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阿呆達の旅路と司書  作者: 野山橘/ヤマノ
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7.冒険者募集要項

「突っ込みたいところがいくつもありますけど、一旦は置いておきます。」



 淹れたばかりの香草茶を冷ましつつ、考えを纏めたカズヤ。

 予想だにしていなかった頼みの真意をたっぷり1分半考えた彼は、結局それを理解できないままでいた。

 だが、ブドウが先ほどから糸のように細い左目でこちらを見据えてくるのだ。早く返事を聞かせろ、と言わんばかりに。威圧感がすごい。



「冒険者になってどうするんですか?」



 考えてもわからないのであれば、本人に問うてみるに限る。胸に秘めた真実を偽りなく伝えてくれるとは思っていないが、長年冒険者をやって来ただけに嘘に関する勘は働いてくれることだろう。


 カズヤの問いにこれまた1分半ほど考え込んだブドウは、やがておずおずと切り出した。



「………有名な冒険者は、国を跨いで名が知られるからです。」


「有名になりたいってことか。突然の自己顕示欲の発露…というわけでは勿論なさそうですね。」



 彼女の瞳が、いつもは細められていてほとんど見えていない漆黒の瞳が開かれていることに気付いたカズヤは、いつものノリで茶化そうとしてそれを取りやめた。

 ところで、ブドウの左目の瞳は光を反射していないのではないかという程に暗く、漫画的表現をするならばハイライトが入っていないようだ。こわい。


 さておき、ここでブドウの言葉について少々解説を入れておこう。


 まず、『有名な冒険者』という存在に関しては様々な解釈がある。

 例えば金級冒険者のように等級が高い冒険者は、数が少ないために拠点支部近辺の他支部や近隣国の協会からも名前を把握されている。有事の際には招集を掛けて助力を請う必要があるからだ。

 他にも、危険な魔物の討伐に貢献した冒険者などは市井で噂が形作られ、尾鰭が数枚くっ付いた上で話のネタとして広まることがある。スプレッダーは大体が行商人だ。

 悪評が広まる、という場合もあるが…、まあこれは少なくとも冒険者として損なだけなので、あえて触れずともいいだろう。


 故意に国を跨ぐほどの噂の種となるというのもなかなか難しいことなので、有名になるには等級を上げるのが一番手っ取り早いということになってくる。だが、カズヤもそうだったように銅級から上へと昇り詰めるためには様々な分野での総合的な才能が必要になるし、いずれにせよ難易度の高さには変わりがない。



「まあ、ブドウさんは剣術が異様に出来ますし、戦闘技術だけなら銀級くらいまで行けそうですけど…。でも、常識がなさすぎるんですよ。冒険者には知識も良識も必要ですから、脛に疵持ってて笹原走りまわってるような人は有名になりにくいかもしれませんね。」


「………難しい表現をご存じなのですね。」


「以前、本で読んだことがあるので。いやまあ、こんな雑学知識や文学表現は必要とされないですけどね。でも、少なくとも仕事に関する知識…、例えば危険な魔物の対処法、動植物や鉱物に関する知識、それらに関する法律なんかを暗記していかないと、金級資格認定どころか最低位の鉄級冒険者止まりなんてことも考えられますよ。実際、僕の知り合いにも何名か『腕はいいのに勉強が苦手だから低等級止まり』なんて人がいますし。」


「………なるほど。」



 冒険者でない者や冒険者養成学校に入学したばかりの生徒などは、冒険者等級の認定制度の厳しさを知って仰天する。明らかに肉体労働じみた冒険者職において、こんなにも座学知識を要し、それを現場で生かさねばならないとは思わないのだ。



「今からめっちゃ失礼なこと言いますけど、怒んないでくださいね?」


「…………はい。」


「正直なところ、勉強とか苦手でしょ。」


「………………。」



 長い沈黙は肯定であるようだ。いつも表情に乏しいブドウがあからさまにしょんぼりしている。

 てっきりいつものように剣を向けられると思っていたカズヤは、逆にそれで狼狽えてしまった。



「ま、まあそんなに気を落とさず。鉄級資格を取ること自体はブドウさんの身体能力があれば余裕でしょうし、冒険者養成学校を利用すれば座学も何とかなると思います。それはそうと、冒険者として有名になってどうするんです? 確かに、ネームバリューがあればいろいろと便利ではありますけど…。」



 名が知られることは困難だが、ネームバリュー自体は冒険者にとって非常に有用なものである。

 まず、腕利きとして名が知られれば、割の良い依頼ばかりが名指しで回ってくるようになる。詐欺的な依頼を省くための厳選という手間が省けるのだ。

 次に、様々な場面で顔が利くようになる。国境通過の際に顔が知られていることで得をしたのはカズヤの件で既にお分かりだろう。

 取引面でも、足元を見られることが少なくなる。賢い商人は有名人にボッタクリを仕掛けない。相手が有名になるほど、ボッタクリが相手にバレるリスクの方がリターンよりも大きくなるからだ。


 このように、冒険者にとって『名を知られる』ということは、冒険者生活をより快適にする場合が多いのである。いわゆる“有名税”が付きまとうことも多々あるが、だいたいは訴えると勝てるので問題ない。


 だが、ブドウにとっての理由はそういう話ではないらしく。



「…あー。もしかして、アドバルーンってことですか。」


「……あど?」


「えーっと、なんて言えばいいんだろう。」



 アドバルーンとは、商会などが広告目的で空に浮かべる風船付きの昇りのことである。周囲の建物の上空に上がるので、高層建築の間でも目立つことが出来るというものだ。王宮よりも高く上げていると不敬罪で罰せられることもあるが。


 そのように説明を加えたカズヤは言葉を続けた。



「つまり、有名になれば妹さんを探しやすくなりますし、逆に妹さんの方から見つけてもらえる可能性も高まる、ということですかね?」


「……そうです。」



 成程、確かにこれならばどこにいるか分からない妹を闇雲に探し回るよりも、少しは効率が良いのかもしれない。対人剣術の得意なブドウであれば冒険者よりも傭兵に向いていそうなものだが、傭兵は冒険者ほど世間様に胸を張れるような仕事ではないのだ。



「………ただ、他にも理由はあります。」


「あ、そうですか。僕らの脛を齧り続けるのにも飽きたってところですか?」


「………。」



 完全に違うとも言えず、再び黙り込むブドウ。


 現時点において、ブドウはほぼ一文無しである。他の国で賞金首狩りをしていた頃はそれなりに潤っていたのだが、情報屋に騙されたりよくわからないマジックアイテムを売りつけられたり、挙句の果てには憲兵から逃げる際に目くらましとして使ったりしていてすっからかんになってしまったのだ。


 馬車と他人の時間を奪っておいて妙な話だが、ブドウはいちおうカズヤとシエルラに養われている現状を良しと思ってはいないらしい。まあ、本人もやりたくて手を染めたわけではないようだし、当然と言えば当然なのだが。


 ということで、冒険者になって生活費を稼ごうと思い立ったようである。



「まあ、自分の金を自分で稼いでくれる分にはこちらも助かります。そういうことならば協力しますよ。何はともあれ、さっさと身体を治して公用語の読み書きを覚えてもらうのが先ですけども。」



 どうしても金策が旅の課題になると思っていたカズヤからすれば、少しでも負担が減る方が有難いのである。彼女がそのように申し出てくれるのであれば、断る理由がないのだ。



「…ありがとうございます。」


「いえいえ。じゃあ、僕はこれからそのための準備をしますので、さっさと寝てください。邪魔なので。」



 これから夜明けまで何をして時間を潰すか考えていたカズヤは、丁度いい暇潰しができて都合が良いなぁ、なんぞと考えながらアイテムストレージに手を突っ込んだ。

 そんな彼の様子をじっと見たブドウは、やがて深く頭を下げて彼に背を向けた。かと思うと荷馬車の搬入口前で立ち止まり、再び振り返った。



「………カズヤさんも、寝てください。」



 どうやら彼女はカズヤが夜を徹して自分たちを守っていたことに気付いていたらしい。むしろ、気付いていないのは暢気に寝返りを打っている白竜亜人ぐらいのものである。



「はいはい。やる事が終わったら勝手に…、いや、ちょっと待ってください。」



 ブドウの方に目も向けずにナイフの汚れを拭っていたカズヤはふと思い出したことがあったので、彼女を引き留めた。



「ちょっとブドウさん、僕の名前を呼んでみてください。」


「…? …カズヤさん。」


「やっぱり。今は『さん』付けなのに、なんでさっき呼び捨てされたんですか、僕。」


「………え?」



 そう、実は先ほどブドウはカズヤの名を呼ぶ際に敬称を付けていなかったのである。普段、彼女がシエルラの事を『シエルラさん』と呼んでいるだけに違和感があったのだ。

 とはいえ引っかかってはいたものの、些細な事。わざわざ触れることもないからとスルーしていたのだが、ここにきて“さん付け”されたことで再びなんとなく気になってきたようである。



「……呼び捨てにしていましたか?」


「はい。それはもう、ガッツリと。」



 当のブドウは覚えていない様子。特に意図があったわけではなかったらしい。



「……実は、私の妹の名は、カズネというのです。」


「わお、ニアミスだ。」



 ここで初めて明かされたのだが、ブドウの探していた妹の名はカズネというのだそうだ。ついでに、ブドウたち姉妹のファミリーネームは“キフ”というらしい。ブドウ・キフとカズネ・キフ姉妹である。



貴腐葡萄(キフブドウ)ってことですか。高級ワインみたいですね。」



 貴腐菌という菌を利用して作られる貴腐ワインに絡めて駄洒落を言ったワイン農家の長男カズヤだったが、葡萄、否、ブドウには首を傾げられてしまった。どうやら、ブドウは葡萄が由来しているわけではなかったらしい。



「……ただの1字違いですから、癖で間違えてしまったのだと思います。先ほどは、頼みを断られたらどうしようかと緊張していましたし。」


「ブドウさんも緊張するんだね。」



 ポーカーフェイスに加えて包帯で表情の分かりにくいブドウだが、実は心臓が飛び出しそうな気分だったということだ。



「……それに、カズヤさんと妹、カズネは、どこか似ているような気がするのです。…年恰好や背格好が似ているというのもありますし、髪の色も似ています。………なにより、気配と言うか、纏っている空気と言うか、雰囲気がどことなく似ているのです。」


「僕はブドウさんの妹だった…?」


「…いえ。同時に全くの別人であるという確証もありますので。」



 カズヤは冗談で言ったつもりだったのだが、ブドウは冗談が通じているのか分からない真顔でそう言いのけた。そして、今度こそ馬車の荷台に戻ると、軽く頬を綻ばせながらこう言った。



「……冗談です。おやすみなさい、カズヤさん。」




 ▽ ▽ ▽




「おお、よかった。今日は直通路が使えるみたいですね。」



 翌朝。


 港町への旅を再開した馬車は、トの字型に分かれた分岐路の前で停車していた。

分岐点の股に当たる部分には標識が立てられており、太い側の直進路が港への直通路、もう一方の細い分岐が迂回路であることを示していた。


 ブドウの忠告を聞き入れたわけではないが普段より30分ほど多く仮眠を取ったカズヤは、いつもよりもスッキリした気分で荷台を振り向いた。



「あえて聞きますが、迂回路に用はないですね? こっち側の道は廃村を経由するんですけど、今は誰も住んでないような廃村ですしわざわざ通る理由もないです。」


「廃村。」



 興味ありげに聞き返したのはシエルラ。彼女は朝からずっとソワソワしているのだ。どうも、生まれてこの方見たことのない海に近づいているせいで落ち着かないようだ。子どもか。いわば132歳児なのか。



「そうです、廃村。つい一昨年前までは漁村があったんですけど、護岸が崩れて船が着けられるところが無くなっちゃったので、村人の漁師たちはみんな港町の方へ引っ越しちゃったみたいですね。漁場も荒れてしまったみたいで、釣り人も訪れないらしいですよ。」


「そうですか…。“海釣り”というものを試してみたかったです…。」



 がっくりと肩を落としたシエルラは、何とも言えない顔をしたブドウに慰められていた。


 ちなみにその漁村で護岸が壊れてしまったのは、湾岸設備の老朽化を差し引いても巨大な海獣の強襲を受けたことが理由であったらしいという調査結果が出ている。

 残念ながら村を襲った魔物の正体は判明していないものの、巨大な島のような影を見たという目撃情報から、地形を変えられるほど巨大な亀の一種だったのではないかと推測されている。



「というわけで、大人しく直進しますね。」


「はーい…。」



 肌寒い秋の朝。あちこちの木々や標識の半ばにフェアリーセミモグラの脱ぎ捨てた毛皮が残っている初秋の早霧。うすぼんやりとした冷たい空気の中を、真夏の残り香のような深緑の荷馬車は進みだした。


 港町は半島の先端にあり、近づくにつれて土地は細まっていく。すなわちだんだんと左右と海の距離が縮まっていき、磯の香りも強まっていくのである。


 水音が聞こえるたびに潮騒が聞こえたのかと外を覗くシエルラと、その度にあれは川の音だと指摘するブドウを後目に、相変わらずカズヤは居眠り運転を挟みつつ馬を繰っている。



「きゃっ!?」



 甲高い悲鳴は意外にもブドウのもの。車体が揺れた衝撃で傷が痛んだ様子である。


 対するシエルラはいたく落ち着き払ったもの。衝撃に備え、逸る気を紛らわすために練っていた擂鉢に蓋し。



「ぼいーん。」



 衝撃に合わせ、自らの胸部に実った豊かな2つの果実を揺らして遊んでいた。擬音にしてダプンダプンという重たい音が響く。肋骨が折れる心配はないのだろうか。



「やめてください、はしたない。」



 傷の痛みよりも眼前の肉塊の揺れを許せなかったブドウは、こちらが三点リーダーを打つよりも早くそれを制止した。ちなみに彼女は非常になだらかな丘陵をお持ちである。肉塊の余震が収まったのを確認した彼女は、鋭い目を御者に向けた。



「おっと、失礼。」



 居眠りから目を覚ましたカズヤは背後からの圧に対して速やかに謝罪し、周囲を確認した。



「ああ、橋か。」



 荷馬車の前方には石橋があった。


 馬車が揺れたのは居眠り運転による脱輪のせいというわけではなく、土の道と石で舗装された道の境界に生じていた段差に乗り上げたせいだったようだ。敷石部分は土の地面よりも少し高いので、スロープ状に盛り上げていた土が降水時に流れてしまったことが原因だろう。



「……カズヤさん、休憩なさいますか? …そろそろ3時間経ちますが。」


「えっ、マジ? うわ、ほんとだ。」



 うとうとしていたために時間の経過が曖昧になっていたが、先ほどの分岐点で停車して以来、既に3時間継続して馬車を進めているのである。馬車の揺れがカズヤのせいでなかったとはいえ、ブドウが心配するのも当然だ。



「うーん、でもこの際、一気にこのまま進んじゃいましょう。」



 しかし、カズヤは首を横に振ってその提案を拒否した。



「なんだかお2人が仲良くなってるような気がしますが…。ブドウちゃんの言う通りですよ! カズヤくん、休憩しましょう。私、ちょっとお腹が空いてきましたし。」



 昨晩、眠りこけていた間に起こっていたことなど露知らぬシエルラは、カズヤを気遣ってそう提案した。いや、彼女の場合は本当に空腹になっただけなのかもしれないが。



「いや、大丈夫です。だってほら、馬車を降りてみてください。」



 そう言って先導するように御者台を飛び降りたカズヤは、橋の半ばまで進むと、欄干の傍に立って手を振った。

 荷馬車の2人は顔を見合わせ、彼に続いて欄干の傍へと向かった。


 かなりの水量の流れる橋下をしきりに確認していたカズヤは、川の流れを指して2人の視線を導いた。



「あ、お魚!」



 昼間は優れた視力を持っているシエルラは、彼の指先に40㎝ほどの魚が群れているのをすぐに発見した。細長い魚体に黒っぽい体色の魚である。



「……ボラですね。」



 ひらひら動く灰色の尻尾をじっと見つめていたブドウは、ポツリとそう言った。



「えっ、詳しい。そうです、あれはアッシュフィンマレットって種類のボラ科の魚です。」


「……つまり、ここは汽水ですか。」


「ホントに詳しいな…。その通りです。この橋は大潮の日になると、ちょうど汽水域のど真ん中になるんです。」



 妙に鋭いブドウに驚きつつ、カズヤは別の方で泳いでいる魚へと指を向けた。指の先ではアッシュフィンマレットよりも平べったい魚体が身を翻している。これはアイアンブリームと呼ばれている肉食魚で、こちらも汽水域でよく見られる魚だ。



「汽水域、ということは!」



 勢いよく顔を上げ、正確には川の先を辿ったシエルラは、長い尻尾を伸ばしながら背伸びして遠くに目を凝らした。そして、すぐに歓声を上げた。



「あ、あれが…!!」


「ぎ、ギリギリ見えない…。でも、たぶんそうです。それが海です。」



 カズヤの視線の先には防砂林が広がっている。だが、彼よりも高い視点を持ったシエルラには、その隙間から紺色の輝きが見えたのだろう。



「目的地までたったの10㎞です。ここで休憩を取らなければ2時間もせずに到着できますので、このまま向かいたいんですが…。」


「でもまだ2時間もかかるんですね。それなら、休憩しましょうよ。ねえ、ブドウちゃん。」


「……シエルラさんに賛成します。」


「ありゃ。」



 というわけで2対1の構図が形成され、一行の馬車は橋の傍で休憩を取ることとなったのであった。


 さて、そんな休憩中の事。


 言葉に甘えたカズヤが仮眠を取っている間に、シエルラとブドウの2人は橋の欄干から乗り出して川の様子を眺めていた。



「あっ、ブドウちゃん! 新しいお魚が来ましたよ。あれもアイアンブリームでしょうか?」



 力強く泳ぐ銀色の魚を指したのはシエルラだ。



「……あれはクロダイではなく、フナの仲間なのではないでしょうか。…潮が引いてきて、塩分の濃さが薄まってきているのだと思います。」



 指摘を入れたのはブドウ。確かに、アイアンブリームすなわちクロダイ属の魚の平べったい魚体と比べれば、銀色の魚は少し肉厚である。




「へえー、ブドウちゃんは海にお詳しいんですねえ。もしかして、漁師さんだったことがおありだったり?」



 ブドウは武道場の師範であったことが判明しているため、もちろん漁業経験はない。これは、シエルラによるツッコミ待ちのボケである。


 だが、彼女のボケに対してツッコミを入れる代わりに、ブドウはふと口元に寂しさを浮かべた。



「………故郷は海の傍の漁村だったので、魚釣りに行く機会が多かったのです。」



 ブドウが求められずに自身の事を話すのは珍しいことである。おそらく、廃村になった漁村の話を聞いて故郷を偲び、感傷的な気持ちになっていたのだろう。今になるまで表情には全く出ていなかったが。



「そうだったんですか。妹さんと一緒に、ですか?」


「……時には。………あの子は意志をハリスに乗せすぎていましたから、殺気が海中にまで伝わっていたようです。…つまり、あまり上手な釣り人ではなかったので、私が誘っても渋い顔をしていました。」



 シエルラにそう返したブドウが、海の方へと移ろいでゆく河口の水面から目を上げることはなかった。彼女の見つめていたアイアンブリームは、妹と釣った思い出の魚に似ていたらしい。


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