タイカンとサクヤと少年
【精霊舎】の宿舎には、未婚の教員や通学していない一部の学徒達が寝食を共にしている。サクヤは、その宿舎とは違う建物で寝起きをしている。センジュが気を回し、精霊様と他の者達を分けていた。夜の【精霊舎】の宿舎の屋上に座る少年がいた。内気なヨハネとは違う理由で、一人になりたい少年が星空を見上げている。
ムーデが放つ、剣から立ち上る炎に、魅せられた。
あれから8年が経つ。サクヤに依代を否定された事も、自分より年下の子らが身体能力を上げている事も少年の心を蝕んでいた。憧れで埋まっていた少年の心は、焦りや嫉妬が侵食していた。他の人と同じだけの稽古量ではだめだと思い、やり始めた夜の一人稽古は、いつしかこれだけの稽古量をやっているのに、努力なら誰よりもしているのに、何故なんだと自問自答する時間になっていた。
心優しい少年ロゴスは、綺麗な星空の下で悔しさを隠さずに、むせび泣いていた。そんな少年がいる事に、誰も気付かない静かな夜だった。
サクヤが【精霊舎】にやってきて、あっという間に20日が経っていた。未だに、ミカノ達が戻ったという便りは来ていない。
偶に訪ねてくるエビスの話では、城下町では送り火も終わり、提灯も片付けられたという。今は、打ち水やかき氷などで涼を求めているのだそうだ。
陽射しが強く大きな雲が空を走っていた日、【特級】の子供達は、彼が辞めたという話しを教員から告げられた。
あの日、夜の屋上で一人涙したロゴスが、力を諦めたのだった。
毎年のように精霊の力が開花せず、諦め門を出る学徒はいる。それは【特級】だとしても、例外ではない。
しかし、教員も他の学徒達もその話に心が痛んだ。
8年という歳月を費やし、日々の鍛錬も手を抜かずに、年下の者達の手本となるような学徒だったからだ。
努力という言葉がよく似合う心優しい少年は、学友の誰にも別れを告げず静かに去った。
サクヤは沈む気持ちのまま、センジュを訪ねていた。
『センジュさん、、、ロゴスの事、私のせいです。彼を苦しめてしまった。ごめんなさい。』
『精霊様、ロゴスにとっては辛い挫折だったかもしれませんが、それは精霊様のせいではありませんよ。8年の間我々が、彼の才能を引き出せなかった事が全てです。』
『そうでしょうか。彼には彼に合う教え方があったのではと、後悔するばかりです。』
『ですので、それを言うならば、やはり我々です。変化を求めずに今の教えを盲信してしまった我々の被害者がロゴスです。申し訳ない事をしてしまった。あんなに心優しいロゴスに、切なく哀しい顔をさせてしまうなんて、、。』
センジュもサクヤも、ロゴスが辞めた事は、心を痛める出来事だった。せめてもと、これ以上同じ思いをする子供が出ないように、力を練るという鍛錬を全ての子供達に教えると決めた。
サクヤは、教員達から先に伝えていく。教員達の理解が無ければ、子供達に正しく伝える事はできない。しっかりと時間を割いて、理解が深まるまで続けた。
その頃の私達は、依然として何故か砂漠にいた。
事故や事件に巻き込まれたという訳ではない。誰かが、怪我をした訳ではない。原因は、ガワラだった。
『もう〜ガワラぁ。行こうよぉ〜』
ミカノがこう言うのを、この道中で何度聞いた事か。
エビスやベンテンが言っていた「変人」というのが、今になってよく分かる。
地面の裂け目を見つけては、何時間も裂け目を見つめて何かを呟き、枯れた砂の地を見ては、何時間も砂の地を触り呟く。そんな事を各所で繰り返しているからだ。
『マスター、もう諦めましょう。ああなると夜まで動かないのですから。幸い砂漠の出口は目の前ですので。』
ガワラの興味は【山案山子】の王が塒にしていた、岩山の形だ。
私達には分からないが、ガワラにとっては、凄く興味深い形をしているようだ。
『ガワラさん、あっちに泉があるので、今日はそこで休みましょう。』
『ん。』
『ガワラさん、ブーンと一緒に来て下さいね。私達は、泉に行っていますから。ブーン、いつもの様に暗くなったら、引っ張って連れて来てくれ。頼むぞ。』
『ん。』『ブフンっ』
『タイカン様、薪も無くなる寸前でしたね。』
『ええ、本当に危ない所でしたよ。』
『ガワラとやらは、振り回してくれるねぇ。私も、本当に疲れたよ。まさか、往路の倍近く掛かるなんて予想もしていなかったからね。』
『でも、ガワラさんがいなければ、石板の解読は進まないんだ。置いて行く訳にもいかないからな。』
日が陰り寒くなった時分に、首元を引っ張られて、ガワラは泉へと来た。
『ブーン、ありがとう。休んでくれ。』
ガワラは、ブーンの涎にまみれていた。ブーンは余程苦労して運んで来たのだろう、到着するなり、凄い勢いで水を飲んでいた。
『ブーン。冷たいんよ。濡れたんよ。』
『まあまあ、ガワラさん。夕食出来てますよ。明日は、いよいよ城に戻りますよ。』
『なんね?城やないんよ。精霊舎なんよ。』
『分かっていますけど、戻った事を伝えないと駄目なんですよ。私達の寄り道も許して下さいね。』
『ん。』
『じゃあ、食べたら寝ましょうか。』
『タイ〜。ぼくお風呂入りたいよぉ〜』
『そうだなぁ。戻ったら、町の銭湯に行くか?』
『うん!明日は銭湯だねっ!』
長く掛かった【ケーハン】迄の道のりは、やっと終わりが見えた。ここ数日は、気疲れも多くぐっすりと眠れている。ミカノの銭湯の話しが残っていたのか、私は、大きな湯船に浸かる夢を見ていた。




