③
誰かが立っている。
気が付かなかった。砂利が撒かれているような大地で足音を殺すのは容易なことではない。ひょろりと長い影は唐突にあらわれ、そこで止まっている。
少女が振り向くと青年が立っていた。
身体だけ少女の方を向いて顔はどこか遠くを見つめている。年の頃は二十代後半くらいだろうか。青年は幅広の頭布を二枚、左右に交差して頭に巻き、それぞれ耳の上で大きく結んでいる。藍色と灰色の頭布には細かい植物文様が刺繍されていて、布地は妙に古めかしい。頭布はギルドの目印であり職能を示す誇りでもあるから、流行の布地に刺繍を入れて巻くのが普通だ。ヴィンテージを好む者もいないでもないが、野暮と思われている。
珍しいギルドだ。頭布の先端の房飾りが長く垂れ、風に揺れている。肩につくかつかないかくらいの黒髪は手入れをしていないのがよくわかったが、細く綺麗だった。
「……」
ただのギルドの一人。だが青年の姿は少し変わっていた。青年は薄汚れた白く長い首巻きをしており、先端を風に任せている。問題なのは――上着だ。青年は黒のタンクトップを着ていて胸元はスカスカ。この結晶世界ではありえない出で立ちである。
何者であれこの世界で生きるなら砂が入ってこないための特殊な織をした黒の防護服をつけるのが普通だ。少女も麻布でできた単の下にこの防護服を着ていて、肌を出しているのは二の腕くらいだ。同じ素材の手甲もしている。埃と熱砂を遮るために腰布の下のしなやかな両足もやはり黒に覆われている。少女は青年の格好にいささか呆れた。よほど服を買う金がないのだろうか。その割には頭布の刺繍はかなり立派なものに見える。
刺繍は特注が基本だから繊細なものほど金がかかる。青年は少女と同じく腰に砂よけと思われるやわらかな乳白色の布をぐるりと巻いていて、黒い帯で腰に結んでいた。その上に革のベルトをたくさんつけて、鏨や小ぶりのハンマーをぶら下げている。他にも様々な道具を身につけていて、それはやはりギルド以外の何者でもないという特有のいで立ちなのだが、薄い上着がどうにもちぐはぐである。両手は素手だった。素手のギルドはあまり見ない。鉱物である回路を素手で扱えば怪我をしやすいし汚しやすいからだ。
チラリと見えた青年の手のひらは何やら古いかき傷のようなものが無数にあり……彼は顔をゆっくりと動かすと少女と目をあわせた。
無表情で――頭の左右の布がバタバタと風に揺れている。
「そこに」
青年が口を開く。見た目より若い声だった。ベンチを指さすと、
「そこに座ってもいいか」
「ど、どうぞ」
少女が答えると青年は少女の左隣に座った。なんとなく薄荷水を買いに行く機会を失ってしまって少女は座りなおす。無言の間。少女はそっと青年を盗み見た。ギルドは年中外にいることが多いので日焼けしている者が多いが、青年はそんな風もなく薄い象牙色の肌をしている。
異邦人である。
少女はそんな印象を青年に抱いた。ただのギルドだろうに、どこか微妙に……違う。
絶妙にこの世とずれている。
そんな気がした。スカスカの上着のせいだろうか。
「あの」
思い切って異邦人に尋ねてみる。
「お兄さんギルドよね、どうしてそんな格好してるの?」
「格好?」
青年が少女の方を向く。悪くない顔立ちである。瞳は深淵のように黒い。
「その上着じゃ砂まみれになっちゃうでしょ」
「それがどうかしたのか?」
「……ええと」
――きっと貧乏なんだ。貧乏でずっとこんな格好してきたから慣れちゃってるんだわ。少女はなんとなく青年が可哀そうになり、残り少ない薄荷水の壜をあげる、と言ってさしだした。
「薄荷水よ。喉乾くでしょ。残り少ないけどあげるわ」
「いらん」
そっけない返事にむ、と少女は少し表情をしかめた。青年は気づかう様子もなく続ける。
「薄荷脳を使っているだろう」
「え、確かに薄荷を水につけたものだけど」
「なら無理だ。それは飲めない」
「そう……」
本物の薄荷水なのだが。少女は結晶アレルギーかな、と思った。体の内部にある結晶構造がうけつけない結晶体というのがたまにあるのだ。結晶世界では食用鉱物が主食で、副食として結晶植物も摂取する。この組み合わせが悪いと腹を下したりするのだ。
「お兄さんどこの人? まさかあそこでじゃれあってるギルドの仲間ではないわよね」
「どこ、とは」
「流派よ。わかってるでしょ。ギルドになるためにはどこかの流派に入って弟子にならなければいけないじゃない。七条とか青海とか、朱の民とかの派閥よ。七条か青海でなければ私はそれでいいんだけど」
「レッセイ・ギルド」
「? はい?」
「レッセイ・ギルド」
「あ、そ。つまり無頼派ね。なら安心した」
青年の冗談は聞かないことにした。たまにいるのだ、我こそは偉大なるレッセイ・ギルドの正統にて、つまり流派はレッセイ・ギルドである……。
そんな戯言はつまらないしくだらない。
こういうことを言うのは無頼派が多いので勝手に無頼派ということにした。無頼派とは派閥に所属しない流れのギルドのことだ。流れというとなんか一匹狼でカッコよく聞こえるが、免許更新ができなくて一門を追い出された落第生がほとんどである。
少女は少し青年に失望してみる。世を疎んで隠遁しているような実力派の無頼は少ない。
(ま、私も見習いの身だからデカい口は叩けないけどね……)
と、少女は少し考え直して再び青年に話しかけた。
「こんな中途半端な停留所で何してるの? 次の便待ってるの?」
「道がよくわからん。迷った」
そういえばどこからきたの? と問う少女に青年は東、と答えた。
「東? 随分アバウトね……ここは各、大都市への中間地点で西に行けば西ギルド都市同盟だし、南東なら青海があって沿岸ギルド連合に行けるわよ。お兄さんはどこにいく途中なの?」
「わからない」
「地図も読めないわけ? 私も苦手だけど読めないと旅なんてできないでしょ」
「人を探してる。どこにいるかわからない。でもどこかにいる」
「なによそれ、なぞなぞ? その人もギルドなの? だったら名前教えてよ、ギルド名」
「ギルド名?」
「ギルドなら本名のほかにギルド名を持ってるでしょ。弟子入りしたら与えられる名前。「漢字」の名前。レッセイ・ギルドは「漢字」を使っていたからそれを真似して本名とは別にギルドとして漢字の名を持つ。それがギルドの自慢の一つよね。私も一応もらってるのよ。ギルド名は例え流派が違ってもかぶることなく登録されるはずだから「ギルド中立殿」で聞けばどこでどうしてるか教えてもらえるわよ」
「あいにくギルドではない。多分」
「そう。じゃ私はお手上げだわ……あ」
でん、でん、と太鼓の音が聞こえてくる。
広場に派手な衣服を身につけた人々が練り歩いてきて周囲に声をかけ始めた。その中には先ほど出会った子供もおり、身体に看板を下げ鈴を鳴らしている。
「さあさラクダをお待ちの皆さん、寄っておいで見ておいで! 世にも稀なる華やかさ、偉大なる我らがギルドの物語。レッセイ・ギルドのお話でございますぅ~」
ヒマを持て余していた人々がふらふらと集まってくる。喧嘩をしていたギルドたちは子供の声を聞きつけるなり、途端に小競り合いをやめて広場に走ってきた。
「おお楼閣記か! 我らが祖、源上の記した歴史書。青海派の名にかけて小僧ども、下手な芝居は許さんぞ!」
「ふん、青海派はどうでもいいが源上は我々の祖、七条の弟子だったからそれを忘れた内容は見過ごせないな。検分させてもらおう」
「無理言っちゃってるわ」
少女はやいやいと集まってきたギルドを見て、
「この劇ギルドに大人気なのよね。まあレッセイ・ギルドの話だから当然だけど……芸人によって解釈が違ったりするから見比べると結構面白いのよね。ギルドに受けがいいと金払いいいからよく上演されるし……お兄さんはどんなタイプが好み?」
「何の劇なんだ」
「え、知らないの。冗談でしょ……もしかして超田舎育ち? 田舎じゃやらないのかしら……。最古の歴史書、「源上砂上楼閣記」をお芝居にしたものよ。習ったでしょ。源上ってギルドが書いたやつよ。西ギルド都市同盟と同等の大都市沿岸ギルド連合……通称青海派の流派の祖。源上は西ギルド都市同盟の祖である七条の弟子だったらしいけど、決裂して青海派を名乗った人物――らしいわ。師だった七条はレッセイについて何も書き残していないんだけど源上は残したのよね。レッセイから最初に回路技術を請うたのは七条だそうだから、残してない七条の方が不思議なんだけど……ま、大昔のことだし資料が散逸したのかもね。結局レッセイ・ギルドについて詳しく記されているのは楼閣記だけ……。でも史実じゃなくて創作じゃないかって声もあるのよ。千年も前の物だし、残ってるの写本だし」
「源上……」
「忘れやすいのはよくないわよ。歴史に疎いギルドは軽く見られがちだし、だいたい初代くらい知ってないと。えーと知らないの? 源上」
「それは知ってる」
「じゃ、七条は?」
「それも知ってる」
「なんだわかってるんじゃない。ま、私もド忘れすることあるけどね。さ、始まるわよ」
青年は黙った。太鼓が響く中、広場の中央に極彩色の布を額に当てた老人が歩み出る。そして高らかに語り始めた。
「さて皆さま今は昔、むかしむかしの物語。もはや知らぬとは言わせまい、我らが結晶世界の救世主、レッセイ・ギルドの物語。十年、百年、いや千年。遥か昔の物語。神の御業か気まぐれか。人知を超えし我らギルドの祖は何者ぞ。それは、それはレッセイ・ギルド。いや、はて、さても奇なる神々の、これは栄光と終焉の物語――」
お読みいただきありがとうございます!
感想・評価☆などいただけましたらよろしくおねがいします。