貧乏令嬢と透明な王太子
端折りました。いろいろ。連載の間にちまちま書いていた物です。
よろしくお願いします。
なにも無かった。
与えられた名前などなく『それ』とぼくはいつでも呼ばれていた。
食料は与えられることなどなく。
ただ。誰もがぼくの死をまっていた。それはきっとぼくもだったと思う。
だけれど――生きることに少しだけ望みを抱いていたんだ。ぼくもあの人たちのように笑ってみたかった。
「あのですね。この葉っぱは、ここまで綺麗に使えるんですよ? ――捨てるなら、貰ってもいいですか?」
慌ただしく行き交う厨房。私はその隅で塵――私は違うと思う――をいれた籠を持って拾い上げていた。この場に不釣り合いな桃色の可愛らしいドレス(借り物)を纏いその加護を持っている姿は随分と不釣り合いではある。
当然だが私は使用人でも何でもない。この王宮に招かれたただの客人だ。
……。
……。
だってさぁ。柄ではないでしょう? この国は貴族政を取っているけど家は末端の子爵なんだもの。逃げるが勝ちだと思うの。いつもなら出席しないのだけれど、成人式だけは別でして。こんなもの無くなればいいのに。とどんだけ呪ったことか。
大体、私たちの領地は何もなく貧乏で。平民と領主の差があまりない。まあ元々領民に押し付けられる形で領主になっているただの領民代表だから……ちなみに使用人はいない。
そんなことは置いておいて。
貰った。これは私のご飯。ギラギラと目を輝かせてみれば私を対応していた恰幅のよい男性が困ったように眉尻を下げた。まぁ貴族の少女――成人と言っても古来の風習の成人なので十五才だ――に何か言えば普通は首が飛ぶけれど、私はそんな権力は持ってない。
そんな事をすれば普通に一日説教で。おまけに領民に泣かれる。『そんなお嬢に育てたつもりは無いのです』と。
育てられた覚えはない。
「あっ、あの。止めてください。お嬢様。私らが怒られますので」
「あ、それなら私もお怒りを受けましょう」
ほくほくと言えばさらに顔色を悪くする。
「そう言う問題ではないの。コーネリア。あんた。ここに何しに来たのよ?」
私たちの間に入ったのは美女だった。白い肌と細い腰。流れるような赤毛をハーフアップにしている。
今回の付き添い。私の兄嫁イレイナ姉さまだ。小太りさんは顔を真っ赤にしてお姉さまを見つめていた。そうなる。そうなるよね。
別名。社交界の華だ。兄さまと結婚してから社交の場に出ることは無くなったけれどそれまではちやほやされてたらしい。
なぜ地味でお金もない兄さまと結婚したのかなぞである。まぁ。本人曰く『イケメンだから』らしいのだけど。そうなのか……。
ちなみに昔から皆に『普通』と口を揃えて言われる一家だ。秀でたもの……。
貧乏?
「ごめんなさいね? この子の事は気にしないで?」
「い、いえ。あの。持って行ってもらっても構わないです――っ」
逃げたな。そして私と態度が違うのはどういう事だろうか。ちらりと姉さまの胸元を見れば深い谷間。
私の胸元は洗濯板か何かだろうか。ちなみに姉さまのドレスも借り物である。
溜息交じりに姉さまは籠を見てから胡乱に私を見た。怒ってるなぁ。静かな怒りが怖い。出来るなら耳をぴったりと犬のように頭に付けたかった。
「何してるの? 夜会を抜け出して」
「迷ってここにたどり着きました」
ちなみにここは下ごしらえを専門とする第三調理室である。当然会場からは遠く、隠される様に存在していた。
見つけたのは本当に迷子になったから。良く見つけたなぁ。と感心するレベルで姉さまは凄い。
「心配するでしょう?」
「で、でも無事な訳だし。収穫も――」
ぐっと細い腕が私の腕をがっちりホールド。逃がさない。と言う意思を感じられる。
「そうそう。その塵は置いて行きなさいね。皆さまにご迷惑でしょう?」
「えー」
「えーじゃない。コーネリアはここに招待されてきたの。義務は果たしなさいな」
ずるずる引き摺られていく私。諦めた様にしょんぼりしていると一人の少年と目があった。白い服は薄汚れ、その細い手にはジャガイモの皮が握られている。きっと剥いていたのだろうなということが伺えた。
年の頃は同じくらいか少し下。ばいばい。そう手を振ると驚いたように目を見開いて見せた。深い青色。それは青い海を連想させた。
向こうで柔らかな音楽が鳴り響く。美味しい食べ物と煌びやかな世界は私の知っている世界とは何もかも違って気後れする。同じ年の令嬢は何を言っているのか不明だし、領地で木登りしながら話す話題の方が面白いと思うのだけど。さすがに木登りは止めろと言われているけどさ。
猿というのは悪口か誉め言葉か……。
ベンチに座りながら持っていたジュースを一口飲む。
「疲れたなぁ」
漸く目を盗んで逃げてきた。どうせすぐに怒り狂るった姉さまに見つかるだろうけど。
にしても貴族子女。一人にどのくらいの金額を掛けているのか。金額がちらついてさらに目が痛くなってしまった。目利きな訳ではないけれど、このドレスだって相当な値段したのに……。借り物であるし、もちろん値切りをしたけど。
ニヤニヤしながら『素敵ですわね』とか褒めてくれたどそうなのだろうか。貴族の目はどうなっているのだろうか。
暗い夜空に月が浮かんでいる。満月に近く、少し掛けているだろうか。その横で小さな星が輝いていた。
漸く一息ついた気がする。
「お腹すいたかも」
そう言えばキラキラしすぎて何も食べていないと思い出した。摘まむ程度には食べたけれど、胸やけであんまり食べることが出来なかった。
それに。『食べ過ぎで服が壊れたら弁償』と姉さまに脅されている。最近は太らないことが重要課題だった。
「お肉食べたい」
あの叢の中にいないかなぁ。兎とか。基本自給自足。狩りだって出来る野生児だ。考えながら叢をがん見していればかさかさと揺れたので弾けるように立ち上がっていた。
お肉。
もはやここが王宮の庭なんて頭から抜け落ちている。兎かどうかは分からないけれど何か居るのは確かだった。
じりじりとタイミングを図る。息を殺して……足音を立てないようにヒールは錚々に投げ捨てた。
今だっ――。
「そぉいっ」
謎の掛け声は昔からだ。いや、掛け声はちょっとと兄さまに呆れられたが癖なので仕方ない。そんな掛け声に驚いたのか何なのか、『ひっ』と小さく悲鳴がして地面に私ともども崩れ落ちていた。
「ひ?」
手にあるのは温もりで。私の中にいたのは小動物でも何でも無く、小さな少年だった。細く華奢な身体。どこか打ち所が悪かったのだろう。気を失って倒れてしまった。
「ごめんなさい。本当に申し訳ないです」
泣きながら姉さまを呼んで、休憩室でお医者様に見てもらって――栄養失調ですと言われてお医者様は帰って行った。そのお医者様の眼が冷たかったのは気のせいだとして。
私は起きた少年に平謝りしていた。
とりあえず夜会から沢山食べ物を奪ってきたのでそれを賄賂に赦してもらいたい……。赦して……姉さまはとりあえず謝りなさいとすぐに出ていったし。
「あの。なにが? ぼくは?」
「う、ぐ。私のタックルで気絶を……ごめんなさい」
大きな青い双眸。どこかで見たことあると考えれば――ああ。あの調理室にいた子だと思い出す。男子なのだろうけど、同年代の子供に比べて少女の様に華奢だ。
私よりも……薄幸の美少女感が凄いな。これ。
微かなジェラシーを感じるのはきっと気のせいだ。うん。
「あなたが?」
抑揚なく人形のようだ。白い髪が柔らかそうに流れる。
「ごめんなさい。あの――。ご飯一緒に食べよう? お腹空いてるってお医者様に聞いて……今度改めて謝罪するので今はこれでなんとか……」
少年はぱちぱちと不思議そうに瞬かせて目の前に乱雑に積まれた食事を見る。驚くよね。私だって見た時は驚いたもの。
私こんな肉汁たっぷりのお肉食べたことないし。見ていると涎が。そこはまぁ令嬢の意地で。
「ご飯……食べていいのですか?」
むしろ食べてほしい。栄養失調って。なぜ王宮勤めの子供が栄養失調になるんだろ。虐待とか――嫌な事を考えながらフォークで行儀悪くさくりと肉片を差し込んで口の中にいれた。姉さまがいれば怒られる。確実に。いないから良いと言うことで。
美味しい。ナニコレ。美味しいしか出てこない。さすが王宮。え、私も居座っても良いだろうかと思うほどには。――いや。精神が持たないのでそれはいいか。
私を見て少年の喉がゴクリと揺れる。私は茶目っ気たっぷりに笑って見せた。
「こんな機会は二度とないよ。――だから一緒に食べよう?」
少年の名前はレオと言った。王宮と言えば貴族しか働いていない。そう言うイメージなのだけれども。汚れ仕事とは主に平民が行うらしい。レオもそれに漏れずで。年齢は私と一緒の十五歳。領地にいる少年と比べてもやっぱり細いし小さい。
ここは楽しい。と聞けば微妙な沈黙が返って来たので虐められていると言う事なのだろう。いじめというか――虐待。皆仲良くが我が家の家訓。そう言う事が信じられなかった。痛む心。だけれど多分レオの方が痛い。
なら。パンと両手を叩き合わせた。
「私の領地で働かない? 何も無いけど。少なくともここよりはマシだと思うわ」
レオは目を見開いた。『え、でも』と小さく戸惑い気味に答える。
「うーん。レオ一人なら何とか。丁度使用人さん雇おうかって話してたんだ」
嘘だけど。私含めて皆のおこずかい削れば何とかなるなる。その代わり働いてもらうけど。ここにいるよりはいい。止めないレオもレオだけど。
「嫌?」
レオはぶんぶんと頭を振ってから掛け布団を細い手できゅうと握りしめた。悔しそうに唇を噛む。その顔は青いままだ。
「でも。ぼくはここから出ては行けなくて――本当は行きたいけど。ごめんなさい。コーネリアさま」
私は溜息一つ。酷いなここ迄洗脳させてるなんて。でも。これ以上私には何の力も無かった。使用人は王家の物。勝手に連れ出す訳には行かない。平民なので気にも止めない気もするが『なにか』があればまずい。
でも。ここにいたら死んでしまう気がした。
「うーん。あ。じゃあ。レオのために毎月支援金送るよ。さっきのお詫びということで」
おこずかい。再び。本当に少しだけど。レオは大きな目を零れる迄見開いて息を詰めた。分かる。自分の言葉に私自身実はびっくりしてるし。
まぁ。でも良い提案の様に思えた。それでご飯を食べて余暇を過ごしてほしい。
……少しだけど。貧乏な悲しいしお人よしな自分が悲しかった。
「は、え? いや――あの。戴けませんよっ」
弾けるように言うレオの手を私は掴んでいた。細い。白い。よく見れば傷だらけだった。今度軟膏も塗ってあげよう。
私はにかっと笑って見せる。
「それに王都の様子も知りたいから。お手紙を書いてほしいんだよ。家はここから遠いから」
あれから幾度かの季節が巡った。合うことは無かったけれど私たちは他愛無い言葉を書き綴り笑い合う。そんな手紙交換が続いていた。本人にもう支援はしていないのだけれど、うんうん元気そうで嬉しい。
いつか会えたらな。とは思う。可愛らしい少年だったから、ととてもかっこいい青年になっているだろう。想像すると楽しかった。
そんな私ももはや十九歳。この間貴族の子供が通う王立学園を出たばかりだ。いろんな事があったけど、何も無かったなぁ。あわよくば玉の輿でも狙っていたんだけど。まぁ。その前に恋愛とか言うものもして見たかった……。
ちなみにこの国。結婚して一人前とみなされるため、結婚しないと非常に恥ずかしい。平民でも。貴族でもだけど、貴族はその帰来が強い気がする。
それを愚図ったら姉さまが甥っ子を抱えながら不思議そうに言った。
「何言ってるの? あなたもう結婚しているけど?」
「……ん?」
「……んん?」
本人不承諾。何の相談もお知らせもないまま結婚しているってありなのだろうか。いや。紙切れ一枚だし在りえるのかも……いや。まって。冗談だよね。と言ってみれば『話してなかったっけ?』などと返ってきた。
沈黙。姉さまは甥っ子を小脇に抱えてずりずりと後ずさっていく。その甥はきゃきゃと喜んでいた。
「いや、本人が話すって……あのヘタレ」
「兄さま?」
「いや。あの。ずいぶん昔に――王太子変わったじゃない?」
なぜ壁に張り付いているの。そして甥っ子はやっぱり楽しそうだ。
「……はい? はぁ。三年前、第一王子が他界して、第二王子にでしたっけ? それが今何の関係が?」
確か誰も見たことの無い幽霊王子とか言われていた気がする。年齢は私と同じだったっけ。未だに公的行事には出てきて無いが職務はこなしているらしい。
それが何か? 胡乱な目で姉さまを見る。ははと姉さまは笑う。やけくそ気味で。
「ほら。あなた。玉の輿が良いとかなんとか。良かったわね。玉の輿よ」
「……はい? じゃあ何ですか。まさか結婚相手はその王太子様とか言うのでは?」
いやいや、無い。吹けば飛ぶ貴族の娘。貧乏で顔も平凡。なぜだか知らないけど学園でマナーを叩き込まれたため外ずらだけは完璧になったけど、田舎の小娘にそんな縁談入り込むわけない。
「冗談?」
「……もう結婚してるから離婚は出来ないわねぇ」
平民や貴族は離婚上等で結婚できるのだけど、王族だけは離婚不可。いや、マジですか。と問えばマジ。と死んだような目で返ってくる。
思わずがくりと膝をつき床に手を付いていた。
私の青春は一体……。
「なんで――」
「あ。試しにレオ君に相談してみれば?」
レオ君は賢いから。と若干引きつっているのはなぜだろう。まぁ確かに現在王宮で宰相補佐――出世しすぎ――とかいう凄い地位についているらしいので聞いてみよう。そうしよう。
あわよくば離婚……を。
無理か。絶望すぎて頭を抱える。
「……そうする。ありがとう」
私は部屋でペンを走らせるのだった。
レオからの返事は早いものだった。『すぐ行く』と書いてある。それを何度か眺めながら嬉しい気持ちに陥った。結婚した事も忘れて喜々としてレオを待つ。
だって久しぶりで。昔、手紙の中に入っていた髪飾りを付けていた。ここから王都は遠いけれど、手紙から逆算すればもうそろそろだろうか。
子供のように窓から正門を眺めて姉さまに呆れられる。
馬の嘶きと共に私はその場から駆け出していた。『あの子は――あれで気づいてないんだなぁ』と可哀相な人に言う声が聞こえたような気がするが無視。
扉をくぐるスラリと華やかな手足を持つ男性。その帽子の端からさらりと銀色の髪が流れ、その青い大きな双眸は私をとらえていた。
心臓を捉えるような、深い――青。
「レオ」
たんっと飛んでから私はレオの大きく成った身体に抱き着いていた。体温が温かい。レオは驚いたようだったがきゅうと私の身体を抱き留めていた。嬉しくて安心するのはなぜだろう。
くすりと笑みを零す。
「前は倒れたのに」
「コーネリアのお陰だよ。会えなくてごめんなさい。ごめんね――」
「元気そうで良かったよ」
そのまま存在を確かめるように二人で暫く抱き合っていた。
「つまり――王太子と離婚したいと?」
静かな居間で、私たちはお茶を飲んでいた。お茶請けは私が作ったクッキー。まま、上手く出来たと思う。
「いや。……それは」
やたら目が泳いでるけど。何でだろう。若干挙動不審な様子をじっとりと眺めながらパリっとクッキーを齧った。
「だよね」
「た、例えば離婚したらコーネリアはどうするの? 誰かと――その結婚を?」
「うーん。よくわからない。私はこのままで良いのだけれど。……あ。レオは結婚しないの?」
「……いや。あの――」
言い淀んでいるレオ。それを尻目にコンコンとノックが響いていた。『どうぞ』と言えばわが兄さまがずかずかと口をへの字に曲げて入ってくる。
なぜかご機嫌は斜めらしい。
「失礼」
兄さまはレオの隣に腰を掛けた。
「兄さま?」
私を一瞥してからゆっくりと低く口を開く。
「……我が細君から聞きました。レオナルド様。どういうことですかね? 私たちはこの子から許可をと言ってませんでしたか?」
「レオナルド……」
ん?
――どこかで聞いたような。どこだっけ。うーんと考える私に二人の言葉は入らない。
「――いや。そのつもりではあったのだが……その」
「まぁいいです。こんなこともあろうかと私は婚姻届を出してませんので。このことは無かったことにしていただきますよ」
「な」
パンっと私は手を叩いていた。
「――あ。レオ。レオナルドって王太子様の名前だね。使える人の名前と一緒だなんてやりにくくない?」
なかなか名前を呼ばないので忘れてたけどそうだった気がする。覚えていて凄いと自分自身を褒めながら上機嫌でクッキーを口に投げようとしたところを兄さまにキャッチされる。
かちんと閉じられた歯が痛い。そして兄さまの視線が冷たい。いつも以上に。
「いや。いい加減に気づけ。馬鹿」
「何を――?」
……。
……くいっと視線を投げた先にはレオが居て困ったように笑っていた。
あ――。
う――。え――?
私は混乱している。混乱している。
「あっ、はい。ちょっと寝てきます」
それを誰も止めなかった。
頬に柔らかなものが触れた気がして私はゆっくりと目を開けていた。
美青年がいる。――どこからどう見ても美青年がいる。長い睫は瞬くたびにパシパシと音がするような気がした。青い双眸が心配そうだ。それを安心させるために私は笑みを浮かべていた。実際寝ていただけなのだから心配されるのはなんだか恥ずかしい。
「ごめんなさい」
レオは落ち込んでいるのか顔を俯けながら言った。
「なんだか――謝ってばっかりだね。でも。そんな立場だとは思わなかった」
それは忙しいはずだよね。と苦笑を浮かべるしかない。ペチンと私は弱々しくレオの頬に触れた。冷やりとしている。どのくらいここにいたのだろうか。
身を起こすと温めるように抱き着く。はしたないと切れられるだろうけれどこのくらいは良いと思うのだ。
大切な友達だし。いや……。結婚してたのかな。兄さまがまだ届を持っていたと言うけど。
ピクリとレオは身動ぎした。
「あの、さ。私は――何もない人間だよ。立場的にはほとんど平民で。なにで私だったの?」
「あの王宮でね。誰もぼくを見なかった。あの日あの時も僕は残飯を漁りながら生きるしかなかったんだ。――おかしいよね。王族なのに。姉上や兄上はちゃんと愛情を貰っていたのに、僕だけが名前すら貰えなかったんだよ」
「……でも――名前は」
「良く考えて。ぼくは君の質問に頷いただけだったんだ」
あ――名前当てクイズとかそんな遊びしていたような。黒歴史が蘇る。最初に当たってすごく喜んだ記憶が……そんな酷い理由って。第二王子が表に出てくるまでどうやって生きていたのかなんて伝えられていないけど。
……ん?
あれ。まって。もしかして。私が名づけ親であるのか。これ。ヤバイ。謎の汗が。
「いや、あの。そうだったらこんな適当な名前なんて付けなかったんだけど……も。もしかして復讐で?」
名前が嫌だったけどいちいち呼ぶものだからそうなるしか無かったとか……。いや、それだと変えれば良くない?
とりあえず謝ってから考えるか。
「ごー」
長い手が私の背中に伸びる。
「そんな分けないよ。嬉しかったんだ。ぼくにも名前があるということが。ぼくを見てくれた貴方が。だから……」
「でも――突然結婚はいけない事だと思うよ?」
至極まっとうに告げると私から身体を離しさらに項垂れた。何事にも手順というものがある。というか。本人に言おうか。まず。
言うと呻くように口を開かれる。まぁ。怒ってはいないけれども。怒る事が出来ないというのが正しいだろうか。
私がお人よしなのか。レオを好きすぎるのか。いまいち自分自身が分からない。
「……ごめんなさい」
私はレオの頬を両手で挟んで顔を上げさせる。ぱちぱちと大きな目が私を不思議そうに見つめている。それが可愛らしく思えた。
「それじゃあ。婚約から行きましょうか?」
「え?」
「私。レオが大切なんだ。恋とか愛とかよくわかんないけど。大切な事は確かだよね――だから。そこから始めよう? ――よく考えたら私はレオのことを良く知らないし。うん。そうしようか」
「いいの?」
「うん。レオとだったら生きられるよ。これまでもそうだったし。私たちはきっと変わらない。それが悲しい事なのかは分からないけど」
差し出した手をおそるおそる掴んでゆるりとレオは私を見た。嬉しような戸惑っているような複雑な笑み。理解できないのだろう。そんな事を言われるのが。
もしかしたら突き返されると思っていたのかも知れない。
私は子供の頃と変わらない表情を浮かべたレオを抱きしめる。
「きっと私は――もう逃げられないんだよね」
心も多分逃げることは出来ない。そんな予感がして苦笑を浮かべて見せるしか無かった。