タイカンとミカノの時間
聖歴1023年
オニの殲滅から2年が経ち、街の皆は手を取り合い復興を続けている。
【シガ】の街から離れた【ミカノ山】が、私達の住まいだ。四季折々の顔を見せてくれるこの場所は、美しいながらも道中は厳しく、皆は見上げるだけの場所。復興の合間に山の神様に、祈りを捧げる。感謝、豊穣、健康、繁栄とそれぞれの思いを込めて。
その【ミカノ山】に住み始めて同じく2年が経つ。
二度目の桜の景色。少し冷え込んだ朝に、暖かいスープを飲みながら今日やる事を整理していた。
『ねぇタイカン、今日もミカノと稽古なの?』
『あぁそうだな。何か教える度に、飲み込みの早さに驚いているよ。』
『まぁ喜んじゃって。あまり、無茶しないでよ。』
『大丈夫だよ。加減はしているから』
『タイー!いくよーー。早く!早く!』
既に玄関を飛び出していたミカノが声を掛けてきた。
『おー。すぐ行くから!いつもの場所に先に行っといてくれー』
『はい。これお弁当。』
『おっ。いつもすまないね。助かるよ』
『さぁ行ってらっしゃい。』
『そうだ。偶にはサクヤもミカノに何か教えてはどうかな?少し前に、精霊の力の使い方教えていたのに、途中でやめてなかったっけ?』
『う~~ん。もうちょっと考えてみるわ』
『そっか。じゃ、行ってくる』
長やサクヤが言っていた通り、ミカノの成長速度には驚いている。体の大きさは、街の子供でいうと6歳ぐらいだった。日に日に大きくなる体に違和感はあったが、教える事を全て飲み込む吸収力が、違和感を上回り私の喜びになっていた。
体が大きくなった頃、山の獣と対峙した時に困らないように簡単な棒術を教えたのが始まりだった。初日こそ手取り足取りだったが、次の日には自在に操れていた。
子の成長を喜ぶ親のように、体術、剣術と私が体得してきたものを初歩の部分から少しずつ教えた。
吸収するだけではなく、効果的に打撃を繰り出す様は私の幼少期を遥かに凌ぐ勢いだった。
教え始めて一ヶ月もした頃には、丸々と太った【シガ肉】などは、光芒一閃。【ミカノ山】に唯一残存する肉食の熊ですら相手にならないという状況だった。
怖さが無かったといえば嘘になる。しかし、力を向ける方向を誤らずに指し示す事で、危険な状況にはならないと信じていた。何よりミカノの澄んだ瞳は、幼子の時から何ら曇る事なく輝いている。
ある日、熊と対峙した。冬の前、気性が荒い時期だった。
苛立つ熊は、太く低い声をあげた。涎を蒔き散らし、ミカノと私に威嚇を繰り返した。肉づきの良さを感じた私は、ミカノに代わり立ち合うよう目配せをしたが、ミカノは首を横に振る。熊の出足を挫くように先手を取る。
棒術で牽制し、間合いを図り熊の眼球付近に当てたと同時に懐に入り下から顎へ向けて拳を振り上げた。
熊の顔面が真上を向くほどの威力。踏みしめた地面の力を借りているかのようだった。
少し蹌踉めく熊も負けてはいない。器用に前足でバランスを取り体制を整え、すかさず右の前足を振りかざした。
熊の動作を捉えているのか、ゆったりとギリギリで躱したミカノは少し下がった場所から再度懐に入っていく。
顎を警戒したのか、熊もすかさず下を覗き込んだ。
しかし、そこにミカノはいない。足元をくぐり抜け背後を取っていた。熊が気づき始めた時には、後頭部の付近まで跳び上がり、蹴りを繰り出す動作に入っていた。
首の付け根付近を蹴り抜き、勝負あり。熊は沫を吹き倒れ込んだ。
ミカノを褒めようと近づこうとしたその時、後ろの茂みから飛び出す黒い影があった。私もミカノも身構えたが、それは小さな小さな子熊だった。
ミカノが倒した熊は母熊だったのだろう。子熊は倒れた母熊に寄り添うと、甲高い声で母を呼んでいた。本来なら冬眠中に産み育てるのが通例のはずが、この親子は時期を誤ったのだろう。成体の熊では無かったことに、安心してミカノの方に目をやった。
ミカノは震えていた。生命を奪う事を改めて実感したのかもしれない。甲高く泣く子熊の横で、泣きながら謝罪を繰り返していた。
熊には申し訳ないが、この機会に生と死について話した。
私達は、生きていく上で多くの生命を奪っている。害獣などと勝手に呼び駆除する事もあるだろう。美食とし、捉え捌く事もあるだろう。全ての生命を守る事はできないが、全ての生命に意味はあるのだ。死を冒涜せず、生命に感謝し、自らの生を懸命に生き抜く事。そして、常に自身や大切な者の死を肌で感じる事。生と死は遠いものではなく、今この瞬間も繰り返し起きている事だと認識する。
それが今生きている者がすべき事なんだ。
泣いているミカノの背をさすりながら、ゆっくりと伝えた。難しい問題なのかもしれないし、理解し難い事かもしれないが、ミカノは頷きながら泣いていた。
それからは、加減を覚えたのか仕留めるより先に意識を飛ばす方法を知りたがるようになった。
加減を知る事は大切な事だが、加減を知るという事は全力を知った先にある事を教えた。
私との鍛錬は常に全力で挑ませた。脅威の吸収力と身体能力を持つとはいえ、幸いにも私にはまだまだ及ばない。
全力を教えた上で、加減する術を叩き込む日々が続いていた。
今日も山の中腹にある河原で稽古をしている。
額に汗を溜めながら、威勢の良い掛け声と共に打ち込んでくる。片手で抑える事が出来るのも、もう少しの間だけか。木剣が重なり合う音が、川のせせらぎの中響いていた。今日は何をおしえようか。明日はどうしよう。昨日の事はどこまで体得しただろうか。
あーでもないこーでもないと、ミカノと過ごすこの時間はかけがえのない時間になっていた。