文章を創造する四十八手:第1~3手
1「汝自身を知れ」
隣の山ははっきりと見えるが、自分の山は目の前の木々しか見えない。
文章を創造するのも、同じだ。
他人の文章の欠点はよく見聞きし分かるのに、自分の文章は見聞きできない。
そこには、自分のエゴがあるからだ。
可愛い自分をみてしまい。
正当で客観的な評価ができないのだ。
文章は自分の中の他者を見出すことで上達していくのである。
「汝自身を知れ」ことが、文章の基本なのだ。
一晩寝かせて、翌日に原稿をチャックするのは客観的に自分を見る方法の一つである。
その時の感情で文章を書くため、面白い文章を書いているつもりがゴミクズの文章になるのだ。
己を知るために己のことを書こう。
2恥を掻いて、恥を書け
恥を隠したがるのが、人間の性だ。
自分の中のコンプレックスを曝け出すののが怖いのだ。
アダムとイブが毛皮でできた衣をこしらえ、恥を知ったのだ。
なので、恥を掻いて、恥を書け。赤裸々するのだ。
2つの赤裸々ばなす。
1つ目はウンチマンの話だ。
わたしは、小学4年生のときハワイへ行った。
機内食や現地の食材があわなく、うんちを漏らした。
その場には、家族や親族がいて皆に迷惑をかけた。
それ以来、ワタシはうんちをするのに怯えていた。
朝起き、ウンチをし一日持つか不安になるのだ。
しかし、あるときから赤裸々にそのことを話せるようになりウンチの問題は解決した。
恥を掻いて恥を書いたのだ。
もう一つは、借金マンだ。20代に親に100万円を借り賃貸料も3ヶ月滞納した。
お金に困っていないふりをしていたが、貧乏を味わったのだ。
わたしは20代半ばまで人並み以上に裕福な生活であった。両親や親族は借金をせず運用していたのだ。だが、「自分で稼いで飯を食ってみたい」と思い行動に移したところ、世間で言う貧乏を知ることになった。
しかし、貧乏も悪くないアイデアが浮かぶ。
腹が減ったら、頭が働く。
裕福なときは意外とお金のありがたみを知らない。
人は、無くなってそのありがたみを知る。
予め、ありがたみを知っている人は幸せものだ。
しかし、無いありがたみをしることでより成長もできる。
恥だと思っていたことも、いまでは誇りなのだ。
恥を掻いて、恥を書くことで、生きた体験になるのだ。
文章も同じだ。
恥を掻いて恥を書いただけ、心打つ文章が生まれる。
そして、人類は服を着ているだけで、恥であることを忘れるな。
人として生きている限りは、無知であり恥がある。
3不自由があるから文章がかける
文章はとても不便だ。
考えてほしい。
書いた後に、脱字を確認し全体の流れを工夫する。
さらに、翻訳までされどれだけの時間を費やしているだろう。
さらには、改正までし一生を文章にかける人までいる。
文章がなければそんなことを煩わすこともないのだ。
だが、不自由が有るからこそ美しさもある。
自由だったら、何をどうすればわからなく露頭にくれる可能性が高いのだ。
制約があるから、迷わずにすむものだ。
文章に面白みを見つけることができるのだ。
言葉で忘れないために文字を繋いで智慧が生まれた。
不自由の中から生まれた艶がたくさんあるのだ。
文書に絶対の答えがないように正解がないから人生を楽しめるのだ。
答えのわかっている映画や小説を読んでも心踊らない。
答えのわからない文章ができるのだ。