4.没落貴族の半端娘
「私の本名は、シエルシエラ・エヴィナリスと言います。シエルラというのはニックネームのようなものです。出身はトエルリー共和国、いえ、旧トエルリー王国の貴族家でした。」
「王国…?」
徐に始まったシエルラの回想に対し、カズヤは肉に塩を刷り込みながらオウム返しした。ブドウも興味深そうに耳を傾けている。
思ったよりも2人の食いつきが良いことに気を良くしたシエルラは、夜用の眼鏡を掛けて地面に落ちていた木の枝を拾い、学校の教師の真似をしはじめた。
「カズヤくん、いい所に気が付きましたね! そうなんです、だいたい110年ぐらい前でしょうか。そのころのトエルリーはグランドーラントと同様に王制を敷いていたんです。」
ビシリと枝先を向けられたカズヤは、迷惑そうに眉を顰めつつ、野生の香草を摘みに行くため立ち上がった。
今でこそ様々な亜人が平等に暮らすトエルリー共和国。しかし、その国ではあらゆる種族の亜人が手を取り合って生きてきた歴史よりも、特定の種族が他の亜人達の上に立って導いてきた歴史の方が長いのだ。
王制時代、すなわちトエルリー王国時代の政治は、様々な分野において優れた形質を持った種族たちが貴族爵を得て、世襲制で主導してきた。
白き獅子人『ホワイトレオ王家』をトップに据え、『ヴァンパイア』『ヴェノムスライミー』『ケンタウロス』、そして『竜人』の4種族からなる『四賢者』の各当主が一堂に会し、この5名の顔色を窺いつつ王国議会が開催されていたのだ。
四賢者の席が入れ替わったのは国が興った直後の動乱の時代のみ。それ以降は固定化された4つの種族が互いに牽制し合いつつ、種族内でも牽制し合いつつ、下剋上を狙う者達に根を回しつつ、世代交代しながら王国運営に取り組んできたのだ。
シエルラの実家であるエヴィナリス家はそんな四賢者が1つ、竜人の家系だ。そしてその中でも特に有力な『白竜人』の家系であった。
また、エヴィナリス家は特に薬学分野に通じており、家に代々伝えられている『秘薬』と呼ばれる万能薬で薬剤市場を牛耳ってきた一族だった。
「まあ、秘薬の作り方を教えてもらえるのは次期当主だけだったんですけどね。私は3番目の娘で、2人のお兄ちゃん達ほどお勉強もできなかったので、残念ながら教えてもらえませんでした。製法を知ってるお兄ちゃんたちも死んじゃいましたしね。それ以外の薬のことなら大体わかりますけど…。」
「………十分、すごいと思います。」
席を外したカズヤの代わりに、仕方なくブドウが相槌を打った。
さて、そんな調子で国の中枢を担ってきた国王と四賢者。他国が同様に絶対王政を敷いていた時代であれば、この体制で強健な国力を持った小国として世界で通用していた。だが、ちょうど150年ほど前に南方で始まった行政の民主化の流れがこの国にも到達し、特権階級へと不満を貯め込んでいた種族の者達が爆発したのだ。
そう、革命である。
如何に四賢者や王家が戦闘面や医療面で優れていたとしても、軍の土台を支えているのは、平民階級の者達やこれまで四賢者に尻尾を振らざるをえなかった小貴族たちである。そういった者たちが四賢者家の何十倍居ることだろうか。
兵の質に特化した王家・四賢者軍は11年もの粘りを見せた末、最終的に革命軍の量に飲まれて白旗を揚げることとなったのであった。
ホワイトレオ王家は種の保存という観点から、革命軍に手を貸した王の叔父一家を除いて処刑。四賢者も当時の当主と次期当主、次期当主が倒れた際に備えたバックアップらがことごとく処刑された。
「全員さっくり殺されなかったのは、民主化を謳っている以上、貴族たちを殺しすぎたら体裁が悪かったからだと言われてます。革命が成功した後は貴族も平民ですからね。なにはともあれ、私は本当に運が良かったみたいです。」
当時まだ幼かったシエルラは、年下の兄弟姉妹や使用人たちと共に隠れ家へと疎開していたようだ。幸いにも疎開先にまで戦禍が届くことはなく、また、戦後の処刑の渦に巻き込まれることもなかったため、無事に平民となることが出来たのである。
「まあ、貴族が一般人に落とされても、なかなか順応できないものです。これまで虐めてた分だけ虐められますし、それが無かったとしても、これまでの贅沢三昧な生活様式が一変するわけですから。私も、平民の味に慣れるまで随分かかりました。」
「そんなお嬢様が、今では生の花をむしゃむしゃ食べるようになったわけですね。はい、リアラの花が咲いてたんで、摘んできました。」
「わあっ、おいしそうですね! ありがとうございます、カズヤくん!!」
腕いっぱいに花束を抱えて戻ってきたカズヤは、それをシエルラに手渡した。リアラという木本の桃色の花をキラキラした目で眺めまわしたシエルラは、その中で特に綺麗に咲いた一輪を摘み取ると、大きな口を開いて一口で飲み込んでしまった。
彼女の大好物は、花なのである。
「ブドウさんも食べますか? もう一株ありますけど。」
「…い、いえ。私は結構です。」
いつもよりも幾分か早いレスポンスを鼻で笑ったカズヤは、塩漬けにしていた肉から染み出た赤いドリップを拭き取ると、摘んで来たばかりの葉っぱの大きな香草でそれを包み込んだ。
「というかシエルラさん、あなた何歳なんです? 竜の亜人の寿命は随分長いと聞きますけど、それにしたって若く見えすぎるというか…。さっきの話を聞くに、少なくとも100は超えてるんでしょ?」
もしゃもしゃと花を頬張る竜亜人に目を向けたカズヤは、ゆで卵の白身のように膨らんだ頬を眺めながらそう言った。確かに、純人間の観点からすればシエルラはまだカズヤと同世代ぐらいにしか見えないだろう。
口の中身を飲み込んで頬をすぼめたシエルラは、少し考えた後で彼の質問に答えた。
「まあ、そうですね。白竜人に限らず、竜亜人というのは肉体の全盛期が非常に長いんです。私は今年で132歳になるのですが、純人間の年齢に肉体年齢を換算するとだいたい18歳から20歳ぐらいになるんですかね? それがあとしばらく続きます。まあそれはそれとして、女性に年齢を聞くのはデリカシーが無いと思います。」
「ごめんなさーい。」
「リアラがおいしかったので、それに免じて許しましょう。」
デリカシー云々はともかく、竜亜人の平均寿命は1000歳にも及ぶと言われている。しかもこの平均寿命というのも環境次第でまだ伸びる可能性があるのだ。
というのも、竜亜人の寿命があまりにも長いため、天寿を全うするよりも前に事故や他殺の憂き目に遭ったり、生きるのに飽きた者が自殺してしまうことが多いのである。
地上の竜亜人の最長寿命記録として10524年と155日というものが残っているが、少なくとも筆者はそれ以上に長く生きている。それに、筆者の一番上の姉に至っては筆者の数倍の年齢を重ねていると思われる。
そのようなことはどうでもよいのだ。
話が大分ズレてしまったが、シエルラが如何にしてグランドーラント王国で暮らすようになったのかという話の続きである。
「そんなふうに革命が起こって、エヴィナリス家は特権階級から引きずり降ろされてしまいました。財産も9割が没収されて、領地は全て国土に接収されました。私が幼少時代を過ごしてきたお屋敷も、今では共和革命記念館として開放されてるみたいですよ。さて、ここで問題です。こんな状況になってしまった元貴族家に、差し当って必要なものは何でしょうか? はい、ブドウちゃん!」
「………えぇ?」
再び始まった教師ごっこに、ブドウは困惑した。教鞭がいつの間にか落ちていた木の枝からリアラの枝へとすり替わっている。
「……………お金?」
「そうですけど! そうなんですけど、そういうことじゃないんです!! ほら、お金を手に入れるにもいろんな方法があるでしょう?」
「……………同情?」
「同情でお金儲けできるんならよっぽどよかったですけどね!! 生憎、元圧制者の私達一族に寄付金なんて集まりませんでしたよ。」
「……………仕事?」
「はい、正解です。」
王国議会から国民議会へと移行したトエルリー政府。彼らの最初の議題は、旧王家と四賢者家の扱い方であった。
処刑が出来ない以上、溜飲を下げるためには末代までの搾取が妥当だという意見が出た。一方で、他国へ自国の人権意識の高さをアピールするためにも、表面上は暖かく迎え入れるべきだという意見も出た。他にも、新たな領土を与えるという名目で新規開拓を担わせるという案や、特使と名付けて国外に追放すべきという案も出た。
最終的に採用されたのは、完全な不干渉という案であった。生活能力の低い貴族を突然平民の地位に落とし込むだけでも十分な処罰となりうるし、領地経営と政治にしか能のない者が普通の仕事に就いて成功を修められるとも考えにくい。
手に職のない者を放置しておけば勝手に衰退していくだろう、というのが彼らの出した結論であった。旧貴族に構うこと以上にやるべきことがあったというのもあるだろう。
エヴィナリス家が幸運だったのは、他の四賢者候補家と比べて技術を持った者が多かったことだろう。具体的には、薬学者としての知識や調剤師としての技術が幼い娘にまで備わっていたことである。
王制時代に半ば独占状態で薬剤市場を担ってきたエヴィナリス家は、新たな共和制時代においても薬学界隈の先駆者であった。新たに台頭してきた他種族の薬学者たちには、エヴィナリス家が長い年月をかけて培ってきた知識や白竜人特有の立体構造への理解に対するアドバンテージが無かったのだ。
そういった種族としてのアドバンテージに加え、かつてのコネクションや『白竜人の作った薬』という市場での信頼感を元手に、エヴィナリス家は最終的に薬剤界隈のトップに返り咲いたのであった。新政府からすれば失策であったといえよう。
さて、再び盛り返したエヴィナリス家ではあったものの、再興するにあたって生じてきたのは家督争いという問題である。これまでは最も優れた者が王の一言で当主を担うこととなっていたのだが、今や共和制の時代。家の今後を決める者を自分たちで決めねばならないのだ。
そうなれば、第一に当主候補として挙がってくるのが、シエルラ達本家の子どもたちである。
「秘薬の製法は失われてしまいましたが、本家の子どもたちは秘薬に通ずる知識の断片ぐらいは持ってましたからね。優位性は高かったんです。まあ、私は早々にリタイアしたんですけど。」
そう、家督にそれほど執着心が無かったシエルラは、長兄と次兄が処刑されて長子の座に繰り上がったにもかかわらず、競争から一番初めに離脱してしまったのである。
家督継承権を放棄し、新たに分家の樹立を申し出たシエルラ(本件を主導したのは厳密にはシエルラの母である)は、放棄時に受け取った見舞金で郊外に屋敷を建て、地方医療の改善に従事したのであった。
「私はなんにもやってないですけどね。血の繋がった弟と、お母様がやったことですから。ただ、エヴィナリス家は地方じゃ随分と恨まれてたみたいでして…。」
分家の設立に名前だけ貸したシエルラは、弟たちの事業が軌道に乗るまでの間、資本金の為に町へと出稼ぎに出ることにしたのだった。
だが、少なくとも彼女が出稼ぎに出ていた間に旧時代の印象が拭い去られることはなかった。四賢者の白竜亜人というだけでよそよそしい態度を取られ、時には美貌ゆえに乱暴を働かれそうになったことすらあったのだという。
また、それまで世間知らずだった彼女は市場の相場も知らず、卸問屋たちにカモのように扱われていた。最終的には自分でそのことに気付くことが出来ただけマシだったが、平等を謳った世界の残酷さに彼女は深く傷ついたのだという。
「話が長いなぁ…。そんで結局、どうして亜人のシエルラさんがグランドーラントにやって来たんです?」
かれこれ15分は喋り続けているシエルラに対し、カズヤはちょっと飽きてきた様子でオチを迫った。彼は肉にまぶした塩と香草を水魔法で洗い流すと、表面の水分を拭き取って焼き網に乗せた。
「せっかちですねぇ、カズヤくんは…。これからそれについて話そうと思っていたところです。カズヤくんは『王の薬箱』って言葉をご存じでしょう?」
「知ってるも何も…。」
「ですよね。私達が出会うきっかけになったんですから。」
卸問屋に騙されて沈み込んでいたシエルラであったが、そんな彼女は町で興味深い話を耳にすることとなる。
グランドーラント王国には昔からトエルリー政府によって比較的純人間のような見た目・性質の亜人たちが送り込まれている。例えば、満月の日以外は少し毛深めの純人間にしか見えないライカン族や、日光が嫌いで犬歯の長い元四賢者家のヴァンパイア族などが内偵としてグランドーラントの情勢を探ってきていた。
そんなスパイたちの報告によると、どうやらグランドーラント王国内の各地で謎の病が流行しており、各種の薬剤の価格が高騰しているというのである。
同胞である亜人にすら裏切られて失意のうちにあったシエルラは、ショックのあまり頭がどうかしていたに違いない。ここで大胆にも一念発起したのである。
そう、グランドーラント王国に純人間として乗り込み、これまで培ってきた薬学知識をフルに活用して金儲けを試みることにしたのだ。
さっそくスパイとコンタクトを取ったシエルラは、そこで掛けがえのない友人を手に入れることとなる。元四賢者家のヴァンパイアの娘と意気投合することとなったのだ。
「彼女はお友達としても良い人でしたし、何よりも変装の達人でした。御覧の通り、私の下半身はこれですから、ありのままの姿でグランドーラントに飛び込むのは無理があります。」
「そりゃあ、そうでしょうね。」
なかなか火が付かない炭にイライラしていたカズヤは、シエルラの指差した大蛇のような尻尾をちらりと見て首肯した。
ヴァンパイアの友人は、グランドーラントに忍び込むには無理のあるシエルラの容姿を何とか誤魔化すべく、粉骨砕身してくれたのだという。
まず、彼女のリサーチによれば、グランドーラントにはシャーマンと呼ばれる職種の者が存在しているのだという。グランドーラントのシャーマンは、魔獣の頭蓋骨を頭に被り、怪しげなローブを身に着けた祈祷師のような存在である。
シエルラの頭に生えた角も、シャーマンの装飾具であると言い張れば誤魔化せよう。皮膚にまばらに生えた鱗も、全身を衣で覆ってしまえばバレることはない。
後は、太くて長い尻尾が問題であるが…。
「ちょっと見ててください。…せーの、っ、よいしょっ!!」
「うっわぁ、気持ち悪!?」
「っ!?!?」
掛け声とともに気合を入れたシエルラは、嵩のある尻尾を一気に折りたたんで、あたかも純人間かエルフの脚のような形状にしてしまった。
だが、その脚のような尻尾はプルプルと頼りなく震えており、上半身も老人のような角度で曲がってしまっていた。窮屈に折りたたまれているためか尻尾の表面は絶えず脈動しており、それがブドウとカズヤの恐怖心を煽った。
「…っ、ふう。…ね? シルエットだけならおじいさんみたいだったでしょう? シャーマンの方は、お年を召していて、奇抜な格好をしているほど信頼度が高いらしいので、私が変装する相手としては相性が抜群だったんです。」
「なるほど。…なるほど?」
「…?」
尻尾をどうにかしようと訓練を重ねたシエルラは、最終的に先ほどのような方法で2足歩行を再現するまでに至ったのであった。後は、その上から引きずるほど長いズボンを履き、大きな胸をサラシで抑え込んでだぼだぼのローブを羽織り、顔を覆面で隠して穴の開いた笠から角を出せば、なんとも怪しげなシャーマンの老爺の完成である。
先ほどの出国時もそうだったが、当時のグランドーラント憲兵もなかなかにザルであった。この明らかに怪しげな老爺の存在を、当時、夜勤専門の憲兵として紛れ込んでいた密偵ヴァンパイアの一言だけで信じ込んでしまったのである。
曰く、『彼は北方からの旅の途中でこの国に立ち寄った有名な薬師で、私も彼に救われたことがある』というカバーストーリーであった。
そのままスムーズに国内へと侵入したシエルラは、郊外の小さな家を購入し、そこを調剤所として開業したのであった。
白竜亜人としては劣っている存在であるとはいえ、シエルラは薬学のエリート一族の生まれだ。彼女の調剤所とそこで作られる薬剤は、亜人社会と比べて薬学方面で劣っていたグランドーラント国民の間で瞬く間に広まり、あっという間に王国一の薬師として名を馳せることとなったのであった。
「当時の流行り病というのがトエルリー由来のものだということはすぐにわかりましたからね。対処法も故郷ではすでに確立されてましたし、薬の製法を知っている人も私以外にはいませんでしたからね。随分と稼がせてもらいました。げっへっへっへ。」
…と、彼女は悪人面で笑ったが、実際にはすぐに特効薬の製法を各所に広め、苦痛に喘ぐ者達に救済の手を差し伸べていたのであった。根本がお人よしすぎたのである。
とはいえ、これだけの偉業を成し遂げたのだ。このことはすぐにグランドーラント王家の耳に届き、以降、シエルラは王家お抱えの薬師としてさらに名を馳せることとなったのだった。
「元は『薬箱』という屋号で薬を売っていたんですけど、この件をきっかけに王様にもお薬を提供するようになったので、屋号の頭に『王』という言葉を付けるのを許されたんです。それで、せっかくなので『王の薬箱』ということでお商売をやらせてもらうことになりました。」
「へー。…シエルラさんは覚えていないでしょうけど、実は僕も冒険者になりたての頃に『王の薬箱』のお世話になったことがあるんですよ。でも、名前の経緯とかは全然知らなかったです。」
「ふふ、覚えていますよ、カズヤくんに初めて会った日の事は。確かあの時は切れ痔で…。」
「言わなくてもいいですから!! てか、なんで覚えてるんですか!?」
ブドウからカズヤに注がれる視線が生暖かいものになったところで、カズヤとシエルラの本当の出会いの話である。
シエルラが調剤の際に扱うのは、主に生薬である。もちろん薬効のある鉱物や合成物質なども利用するのだが、竜人の伝統に則って生薬の使用に重きを置いているのである。
生薬や他の調合素材の主な流通ルートには、専門の卸売店からの入手と、冒険者に採取依頼を直接出すというものがある。
前者の利点は後者よりも利用しやすいことにあるだろう。また、専門家の目を通すので、信用の出来る店で買えば商品の品質も信用できる。
一方の後者では、仲買人を通さない分だけ価格が下がるということが利点に挙げられる。ただ、そのぶん冒険者の腕を自分で見極めなければならないし、見極めた後もお目当ての冒険者がいつも採取依頼を受けてくれるとは限らないという欠点が付きまとう。とはいえ、『当たり』の冒険者を引けば、品質も最高で価格も適正だ。間違いなく一番お得な取引ができるだろう。
そして、カズヤ・マシーナリーという男は、薬師の求めているすべての条件を満たした『大当たり』な冒険者であったのだ。
「カズヤくんが花級資格を取った時にはちょっとしたニュースになりましたよね。そのニュースを見て、試しに指名依頼を出してみたんですよ。」
「そうだったんですか。そういうことだったんなら資格取得を公表しないように頼むんだったなぁ…。そうすればこんな事件に巻き込まれることも無かっただろうし。」
「………すみません?」
「今なんで疑問形で謝ったんですか、ブドウさん。」
花級・銅級両資格取得者が現れたと聞いたシエルラは、以前から入手に悩んでいたグランドーラント西部山脈でしか採取できない花の採取依頼を冒険者協会に発注した。もちろん、新たな花級冒険者を指名してのものである。
この花によく似た別種が同地点に多く生息しているため、ベテラン冒険者でもしばしば混同して持って帰ってくるのである。また、持って帰ってきたころには双方ともに萎れてしまっているので同定が困難になり、同定できなかった株に関しては廃棄するしかなく、回収効率が非常に悪かったのだ。
依頼を出してたった7日。涼しい顔に切り傷1つ付けて戻ってきた花級冒険者の少年は、採取目標の花を20株ほど、1つも間違えることなく、しかも花びらにハリのある生花の状態で持って帰ってきたのであった。
「カズヤくんは、当時の植物学者ですら鮮度の保持に苦しんでいた花を、根っこごと元気なままで持って帰ってきた上に、繁殖方法まで明らかにしちゃったんです。もうそれ以来、腕に惚れ込んでしまって。何度も依頼を出すようになったんです。」
「たまに森林観光のガイドの依頼なんかも頼まれましたっけ。それで、何度目かの時に身バレしちゃったんですよね。」
「身バレ…?」
「えーっと、謎の薬師の正体がシエルラさんだったことが僕にバレたって意味です。」
そう、それはある日の植生調査ツアーのこと。泊りがけで森林案内を頼まれたカズヤは、いつものように薬師が食事として所望する花を採取するために河川沿いを歩いていた。
ちょうどそのタイミングで水浴びをしていた薬師すなわちシエルラは、運悪くも真っ裸でカズヤと鉢合わせてしまい、少女のような悲鳴を上げたのであった。
「カズヤくんがそれほど亜人嫌いな人じゃなくて本当に良かったです…。むしろ、どうして他の人には私の事を黙っててくれたんですか?」
当時の事を思い出して少し顔を赤くしたシエルラは、焼き上がったステーキ肉を切り分けているカズヤに問いかけた。
ウェルダンに焼かれた肉を味見して顔を顰めたカズヤは、少し間を置くと、やがて口を開いてそれに答えた。
「シエルラさんが国の中に居て困る人よりも、シエルラさんが居なくなって困る人の方が多かったですからね。」