98話 交わらぬもの
「無理はするなヴェル」
「いえ、大丈夫です。」
両腕を負傷していたヴェルは父親のウルゼルクと共に競技場まで来ていた。
無理を言って何とか彼同伴のもとユーズたちの様子を見に来たのだ。
ヴェルの強い主張を仕方なしに聞き入れた治癒師によって痛みを麻痺させる薬を投与され、今は普段通りに動けている。
後で強い副作用があるようだがそんなことはお構いなしだ。
「まだ中は混乱状態のようだな……一体何が」
逃げ出してくる観客たちの数は大分減ってはいるが、騎士や学園の教師たちが戦闘をしているようだ。
試合をしていた時と比べて空模様が悪くなったため今は夜のように暗い。
(何とか皆無事でいてほしいが……)
「ヴェル!」
「! ……ローディ!」
観客席の中で戦いの余波か、埃を被ったローディがヴェルと合流する。
「一体どうなってるんだ」
「……分かりません、爆発の後は見たこともない白い怪物が大量に現れたので戦える人で対応してます。でもそれより……」
ローディの視線が競技場の方の下を向く。
そこには……。
「ユーズ!」
「な、あ、あれは……!?」
ヴェルもウルゼルクも驚愕する。
そこでは青白く輝く氷を纏った斬撃と赤黒い輝く炎を纏った斬撃が交錯していた。
『氷獄の地』
『炎獄の地』
互いに環境すら変貌させる魔力を解き放つが相殺される。
凄然たる凍てつく氷と不気味に燃え盛る黒炎がぶつかっては消滅していった。
「ローディ、ユーズと剣を交えてるのは一体誰なんだ?」
「それも分かりません……空間転移魔法のようなものでいきなり現れたんです」
ユーズとヴァレフォール、まるで対をなすかのような光景だった。
しかし互いに謎の紋様が身体を覆い外見には似たような点も見られる。
「いいぞ。これこそ血湧き肉躍るということだ」
「……ハァ……ハァ……!!」
未だ底を見せず余裕気なヴァレフォールに対してユーズは息を荒げていた。
「お前は何が目的なんだ、何故俺を狙ってる……!」
「貴様こそが不二の同胞。この世に新たな秩序と時代をもたらし、我らはその支配者となるのだ」
「……ッ!」
ユーズにとってみれば意味不明なことを宣うだけのヴァレフォール。
だが何故かその言葉を聞くたび背筋に悪寒が走る、まるで知ってはいけない禁忌を聞いているさのような……。
「おい、一体どうなってやがる。どうしてあのユーズが征刻を持ってんだ」
ヴァレフォールの乱入によって退避していたダンタリオンはユーズの身体の紋様を見て毒づく。
「……さぁな。だがあれを付けられるのは〈星読み〉だけだ。つまり奴も"器"の候補になっているということだ」
「何だと……!」
(…………何を話している? だが……あの2人が困惑している、ということはこの事態は奴らの想定外だったわけか)
その一方アルゼラは傷痕を抑えつつ秘密結社の出方を分析する。
いずれにせよあの防御不可の黒炎によって戦いは誰も介入できない、ユーズに託すしかない状態だ。
「ここらで終わりにしようぞ、ハルファス」
ハルファスのもとへと一歩一歩近づいていくヨーゼル。
だがその時は突然訪れた。
「……!? ヨーゼル校長!」
初めに異変に気づいたのは周りにいた騎士たち。
ヨーゼルの視界がグニャリと歪み、立っていられなくなる。
彼は片膝をつき左胸を押さえていた。
咳に伴う吐血、とっくにヨーゼルの身体は限界を迎えていたのだ。
「ぐっ……ゴホッ……ゴホッ……!!」
(こんなところで……!)
グラシャを退けた時と同じように焦げついた右手に気がつく。
四魔殲滅弾を始めとした強力な魔法の連発、さらに金剛を手にした全力の戦闘、その絶大な力に自分自身の肉体が既に耐えきれていなかった。
「……フッ、クククク……どうやら今の貴様は長時間の戦いに耐えられるような身体ではなかったようだな」
好機と見たハルファスはヨロヨロと起き上がり、体勢を整える。
「……ッ!!」
ハルファスが素早い体術によってヨーゼルを追い詰める。
金剛を用いてガードしていくがそのスピードには歴然たる差があった。
「……ぐっ、ハッ……!!」
ハルファスの強化を乗せた強烈な回し蹴りがヨーゼルに直撃し、彼を結界の縁まで吹き飛ばす。
「クク……強化もなしに戦えると思っているのか?」
(ぐっ……重さで金剛をまともに振ることも出来んか……)
肩で息をしつつよろめきながら構えるヨーゼル。
「ヨーゼル校長、何故だ? さっきまでは奴を圧倒していた筈……」
「既に強化を使えないところまで消耗していたのか……!」
騎士たちも事態の深刻さに気がついているが結界を破ることも出来ない。
再び危機に陥ったヨーゼルを助けられる者は誰もいないのだ。
「私の翼を貫いてくれた礼だ。貴様の身体に風穴を開けてくれよう」
ハルファスが右手に魔力を収束させていく。
「フォフォフォ……」
「! 何が可笑しい……!?」
命の危機にも関わらずヨーゼルは笑った。
「ワシ如き旧き者を殺しても……お主らの野望を阻む若い意思が必ず現れる。それが分からんか?」
「何だ殺される前の負け惜しみ……恨み言か? この学園のガキどもが我々の計画の邪魔など出来よう筈がない、戯れ言だ。私が今より勝どきを上げる」
「……それはどうかな。お主はここでワシと共に逝くのじゃ……!」
笑みを浮かべながら目を見開くヨーゼル。
その眼には鋭い光と覚悟が宿っていた。
(魔力も底をつきかけている今のワシに出来ること……やむを得ん。あの魔法を使うしかあるまい)
ヨーゼルは残る力を振り絞って金剛を振り抜いた。
斬撃を回避するため後ろに跳ぶハルファス。
その隙をついたヨーゼルは左手で十字を切った。
「何をするかと思いきや、この期に及んで祈りか?」
「フォフォ……まだこれからじゃよ。命をも賭す戦いというのは!」
激しさを増すユーズとヴァレフォールのぶつかり合い、だが……。
「ぐっ……!」
徐々に押されつつあったユーズ、既に幾つも戦闘を経て身体が限界を迎えつつあった。
当然ヴァレフォールはその隙を見逃さない。
(まずい……!)
黒い炎に包まれた刀身がユーズの身体を狙いやる、その瞬間―
「ユーズに触れるな!」
「……ヴェル!!?」
大声がする方向、ユーズがそこを向くと弓を引き絞って矢を放ったヴェルの姿があった。
そして勢いよく放たれた矢はヴァレフォールの右眼近くを掠めた。
(……今だ!)
体勢を一瞬崩したヴァレフォールに対してユーズは零華の刃でもって斬りつけた。
傷口からヴァレフォールの身体が凍りついていく。
「〈王〉の"器"たるこの俺に傷をつけるとはな。それは人の領域を超えた叛逆、もはや貴様も唯の人では居れぬということを覚悟せよ」
ヴェルの方を向いて言うヴァレフォール、しかし右眼の上から血を流しながらもその不敵な笑みは崩れない。
(こいつ……痛みを感じてないのか……いや感覚そのものが……?)
零華で斬りつけた部分がパキパキと音を立てて凍結していくというのに気にも留めていない。
「世を統べるというものが何を意味するか教えてやろう。畏怖せよ、骨の髄までも……!」
ヴァレフォールが百禍と呼ぶ魔剣を上に掲げると黒い炎が球状になって巨大化していく。
「あの野郎……俺たち諸共標的まで消すつもりか……!」
「場合によっては退避する。標的が生き残るかは分からんがな」
ダンタリオンとアスタロトすらも焦りの色を見せる状況、消えない黒炎で競技場ごと燃やし尽くされかねない。
(くそっ……! あの黒炎を止めるには……!)
零華の全力を出しても相殺できるかどうか。
だがやらなければ全員がここで死ぬ、大切な友達が。
「ユーズ……無事か!?」
「ヴェル、何でここに!」
下り坂を駆け降るようにしてヴェルはやって来た。
このままここにいれば戦いに巻き込まれてしまう。
「ヴェル! 戻りなさい!!」
上では旦那様が大声で叫んでいた、当然だ。
ユーズはヴェルを何とか逃がせないかと思案していた。
しかし……。
「ユーズ、約束してくれただろう? 自分自身も大切にすると。私は君が死をも覚悟でここにいると分かる、でも君だけにそれを背負わせたくない」
「ヴェル……」
彼女の碧色の瞳がユーズを真っ直ぐ射抜く。
そうだ、彼女はいつだって隣にいることを望む、その望みを引っくるめて守り抜かなきゃならない。
ユーズの右手に力が集まっていく。
「行くぞ。必ずお前から俺は皆を守ってみせる」




