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「どこかへ行かれるのですか?」


ロサ家専用のテントの前で遠出する支度をしているアルタを目にして、エズが近寄ってきた。

「ちょっとね。ほら、川の水もだいぶ落ちついてきたでしょ。大地の緑はまだ枯れていないけれど、この緑がどこまで広がっているか確認しておきたいの。……川がなくなったら移動しなければならないわ。適当な土地が周りにないか調べておきたいの」


 雪解け水が大河を形成して三ヶ月、危機を感じるほどではないが、次第に水量は確かに減りつつあった。水がもたらした萌えい()る大地に人々は恩恵を受け、一時的にクリスタリスの脅威から逃れることができている。

しかし水が大地にしみ込み、消えるのは時間の問題だ。ここの緑が消えたら、他の植物が茂る場所に移動したい――だから今のうちに下調べをしたいのだ。

「お一人では行かせられません。私も参ります」

「でもそれじゃロサが」

「ヴァルルに任せましょう。クリスタリスは植物が生い茂る場所にはあまり近づかない。だからといって絶対に安全とは言えませんから。従者も何人か連れて行きましょう」

「……クリスタリスがこの三ヶ月現れなかったのは奇跡ともいえたけど……でも結晶化は収まらないわね」

アルタはうつむく。エズはため息をついて、

「川に出会ってから結晶化で十八人亡くなりました。しかし緑の大地に埋めてやれたのは慰めとなりましょう。子どもも新たに生まれていますし」

「……そうね。落ち込んでもいられないわ。それじゃ行きましょう」


アルタは元気よくラクダに乗った。ロサの惣領であるアルタが元気に過ごしていればそれだけでロサの人々は落ち着く。果敢に冒険に立ち向かうことがあれば人々の勇気となる。持ち物はいざという時の武器と鳥籠と食料と水。アルタはエズと数人の従者を連れてロサ・エスファナの拠点から出発した。緑は思いのほか広く大地に根付いていて、ロサを出発して一時間、やっと赤茶けた荒野がみえてきたくらいだ。


「水の恩恵は想像以上ですな。川が消えてもしばらくこの影響は残るでしょう」

「そうね、ここら辺が恩恵の限界かしら……あれはフランキンセンスの木ね。樹があるのはいいことだわ。動物の姿も見えるし……ここを候補に挙げておきましょう」

「印に杭を打っておきますよ」

そういってエズは従者たちに大きな水晶の杭を持ち出させ、地面に打ち付けさせた。表面に青金石(ラピス・ラズリ)を砕いて作った顔料で蒼い薔薇の花を描く。ロサの印だ。

「方位磁石は役に立たなくなってきている。移動するときは緑の地面が頼みになるでしょう。ロサからここへ来るまでの景色は?」

「頭に入ってるわ。大地が大きく変動しなければいいけれど」

少し休憩しますか、とのエズの提案にアルタはうなずいて水筒を取ろうとしたその時。


「……?」


アルタは肌が泡立つのを感じた。辺りは風の音しかしないが――何かを感じる。


「アルタ様、なにか」

アルタの異変に気付いてエズが身構える。

「わからない。――なにか……」

そこでエズがはた、と顔をあげた。

振動がする。微量だが、確かに大地の震えが伝わってくる。

クリスタリスか? しかし見渡す限りその姿を目にすることはできない。

「これはクリスタリスが起こす振動だわ」

「確かに。しかし奴らの姿は見当たりません。……とりあえず急いでロサに戻りましょう」

「だめよ。どんなクリスタリスかちゃんと確認しなければ策が練れないわ。ここにはいない……けどたしかに存在を感じるのに……」

アルタはラクダに乗ると、はっ、とその場を駆けだした。

「アルタ様、お待ちを」

急いでエズが続く。エズは従者にロサに戻るように言ってアルタの後を追う。二人は緑の大地から外れて赤い砂と岩石の世界へと足を踏み入れた。アルタは何かに導かれるようにラクダを走らせる。エズは黙ってついていく。

こういう時アルタの勘は絶対だ。だからエズはあえて何も言わない。ラクダはそれほど速く走れるわけではないが振動はどんどん大きくなってきていた。近づいているのだ。アルタがラクダを止め、

「あれだわ」

そういって遥か遠くを指さした。アルタが指さしたその先には小さいが、明らかに人より何倍もの姿をした何者かの姿がみえる。アルタの声がこわばった。

「クリスタリスよ。相当大きいわ。人が襲われているのかもしれない」

「……アルタ様、その時は」

エズは口にはしないが、目が諦めろと言っている。

人間がクリスタリスに対抗するのは不可能だ。できることと言えば逃げることしかない。ましてあのような巨体なら。

「……」

アルタはしばらく遠くを見ていたが、


「なにかおかしい」


そう言って眉をひそめた。エズがその視線の先を追う。二人とも目はいい。二人に限ったことではないが、結晶世界の人間の目はいいのだ。古代の「視力」で測ったなら平均で九・〇は叩き出すだろう。

「人を襲っているならもうとっくに腹に収めて消えているはず……」

しかしクリスタリスは――何かと攻防をしているようだった。人間ではなく何かほかの大型の獣だろうか? 

クリスタリスは互いに争うようなことはしない。

エズは腰に引っかけていた古代の道具、遠眼鏡をとりだして覗いた。旅の中手に入れた、貴重な文明の遺産である。

「――こ、これは」

エズはうわずった声をあげた。

「確かにクリスタリスは人を襲っているようだ――しかし」

「どうしたの!」


「クリスタリスと、戦って(・・・)いる(・・)。人間が。馬鹿な、ありえん」


「貸して!」

アルタはエズから遠眼鏡をぶんどると、はやる心を抑えてレンズを覗いた。丸い視界のなか、確かにけぶる砂と共に巨体のクリスタリスと人間が――()りあっている。

アルタは息を飲んだ。


――目に入ったのは大きな雪の結晶。


アルタの脳裏に遥か昔の記憶が蘇る。幼い時分、己と弟を救った、小さな「神様」。

自分と年も変わらぬような人間の姿をしているそれは難なくクリスタリスを倒した。遠眼鏡を持つ手がカタカタと震える。


――あの日、あの時。あれは子供の頃の夢、いや願望だと思っていた。しかし。


「「神様」だわ」

アルタは震えた。

「あ、アルタ様?」

「「神様」はいた――クリスタリスを倒せるのよ!」


アルタは急いで砂煙が舞う方向へとラクダを走らせた。


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