③
「大変です!」
黒曜石の槍をもった兵士が慌ててやってきた。ヴァルルは眉を寄せ、何事か、と答えた。
「奴らが出ました、クリスタリスです。一匹ですが大きい」
「! いきましょう!」
アルタはすぐにその場から走り出そうとして地響きに体勢を崩す。なんとか起き上がり場に駆け付けると人々は混乱していた。皆、右往左往し、恐怖に震える叫びが聞こえる。
「助けてくれえ!」
逃げ惑う人々の中、出現したのは二十メートルはあるかという巨体のクリスタリスだった。つまづいて倒れた男を大きな口で咥えると潰し、鮮血と肉が飛び散った。周囲から悲鳴が湧く。クリスタリスは男の死体をそのままゴクリと飲み込むと次の餌を探し始めた。頭は獣の姿をしているが、下半身は象のように太い四つ足でアンバランス。
皆、全力で逃げているのだがクリスタリスの歩幅は圧倒的で、すぐ追いつかれてしまう。次々と人を飲み込むとつんざくような咆哮をあげた。
「いそいで西の方向に逃げろ! 案ずるな、我々にはアルタ様の加護がある!」
急ぎその場にやってきたエズは剣を抜き、天空にまっすぐ振り上げると人々を鼓舞した。
「エズ!」
「アルタ様!」
エズは駆けつけてきた従者が連れた馬の綱と、そして旗印を渡した。
「お乗りください。人々を連れて西に! ここは我々がひきつけますゆえ」
「わかったわ」
馬に乗ったアルタは嫌がおうにも目立つ。アルタは手綱をとりながら大声で叫んだ。
「皆、聞きなさい! さあ私の後に続いて! この旗を目印に走るのよ! ロサ・エスファナはここで終わりはしない!」
そういってアルタは旗をかざす。混乱の中はためくのはロサ・エスファナ朝の蒼い薔薇の印。それは王者の証。
おお、と声が上がって四散していた人々はアルタの後を追って走り始めた。
「西だー! 西へすすめ。アルタ様に続くのだ!」
兵士たちは人々を誘導しながら足の遅い子どもたちを背負い、彼らもまた先へと進んでいく。
「エズ様!」
「ヴァルルか、籠を!」
急げ、とヴァルルが手を振ると鳥籠を持った兵士たちがやってくる。もう目の前にクリスタリスは迫っていた。エズはクリスタリスの注意をできるかぎりひきつけ、自分達に向くようにギリギリのところまでねばった。
ヴァルルは騎士の証である剣を抜いている。クリスタリス相手に剣の一本、どうにかできるわけでもないが、これは矜持だった。よし、とエズは見定めると剣を収め鳥籠の扉を開く。あわせて他の兵士たちも一斉に鳥籠を開ける。
バサバサと勢いよく籠に押し込められていた白い小鳩が羽ばたく。クリスタリスの目の前を鳥は旋回し、その岩肌を何匹かがコツコツと嘴でつついた。
――途端、クリスタリスは突然食らうことをやめ、舞う鳥をしきりに追い始める。
鳥に興味津々といった様子でその巨体を揺らし、視線を小鳩にあわせている。鳥が明後日の方向に飛んでいくとその後を地響きを鳴らしながら追っていってしまった。
その様子をエズはじっとみている。やがてクリスタリスの姿が完全に視界から去ると、ホッと大きなため息をついた。
「うまくいったようだな」
いつも冷静沈着で滅多なことで表情を崩さないエズが、緊張の面持ちを解いた。
「これで時間稼ぎができる。とりあえず皆をアルタ様のあとに逃がすことはできたようだ」
「いつも思うんですけど、クリスタリスは鳥が好きなんですかねえ……」
ヴァルルはカラになった籠を見つめながら不思議そうにつぶやいた。
彼らが唯一知るクリスタリスの弱点……それは鳥だ。
ロサがいつその特性を発見したのかは定かではないが、クリスタリスは鳥に興味があるらしい。天空をはばたく鳥を目の前にすると肉への興味がなくなり、鳥を追ってどこかへ行ってしまう。そのためエズ達は常に鳥を数匹用意していた。鳥を捕えることはなかなか難しいが、クリスタリスに滅ぼされることを思えば苦ではない。
「また捕まえないと。アルタ様はうまく逃げられたでしょうか」
「おそらく。我々も早く合流しよう。籠をもて、壊してはならんぞ」
「エズ様ヴァルル様、足の用意が」
従者がラクダを三頭連れてきた。馬はアルタ専用だ。一番足が速く、遠くへ逃がすことができるからだ。エズはラクダに乗ると周囲に目を凝らす。同じくヴァルルもラクダに籠をのせるとひらりとまたがった。
「私は辺りに生き残りがいないか確認してから行こう。ヴァルルはアルタ様の元へ早く! お前がいればアルタ様も心強いはずだ。あとで落ち合おう」
「わかりました。お気をつけて騎士長」
ヴァルルが去っていくのを見ながら、エズはあいつも騎士らしくなってきたな、と微笑む。
元々勇気のある少年だった。騎士に迎えて良かったと思う。
エズは用心のため剣に手をかけたままその場を従者二人と共に見て回った。クリスタリスは去ったものの犠牲は出てしまった。いくつもの血痕や血潮がどす黒く地表に点々と残っている。手足を失って転がっている遺体があった。従者が調べると息はない。失血のショックで死んだのだろう。エズは首を振り、
「……いつ見てもやりきれん……ひどいものだ……む?」
落ちていた布の下がごそごそと動いている。
(! クリスタリスか?)
もう鳥は手元にない。エズは意を決して音もなくラクダから降りると剣を抜き、切っ先で布を引っかけ、剥がした。すると、ぷは、と息も荒く布の下からもぞもぞと出てきたのは幼い子供だった。
エズはほっとして剣を収めると、
「あまり脅かしてはこまるな。どうした? なんともないか」
「その恰好……騎士様?」
エズの蒼い騎士服を見て、子どもは駆け寄ってきた。
「そうだ。もう大丈夫だぞ。クリスタリスは去った、さあ私達と一緒に行こう」
「あのね、おとうちゃんが布の下に隠れてろって……おとうちゃんどうしたのかな」
「……みな西に逃げた。その中にいるかもしれないな」
「うん……」
「一緒に連れて行ってやりたいがその前に私はやることがあってな。少し待ってくれるか」
そういってエズは従者と共に落ちていた鋤で穴を掘り始めた。血の匂いがする遺体は放っておくと危ない。血の匂いは肉の匂い。クリスタリスがまたやってくるかもしれないからだ。遺体の損傷に顔をしかめる従者たちと共に亡骸を穴に放り込む。
「まって」
ラクダのそばにいた子供が走ってきた。穴に放り込まれた足のない遺体をみて、
「とうちゃん」
そう呟くとそのまま固まったかのように動かなくなった。エズは黙った。二人の従者も視線を落としている。しばらくそうしているとエズは子どもの肩を叩いて揺らす。
「さあ、おまえの父さんを葬ってやらないと、……天国へ送ってあげるんだ」
涙にぬれた子供はうなずく。
「僕も手伝うよ」
「いい子だ、ありがとう」
「ねえ……騎士様、天国ってどんなところ」
「よいところだと聞く。クリスタリスもいないし、大地は緑に覆われていて……そこでみんな飢えることも無く、結晶化もなく過ごせるんだ」
「どこにあるの? 死んだら天国に行けるの? なら死んだほうがいい……」
子どもの目には光がない。エズは胸を詰まらせ、鋤を投げ出すと幼子を抱きしめた。
「だめだ。そんなことを言ったらだめだ! 大丈夫、この世にはきっとクリスタリスも、結晶化もない世界があるはずなんだ! アルタ様が、我々がきっと見つけ出す……見つけ出してみせる! だからしっかり生き抜くんだ……!」
「ごめんなさい騎士様、泣かないで」
「はは、これはなんでもないよ。ただの水だ」
そういって目じりを拭うとエズは再び鋤を手にして残りの亡骸を葬った。
エズは外見で勘違いされることが多いが、怜悧な風貌に似あわず激情家だった。
大人として、騎士長として子供に悲しい思いをさせてしまうのが辛く、悔しい――クリスタリスめ。
天国がどういうところかなんてエズも知りはしない。善行を積んだ人が死んだら行ける場所と聞いているだけだ。
(善行。善行か)
エズは嗤う。
少なくともロサ・エスファナには悪人はいない。皆耐えている。食べ物を分け合い、結晶化に抗い、懸命に生きて――それが善行でなくて何だというのだ。ロサの者たちこそが天国へたどり着くべきだ。そしてそれは生きている間になされなければならない――なぜ死の後なのだ。
エズには古代人の考えはわからない。人は死ねばそれで終わりだ。
(腹立たしい)
昔は人を救ってくれる「神」とやらがいたらしい。そいつはまだこの世界のどこかにいるのだろうか。すでに結晶化したか――それともクリスタリスに食われて死んだかもしれない。
(せめて子供だけでも救ってくれればいいものを)
ロサ・エスファナの出生率は高いが生存率は著しく低い。結晶化とクリスタリスも脅威だが、決定的な理由は栄養失調だった。ロサはクリスタリスの脅威から逃げ、西に移動しているが貴重なオアシスに出会う機会が減っている。その代わりただ砂漠や白い石英の森が何キロにもわたって永遠と続く。
ロサほどの大集団となると水や食料の確保は死活問題だ。場合によっては食料で争いが起き、ロサの中で亀裂が生じてしまう恐れもある。
(そろそろ「川」に出会うことができればいいのだが……)
エズは考える。
アルタ様の力をもってすればそれも叶うかもしれない。
アルタは昔から不思議な御子だった。ロサ・エスファナをぎりぎりのところで救い上げる運を持っている。
アルタが目指す方角にはいつも「幸運」が待っていた。それはオアシスだったり、比較的湿潤の砂漠だったり、獲物として狙える動物が多く身を寄せている場所だったりした。
(アルタ様は我々の希望なのだ)
エズは埋葬を終えるとふう、と息をついた。
(だからこそ私は騎士としてアルタ様を必ずお守りしてみせる)
それがロサ・エスファナに使える騎士の宿命。そしてそれこそがエズの無二の誇り――エズは子どもをラクダの篭に乗せ、自身も鞍にまたがった。
「さあ西へ向かおう。アルタ様の元へ戻らねば」
は、と従者たちが続く。古代の神殿は今度こそ廃墟になり、祈りの場はただの瓦礫と化す。
誰もいなくなったそこは風が吹き抜け、見る間に砂の影へ溶けていった。
お読みいただきありがとうございます!
感想・評価☆などいただけましたらよろしくおねがいします。




