺、あいつのこと好きだったんですよ。あんなに無邪気で、素直すぎる。多分、クラスのほとんどがあいつを好きだった」


 少年は上を向きながら、目に力を入れる。


「あいつのクラスメートとして過ごせたことは、俺の誇りです。あいつを産んでくれて、ありがとうございます」


「妻と娘にも伝えておくよ」


 少年は頭を下げた。

 アドメシアは少年から目が離せなかった。


 ハッと振り返り、男を追いかける。

 男が次に向かった場所は別の家だ。

 再びリビングに案内され、金髪の少女がリビングに押し掛ける。


「あんたが来たのにあいつはいない。それだけで十分さ。言わなくても分かる」


 リビングに押し掛けた勢いを跳ね返すように、少女は男に背を向け、リビングを去ろうとしていた。


翼沙(つばさ)さん。娘はよくあなたの話をしていた。あなたが遊びにつれてってくれたことを、毎日感謝していた」


「ったく、死んじまったら思い出にしかなんねえだろ。あのバカは、何で死んでんだよ」


 少女は男に顔を向けない。向けられない理由があった。手を顔に持っていき、必死に涙を拭っていた。


「ああもう……あいつはいないのかよ」


 それから男は住宅街を転々とし、たくさんの家を訪ねて回った。

 それぞれの家でされる話を、アドメシアは何故か集中して聞いてしまっていた。途中、目に熱いものが込み上げる感覚に襲われる。正体が分からず目に指を運ぶと、雫が指先に落ちた。


「泣いて……る?」


 涙の意味が分からず、困惑する。


「私、なんで……泣いてるんだろう」


 指先に落ちた雫を見つめる。

 それが乾いた頃には、時刻は十四時を回っていた。





 十六時。

 男は自宅に戻った。

 妻が温かい笑顔で迎え入れる。


「あなた、おかえりなさい」


 綺麗な黒髪の中に幾つかの白髪が混ざり、頬や腕は痩せ細っている。


「ただいま。全ての人に挨拶を済ませてきたよ」


「大変だったでしょ。今コーヒーをいれるわね」


「ありがとう」


 男は腰掛け、妻がコーヒーを作っているのを眺める。

 アドメシアは家に懐かしさを感じ、つい細部まで視線を巡らせる。棚に置かれた古時計や書籍の数々は懐古心を湧かせる。


「あの子が死んでしまったのは残念だけど、所在が分かって良かったわ」


「そうだな。それだけは本当に良かった」


「あの子は元気で、皆を笑顔にしてくれる。あの子が明るく生きたように、私たちも明るく生きましょう」


 二人の会話は環境音のような穏やかさを抱かせる。


 アドメシアは家の内装がついつい気になり、隅々まで見回す。どこも落ち着く気持ちがするが、何より二階の一室に心惹かれた。


「…………」


 友達や家族との写真で溢れた部屋。その一枚一枚がアドメシアの心を揺さぶる。

 触れようと手を伸ばす。

 が、その手を誰かが掴んだ。


「あなたは確か……ミラーパックさん」


「お前、こんなところで何してる」


 ミラーパックは怪訝な目を向ける。


「私、何をしているか忘れてしまった。だからついこの人についていってしまったんです」


 アドメシアが嘘をついていないことは喋り方からして明らかだ。

 ミラーパックは思い出したように頭を抱える。


「そうか。新人死神の記憶障害はこれほどに厄介だったな。ひとまず病院に戻るぞ」


 アドメシアの腕を掴み、背中に生えた翼を大きく広げて飛び立とうとする。


「何をするんですか」


「私たちの仕事は魂の守護と終焉。加護衛止の死を見届けるのが役目だ。思い出せ」


 ミラーパックに言われ、ようやく使命を思い出す。


「そうでした。病院に急がなくては」


 ミラーパックに担がれ、病院に向かう。

 アドメシアは時折男の自宅へ振り返るが、首を振って意識を目の前に集中させる。


 自分は死神。だから今は仕事に集中するべきだ、と。


 病院には加護衛止の姿はなかった。


「な、なんでですか!?」


「分からん」


 空になった病床を見つめ、二人は唖然とする。


「考えられるとすれば、アドメシアが魂を抜き戻した一連の動作が、心臓マッサージならぬ魂マッサージとして機能した。加護は意識を取り戻し、重症の身体を起こしてどこかへ向かったのかもしれない」


「な、なんで……」


「自分の死期を悟った可能性が高い」


 ミラーパックは冷静に推理する。


「いや、違う。まさか……」


「どうしたんですか」


 ミラーパックは最悪の想定をし、冷や汗を流す。


「加護衛止は悪霊によって身体を乗っ取られた。だとすれば、何をしでかすか分からない」


「見つけなきゃですね」


「もし見つけられなかったら、私たちは罰として存在を消されるかもしれない」


 ミラーパックは翼を広げ、上空から病院の周辺を探す。

 翼の生やし方を知らないアドメシアは、階段を歩いて下り、近隣を探す。


「私のせいでミラーパックさんに迷惑をかけてる。絶対に見つけないと」





 二十三時。

 未だ加護衛止を見つけることはできていない。


「どうしよう。このままじゃミラーパックさんが……」


 今にも泣きそうな表情で探し回る。

 その様子を見たある幽霊が話しかける。


「なああんた、困り事か」


 宙に浮いている成人男性の幽霊だ。

 生前は冒険者だったのか、腰には刀を下げている。


「うん。私、探さなきゃいけない人がいるの。その人を見つけたいの」


「手伝うぜ。特徴はあるかい」


 アドメシアは加護衛止の特徴を細かく伝えた。だが悪霊に取り憑かれているかもしれないと言った途端、幽霊は目の色を変えた。


「そいつならさっき見たぜ。次々と人を襲ってた」


「お願い。私をそこまで連れてって」


「任せろ」


 幽霊は加護衛止を目撃した場所へ疾走する。アドメシアは走って必死に追いかける。


「いたぞ。あそこだ」


 幽霊が指を指した方向には、顔と両手に火を纏って暴れている男の姿があった。

 顔は炎で燃え盛り、炎の下の素顔は分からないが、入院服を着ていることから加護衛止であると判明した。


「あんた、あれを止められるのか」


「分からない。魂に干渉すれば殺せるかもしれないけど、死亡時刻よりも先に殺してはいけない」


「ん?」


 アドメシアの独り言に幽霊は首をかしげる。


「でもやらなきゃ、たくさんの人が死んじゃう」


 もし加護衛止の炎の手に触れられれば、燃えて火傷を負い、最悪の場合死ぬだろう。

 アドメシアに考える時間はない。無策で加護衛止のもとまで駆け寄り、大声で叫ぶ。


「止まって。これ以上人を傷つけないで」


 衛止の動きが止まる。首がゆっくりと曲がり、視線は見えないはずのアドメシアに向く。


「悪霊なら私のことが見えるよね」


「お前 (キュハハ)、せっかく人間の身体に乗り移れたんだから邪魔するな(キュハハハハハ)」


 衛止から喋り声と笑い声が同時に聞こえる。二人の人間が同時に喋っているみたいだ。

 アドメシアは不気味に思う。


「お前 (キュハハ)、見るからに新人の死神だな (キュハハハハ)。お前じゃワタイは止められない (キュハハハハ)」


 衛止に取り憑く悪霊はアドメシアを無視し、街を走り回る人々へ襲いかかる。

 が、衛止の炎手は、突如刀によって防がれた。


「あの人は……」


 頭に巻いた包帯をほどきながら、太刀を構える男は悠然と宣言する。


「まあ待て。それ以上は俺が許さない」


 男の佇まいを見て、幽霊は目をぱちくりとさせる。


「昔の俺みたいだな」


 男を見て、幽霊は歓喜する。


「おキュハハ、退け(キュハ)」


 衛止の腕が大きく振り上げられる。その隙に男が衛止の懐まで接近する。

 素早い身のこなしに悪霊は驚き、衛止によってなす術もなく頭部を切断される──


「まずい。このままじゃ死亡時刻よりも早く……」


 ──間際、上空より一直線に飛来したミラーパックが衛止を蹴り飛ばす。

 男の太刀は空振りする。

 男にはミラーパックは見えていない。男の目には衛止が何の外的衝撃もなく吹き飛んだように見えた。


「今のはいったい……」


 警戒し、距離を詰めない。


「こんな状況になるなら除霊用の鎌も持ってくるべきだった。あれがあれば魂を傷つけずに霊だけを殺せる」


「私が足止めするのでミラーパックさんは取りに行ってください」


「いや、逆だ。お前に足止めはできない。私が止めておくから鎌を持ってこい」


「しかし、私は翼が生やせない。私にはできません」


 この場から死神界へ続く湖には相当な時間を要する。ただでさえ湖は山奥にある。徒歩でたどり着くには途方もない時間がかかる。


「それでも、お前に託した」


 ミラーパックはアドメシアに希望を託した。アドメシアは必死の呼び掛けに応じ、死神界を目指すことを決意する。

 アドメシアは走り出した。その背中を男幽霊は追いかける。





 二十五時。

 二時間かけて街を抜け出し、ようやく山にたどり着いた。だが山は広大で、湖までは一日以上かかっても不思議じゃない。

 必死に足を動かし、山を登る。

 と、その背後から付き添いの男幽霊が思いついたように言う。


「あんた、死神なら俺たちに触れることもできるんだよな」


 試しにアドメシアは男幽霊に手を伸ばすと、指先に接触を感じる。


「だったら簡単なことだ。鳥の幽霊に乗せてもらえばいい」


「なるほど。その手があったか」


 丁度アドメシアの頭上を鳥の幽霊が飛んでいった。


「ねえそこの君、私たちを乗せていってくれないかな」


 アドメシアが地上から大声で呼び掛けるが、鳥は止まることなく飛んでいった。

 自力で行くしかない。と思われた矢先、男幽霊が浮遊し、鳥の幽霊の前に浮き塞がった。


「なああんた、俺たちを乗せてくれないか」


 だが幽霊といっても鳥だ。人の言葉は分からず、警戒して翼を大きく広げた。威嚇のようだ。

 男幽霊が退かないのを察すると、鳥は勢いよく回転し、尻尾で男幽霊を地面に吹き飛ばした。


「大丈夫?」


 アドメシアは駆け寄る。

 見た感じ、外傷は見当たらない。


「意外と平気……。だけど、」


 男幽霊は見上げ、急降下する鳥幽霊を視認する。


「くっ……」


 さすがにまずいと男幽霊は目を閉じる。

 が、そこでアドメシアが鳥幽霊の前に笑顔で立ち塞がる。


「お願い。頼みをきいて」


 鳥幽霊は寸前で翼を大きく広げて急停止し、アドメシアの前で止まった。アドメシアは鳥幽霊の頭を撫でる。


「湖まで飛んで」


 アドメシアは湖がある方角を指差す。鳥幽霊は頷く。

 アドメシアは男幽霊とともに鳥幽霊の背中に乗り、空を飛んだ。


「このまま死神界までひとっ飛びだ」






 二十九時。

 鳥幽霊に乗って山を走り続けていた。

 アドメシアは風で飛ばされないよう、必死に鳥幽霊に抱きついていた。鳥幽霊は疲れてきたのか、急に速度を緩め、徐々に高度を落としていった。


「大丈夫?」


 着地した頃、鳥幽霊は半透明になり、身体の所々が透けていた。


「なんで……だろう」


 アドメシアは鳥幽霊を心配し、身体に触れる。だが鳥幽霊は徐々に透ける部分を増やしていった。やがて彼女の腕の中で消滅した。


「ねえ、これって成仏したってことなのかな」


「この鳥幽霊の未練が人を乗せて空を駆けることだったのかもしれない。それが果たされて成仏したのかもな」


 男幽霊は言った。

 アドメシアは違和感を感じていたが、立ち止まるわけにはいかない。


「ここからは走っていくしかないね」


 アドメシアは再び走り出した。

 男幽霊は浮遊しながらついていく。


 六時間ほど走り続けた頃、アドメシアは息を切らし始めた。


「なんで……。疲れなんて死神になってから感じたことなかったのに」


 それでもアドメシアは走り続けた。

 段差につまずき、転んでも尚立ち上がり、痛みを感じながら走り続けた。


 四十時を回った頃、アドメシアは力尽き、地面に仰向けに倒れる。あと数十歩で湖というところまで来ている。

 男幽霊が必死に呼び掛けるが、応答はない。


「このまま、私は失敗し続けるのだろうか。私には、他人のためになることは……」


 諦めた。

 身体が動かない。諦めるしかなかった。


 だが、誰かが言った。


「──本当に諦めるんですか。あなたの友達は、あなたの家族は、あなたの救世主は、あなたに背中を押された。そして今、あなたの背中を押している。それはもう気づいているでしょ」


 気づく。

 アドメシアはふと笑う。


「分かってるさ。私は、皆から見たら最高に明るくてかけがえのない存在なんだ。過大評価じゃない。誰だってその可能性を秘めてる。私は密接に関わろうとしたから、どんな相手にも関わることで笑顔をあげれるって信じてたから……」


 アドメシアの記憶は徐々に蘇りつつあった。


「最後くらい英雄でいたい。来世で誇れる私を贈ろう」


 体力はもう底を尽きている。

 だが、大地を踏みしめ、全身を奮い立たせ、必死に立ち上がった。


「おりゃあああああああああ」


 叫び、走り出した。

 叫び、思いッ切り湖に飛び込む。


 死神界側の湖。そこには一人の男が立っていた。


「よく来たな。アドメシア」


「あなたは……」


 男はアドメシアの身体を抱き起こし、お姫様抱っこで担ぐ。既にアドメシアは本当に体力が切れ、眠っていた。


「さすがね。その少女は」


「しかし死神様、あなたがこのような粋な計らいをするのは珍しいですね」


 男の背後には黒布で顔を隠した女性が立っている。


「何を言っているのよ、ガドミラアン。私は死神には厳しいけれど、それ以外には寛容なのよ。特にその少女、与えられた四十四日の猶予の間に記憶を取り戻した。類いまれなる幸運と精神力だわ」


 死神様はアドメシアに興味津々だった。


「じゃあ俺は行きますね。アドメシアの願いを叶えるために」


 ガドミラアンは翼を広げ、導火線に火が燃え移るような速度で助走。湖を抜けた後、目にも止まらぬ速さで山を駆け抜けた。






 四十一時。

 ミラーパックは男の太刀によって加護衛止が殺されるのを最大限阻止していた。

 紙一重の戦いを繰り広げながら、必死に衛止を守る。だが新たに冒険者が到着し、状況は最悪に。

 ミラーパックが諦めかけたその時、上空から彼は舞い降りた。


「よく耐えたなミラーパック」


 アドメシアを抱えたガドミラアンが現れる。手には除霊用の鎌を持っている。


「ミラーパック、受け取れ」


「ありがとうございます」


 除霊用の鎌を受け取ったミラーパックは、加護衛止に向けて鎌を振り下ろす。刃は衛止の身体を貫いたものの、ダメージは取り憑いている悪霊のみに与えられた。悪霊は鎌の効果によって消滅する。

 悪霊の消失とともに衛止が全身に纏っていた炎は消え、意識を失って地面に倒れる。


 周囲の冒険者が襲いかかろうとするが、太刀を構える男は何かを感じ取り、周囲の冒険者を制止する。


「大方悪霊にでも取り憑かれていたが、除霊師か何かが悪霊を追い払ったのだろう」


 その男は冒険者を帰宅させる。

 男はチラリと頭上を見上げる。そこにはアドメシアを抱えたガドミラアンが浮遊しているが、男には見えないはずだ。すぐに視線を逸らす。


 男は衛止を抱え、病院へ戻る。

 死神らは病院まで付き添う。





 時間が来た。

 時刻は四十四時。

 加護衛止という男の寿命だ。これまでずっと眠り続けてきた男の終焉。


 ガドミラアンはアドメシアに話す。


「アドメシア、お前はもうすぐ死神じゃなくなる。それは自分でも気づいているだろ」


「はい。なんとなくですが」


「死神は肉体的疲労をしない。あの時疲弊したのは、死神から死者へ戻ろうとしていたからだ。つまりこれからお前は死ぬ」


 ガドミラアンが言ったことを、アドメシアは当然のように受け入れる。


「死神は死神になる以前の記憶を取り戻せば死ぬ。そもそも死神は死者の中から選ばれている。故にアドメシアは死者であり、前世を思い出したからこそ死に至る」


「はい」


 アドメシアは受け入れていた。

 自分の身に迫る運命を知っていたかのように。


「これが最初にして最後の死神の仕事だ。自分がどうやって命を奪うか、今日の時間の中で分かったか」


「ええ。それはもう十分に理解しました」


 アドメシアは今日という日に感謝していた。朗らかな笑みを浮かべ、死神の力を行使する。


 アドメシアは一歩一歩、衛止のもとへ歩み寄る。人の命を奪うことに、彼女は若干躊躇していた。

 手を伸ばす。

 が、すぐに手を引っ込めた。

 理由は加護衛止の息子である加護擁固が入ってきたからだ。虫の知らせでも受け取ったのだろうか。父のもとへ駆け寄った。


「父さん、もう、時間は長くないんじゃないかなって気がした。心の糸が引っ張られてるみたいな気持ちがしてさ、思わず来ちゃった」


 父の手を握りしめながら、擁固は語りかける。


「お父さん、俺、お父さんが目覚めて裁判官に復帰しても守れるように、ボディガードになったんだ。まだ未熟だけど、上司や同僚のおかげで任務もこなせているんだ」


 衛止は何も言わない。

 意識はまだ回復していない。


「俺はいつかお父さんを守りたかったよ。そのためにボディガードになったんだから。でもさ……」


 擁固は気づいていた。

 衛止の身はもう長くないことを。


「本当はもっと父さんに誉めてもらいたかった。俺の成長を見ていて欲しかった」


 見て。


「仕事は辛いこともあるけど、俺、乗り越えてみせるから。だから父さん……」


 擁固は言葉を続けようとした。

 だが、その言葉は不意に遮られた。


「……擁固…………」


 ずっと意識不明だった衛止は、息子の名前を呼んだ。

 擁固は瞳孔を開き、目に涙を浮かべながら話す。


「俺、頑張るから。父さんに誇れるように頑張るから。だから──」


 アドメシアは衛止を抱き締めた。


「──ありがとう」


 衛止は眠るように息を引き取った。

 最後、衛止は笑っているような気がした。





 時刻は過ぎ、四十五時。

 アドメシアはある場所に向かっていた。

 ダンジョン領域第二十区画。ある洞窟の中に、黒い木が一本立っている。その木に生えた実を食べながら、男二人は酒を汲み交わしていた。


「あの子はどんな未来を迎えるんだろうな」


「きっと良い未来ですよ。FLOW現象という名の孤独から解放され、ようやく次の人生を歩める」


「俺たちはあの子の未来がより良いものであるように、そう祈ろう」


 二人は木に乾杯を告げながら、言った。


「「いってらっしゃい。アデス」」


 アドメシアは──否、


 Admethiaa

 I am ADeath


 ──彼女は二人に手を振り、笑った。


「いってきます」

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